第30話 香 6


 日に日に増していく乾きに耐えられなくなったかおりは、地元の群馬で男漁りを始めるようになる。SNSや掲示板を使い、出会った男に連日のように痛めつけてもらう日々。仕事もやめた。幸いにも貯金はあるし、相手をする男の中に金持ちがいたので生活は何とかなった。だが足りない。全然足りない。がではない。が足りないのだ。


 乾く


 乾く乾く乾く


 乾く


 気付けばかおりはぼろぼろだった。性病にもなったし、どうやら妊娠もしたようだ。痛めつけて貰う行為もエスカレートし、顔以外は消えない痣や傷だらけで、いつも長袖で過ごすようになっていた。今になってかおりは、MASAマサは上手かったんだなと思う。MASAマサになら、どんなに痛めつけられても痣や傷は残らなかったからだ。今のかおりは服を着てさえいれば、容姿の整ったスタイルのいい美人なのだが……


 もはや服を脱いでしまえば、目を逸らしたくなるような痣や傷が体には溢れていた。そんな状態へとなったかおりは男たちに見向きもされなくなり……


 ある日思い立ったように東京へと向かう。凛花りんかに会いたい。凛花りんかで満たされたい。と、半ば無意識で東京に向かった。


 だが今のぼろぼろの状態の自分を凛花りんかに見られるのは耐えられないと、とりあえずはウィッグや眼鏡で変装し──


 相変わらず凛花りんかはSNSで自分の情報を危機感もなく垂れ流していて、家はすぐに判明した。家の前についてみれば、丁度凛花りんかが男を家に連れ込む瞬間だった。


 たまらなかった。たまらなく興奮した。男を部屋に誘い込む凛花りんかを見て、路上で腰が砕けた。そこからは凛花りんかを覗き見ては宿泊先のホテルへ戻って自分を慰める日々。幸いにもストーカーと化していたMASAマサとはバッティングせず、だがかおりの運命は違ったのかもしれない。MASAマサとバッティングさえしていれば、おそらく掴み合いの争いへでも発展しただろう。そうなれば凛花りんかにもかおりのストーカー行為がバレ、この後の流れは変わったはずだ。


 だが実はこのタイミング、MASAマサかおりを探すために群馬へ訪れていた時期。バッティングすることなどない、かおりにとっては最高の、この後迎える運命としては最低のタイミング。あのに出会ってしまう運命の分岐点。


 凛花りんかを覗き見るために東京を訪れて五日後、かおりはバーを訪れていた。凛花りんかが男を漁るために利用しているバーの一つだ。ガラス張り半地下のオシャレなバーで、広いコの字型のカウンターにテーブル席もかなりある。店内では会話を邪魔しない程度のゆったりとしたジャズが流れている。この日、仕事を終えた凛花りんかの後を付けて訪れたのだ。


 カウンターで一人、ロックグラスを傾ける男に話しかける凛花りんか。そのまま隣に座って談笑し、男の膝の上に手を置く凛花りんか。バーテンの目を盗んで唇を重ねた凛花りんか。堕ちる所まで堕ち、汚れるだけ汚れたはずなのに……


 それでも尚、圧倒的に美しく儚げな少女のような凛花りんか


 凛花りんかが男の耳を噛みながら何事かを囁くと、男は「釣りはいらないよ」と言って支払いを済ませる。凛花りんかが男の手を取って席を立ち上がる。そのまま半地下の店内から地上へと戻る階段に向かう凛花りんかと男。


 かおりは震えた。これから凛花りんかはあの男とセックスするんだと身悶えた。たまらなく興奮し、自身の中心が熱くなっていくのを感じるのと同時──


 かおりを襲う激しい嫉妬の心。


 ああそうか──


 私は──


 私は凛花りんかが好きだったんだ。欲しかったんだ。めちゃくちゃに痛めつけ、愛したかったんだ。そう思うと同時、かおり凛花りんかを追いかけ、料金も支払わずに駆け出していた。


 伝えなきゃ。凛花りんかに伝えなきゃ。凛花りんかを愛し始めて長い年月が経った。長い年月をかけてようやく熟成された。そして自身の中に芽吹いた二人の愛の結晶。このお腹の中の命は凛花りんかとの愛の証だ。と、もはや常人には理解出来ない思考へとなったかおりが、満面の笑みで階段を駆け上がる。


 そのまま外に飛び出し、半狂乱で凛花りんかに追いついたかおりが、凛花りんかの腕を掴む。腕を掴んだまま「見て! あなたとの子供なの!」と、服を捲りあげてお腹を見せる。長い長い時間をかけて熟成させた凛花りんかとの子供が宿ったお腹。二人が歩んできた時間が、子供という愛の結晶になったのだ。


 だが凛花りんかから返ったきた言葉は残酷なものだった。「誰ですか?」の一言だけ。街灯があるとはいえ、暗い外。ウィッグと眼鏡のせいでかおりだと気付けなかった凛花りんかからの残酷な言葉。


 「私だよ! かおりだよ!」と、ウィッグを取って言おうとしたところで、バーから追いかけてきた店員にかおりは組み敷かれた。そのまま立ち去る凛花りんか


 放心した。お金を払って解放はされたが、その場から動くことは出来なかった。「誰ですか?」の言葉がかおりの頭の中で何度も繰り返す。繰り返し、繰り返してかおりはその場に崩れ落ち、嗚咽した。


 そんなぼろぼろのかおりに、一人の男が近付き、声をかける。


 あなたはとても整った容姿をしていますね。涙を流すのはもったいないですよ──


 と。


 その後、かおりは男と共に雑踏の中に消え、その命は涙と嗚咽にまみれながら……


 消えることとなる。



 ──香(了)

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