第9話 結束倫正 3


 ──二〇一六年八月、東京


「ふぅ……」


 ビジネスホテルの一室で男が一人、大量の週刊誌や新聞と向き合い、ため息を漏らす。そのまま目の前のローテーブルに置かれたノートパソコンに、「そして二〇一六年の八月現在、下野兄弟の行方は依然不明のままである──」と打ち込んだ。


「それにしてもこの伽藍胴がらんどう殺人事件ってのは本当に嫌な気分になる事件だな……」


 男がそう呟いた後で「ちっ」と舌打ちをして立ち上がり、胸ポケットに忍ばせた煙草と年季の入ったZippoジッポーライターを取り出す。そのまま煙草を咥え、ライターの蓋を手馴れた手つきでカシュンと開け、煙草の先端にジリジリと火をつけた。


 立ち上がった男は身長も高く、鍛えられているのであろうことが伺える筋肉質な体。短く刈り揃えられた黒髪に精悍な顔つき。紫煙をくゆらせる姿が様になっている。


 男の名前は結束倫正ゆいつかみちまさ。新人作家の桜子おうこ──雪人ゆきひとと、伽藍胴殺人事件で事情聴取を受けた男──鷹臣たかおみの、少し年の離れた友人である。この滞在しているビジネスホテルは東京なのだが、普段は青森県で警察官として働いている。


 そんな倫正みちまさが、なぜ東京にいるのかと問われれば──


 それは友人である鷹臣たかおみに伽藍胴殺人事件の調査を頼まれたからである。と言っても、倫正みちまさは青森県警所属。その上諸般の事情で左遷され、今は青森県の奥地にある駐在所勤務。普通に考えて東京での事件を捜査する権限などはない。のだが……


 友人の鷹臣たかおみの頼みとあって、無理やり有給を使ってまで東京に来たのだ。つまり個人的な捜査であり問題行動である。もちろん捜査をしていることがバレた場合は面倒なことになる。そもそもだが、それほど自由に有給を使えるとも思えない。だが……


 倫正みちまさには鷹臣たかおみからの頼み事を断るという考えはない。


 なぜなら過去に一度、鷹臣たかおみに命を救われているのだ。それもに襲われ、絶体絶命のピンチを救って貰った恩人なのだ。


 だがだからといって、青森県警所属の倫正みちまさにわざわざ調査を依頼したのは何故なのか、ということになるのだが……


 ブー、ブー、と倫正みちまさの携帯電話が着信を知らせて振動し、「もしもし。分かったのか?」と電話に出る。この電話の相手の存在こそが、鷹臣たかおみ倫正みちまさに調査を頼んだ理由である。


「勘弁しろよ倫正みちまさ。お前に協力してるのがバレたら俺もまずいんだって」

「悪いな。それより調べた結果はどうだったんだ秀治しゅうじ


 電話の相手は林田秀治はやしだしゅうじという名の、警視庁刑事部捜査第一課の刑事。つまりについて詳しい人間である。倫正みちまさとは幼なじみであり、高校時代には同じ剣道部に所属していた。


 この二人、青森県に生を受けてから小中高と同じ学校に通っていた腐れ縁である。高校卒業後、倫正みちまさは同県内の大学へ進学し、秀治しゅうじは東京の大学に進学。その後警察学校を経て、お互いに青森と東京で警察官となったのだ。高校卒業から十四年経った今でも、時折連絡を取り合う仲である。


「その前にお前が左遷された本当の理由だ。そろそろ話してくれよ。正直な話、お前がするなんて俺は思っていない」

「またその話か……」


 「話したところで信じて貰えないさ」と、倫正みちまさが咥えていた煙草を手に取って灰皿で揉み消し、新しくもう一本咥えて火を付けた。


「俺は信じてるぜ? は俺らの憧れだったんだからさ」

「茶化すな」


 ユイリンとは結束倫正ゆいつかみちまさの名前のを合わせたあだ名である。倫正みちまさはその名前が示す通り、人の守るべき筋道を貫き通す、正しく真っ直ぐな男だ。そんな倫正みちまさに憧れ、ユイリンと呼んで慕う者は多かった。


 秀治しゅうじもそんな倫正みちまさに憧れ、いつか倫正みちまさが語った「警察官になってみんなが安心して暮らせる世の中を目指したい」という言葉に感化され、警察官を目指した。


「今回ばかりは折れないぜ? こっちも危ない橋を渡ってるんだ。ちゃんと話してくれないなら調べた情報は教えられない」

「いや、違うんだ秀治しゅうじ。私もまだあの当時のことはきちんと消化出来ていなくてな。上手く説明出来るか分からない」

「いいから話せよ」


 語気の強い秀治しゅうじの問いかけ。おそらく折れてはくれないだろう真剣な声音。倫正みちまさは数秒の沈黙ののち、「……別に信じなくていいからな」と、肺に吸い込んだ紫煙を吐き出し、ゆっくりと語り始める。

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