第8話 結束倫正 2


 もう一人は年齢も名前も不明の男性。日記によれば「今日ナンパされて家に呼んだ人が名前も年も教えてくれない」「少し長めの茶髪で切れ長の色素の薄い目が素敵」「目元のホクロが可愛い」「髪の毛はウィッグだったぁ。なんでウィッグ?」「仕事で身だしなみが厳しいから休みの日はウィッグで気分転換してるって」「少しメイクもしてるみたいだしホクロもメイクだった」「メイク男子ってやつ?」「信じられないくらい気持ちよかった」「もしかして薬でも使われたのかな」「そういえば前に写真で見た元彼の弟君に似てたなぁ」「弟君も切れ長の色素の薄い目だったしタイプだなぁ」「もしかして本当に弟君なのかなぁ」「そんな偶然ある?」「あぁ、体が疼くよ」「やっぱり薬を使われたんだ」「でもいいよね」「私なんて死んじゃえばいいんだしいいよね」「また会えた」「やっぱり弟君の気がしてきた」「思い切って聞いてみたけど笑って誤魔化された」「やっぱり薬を使われてるみたい」「ああ、弟君に会いたい」「他の人だと満足できないよぉ」と書かれていた。もちろんこの弟君というのは下野学しものまなぶのことなのだとは思われるが、防犯カメラもなければ名前や年齢も明かされておらず、真相は不明である。


 田村凛花たむらりんかの自宅であるアパートの住人にも何度となく事情聴取はしたようだが、出てくる情報は「年中が聞こえてきて迷惑だった」「毎回違う男を連れ込んでいたので正直誰が誰だか分からない」といった具合である。


 そういった様々な要素が相俟あいまって事件は迷宮入りとなっていたのだが──


 唐突に事態は進展した。


 田村凛花たむらりんか殺害から一年後──二〇一三年、七月のことである。容疑者から外れて間もない下野正樹しものまさき下野正樹しものまさきは東京都北区の会社に務めていたのだが、連絡のつかない状態で無断欠勤が二日続き、三日後の業務開始前、上司が自宅マンションの訪問を行った。その際インターホンを押すが反応はなく、管理人に相談の上で部屋に立ち入らせてもらう。立ち入った室内はめちゃくちゃに荒らされており、この段階で警察へと通報──


 という流れである。


 その後通報を受けて駆け付けた警察の捜査によって下野正樹しものまさきによる田村凛花たむらりんか殺害が決定的なものとなる。


 以前に家宅捜索した際にはなかったのだが、田村凛花たむらりんかの内臓の一部を冷凍庫から発見したのだ。この段階で下野正樹しものまさきを緊急指名手配。


 更に室内にあったUSBメモリからも証拠となるデータを発見。田村凛花たむらりんかの見つかっていない──つまり遺体の画像が保存されていたのだ。その他にも日記のようなデータが保存されており、「いつかバレてしまいそうで怖い」「兄貴に相談しよう」「捨て忘れた内臓はどうしよう」「怖い怖い怖い」「そんなつもりはなかった」「兄貴と一緒に乱暴するだけの予定だったのに」「なんで殺したんだよ兄貴」などと書かれていた。


 日記の内容からおそらくUSBメモリの持ち主は下野学しものまなぶだと思われる。更にその後、室内に残された毛髪や指紋が下野学しものまなぶの実家から採取したものと一致。下野学しものまなぶも緊急指名手配となった。


 だが不審な点は多々ある。


 なぜ一度目の家宅捜索では何も出なかったのか。


 なぜ田村凛花たむらりんかの内臓の一部や証拠となるUSBメモリを部屋に残したまま失踪したのか。


 下野学しものまなぶは失踪してから現在までどこにいたのか。


 下野学しものまなぶ田村凛花たむらりんかが街中で堂々と唇を重ねていたという情報は誰がもたらしたのか。


 更にその後の捜査で、下野正樹しものまさき下野学しものまなぶが失踪直前、東京都北区の喫茶店で会っていたことが判明。この喫茶店でも不審な点がある。店主によれば、下野学しものまなぶと思われる人物はわざわざ「僕の兄は田村凛花殺害の疑いをかけられ、精神的に参っています。薬も服用していまして、支離滅裂な発言や、奇行でご迷惑をおかけするかもしれません。突然眠ってしまうこともあって……その時は手伝って貰ってもいいですか?」と言ってきたそうだ。その後、言われた通りに下野正樹しものまさきは眠ってしまい、下野学しものまなぶと思われる人物が近くの駐車場から店の前まで車を移動。店主は車の中に下野正樹しものまさきを運び込む作業を手伝ったそうだ。


 この一連の流れは、店内にいた他の客の証言からも確認が取れている。だが残念ながら店の中や目の前の道路には監視カメラなどはなく、下野学しものまなぶと思われる人物の顔は確認出来ない。店主に失踪前の下野学しものまなぶの写真を確認して貰ったが、「似ている気はするが、分からない」とのことだ。


 喫茶店から帰る際、下野学しものまなぶと思われる人物が使用した車もすぐに見つかった。車は下野正樹しものまさきが所有している車だったのだが……


 北区を流れる荒川の河川敷でし、発見されたのだ。これもまた周囲に監視カメラなどはほとんどなかったために、詳細は分からない。車が発見された河川敷へ向かう途中に監視カメラは複数あるが、運転手はマスクに帽子、サングラスという出で立ちで、人物特定は困難だということだ。


 そして二〇一六年の八月現在、下野兄弟の行方は依然不明のままである──

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