第6話 奥戸雪人 6


 雪人ゆきひとが涙とよだれまみれながら玄関へと這って進む。もちろんこれは逃げ出そうという想いからの行動ではない。駿我するがに会いたいのだ。外に出て駿我するがを探し出し、また抱いて貰いたいのだ。それほどに雪人ゆきひと駿我するがを求めていた。頭では逃げなければと思っているが、体が駿我するがを求めてしまう。


 ようやく玄関の扉へ辿り着いた雪人ゆきひとが鍵を開け、ドアノブを下ろして扉を押す。


 がこん──


 と、音を立てるが扉は開かない。何度もドアノブを下ろして扉を開けようとするが、その度、がこんがこんと音を立てるだけでビクともしない。そう──


 駿我するがが外からしか開けられない補助錠を、玄関の外側に取り付けたのだ。この補助錠、実は取り付けられたのは駿我するがに初めて抱かれてから一週間後である。初めて抱かれてから一週間の間も、例の女性の幻覚やポルターガイストは発生していたのだが……


 この女性の幻覚やポルターガイストの話を駿我するがにしたその日の夜に、補助錠を取り付けられてしまった。更に室内の全ての窓にも補助錠を取り付けられ、駿我するがが持っている鍵を使わなければ開けられなくなっている。「今の状態の桜子おうこ先生を外に出すのは心配だから」と言っていたが、その日から薬物を接種させられる頻度が増えたように思う。最初のうちこそ知らずに摂取させられていたのだろうが、そのうちそれは錠剤での摂取という直接的なものに変わっていた。


 からのメッセージを駿我するがに伝える前に逃げ出せていたら、現在の状況は変わっていたのかもしれない。だがそうなると分からないことがある。もし仮に雪人ゆきひとが逃げ出していたとして、逮捕されるのは駿我するがだ。無理やり薬物を摂取させられた雪人ゆきひとは捜査上で逮捕、身柄を拘束されるだろうが、故意ではないと証明されれば解放される。


 監禁という方法を取るならば、もっと早くにやって然るべきだったはずだ。最初に薬物を接種させ、行為に及んだ際にやっておくべきことだ。だがそうなると監禁罪は……と、雪人ゆきひとが回らない頭で色々と考える。色々と考えてはいるのだが、その思考の大半を「駿我するがに会いたい」という想いが占め、どうしようもない焦燥感に駆られる。


 実は雪人ゆきひとのこの考えは半分当たっているが、半分外している。駿我するが雪人ゆきひとに薬物を摂取させたのは確かだが、それはである。初めて二人が性的関係を持ってから、使。つまり最初の一週間の眩暈や吐き気、体の気怠さは純粋な精神的衰弱から来ていたのだ。もちろん初めて男に抱かれたというショックも相俟あいまってのことなのだが……


 そうなると、初めて抱かれた日から起きている女性の幻覚やポルターガイストは、薬物の作用によるものではなかったということになる。雪人ゆきひとの目の前に現れるはただただ「ニゲテ」「ハヤク」と伝えていたのだ。


 女性の幻覚やポルターガイストのことを伝えた日の夜に取り付けられた補助錠。その日から始まった雪人ゆきひとの薬物投与。明確に駿我するがの行動方針が変わった日だ。駿我するが本人に確認しなければ分からないことだが、おそらく。だが雪人ゆきひとが女性の幻覚やポルターガイストのことを伝えたことでそれは変わったのだ。


 雪人ゆきひとを薬漬けにしてまで監禁し、外に出してはならない理由が駿我するがには出来たのだ。だが雪人ゆきひとは籠の中の鳥。携帯電話やパソコンも取り上げられ、外との連絡手段はない。それに加えてもう一つ雪人ゆきひとを縛り付けるものがあった。それは……


 じゃらり──


 と、足に嵌められた枷から伸びる鎖を雪人ゆきひとが触る。そう、玄関の扉や窓の補助錠だけではなく、足枷までされているのだ。鎖は室内で動き回ることが出来る長さにはしてあるが、玄関の外や窓の外へは届かないように調整されている。どうあっても駿我するが雪人ゆきひとを逃がす気はないのだ。インターホンですら取り外し、外に持ち出されてしまっている。


 異常な状況。場合によっては命の危機さえあるかもしれない状況。それでも……


「あぁぁぁあぁぁぁあぁぁぁぁぁあぁぁぁぁあぁぁぁあぁぁぁあぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁああっ!! 早く……早く帰ってきてよ駿我するがあぁぁぁあぁぁぁあぁぁぁぁぁあぁぁぁぁあぁぁぁあぁぁぁあぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁああっ!!」


 とうに雪人ゆきひとは壊れていた。おそらく補助錠や足枷などなくとも逃げ出したりなどしない。外に出たいと思うのは駿我するがに会いたいがため。


 室内には雪人ゆきひとの嗚咽がただただ響いていた。




 ──奥戸雪人(了)

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