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2024年3月26日 16:42 編集済
グノーシスとか古神道系のオカルトでは、どんな者の命であっても等しく命で、ただ情念や欲望のみが命に価値をつけるという考え方があります。 これは、客観的に人類全体を観る割と科学的な考え方でしょう。 それとは対照的に命に価値があると考える|妄信《オカルト》もあります。 それは【神仏というあるかどうかもわからない存在】をあると決めつけた宗教権威が、人為的に創ったと考えられる主観的で非科学的な考え方なのでしょう。 権威というものは【恐怖と欲望を利用して動物的本能により人間を制御しようというシステムの根幹】であるという事を考えると、古代では集団を率いる王が、【神という人知の及ばないとされる存在の子孫】であると語ったのは当然なのでしょう。 科学的に考えるならば、【恐怖と欲望を施す権威】の象徴として生み出された概念が、神や【自分たち以外の集団の神である悪魔】だから。 本能には生存本能と同時に自滅本能があり、その二つは混在していて分けることはほぼ不可能で、人間の場合も理性によって二つを分類してはいても、個人の主観で、それを判断するには客観性が必要になります。 そういう【科学的客観性を排除するために権威が創った概念】が【真の正義】という考え方で、大乗仏教権威でも聖書宗教権威でも天皇権威でも、他の利権集団とあるいは自らの権威内の派閥と敵対する時に、使われます。 それこそが権威システムの構造的欠陥で、自滅本能までもをシステムに組み込んでいることの弊害なのでしょう。【自分の内の情念がそのどちらに起因しているのかを考えずに行動する者】は、権威というものがどういうシステムかを理解しようとせずに、現状のシステムに盲目的に従い、自滅していく。 自然淘汰というものに集団で抗い、家を造り、食料を造り、個人の外に知識を蓄えるために文字を創るという【文明を創ることを自らの種の生存戦略とした人類】にとって、権威という考え方は種全体としては本末転倒になる毒ということなのでしょう。 そうした権威によって造られた集団が欲望に染まるのは当然で、それによって命に価値が創られ、権力が命を使いつぶす。 神の子孫というオカルトと宗教権威という|盲信《オカルト》と朝廷権威という|妄信《オカルト》。 このエピソードはそういうものを表しているのかもしれません。 な~んてね。
作者からの返信
コメありがとうございます。そこまで深くは考えてはおりませんでしたが、この時代の武士が如何に武運と言う物を考えているかと言ったところなど書きたかった部分ではあります。それに、この時代の浄土真宗のやりようが気に入らないと言う部分がありましたので、超常に対して宗教権威が如何に瓦解していくかと言う部分と「阿弥陀如来以外は信じません」などと言って滅茶苦茶な事をやっている者たちが実際に神と相対した時、自己保身に走る様を描きたかったのかも?うんちく織り交ぜた良いご意見ありがとうございます!!
2024年3月26日 08:43
そういや、赤い国でも偉人の死体を保存して崇めてますけど、あれも人工的な聖骸みたいなものですかね。そういうのは阿片とか言ってた気もしますが(笑)。
コメありがとうございます。冷凍保存は聞いたことありますね。何でも1体で年間1億だか2億だかそれ位掛かるとか何とか・・・でも、冷凍保存って少しづつ水分が抜けるので縮むらしいですね~北朝鮮はロシアの技術提供を受けて先代、先々代の指導者様を保存しているとか何とかで、何か何処かでそれ書いた記事を見た気がします。
2024年3月26日 00:47
>金剛杵こんごうしょう →こんごうしょ>そうか・・・申しう訳ない →申し訳ない>特に考えてい無かった・・・ →いなかったですね
コメありがとうございます。誤字報告感謝です。「こんごうしょ」は何故「う」付けたか自分でもよく解りませんが、誤字ってそんなもんですね^^;
編集済
グノーシスとか古神道系のオカルトでは、どんな者の命であっても等しく命で、ただ情念や欲望のみが命に価値をつけるという考え方があります。
これは、客観的に人類全体を観る割と科学的な考え方でしょう。
それとは対照的に命に価値があると考える|妄信《オカルト》もあります。
それは【神仏というあるかどうかもわからない存在】をあると決めつけた宗教権威が、人為的に創ったと考えられる主観的で非科学的な考え方なのでしょう。
権威というものは【恐怖と欲望を利用して動物的本能により人間を制御しようというシステムの根幹】であるという事を考えると、古代では集団を率いる王が、【神という人知の及ばないとされる存在の子孫】であると語ったのは当然なのでしょう。
科学的に考えるならば、【恐怖と欲望を施す権威】の象徴として生み出された概念が、神や【自分たち以外の集団の神である悪魔】だから。
本能には生存本能と同時に自滅本能があり、その二つは混在していて分けることはほぼ不可能で、人間の場合も理性によって二つを分類してはいても、個人の主観で、それを判断するには客観性が必要になります。
そういう【科学的客観性を排除するために権威が創った概念】が【真の正義】という考え方で、大乗仏教権威でも聖書宗教権威でも天皇権威でも、他の利権集団とあるいは自らの権威内の派閥と敵対する時に、使われます。
それこそが権威システムの構造的欠陥で、自滅本能までもをシステムに組み込んでいることの弊害なのでしょう。
【自分の内の情念がそのどちらに起因しているのかを考えずに行動する者】は、権威というものがどういうシステムかを理解しようとせずに、現状のシステムに盲目的に従い、自滅していく。
自然淘汰というものに集団で抗い、家を造り、食料を造り、個人の外に知識を蓄えるために文字を創るという【文明を創ることを自らの種の生存戦略とした人類】にとって、権威という考え方は種全体としては本末転倒になる毒ということなのでしょう。
そうした権威によって造られた集団が欲望に染まるのは当然で、それによって命に価値が創られ、権力が命を使いつぶす。
神の子孫というオカルトと宗教権威という|盲信《オカルト》と朝廷権威という|妄信《オカルト》。
このエピソードはそういうものを表しているのかもしれません。
な~んてね。
作者からの返信
コメありがとうございます。
そこまで深くは考えてはおりませんでしたが、この時代の武士が如何に武運と言う物を考えているかと言ったところなど書きたかった部分ではあります。
それに、この時代の浄土真宗のやりようが気に入らないと言う部分がありましたので、超常に対して宗教権威が如何に瓦解していくかと言う部分と「阿弥陀如来以外は信じません」などと言って滅茶苦茶な事をやっている者たちが実際に神と相対した時、自己保身に走る様を描きたかったのかも?
うんちく織り交ぜた良いご意見ありがとうございます!!