エピローグ 1.140

その後の話

 いろんなことがあったその日以降の話。


 自分はまた彼女とデートをする約束をして、何度か目の夏の日差しが当たる日にお盆を言い訳に「実家に来てみない」と誘われて、行くことに。


 そこでまたもや事件に巻き込まれ、上位者も巻き込む事件に発展した。もちろんこの後も会社を作ら為の人探しとか、建物を巡って事件がこれからも続く。が、そこはまたどこかでするとして、あの新米がどうなったか、気になると思うので話す。


 新米は一度事務所に戻り、親父に事のあらましを説明し、組を抜けることを宣言したそう。それでまな板とドスを用意されて、切らせた。新米はそれに従い切りにかかったそうだが、一切はが入らない。


 それに驚いていたら、そこの親父である組長が「カッカッカと笑って、指を切るほどではない。我が息子」と覚悟を見届けて、刃が付いてないことを証明したあと「好きにするとええけん」と言ってくれたんだそう。代わりに「もしそのタコ殴りにした漢に会ったら、伝えといてくれ。『もしそんな時代が来たら手を貸すな』」と言われたそうで、また面倒な縁ができちまったと、運命を恨み直した。


 そのバーに就職してからは「反応に困るなあ」が口癖であることが露呈して、常連客からはハンコマさんと呼ばれるようになったそう。こういう風に自分と関わり自ら行動を行うものには幸福がやってきて、敵対し危害を加えようとする者はおもと舞台から姿を消し、またどこかで何かをしでかしていることが多い。


 そして現在、近所の公園で子供が三人とその他の親の子供に遊びものにされている。ご婦人方は朗らかに見ているが、遊ばれている自分はへとへとで、その他の変態と祭囃子といった何人かのお父さんは化け物かと思うくらい本気で子供たちと大人げなく遊びまくってっいる。そんな日常だ。


 こんな変な大人たちに囲まれて、将来どんな世界になっているのかいくら百年の周期を識っていてもその先は分からなそうだ。


 でもそれでいいんだよ。運命とか因果てやつは。なぜかって、それは生命が為すべき業だからだ。とある上位者はいった『すべての生命の生命の願いは終わりの先を見ること』それが適えば、誰かが不幸になろうがに合わせになろうがどうでもいいんだそう。そうなると運命や因果というものは、自分たちがずっと何かしてきたことがそういった過去や未来となって存在しているだけで、生きるというのはそれらの物事の上で踊らされているだけかもしれない。


 そう、我々はそんな夢のようでかつて自分が歩いた夢の残滓の上を歩まされる、ただの観測なだけに過ぎないのかもしれない。これが現時点での運命に対する答えである。


 そして、何時かこの夢のような世界が終わる時、自分はその残滓を識って、未来に託すだろう。終わりなき、運命の道筋が続くことを。

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血脈のカタルシスト 運命のカナリア編 (パイロット版) 冬夜ミア(ふるやミアさん) @396neia

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