33話 未来を託す


「問題……だと?」


《はい。以前ゲームが成立する前提の話としてお伝えしましたが、ネグロ騎士団長やブラン皇帝陛下が悔恨かいこんと呼べるような心残りや傷を得る必要があります。

 ヴァイス殿下が仮に眠りに落ちたとして、お二人がそれを知っているのなら放置はしないのでは?》



「当然だが? ありとあらゆる手段を活用して該当の治癒呪文を使える存在を発見し、必ずやヴァイスさまをお救いしてみせる。」


《はい、ですのでそれを攻略対象がやってしまうと主人公が救う余地がなくなります》

「ぐ…………っ、」


 難しい話だ。



「つまり、聖女が自発的に動くまで二人……場合によっては空想遊戯に登場が確定しているビアンやクニン殿にも沈黙を保ってもらう必要がありそうだね。」


「それは……少し難しいかしら。あまり下手に匂わせてしまって、そのルートに誘導させることも望ましくないのでしょう?」



 説明してから間もないながら、もっとも空想遊戯の在り方を理解しているのだろう。母上が難しい顔をする。


 ネグロへと視線を向け……ずとも低いうなり声をあげている。このままでは彼らの自制心に私の命がかかってくるわけだ。



《肯定します。必要以上にルート誘導を行い、可能性を固定することは望ましくありません。

 その場合は騎士団長ルートや皇帝陛下ルートでヴァイス殿下を救おうとしたが間に合わず、亡骸なきがらを前に悲嘆にくれるお二人という形で演出されることになりかねません》



「やはり……滅ぼすべきでしょうか。世界を」

「待て待て待て」



 結論が早い。それも過激な方向で。



「ヴァイス、育て方間違ったんじゃないの?」

「拾った責任はありますが育てた覚えは……」


 危機感の薄いおっとりとした口調の母上の言葉に苦笑を返し、改めて向き直る。



「お前がそんなことをする必要はないよ、ネグロ」

「しかし……っ!!」


「この件については、既に私の中では解法が出ているんだ。……バラッド」

《はい》



「該当するのはネグロとブラン、それに二人が話したというのなら母上とビアン……クニン殿にも念のため必要かもしれないな。

 彼らが“私がまだ生存して眠っていること”に関する記憶を失えば、その問題はクリアできるか?」



《……!!》

 青い鳥の、一定の調子で紡がれていた音が一瞬止まる。



《……はい。これから十二年間、そしてゲーム本編の最中継続した記憶の喪失と、そのことによる認識の補完は必須ではありますが。


 その状況下で、ネグロ騎士団長があくまで亡き皇太子殿下の意思を継ぎながら、ブラン皇帝陛下がそのあり方に反感を覚えれば可能でしょう》



「ヴァイス……。あなた、そんなことが可能なの?」

「正確には私が、ではありませんが。ネグロ」



 呆然とした顔をするネグロに、手紙を差し出した。

 震えながら取った手が手紙を開封し、ゆっくりと読み進める。



「生理的変質魔法による、忘却……」


「魔の国では実際に使用されているものらしいが、当然ながらこの国でこれを使えるものはいない。魔法としても高難易度らしいからな。

 自己研鑽だけでお前はこれを習得し、他の関係者全員と、それからお前自身にこの術をかける必要がある。……出来るか?」



 意志を問うように真っ直ぐと見据える。

 躊躇ためらいのない返事が返ってくるかと思っていたが、その目はこちらが思っていた以上に困惑をにじませ、泳いでいた。



「……ネグロ?」

「いえ……失礼しました。術式は、覚えます。

 可能か不可能かではなく、それがあなたの生存に不可欠ならばそれを身につけぬ道理は御座いません」



 ならば何故に狼狽ろうばいしているのか。

 その心根を明かすようにという意を込めて見つめれば、観念したように口を開く。



「ですが……それは、あまりに可能性が薄い。あなたさまが救われるかどうかが、全てその世界を来訪する者次第などと……」

「それでも、はじまる前から死ぬよりは、ずっとマシだろう」


「分かっています!分かっていますが……」



 感情がないまぜになった顔をして、歯噛みするネグロ。

 ここでかけられる言葉を持たないのは、ひとえにずっとこの子の忠誠心に甘えきっていた結果だ。


 それでも、だからこそ。

 遺恨のないようにその言葉を全て聞きたい。再び口が開かれるまで、静かにその時を待つ。



「……それでも、悔しいのです。どうして、どうしてあなたを翻弄ほんろうする世界に、あなたが救われるかを最後の最後に委ねねばならないのでしょう」


「ええ、それでも無意のままに命をあなたが落とされることや、それで私があなたの望まぬ道に進むよりもずっとよいでしょう。少なくともあなたにとっては………私にとっても、きっと」


 だから、これは私のエゴなんですと。

 黒い瞳から涙が一縷いちるこぼれた。



「叶うならば、あなたに完全な救いを与えたかった。」

ねがわくば皇帝としての華々しき未来を。それが叶わずとも、どのような道幸に、終わりになったとしても最後に笑っていられるような。」



 顔を歪めて吐き出す彼は、本当に優しい子だ。




「ありがとう、ネグロ」

「いえ……礼を言われるようなことは、何も。……何も出来ていません」



 瞳を閉じる彼に、どんな感謝を口にしてもきっと届かないのだろう。

 だから代わりに一つ、彼を連れ出して自身の騎士とした身としての命令を投げかけた。



「そうか。ならば感謝は改めて私の命が助かってからにするとしよう。

 ……お前たちが記憶を失わねばならない期間はこれよりおよそ十二年間。ゲームが終わるその日までだ。


 ならばそれ以降に記憶を取り戻してしまえばいい。物語にどんな結末が訪れようと、終わりさえしてしまえばその先は自由だ。

 聖女にお前が救われたとしても、他の誰が救われたとしても。

 ……私を救いたいというのならば、それくらいしてみせろ」



 息をのむ赤髪の青年。

 数秒ほどの沈黙と共に瞠目どうもくし、再び開いたその目にもう迷いは存在しなかった。


「承知しました。皇国騎士団遊撃隊三十四番、ネグロ。ヴァイス皇太子殿下の御命令と御意志に必ずや沿わせていただきます!」




 ◇



「……母上。皆が忙しい最中では恐縮ですが、場の調整をお願いしてもよろしいでしょうか?」

「ええ、何かしら。」


 年を経てもなお若さと、そして美しさを兼ね備えた顔が愛らしく傾けられる。

 けれども水色の輝きは既にこちらが頼むことを理解しているのだろう。聡明な落ちつきをうかべていた。


「ブランとビアン、それから父上と話す席を……別れの場を、設けてはもらえませんか?」

「……ええ、分かったわ」

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