34話 団欒のとき


「兄さまのばか、あほ、鉄の心臓。氷の判断力」

「ブラン兄さま、ヴァイス兄さまに悪口いうのダメ!」

「……いや、それは悪口なのかい?」


 とくに最後はどちらかといえば褒め言葉に聞こえたけれど。



 そう口にすればブランがむっつりとへの字をつくる。

 せっかくの家族が揃っての夕食だというのに、この調子でまともに味がわかるのだろうか。


「悪口に決まってますよ。頼りにしてるとかなんとか口ばっかり達者で、結局最後のところは全部自分で決めちゃうんですから」



 これは完全にヘソを曲げられているな。

 申し訳ない思いと、最後までその不満を隠すことなく見せてくれることへの喜びが混ざる。


「すまないね。でも、その道を選ぼうと思えたのは間違いなくあの時にお前が私を怒ってくれたからだよ」

「……バカなんじゃないですか?本当に」


 そっぽをむかれてしまったけれど、掛け値ない本心だ。

 仕方がないと早々に諦めてしまった選択肢を、諦めないでほしいと望んでくれたから今の私がいる。



「ま、いいですけど。そのかわり……兄さま、あなたを眠らせる術は僕が使います」


 確定事項を通達するような宣言に、目を見開くのは許してほしい。


「……呪文の適正までもう判明したのかい?私はまだ聞いてないけれど」

「はっ、そりゃ今の兄さまに余計な負担はかけたくないってみんな気遣ってるんじゃないですか?」



 口調にとげがあるが、辛辣しんらつというにはやさしさがにじむ顔だ。



 それに彼の言葉も尤もだろう。

 何せここに来る間も室内用の台車を人が乗れるようにしつらえたものに乗せてもらったくらいだ。


 それがなければろくに一人で立ったり歩けないくらいに、病は自身の体をむしばんでいた。



《ちなみに、ヴァイス殿下が先程乗っていた乗り物は車椅子といって、主人公が訪れる現実世界では民間にまで波及しています》

「(すごいな。あれを一つ作るだけでも技術が必要だというのに)」


《聖女である主人公が召喚された元の世界は法力が存在しない代わりに、技術面で発達しているのです。

 彼女の知識と知恵もまた、この国の発展という名の救いになることでしょう》

「(そうか……それは、楽しみだな)」



 バラッドの言葉に未来を想い瞳を細めていると、私の胸中の言葉はともかく横でつむがれる小鳥の副音声は聞こえたのだろう。

 話を戻しますけど、とブランが咳払いをした。



「適正については僕の他にも何人かありましたけど、兄さまへ呪文をかけるなどという大役、よほどの巧妙な法術師でなければ熟せません」



「ブラン兄さまなら出来るの?」


 妹の無垢な視線がささる。

 尊敬と不安が入り交じった、けれどもやや前者の方に比重がおもい問いかけにブランが一瞬息をつまらせた。



「ふふ……そこは自信をもってうなずいてくれないと、ビアンが心配するだろう?」

「ちゃ、ちゃんと練習はしましたし、マレイア副司祭長をはじめとした司祭の方々からもお誉めの言葉をいただけるようになりましたから!」


 慌てて身をのりだす姿は、本人からしたら必死だとわかっているのに、どうしてもほほえましさが抜けない。

 くすくすと笑えば「兄さま!」と泣きそうな声が聞こえてきた。



「そう気負わずとも、ブランが唱える聖句や聖歌の美しさは私もよくしっているよ。お前になら安心して任せられる」

「……!はい、任せてください!」


 自業自得とはいえ、ここ最近は怒った顔やすねた顔を見ることが多かったから、こうしてそれ以外の顔も見せてくれることに喜びを禁じえない。


 腕をのばせば、また眉間にしわをぎゅっと寄せて少し視線を泳がせていたけれど、ふりこでできたおもちゃのように一定のリズムでゆっくりと。

 こちらに歩みより抱きしめてくれる。




「ブラン兄さまずるい! ビアンも、ビアンもヴァイス兄さまぎゅっとする!」

「うん、おいで」


 駆けよってきた少女の勢いに背中がそる。そのまま体勢をあわや崩すかといったところで、慌ててブランの腕が背中へとまわった。


「こら! ビアン、そんな勢いで抱きつくんじゃない。今の兄さまは繊細なんだぞ!」

「っ、ご、ごめんなさい……」

「いいや、謝る必要はないよ。……本当に、大きくなったね」


 栗色のくせっ毛をやわらかく撫でる。

 気づけばこの一年間で背も伸びた。来年からは正式に社交会入りをして、レディとしての道を歩み出すのだろう。



 その道のりが見られないことは、心残りだけれど。


「ビアン、立派なレディになったお前の姿を、目覚めた先で見れることを楽しみにしているよ」

「うん! ビアンね、女神様や聖女さまみたいなえらくて強くてすてきなレディになるの!」


「大事なのは力ではないよ。どんな逆境にあったとしても、相手を思いやれる。そんなやさしい子になってくれたら十分だ」

「そうなの……? うん、がんばるね、兄さま!」



《ビアン令嬢が聖女や女神に強い憧れを抱いたままだとおよそ七割の確率であくや……むごっ》


 副音声が不要な解説をしようとしているのを、ブランが握ってとめた。

 少しばかり悲鳴のように最後聞こえたが……それでも真っ先に出たのがブランへの感謝だったのは許してほしい。


 聖人とたとえられるが俺も人間なので。

 妹の無邪気な憧れが周囲や彼女自身を傷つけるような可能性、なるべくなら排除しておきたくなるのが兄心だ。



「ねえ、兄さま。兄さまはこれからちょっとお休みするんでしょ?」

「ああ。病気を治すために、少しだけ眠らせてもらうんだ」


 まだ幼いビアン。

 こちらの事情についてはネグロからも自身からも改めて説明はしたけれど、運命の手から逃れるために眠りにつくという敬意を理解しきるにはまだ難しいかもしれない。


 それでも、普段と異なる変化がくることは分かっているのだろう。

 眉をさげて、それでも笑ってみせた。



「うん、……あのね、お母さまから教えてもらったお話だと、寝てるお姫さまに王子さまがキスをしたら起きるんだって! 兄さまも王子さまにキスして起こしてもらうのかな? それともお兄さまが皇子さまだから、お姫さまにキスしてもらうの?」


「ばっっ……!!!そんなことあるわけないだろ!バカなこと言うなビアン!」

「いたい!ブラン兄さまのらんぼうもの!」


「こらこら、落ちつきなさい。」


 衝動的なものだろうか、ブランがビアンの頭をこづく。力は込めていなさそうだけれど勢いはあったからか、ビアンも涙目だ。


「ブラン、今のはお前が悪いよ。謝りなさい」

「…………ごめん。でもビアンが変なこと言うから!」

「変なことじゃないもん!」


「そうだね。これから先どうなるかは分からないわけだし」

「…………」




 ──むしろ、物語の在り方を考えたら意外とありえそうなのも事実だ。その場合対象は主人公になるのか?



《はい。乙女ゲームの性質を考えれば、物語の終幕を示すもっとも分かりやすい技法のため、可能性は十分にあり得ます》

「バラッド!お前まで!」


 半ば悲鳴にも似た声に、けらけらとビアンが笑い出した。

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