31話 持たぬものの活路(ネグロ視点)


 自分の命数を彼に捧げられるのなら。

 それはネグロがヴァイス皇太子殿下と出会って救われてから、数えきれないほど考えたことだった。


 騎士団として所属をさせていただいたときには、未来の皇帝陛下に仕える心持ちで剣を握った。

 各皇家の人間に仕える遊撃隊の存在を知ったときには、一も二もなくはいることを希望した。



 彼に仕えられることこそが幸福のかたちで、彼の願う未来こそが国にとってももっとも望むべき形だと。



「だというのに……この世でもっともたっときあの方が死ぬ? そんなふざけた話があるか。」



 新年が明けて間もない頃、ヴァイスさまから呼び出されてお話を伺ったその日から、ずっとそのことを考えている。






「あ、ネグロ!ネグロだ!」

「……おはようございます、ビアン様。本日はお日柄も良いようで」



 軽い足取りが後ろから聞こえてくるのに動きを止めて振り返る。

 満面の笑みをうかべて駆けよってくる皇女殿下は、そのまま勢いを止めずにしがみついてきた。



「こら!姫さま、はしたないですよ!」

「だってぇ、ネグロ捕まえとかないとどっかに行っちゃうもん」


「そのように焦らずとも、私はどこにも行きませんよ、姫君」


 後ろで彼女の乳母が嗜めるのを見てから、少女の頭を撫でる。ヴァイスさまとは違う栗色の髪だが、母方の祖父の血だと伺っている。


 けれどもこちらの言葉を信じきれないのか、唇をとがらせて首を横にふった。



「うそ!だってネグロ最近ずっといそがしそう。お兄さまも体調がわるいからって全然おあいできないし……」

「姫さま……」



 水色の、あの方に似た瞳に涙がうかぶ。

 こちらの脚にしがみついてくるその手をやんわりと握って離し、しゃがみ込むことで目線を合わせた。



「ご心配をおかけしてしまっていたのですね。申し訳ございません。……ヴァイスさまの御容態がすぐれないことは事実です。その治癒に一助できないかと、私があちこちを巡っていることも」



 あの忌々しい青い鳥と、愚鳥がもたらした話に抵触しないようにしながら話をする。

 まだ幼い皇女殿下の御心を不必要に揺らすことなど、ヴァイスさまも望んでいないはずだ。



「うん……。兄さまのおかげん、よくなりそうなの?」

「…………それは、」



 姫君の後ろに立っていたステラの視線が刺さってくる。分かっている。不用意なことを口にするつもりはない。


 あるいはこちらの表情に苦言でも申したいのか。

 実際今の自分はひどい顔を隠しきれている自信はなかった。



 いまだにあの忌々しい言葉を覆せるだけの情報を得ていないのも確かで。



 明確に口にはしなかったものの、ビアンさまもこちらの反応で薄々理解したのだろう。はつらつとした表情を潜めた。



「……ええと。そうだ!ネグロ、お時間ある?クニンからね、女神さまの時代の呪文のお話とかたくさんもらったの!もしかしたら何かあるかもしれないし、それに、それに、母さまも何かご存知かもしれないもの!!」


 慰めのつもりだろうか。

 彼女なりに何か力になりたいのもあるかもしれない。


 正直なことを言えば、ビアンさまが仰る呪文についてはすでにブランさまや教会経由でほぼ網羅している。


 だが、幼き姫君の心遣いを無にすることも憚られる。何より、場や視点を変えることでまた新たな考えもうかぶやもしれない。



「姫君の御慈悲に感謝を。よろしければ私めに、ご助力の手を差し伸べてくださいますか?」




 ◇



「ネグロ、ご苦労様。ビアンのわがままに付き合わせてしまっているわね」

「まさか。私とて姫君の真心には救われております。皇后さまもビアンさまに?」


「ええ、お兄さまのご病気について分かるかもしれないから!と力説されて」


 皇后さまにも、まだお話はされていないとヴァイスさまは仰っていた。原因不明の病に罹ったということしか、彼女たちは知らない。


 何ができるわけでもないのに無用な心配だけを植え付けることを、あのお優しい方は望まなかったのだろう。だからこそ、この空間はやわらかく、こちらの胸を刺す。



「えっとね、これがクニンからもらったお手紙でね、お母さまとネグロには特別に見せてあげるからね!」

「まあ。」

「光栄です」



 差し出された紙にざっと目を通す。


 記されている呪文そのものは既に聞き及んでいるものだった。

 太古に女神や彼女に従う神官が使用したとされる聖句……それに加えて魔王と呼ばれる存在が使っていたとされる魔法もいくつか記されている。



 知見として参考にできそうなのは、むしろ二人のやりとりだろう。正式な書面として挙げられていたものとは異なり、『どういった場面でその呪文が使われていたのか』を推測する内容。

 いまだ幼い二人ならではの自由な発想だ。


 ……しゃくではあるがあの青い鳥が未来についての考察を出来るようになった今、もっとも必要になるのは知識ではなく発想だった。


「ねえねえ、ネグロ!何か使えそうなものはあるかなぁ?」


 身分違いの自分を招いてくれた席、差し出されたお茶に口をつけてから切り出す。


「そうですね。……個人的にはこれらの聖句を使用するにあたった経緯が気になります。女神ノラシエスが民を救うために使われたとされますが、直接的な救済のみならず間接的な使用もなされているようですから」


 手紙の一文を指し示す。

 そこは干魃にみまわれた土地を救うため、女神が木を植えて呪文を唱えた流れの考察をしていた。



「じゃあ、兄さまをかんせつてきに?お救いするとか?」

「方法は選びません、が……」


 言葉が詰まる。

 皇后さまが妖魔から救われた上でヴァイスさまが病に倒れたのを見るに、単純に病気を解決するだけではきっとダメなのだ。


 より根本で、可能性を作るとしたら何ができるだろう。

 思考の停滞が表情に出ていたのか、普段はおだやかな皇后陛下の鋭い声が聞こえてくる。


「何か事情があるのね?」

「……事情など、何も」

「嘘おっしゃい。あなたがかような顔をするなど、あの子ヴァイスがらみの他にありますか」


 部屋の空気が変わったことに戸惑うビアンさまを撫でながらも、なお彼女は言葉を続けた。



「ネグロ。あなたがあの子の部下であり、あの子に殊更の忠誠を誓ってくれていることは知っています。あなたが口をつぐむのはあの子の命か、あるいはあなたの心遣いでしょう。」

「エウロペさま……」



「ですが、忘れないでください。私もまた皇族の一人であり、何よりあの子の家族です。あの子の幸いのためならば私はなんだって受け入れるつもりよ。

 ……あなたの忠誠には負けるかもしれないけれどね」


 最後だけは茶目っ気をもたせて片目をつぶる女性は、慈愛にみちていた。やはり、あの方の母上なのだろう。



「……分かり、ました。全てをお話は出来ないかもしれませんし、突拍子のない話になることをあらかじめ謝罪させてください。

 その上で、運命を変えるための糸口について、ご意見をご教授できませんでしょうか……」



 ◇



「なるほどね。運命というものがあの子の死を予見していると」

「……。」



 バラッドと呼ばれる青い鳥については、皇女殿下が懐いている状態で相談もなく不信感を植えつけることをあの方は望まないだろうと割愛した。

 しかし代わりに、女神ではないこの世界を統べる上位存在にある何者かが、ヴァイスさまの存在を殺そうとしているという話を告げる。



「あの子も……おそらくはファルべさまも、そのことはご存知だったのでしょう?私たちだけをのけ者にするなんて、残酷ね」

「……申し訳ございません。ですがお二人はあなた方を」

「よいのですよ、ネグロ。みなまで言わずとも分かります」



 そう。これはおそらく皇太子殿下の御心に添わない行いだ。それでもあの方を救う可能性を見つけるのに繋がるのなら。どうか。


 こちらの必死な視線が届いたのだろう。

 これまでで一層、晴れやかとも言える美しい微笑みを彼女はその口元にたたえた。



「ネグロ。その空想遊戯というものについて、あなたの知る限り教えてちょうだい。」

「はっ。」


「私は皇族の一員とはいえ嫁入りの身で、出来ることはたかが知れています。でも、多くの時間をここで過ごし、多くの書物を……それこそ、あの子たちが読まないようなものまで読んできた身」



「聖女が救えるものを残しながら、あの子を救う道があればいいんでしょう?ええ、必ず見つけてみせるわ」



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