批評篇「第三者導入」

 自身の作品に指摘や批評を受けて、思わずムッとなるのは正常な反応です。

 また、我々野生に生息する創作者は批評に出くわすことは滅多にないため(多くは誹謗中傷です)、偶然にも出くわしてしまうと、マーモットのように警戒して果てには威嚇してしまいます。


 冗談はさておき、村上春樹『職業としての小説家』(新潮社)ではこのように語られています。

『何か面白くないことを言われても、できるだけ我慢してぐっと呑み込むようにする。作品が出版されてからの批評はマイペースで適当に受け流せばいい。そんなものいちいち気にしていたら身がもちません(ほんとに)。でも作品を書いているあいだにまわりから受ける批評・助言は、できるだけ虚心に謙虚に拾い上げていかなくてはならない。それが僕の昔からの持論です』(p.164)


 村上はこの姿勢の元、小説を書き終えたタイミングで「第三者導入」という、いわゆる第三者に読んでもらって意見をもらいます。

 意外なことに、その一人目は奥さんだそうです。奥さんに読んでもらう時点では、まだ書き終えたばかりで頭に血ものぼっているため、感情的になったり、言い合いになったりするそうです。ただ村上にとって、ここで一旦、感情を吐き出してしまうことが重要なようです。


 この「第三者導入」プロセスにおいて、村上は「ケチをつけられたら、何はともあれ書き直す」という姿勢で臨んでいます。批判に納得がいかなくても、頭から書き直します。指摘に同意できない場合には、助言とはまったく違う方向に書き直したりするそうです。

 そして、方向性はともかく、腰を据えて書き直した箇所のほとんどが、以前より改良されているというのです。


『僕は思うのだけど、読んだ人がある部分について何かを指摘するとき、指摘の方向性はともかく、そこには何かしらの問題が含まれていることが多いようです。つまりその部分で小説の流れが、多かれ少なかれつっかえているということです』(p.161-162)


 もしあなたの周りに、村上同様、自分の作品を読んで意見をくれる人がいるのであれば、それは幸福なことでしょう(私はオランウータンのように孤独であるため、そのような人はいませんが、たまに某SNSで相互批評会をしたりします)。


 この「第三者導入」プロセス。できることなら取り入れたいところですが、まずもって読者がいないことには話になりません。

 ただ、カクヨムではレビューや応援コメントがあります。

 奇跡的に誹謗中傷ではなく、まっとうな批評をいただけたなら、まずは深呼吸して心を落ち着かせて向き合うと良いでしょう。それが的外れであっても、考え直すきっかけにはなるかもしれません。


 まあ、野生に生息している我々は素人でございますので、意見をくれる方も素人なのだと思えば気が楽なものです。所詮は素人、されど素人。とは今考えた言葉ですが、一般販売されている小説を読むのも素人な訳ですから、素人の意見というのも、中々馬鹿にできないかもしれません。


 とりあえずは、周囲から受ける批評・助言は、できるだけに謙虚に拾い上げていくという、村上の言葉を信じて見ることにします。虚心に、という部分が大事そうです。

 もしも、それによって神経衰弱を起こすようでしたら、一切を無視してしまうのあり、オオアリクイです。心を病ませるくらいなら、無視の方が絶対良いです。

 これはうつ病患者である私からの助言です。

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