登場人物篇「物語を導く存在」

 ロバート・マッキー『ストーリー ロバート・マッキーが教える物語の基本と原則』(フィルムアート社)をちらりと読む機会があり、そこには『キャラクターアーク』というものが紹介されていました。それは、ストーリーを通じて登場人物の心理・精神の変容のことらしいです。

 たしかに、私が登場人物を作る際には必ず次のことを決めています。


・性格

・生い立ち

・コンセプト

・価値観(とその変容)

・欠点と弱点

・目的、問題、葛藤、克服(これらは連続する)


 私は常々、人間とその心理を書きたいと思ってきたため、ストーリーを通して登場人物の心理がどのように変化していくかには気を遣っていました。そのために必要な素材が、先ほど列挙した事柄となります。


 ロバート・マッキーは、『ストーリーの本質は「ギャップ」である』と書いています。ギャップとは、ある人物が行動を起こして、次に起こると予測されたことと、実際に起こることとの間に生じるものであるらしいのです。

 そういえば、村上春樹も似たようなことを言っていたと思い、ペラリと捲ってみます。


『小説家は現実味があって、しかも興味深く、言動にある程度予測不可能なところのある人物をその作品の中心に──あるいは中心の近くに──据えなくてはなりてはなりません。わかったような人々が、わかったようなことばかり言ったり、わかったようなことばかりやっている小説は、あまり多くの読者の手に取ってもらえないのではないでしょうか』

(村上春樹『職業としての小説家』(新潮社)p.255-256)


 続けて村上は、『でも「リアルで、興味深く、ある程度予測不可能」という以上に、小説のキャラクターにとって重要だと僕が考えるのは、「その人物がどれくらい話を前に導いてくれるか」ということです』(p.256)。


 小説を書いている人の多くに、登場人物が思いも寄らぬ行動をとった、という経験があるかと思います。村上も、多くのフィクション作家がこの現象を認めていると言っています。

 これは、登場人物の価値観が何故そうなったのかの背景まではっきりとしていて、『この状況の時にはこう動く・こう想う』といった行動指針が決まっているからこそ、起こる現象なのかもしれません。


『人称篇「ほとんど誰にでもなれる」』でも書いた通り、村上は自己を分割すると同時に、他の登場人物に自己を投影しています。その結果、語りも複合的に枝分かれし、様々な方向へと広がっていきました。

 村上いわく、『ある意味においては、小説家は小説を創作しているのと同時に、小説によって自らをある部分、創作されているのだということです』(p.259)。


 そう考えると、小説の登場人物に自己分割・自己投影を行うことで、作者が小説を創作すると同時に、その小説自体に作者自身も影響を受けて、登場人物が自立していくと解釈できるかもしれません。


 物語の導き手とは、作家ではなく、作家が創作している小説――ひいては登場人物たちなのかもしれませんね。

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