オリジナリティ篇「何かを求めていない自分」
村上春樹は、オリジナリティとは、『新鮮で、エネルギーに満ちて、そして間違いなくその人自身のものであること』が一番分かりやすいと述べています(村上春樹『職業としての小説家』(新潮社)p.116)。
私は、この「その人自身のもの」という部分が気になっています。
多くの場合、小説を書く上での原動力となるのは、「自分は何を書きたいのか?」に尽きるのではないでしょうか。
しかし、村上は一方でこのようにも言います。
『「自分が何を求めているか?」という問題を正面からまっすぐ追求していくと、話は避けがたく重くなります。そして多くの場合、話が重くなればなるほど自由さは遠のき、フットワークが鈍くなります。
……(中略)……
それに比べると「何かを求めていない自分」というのは蝶のように軽く、ふわふわと自由なものです。
……(中略)……
考えてみれば、とくに自己表現なんかしなくたって人は普通に、当たり前に生きていけます。しかし、にもかかわらず、あなたは何かを表現したいと願う。そういう「にもかかわらず」という自然な文脈の中で、僕らは意外に自分の本来の姿を目にするかもしれません』
(p.112-113)
自分が求めるものだけを追及すると重くなりがち、というのは私自身当てはまるものがあります。
例えば、カクヨムに投稿している自作「人魚へのキス」は、レズビアンであることが受けいれられない日本社会を下地に書きました。
ゴールは、主人公や周囲の人がそれを理解・あるいは理解しようと努力する、と設定しました。私は、このゴールに辿り着くために、登場するすべてのキャラクターに「レズビアン」に対する好感情・悪感情を付与していったため、非常に重たい小説になりました。
しかし、「何かを求めていない自分とはどういうものか?」を考えて、小説に活かすにはどうすれば良いのでしょう?
村上は、初めて小説を書いた時、「小説とはこのように書かなくてはならない」という制約のようなものはなかったと言います。
『そのときの自分の心のあり方を映し出す自分なりの小説が書きたかった──ただそれだけです。
……(中略)……
オリジナリティーとはとりもなおさず、そのような自由な心持ちを、その制約を持たない喜びを、多くの人々にできるだけ生のまま伝えたいという自然な欲求、衝動のもたらす結果的なかたちに他ならないのです』
(p.111)
これを読むと、「自由な心持ち」「制約を持たない喜び」「生のまま伝えたいという自然な欲求」。
こうしたものを自由に表現するための手段として、「何かを求めていない自分とはどういうものか?」をビジュアル化してみる、ということなのかもしれません。
再び、自作「人魚へのキス」に戻ると、「自由な心持ち」から離れていたことに気がつきます。
テーマが重すぎるが故に必要以上に気を使った表現、テーマと関連させたキャラクターの背景、ゴールへ向かうために必要以上に寄り道をしたり、と……。
そういう意味でいうと、「人魚へのキス」は、レズビアン×民俗学というあまり見ない組み合わせの作品でしたが、オリジナリティはなかったように思います。
書きたいテーマではあったし、民俗学の知識をうまく組み合わせて、幻想的な雰囲気を出すこともできました。
しかし、「私自身のもの」であったかといえば、それはノーなのでしょう。
「何かを求めていない自分」とは、引き算のようなものかもしれません。
情報過多の時代、欲しい情報はネットや書籍、論文など様々な媒体から引き出せます。かくいう私も、部屋は紙の本で山積みです。
情報を吸収し過ぎた結果、「自由な心持ち」「制約を持たない喜び」「生のまま伝えたいという自然な欲求」からは遠ざかり、「このように書かなければいけない」「これに配慮しなければいけない」「学者が言っているから、この考えは正しい」などと、様々なものに引っ張られていきます。
一度、基本に立ち戻り、これまで積み重ねてきたものから引き算していき、「私自身のもの」を見つめ直そうと思います。
その時にようやく、自分の「オリジナリティ」が生まれてくるかもしれません。
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