心理描写篇「主観と客観」

 予め布石を敷いておくと、心理描写はムズカシイ。ひとまずは、三島由紀夫『文章読本』(中公文庫)を参考に、主観的な心理描写と、客観的な心理描写の違いを見ていきます。


 まずは、主観的な心理描写。

 主観とは、個々人が持つ独自の視点や感情・思考を指す言葉だと辞書にあるので、登場人物の視点に依存する心理を描写すると定義しておきましょう。

 これは分かりやすいと思いますので、ひとつ引用してみます。


『夕刻の満員の地下鉄に乗り、人の体温と体温にはさまれ、たえまなく耳の穴に息を吹きこまれるような不快さに耐えてゆらゆらしていると、ポケットから革袋のかさばりが消えたことを痛覚させられた。寂しさがひしひしと迫ってきた。深紅の核が失われ、これからは残影でしかあるまい。沈黙が充足でなくなり、追憶や回想は遠いだまし絵になるのであろう』

(開高健『珠玉』文藝春秋 p.127-128)


 これは、主人公が『随時小吃』の店主からガーネットを借り受けて、しばらくしてから返し終わった直後の描写です。既にガーネットは主人公の心の核となっていて、借金をしてでも買い取るべきであったと後悔している、と続けて書かれています。


 次に、客観的な心理描写。

 客観を辞書で引くとどうにもピンとこないため、色々なサイトからつまみ食いをしてまとめてみます。客観とは、個人の感情を排した認識であり、より多くの人が納得しやすい意見や思考で物事を見たり考えたりする言葉。

 三島いわく、客観的心理描写は、感覚描写――聴覚、視覚、触覚、味覚などの感覚器官に加えられた刺激によって生じる意識の描写――との境目にあるのらしいのです。


 ここで私は、両者の違いが曖昧になってきました。

 たしかに、耳・目・皮膚・舌など人間に備わっている感覚器官から得られた刺激は、多くの人に通じる描写が可能であるかと思います(カレーは辛いなど)。

 しかし、ここに心理描写を組み込むと、カレーの辛さに興味を抱いた人の心理を描くことになります。これは、主観的な心理描写にも通じることではないでしょうか?


 三島は『客観的な心理描写は、あたかも作者が天上から覗いて、人物各人にレントゲン光線を当てて、その心理のいきちがいを描くことに興味を感ずる典型的古典的心理描写』(p.160)と言っています。

 三島は客観的な心理描写の例として、フランスの作家レイモン・ラディゲの『ドルジェル伯の舞踏会』(1924年刊行)を引用していました。三島はラディゲについて、次のように語っています。

『ラディゲのように人間を心理の元素に分解した文学は、むしろ特殊なもので、われわれ日本人は、先に申しましたように、心理と官能や感覚との境目をはっきりさせないことが文学上の礼儀とすら考えられていました』(p.161)。

 更には、西洋的心理描写の観念は、論理で分析できうる限りの心理に問題の範囲を狭く限ったようです。


 対して、日本の古典文学は、『ありのままの態度で人間の感情を微妙にとらえる』(p.155)文学技法であり、心理・感情・情緒・気分・雰囲気と、さらには雨・嵐・風などの自然とを、一連のものとして見ます。ただ、近代小説の心理描写は、意識的に人間の内面を追求する近代ヨーロッパの文学手法が元になっているようです。


 こうして見てみると、客観的な心理描写は西洋的であり、論理で分析できる狭い範囲だけを対象とした特殊で古典的なもの、と見られるでしょうか?


 ここまで、主観的な心理描写と、客観的な心理描写の違いを見てきましたが、どうでしょうか?

 個人的に気になったのは、客観的な心理描写は、感覚描写との境目にあるという点です。

 客観的な心理描写については古典文学まで遡って解剖しないことには真理に近づけそうにありませんが、『心理描写と感覚描写の境目を書く』という点は、意識しておいて損はなさそうです。


 最後に、『心理描写と感覚描写の境目を書く』の例になるかは不明ですが、アルマンダイン・ガーネットに対する描写があったので、それを引用して終わりにしたいと思います。


『石はつめたい。凜と張りつめて冷澄である。そこにみなぎる赤は濃くて暗くて、核心部はほとんど闇である。深沈とした激情と見える。どれだけ透かしてみても、泡、亀裂、ひび、引っ掻き傷など、何もない。石そのもののどこかに明るさがあり、のびやかな華と感じられるが、照り、艶、カット、色価、全体としての石品の何からくるものだろうか』

(開高健『珠玉』文藝春秋 p.79)

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