人物描写篇「知らない他人に接する」

 三島由紀夫『文章読本』(中公文庫)には『文学作品では、われわれは突如として知らない他人に接します』(p.130)と記述があります。

 たしかに、様々な固有名詞が存在する中、小説においては、その背後にある関係や設定がなければその名前の実態は掴めません。


 総理大臣・幕僚長・代表取締役・外科部長などといった役職、チャップリン・リンカーン・福沢諭吉・魯迅などの人名。

 こうした現実に存在する(あるいはした)対象であれ、小説はひとつの世界として形づくられる以上、その人にはどのような生活・誰とどのような関係・どのような考えを持つのか、などと実体を作る必要があります。


 また、三島は『人物の外貌がわれわれの第一の関心になります』(p.131)と述べています。

 だからといって、ひとりひとりの外貌を緻密に執拗に描写する必要はないと思います。

 三島も『小説の利点は前に申しましたように、読者の想像力を刺激していつも想像力の余地をのこして、その余地でもって作者の思うところへ引っぱって行こうという技巧なのであります』(p.133)と書いています。


 はじめて読む小説において、最初はすべての登場人物が他人です。その他人の関係や設定を開示することによって、読者はそれぞれの登場人物――ことさら主人公に――没入することができるようになります。

 外貌のみならず、何気ない一言やちょっとした癖、服装、歩き方など、その人を表現する方法は様々です。他にも、特定の登場人物が他人から感じるもの――親しみ・恐怖・情欲・哀れみなど――から主観的に読者の想像力をかき立てることもできます。

 その人が登場せずとも、他の登場人物を通して描写することも可能です。ことさら、亡くなった人について語る時などは、心理的な情景を帯びることでしょう。


 とはいえ、コレを書くのも中々に大変な作業です。村上春樹も次のように語っています。


『小説を書くには何はともあれ多くの本を読まなくてはならない、というのと同じ意味合いにおいて、人を描くためには多くの人を知らなくてはならない、ということがやはり言えると思います』

(村上春樹『職業としての小説家』(新潮社)p.242)


 好きな相手、嫌いな相手と選り好みせず、外見や言動の特徴をちらりと目に留めておけば良い。「どのあたりが好きか、嫌いか」「どういう状況が苦手か」「どのような会話を好むか」などなど、見方は様々です。


 私の場合は対人恐怖症のきらいがあるため、逆に人と関わる時を好機と捉えることでやり過ごしている節があります(コレはコレでどうなのか?)。

 兎にも角にも、人物描写は、作者の観察力や他人との関わりの中で生じる心理状態と向き合いながら、お付き合いしていくしかないでしょう。


 登場人物を「知らない他人」から「知っている他人」、更にいえば「想像力をかき立てられる他人」へと仕上げていければ、人物描写としては上々といったところで、今回は締めたいと思います。

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