霜降村

 後悔した、騙されたと思った、必ず、かの邪知暴虐の教授を除かねばならねぇと思った。

 まず遠い。

 電車で五時間、そこから車で二時間もかかった。

 教授の助手さんが運転してくれたから事無きを得たけれど、免許を持っていない私はここから逃げることができなくなってしまった。

 それに寒い、とても寒い。

 寒さ対策はしっかりして来た、厚手の服や暖かいインナーなどを重ね着したし、耳当てに手袋、マフラーもしている、靴もばっちり冬用だ。

 だというのに、体の芯から冷えるような寒さが襲い掛かってくる。

 教授め、なにが『少し寒いだろうけど、我慢できないほどじゃない』だ。

 最後に、黒い靄のようなものが村全体を覆っていて見通しが非常に悪い。

 嫌でも分かってしまう。

 この村にはしもふり様と呼ばれている得体の知れないなにかがいると、私の感覚がそう言っている。

 そしてそれは私がよく目にするあの気持ちの悪い奴らと同類なのだ。


「あんた、そんなとこに突っ立ってると邪魔だよ」


 後ろから不機嫌そうな声を投げかけられる。

 振り返ると、分かりやすいくらいに額に皺を寄せたお婆さんがこちらを睨みつけていた。


「ごめんなさい」


 こういう人に突っかかるのはより面倒になるので、素直に謝るに限る。

 お婆さんは目を細めて私をじろじろと眺めてくる。

 なんだろう、何かやらかしただろうか。


「何が目当てか知らんが、用が済んだらとっとと帰れ」


 吐き捨てるようにそう言って、お婆さんは足を引きずりながら歩いて行った。

 来て早々に住人の心証を悪くしただろうか。

 ともかく、暖かさを求めて旅館までの道を歩く。

 旅館に入ると室内の暖かさに思わず顔も緩んでしまう。

 すぐに女将さんらしき人が笑顔で出迎えてくれた。


「遠い所をよく来てくださいましたなぁ」


「あ……師七井藤魅で予約していたものです」


 そう伝えると、女将さんがPCでチェックインの作業を始める。

 タイピングが滅茶苦茶早くて、思わず見入ってしまった。


「師七井藤魅様……確かに予約されておりますね……ではこちら、お部屋のカードキーとなっております、お部屋までご案内させていただきます」


 女将さんの後に続いて、旅館の中を歩く。

 静かで落ち着く、というよりもあまりにも人の気配がない。

 廊下は薄暗く、黒い靄も合わさったせいで足元が見えず、なんというか恐ろしい雰囲気がある。


「師七井様、こちらの苦瑠死芽升くるしめますの間がお客様のお部屋です」


 女将さんはそれだけ伝えて戻っていった。

 とんでもねぇ名前の部屋だ。

 広々としていて一人で泊まっていいのかと不安になるぐらい良い部屋なのに、名前のせいで全部台無しだ。

 荷物を置いて、上着を脱ぐ。

 凝り固まった体をほぐすために腕を上に伸ばして天井を見る。

 夥しい数のお札が見えた気もするけれど見なかったことにして、教授から渡された資料をカバンから取り出した。


【(≧▽≦)しもふり様についての情報(≧▽≦)】


 無意味なグラデーションの背景と虹色に着色された3D文字が大きく印刷されている表紙、とても目に痛い。

 あの教授は嫌がらせで私に渡すものだけこういうことをしてくる。

 普段学生に配っているような飾り気のないものにしてくれればいいのに。

 とりあえず一枚めくる。


【何もわかってないけどその村では毎年凍死する人が多いよ、なんでだろうね】


 A4サイズの紙にたった一文。

 それ以降は白紙が続いていて、資源の無駄遣いとはこういうことだと教えられている気分だ。

 なんだろう、あまりに強く怒りを感じている時は意外と冷静になれるものなんだと改めて思う。

 とりあえずこれが終わったら警察に行こう。


「はぁ……」


 一際大きい溜息を吐く。

 外には出たくないけれど、旅館のお土産コーナーでも眺めようかと思い、部屋を出た。

 やはり人の気配はしない。

 宿泊客が少ないのならまだ分かる。

 こんな辺鄙な場所にわざわざ来る人なんてそんなにいないだろう。

 けれど従業員がいる様子すら無い。

 フロントまで戻ってきたけれど誰ともすれ違わなかった。


「あら師七井様、お出かけですか?」


「いえ、ちょっとお土産でも見ようかと……」


 女将さんっぽい人に声を掛けられて、顔を間近で見る。

 感じられる違和感に目を凝らして、理解する。

 これは姿形はさっきの女将さんと同じだけど、中身が別の何かだ。

 眼窩、鼻孔、口腔の全てから黒い靄を吹いているような奴がまともな人間とは思えない。

 心臓が大きく跳ねる。

 動揺を悟られないように取り繕う。


「あ、あの……私以外に泊まってる方とか居ます?」


 咄嗟に口から出たのはそんな、不躾にもほどがある質問だった。

 誤魔化すにしてももっと言いようがあるだろうに。

 ほら見ろ、女将さんのような何かが不機嫌そうな顔をしてるじゃないか。


「……師七井様の他にお一人だけ、得体の知れないお客様がいらっしゃいますよ」


 嫌悪の感情を隠そうともせず、女将さんのような何かがそう言い放つ。

 吹き出す靄が一層濃くなった。


「本当に……仕事じゃなかったら近寄りたくない程、気持ち悪い」


 小刻みに震えながら延々と愚痴と靄を吐き出すだけの存在になった女将さんのような何かを置いて、部屋までの道を戻る。

 一緒の空間に居たくなくて必死だった。

 そのせいで道を塞ぐ何かに気付くのが遅れた。

 ぱっと視界が開けたかと思うと、その直後に衝撃が私に襲い掛かる。

 痛い、鋼鉄でも入っているのかってぐらいに固いものに強かに顔をぶつけてしまった。


「おっと、すまないな」


 その何かが謝りながら手を差し伸べてきた。

 薄暗い廊下でもはっきりと分かるほどに筋肉質な腕。

 短く整えられた髪、顔立ちは整っているけれど少し威圧感がある。

 暖かい室内とはいえ、この季節に半袖のシャツを着ているおかしな男。

 けれど私はこの男を信頼して良いのだと一目で分かった。


「……どうなっているんですか、それ」


 思わず指差してしまうほどに驚いていた。


「どうって、何がだ?」


「それ、あなたの周りだけ、靄が無いの」


 そう伝えた途端、男の顔が険しくなる。

 何か不味いことを言ってしまっただろうか。

 でも、伝えた通りなのだから仕方ない。

 この村を覆っていた黒い靄、それがこの男の周りだけまるで靄自身が避けているように晴れていた。

 この男の周りだけ、神社の中のような清涼感に溢れている。

 羨ましいと思ってしまうくらいに気持ち悪さがない空間だった。


「ふむ……そうか……」


 男は何か考えている様子だった。

 私としてもこの男の傍から離れるのは嫌だ。

 

「と、とにかく私の話を聞いてもらえませんか?」


 考え込んでいる男の腕を掴んで部屋まで戻ろうとする。

 動かない。

 ぴくりともしない、超高層ビルを引っ張っているような錯覚に陥る程だ。

 何度か引っ張ったり叩いたりしていると、突然男が動き出した。


「こうしてはおられんな、失礼する」


 言うが早いか、私を抱え上げて廊下を疾走する男。

 一瞬で男の部屋まで辿り着いてしまった。

 人間の出せる速度ではない、下手な絶叫マシンよりもこの男の方がスリルがあるだろう。

 少なくとも私はこの運搬方法を二度と体験したくない。


「さて、まずは話を聞かせてもらおうか」


 いつの間にか座らされていた。

 お茶まで出てる、おもてなしの精神がすごい。


「あの、じつは……」

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しもふり様の伝承が残る村vs祓い屋 アイアンたらばがに @gentauboa

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