しもふり様の伝承が残る村vs祓い屋

アイアンたらばがに

導入部

 私、釘贄くぎにえそなえは昔から、他人には見えない奇妙なモノが視界に映ることがある。

 腕や首が異様に伸びてねじ曲がっている人、ニタニタと笑いながらこちらを見つめてくる大きな顔の人、道を汚しながら欠けたパーツを必死に探し歩く人。

 小さな頃は周りの大人にそれを伝えて、気味悪がられていたこともあった。

 今ではもう対処も慣れたものだ。

 目を合わせない、反応しない、ただそれだけで誰からも白い目で見られることはなく、日常は平穏無事に続いていく。

 そう思っていたのに。

 それは年が明けてしばらく立ったある日のこと、私は因餐いんさん大学の研究室を訪れていた。|

 来客用の椅子に腰かけると、壁に掛けられた調度品のお面やら棚の上の木彫りの像と目が合う。

 そのどれもが人の体の一部や内臓などをモチーフとした悪趣味極まりないものだ。

 この部屋の主の正気を疑いたくなる。


「そなえ君、若人がそんな人生に疲れ切ったような顔しちゃあだめだよ?」


 無駄に整った顔に仏のような笑みを浮かべて、甘ったるい匂いのお茶を注ぎながら話す彼は師七井藤魅しなないふじみ

 ここ因餐大学の民俗学教授で、テレビやネットで大人気のすごい人だ。

 そして、私が奇妙なものを見てしまうことを知っている人の一人でもある。


「ここにいると吐き気と動機が収まらないんすよ、帰っていいっすか?」


「そうなんだ、この間レポートの提出期限を守れなかった学生と同じだね」


 混じりっ気のない本音をぶつけると、あほの師七井教授はおどけたように肩をすくめてそう答えた。

 研究室のインテリア共は見た目こそ奇妙でおどろおどろしいものばかりだが、実の所それらが無害であることは分かっている。

 教授の机以外の物からは、何も見えてこないからだ。

 部屋に入った瞬間から、粘ついた視線と茶の匂いでも誤魔化せない反吐の出るような匂いが教授の机から漂ってきている。

 机の上から私の方へ伸びてくる汚泥のような手を、教授がハエ叩きで引っ叩いていた。


「さて、もちろん今回も見えていると思うけど……これなんだと思う?」


 ハエ叩きを教鞭のように持って、教授が机の上を指し示す。

 近寄ると気持ちの悪い感覚が強くなる。

 腐らせたはらわたのような鼻を衝く臭いに顔をしかめながら、なんとかその大本を見つけることができた。

 拍子抜けするほどに普通の生活でも見かけるものだった。


「肉じゃないすか?いらないなら私がもらっちゃいますけど……なんすかその目は」


 そう答えると教授は優しさと憐憫が混ざったような形容しがたい目でこっちを見つめてくる。

 殴りたいと脳が感じるよりも先に顔面目掛けて叩き込んだ拳は、軽々と受け止められてしまった。

 受け止めた際の顔がドヤ顔に見えて、さらに頭にくる。


「今度美味しいご飯を食べさせてあげるから……まぁその通りお肉だよ、霜降村って所の特産品だね」


 いつも通り、聞いたことも無い地名が出てきた。

 こうなった教授は話し終わるまで待った方が面倒くさくなくていい。


「この村ではしもふり様と呼ばれている神様が居てね、その昔飢饉が起きた際にしもふり様が体を削って食料としたことで村が誰も飢えずに済んだという逸話があるらしい、それ以外にも……」


 熱の入った講義を聞き流しながら、机の上の肉塊をぼうっと眺める。

 美味しそうなお肉なのに、気持ちの悪いドロドロが肉の中からあふれ出してきているように見える。

 そこから腕がこちらへ伸びてこようとしている。

 今のところ教授がすべて叩き落としているが、襲われたらどうなるか心配で仕方ない。

 というか教授はなんで叩き落せてるんだろうか。

 わたしの目に見える奴らは触ろうとしてもすり抜けてしまうモノばかりだったはずなのに。

 

「と言うわけでそなえ君、君にはしもふり様の正体を暴いてきてほしい」


「ふぁえ!?あ、ごめんなさい、聞いてなかった」

 

 急に教授が顔を近づけてきたので、驚いて素っ頓狂な声を上げてしまう。

 無駄にまつげが長い、甘い匂いがする、肌がきめ細やかで皺一つない。

 本当に六十代かと疑いたくなる、嫉妬してしまいそうだ。

 顎目掛けて放った拳は易々と避けられてしまった。


「危ないじゃないか、ぼうっとしてたのは君だろう?」


「人との距離感考えたほうが良いっすよ教授」


 顔を背けながら私がそう言うと、教授がため息を吐く。


「とにかく、向こうまでの移動手段は用意してあるから、しもふり様について調査してきてね」


 ひらひらと手を振って机に戻る教授。

 私の膝の上にはいつの間にか色々な書類の入ったファイルが置かれていた。

 不服だったし、面倒くさいし、そもそも今日初めて聞く話なのに準備だけは済ませてあるのがむかつく。

 とても腹立たしいけれど、書類の中にあった温泉旅館の文字を見て行くことにした。

 温泉を堪能して、何もわかりませんでしたで帰ってくればいいだろう。


「じゃあ教授、早速行ってきます」


 私は苛立ちを吐き捨てるようにそう言って、研究室を出て行った。

 扉を閉める際の教授の笑顔がとても癪に障ったのを覚えている。

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