感情フルーツ

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感情フルーツ

 ――毎日鬱々としているそこのあなた!! 感情、売ります!! 度重なる疲労で表情のない皆さんに特にオススメなのが、この『ヨロコビバナナ』です!! テレビや雑誌で引っ張りダコな有名タレントのYMさんも毎朝摂っているというこの『ヨロコビバナナ』、一週間食べ続けるだけでなんと『二十四時間』笑顔を保つことができます!! 今ならご新規様限定価格で――


「……また感情フルーツの話か。ったく、いくら現代社会に暗い空気が蔓延してるからってこんなのに頼るなんて最近の若い奴らはどうかしてるな」


 深夜1時、床に潰れた缶チューハイや煙草の箱が散乱しているワンルームのマンションで、闇雲にリモコンのチャンネルを操作して映し出されたテレビショッピングを観ながら俺は溜息混じりに言葉を漏らした。

 馬鹿馬鹿しい。

 最近の奴らはどうかしていると思う。

 昨今、高校生や大学生などの若者を中心に流行っている食べ物が、いや食べ物と言っていいのかすら分からないが、感情フルーツという果物だった。

 感情販売所という怪しげな通販サイトが運営するこの果物は、一ヶ月くらい前から急にSNSで大バズりを見せて以降勢いが止まる所を知らない。

 感情販売所から売られている感情フルーツという果物には、俺達人間が宿す感情に対応して、様々な種類がある。

 『ヨロコビバナナ』、『イカリブドウ』、『オドロキリンゴ』など。

 これらの果物には感情販売所が企業秘密と謳う特殊な成分が含まれており、食べるとそれぞれのフルーツの頭に名付けられている感情に対応したものが得られる、らしい。

 どれも出鱈目なお伽話のようで俺は到底この話を信じることができないのだが、最近はテレビやネットで毎日のように感情フルーツを見かけるようになった。

 俺の唯一の趣味であったネットの匿名掲示板でも、今ではすっかり感情フルーツ関連一色になってしまい居心地が悪い。


 0009 ハッピー会社員 2024/10/18(土) 1:21:34

 ヨロコビバナナを食べてから人生に楽しみがなかったこの僕がみるみる明るい性格になり、友達もできて人生が一変しました。皆なんで食べないのかなと毎日不思議に思っています。


 0012 さすらい女子高生 2023/11/18(土) 1:32:56

 私は高校で虐められていたのですが、イカリブドウを食べるようになってからは虐めてくるクラスメイトに怒れるようになって、虐めから解放されました。このフルーツは私の宝物です!


「今日もまた胡散臭いことばっか掲示板に書き込まれてるな。どうせこんなのプラセボ効果を狙ったサプリの類なんだろ」


 口ではそう言いつつも、俺はここ最近この感情フルーツを注文しようかどうか迷っていた。

 それは別にこの胡散臭いフルーツに効果を期待しているからとかではなく、会社の同僚である三村みむらの話がチラつくからだ。

 今年二十七歳になる俺と同期の三村は元々根っから暗い奴で、いつも浮かない表情で何かにつけて否定から始めてしまう可哀想な奴だった。

 二週間前くらいだったか、そんな三村が急に会社の人間達に満面の笑顔を振りまくようになった。

 いや、笑顔だけじゃない。

 普段はのらりくらりかわしていた仕事も自ら進んで取り組むようになったし、進んで話を回したり気遣いをするようになり上司や同僚、女の子達からの評判はうなぎ登りになっていった。

 今では十分に一回は惚気話を始めてしまう程溺愛してしまう可愛い彼女もできたらしい。


「なあ、茂木もぎも感情フルーツ食べてみろって。人生が変わるぞ? あれを食べるだけで自分の感情をうまい具合にコントロールできて、ハッピーになってつまらない日々から脱出できるんだ。得しかないだろ。茂木もあの魔法みたいなフルーツで可愛い彼女作れよ」


 三村が気持ち悪いくらいの笑顔で俺に語り掛けてきた言葉を思い出す。

 可愛い彼女ができる、か。

 感情フルーツは一つ三千円。

 決して安いとは言えないが、あの三村を変えてしまう程の代物と考えれば……。

 ――一つ、本当に一つだけにしよう。

 恋の理由がフルーツなんてごめんだが、まあどうせ一つで大した効果はでないだろう。

 そう自分に言い聞かせ、俺は数分間躊躇いと好奇心を行ったり来たりした後、『ヨロコビバナナ』を通販サイトのカートに入れたのだった。


 ※


 茂木に押されて例のものを注文した二日後、とうとう俺のマンションに問題のフルーツがやってきた。

 至って普通の段ボールが届き、どうやらこの中に感情フルーツであるヨロコビバナナが入っているらしい。

 中身を取り出してみると、俺はある意味拍子抜けしてしまった。


「何だよ、普通のバナナと全く変わらねぇじゃねぇか」


 そこには値段相応と言えば相応な少し大ぶりの真っ黄色のバナナが一つ。

 俺たちが普段食べているバナナと殆ど全く同じだ。

 これが『ヨロコビバナナ』?

 黄色い皮を剥いてみても、やはり普通のバナナと全く変わらない実があらわになっただけだった。

 考えればこんなの胡散臭すぎる。

 何だか自分が馬鹿なことをしているようで急にモチベーションがなくなってきたな。

 半ばヤケクソになりながら、俺はひょいとバナナをつまみそれに齧り付いた。

 味は糖度が高く意外と美味ではあったが、ヨロコビバナナなんて大層な名前をしているにも関わらず直後に特に体に変化はなかった。

 まあそりゃそうか、こんなの一瞬でも信じてた自分が馬鹿しくなる。

 俺はバナナが家に到着するまでの好奇心と疑いの交錯していた時間が盛りだったのだろうなと冷めた気持ちになりながらネクタイを結んだ。

 そしてそれからはいつも通り仕事をこなし、会社から近いいつものマンションへと帰りついた。

 ――が、今日はいつもと違ったことが二点あった。

 先ず一つ、文句を言ってやろうと思っていた三村が会社を休んでいた。

 家の事情なのか風邪なのか理由は知らないが、最近会社でも絶好調だった三村が休むなんて滅多にないことだ。

 まあこれはたいしたことではない。

 重要なのはもう一つだ。

 今日の朝にを食べてから妙に爽やかな気持ちになり、会社でも一日中調子がよかった。

 疲れているのにそれすら妙に心地よく、スマホの反射で自分の顔を見るとそこには自分の笑顔が浮かんでいた。

 ――まさかあのフルーツが、ヨロコビバナナのあの出鱈目な魔法とやらが効いているとでもいうのか?


「……もう一つ。いや、二つだけ頼んでやる。確かめるだけだ」


 そう、念の為に確認するだけ、気のせいかどうかを確かめるだけだ。

 俺は自分にそう言い聞かせながら、気が付けば通販サイトで感情フルーツの注文のボタンを押していた。

 

 ※


 俺が感情フルーツと出会ってから一ヶ月が経過した。

 ――今の俺を一言で表すなら、まさに『人生の全盛期』だろう。

 あれから感情フルーツを食べ続けた俺は、人生の全てが好転していった。

 ヨロコビバナナでみるみるうちに性格が明るくなって笑顔が絶えることもなくなり、人間関係のことや仕事関係のこと、全てが上手くいくようになった。

 ヨロコビバナナだけじゃなく、俺はそれ以外の感情フルーツも大量に摂取した。

 イカリブドウを食べると怒りの感情を押し出すことができるので上司の理不尽な仕事の押し付けに反論できたり、部下を私情で叱責できないなどということもなくなった。

 オドロキリンゴは人生に新たな驚きと発見を与えてくれて、俺は毎日色々なことに挑戦するようになった。

 今までの俺が憎い。

 俺は何故、こんなにも素晴らしいフルーツを疑って食べず嫌いをしていたのだろう。

 ああ、ああ、速く退勤して感情フルーツが食べたくて仕事に集中できない。

 ――そうだ、鞄に忍ばせておいたヨロコビバナナをトイレでこっそり食べよう。

 そうすれば更に気分がよくなって仕事にも集中できるだろう。

 俺は上司の目を盗み、そそくさとトイレに忍び込んでヨロコビバナナを三つほど平らげた。


 ※


「ふう。ただいま~っ」


 最高の気分で仕事を終え、俺は大きな声でただいまと挨拶しながら自分の部屋へと帰る。

 まあ部屋には友達も恋人も誰もいないのだが、問題ない。

 だって俺には感情フルーツがあるから。

 俺は他のものには目もくれず、一目散に台所へと向かう。

 さあ、感情フルーツのストックがあったはずだ。

 早く早く、早く感情フルーツを食べて素敵な気持ちになりたい。

 俺は感情フルーツをストックしてある段ボールの中身を覗き見た。

 …………あれ?

 ない、ない、フルーツが何処にもない。

 周辺の戸棚を探しても引き出しを除いても、何処にも感情フルーツがない。


「……何で?」


 おかしい、一週間前に頼んでおいた分の正確な量は覚えていないが、まだ残っているはずだ。

 ――だって俺はこの一週間、量を控えて八十七個しか感情フルーツを食べてないんだから。


「どうしよう、最悪だ。今すぐ頼まないと」


 感情フルーツのストックが切れたことを把握した途端、俺の体は猛烈に震え始めた。

 あれがないと、俺は駄目だ。

 サッとスマホを取り出し、感情販売所のサイトへとアクセスする。

 そうだ、ストックが切れるなら一ヶ月、いや半年、一年は切れないようにすればいい。

 ヨロコビバナナ、イカリブドウ、オドロキリンゴを百個、五百個、いや千個頼もう。

 いや、もっともっともっともっともっともっともっともっと。

 俺はぼやける視界で必死にスマホの画面を連打し、気が済むまで感情フルーツの注文を続けた。


 ※


 ――速報です。政府は闇組織から販売されている感情フルーツについて、絶対に口にしないよう緊急条例を発令しました。闇組織の開発する感情フルーツは感情の不安定により人の脳を衰退させる恐れがあり、次々と被害者が――


「五月蠅い、五月蠅い五月蠅い……」


 部屋の隅で布団にくるまりながら、テレビから微かに聞こえてくるニュースをコンセントを引き抜き無理矢理停止させる。

 馬鹿馬鹿しい。

 闇組織だの脳の衰退だの、最近のニュースはどうかしている。

 いつだ、頼んだ感情フルーツはいつ来るんだ。

 感情フルーツを注文して四日、俺は会社にもいかないでひたすら感情フルーツの到着を待っている。

 毎時間・毎分・毎秒インターホンの音に、ひたすらなり続けるスマホの音など無視して耳を傾け続ける。

 まだか、まだか、まだか――


「……あ」


 ――鳴った。

 ピンポンが、鳴った、鳴った、鳴った!!

 その瞬間、俺は裸足のまま玄関へと飛び出し、猛烈な勢いでドアを開ける。

 受け取りの印鑑などお構いなしに段ボールを奪い取り、鍵をかけて玄関口に座り込んで段ボールを漁った。

 ああ、ああ、これだ。

 真っ黄色なヨロコビバナナ、淡い紫のイカリブドウ、鮮やかな赤のオドロキリンゴ。

 俺は段ボールの中に顔を突っ込み、シャクシャクと音を立てながら欲望のままにフルーツを頬ばった。


「ああああああああ美味い美味い美味い!!!!!」


 皮や種なんて知らないどうでもいい、とにかく俺はこの極上で最高のフルーツを欲望のままに頬張る。

 ああ、これだこれ、この芳醇な果汁が脳を支配していくこの感じ。

 三つのフルーツを同時に口に入れると、今まで感じたことのないような高揚感と怒りが込み上げてきて――


「あはははは!!! おい!!! えっ!!! あはははは!!!」


 俺は何も考えられなくなって、ひたすら笑って怒って驚き続けた。

 ただ笑い続けた。

 笑いが途絶えそうな時は自分への怒りで己を咎め、俺がこれだけ笑って怒れるという事実に驚いてそれにまた笑って疲れたら怒りで己を咎めてそんな自分にまた驚いてそれにまた笑って。

 そして俺は何度も何度も口いっぱいにフルーツを頬張り、次第に息が出来なくなるほど幸せな気分になり――。


 それから先のことはよく覚えていない。

 最後に覚えているのは、玄関の横にある鏡に映った自分の顔だった。

 三つのフルーツが口からだらしなくはみ出していた俺の顔は、真っ青になりながらも本当に幸せそうだったということだけが最期まで印象に残っている。

 


 

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