霊獣たちの小夜曲

星見守灯也

霊獣たちの小夜曲

 雪の中を歩く男性の頭の上に竜がふよふよと浮いている。向こうで傘をさそうとしている女性の首元に二尾の狐が巻き付いている。……竜や狐とはいうが、実際の動物ではない。霊獣だ。見えるけれども触れない生き物。

 道ゆく人はみな霊獣を持っている。竜に狐、猫又に麒麟、鳳凰、一角獣。色も大きさもさまざまだ。すべて人類は霊獣を持つ。それがこの世界の常識だった。人が生まれた時に一緒に生み出される存在で、共に生き、人が死ぬと同時に消えてしまうもの。それは心臓があるように当たり前のことだ。

 アニーはそっと肩を押さえた。彼女には霊獣がいない。もう、この世界のどこにも。

 初対面の人には必ず聞かれた。「あなたの霊獣はどこ?」と。面倒くさい。いないと言うのも理由を説明するのも。小さい頃事故にあって死にかけた時消えてしまったと、言ったら言ったで心配する。面倒くさい。ともかく、今もアニーは普通に生活しているし、なんの不自由もない。霊獣がいた時のことなど忘れてしまったくらいに。

 それでも昔は、自分だけ霊獣がいないと言うのが不安になって調べたこともある。霊獣が消えることは、世界的にはごく稀にあることなのだそうだ。消えても本人に影響はないらしい。だけど、アニーが知りたかったのは霊獣が消えた人がどう思っているかだった。どう生きていくかだった。その情報は、ほとんどなかった。




 霊獣がいない自分は、なんとなく生きにくい。当たり前に持っているものを持っていないから。アニーは大通りを外れて路地に入る。そのとたん、怒鳴り声が聞こえた。

「だから、もうついてくんなよ!」

 路地裏で少女がひとり、くるくる回っていた。頭に手を伸ばし、背中を払い、じだんだを踏んで蹴り上げようとしたところで転びそうになった。何をしているのかと思えば、彼女の霊獣と取っ組み合っているようだ。犬のような獅子のような霊獣だった。もちろん、霊獣には触れられないから、彼女の手足は空を切るだけである。

「ああーもー、うぜー! いいから、離れろ!」

 手を振り上げて叫んだところでアニーと目があった。

「なんだよ、おばさん。見るなよ」

 おばさんとは心外だったが、アニーは答えず通り過ぎようとした。けれども少女は一方的に話しかけてくる。

「オレ、もう霊獣いらないんだけど、どっか捨てるとこあるの?」

「なんでわたしに?」

「だって霊獣つけてねーじゃん」

 なるほど。

「……霊獣を捨てたいの?」

「うん。友達と遊びに行っても早く帰ろうってうるさいし。うざい」

 人と霊獣は一心同体。それは彼女自身が遅くなりたくないとか思っているからだろう。本人が自覚してるかどうかはともかく。真面目な子なのにそれが自分でも嫌で無理矢理いきがっているように見える。それを微笑ましいと思う余裕はアニーにはなかったし、指摘しようとも思わなかったけれど。

「じゃあ、わたしにちょうだい?」

「いいけど。……タダで?」

「一万あげる」

「いいよ」

 抜け目がないかと思いきやちょろい値段だ。アニーが上手く丸め込んだようでこっちが悪いみたいに思えてくる。それを振り払って、アニーは一万を払い、霊獣に話しかけた。

「これであなたはわたしのもの」

「そーそー、ほら、行きな」

 その狛犬のような霊獣は不満気に鼻を鳴らしたが、すたすたとアニーの足元によってきて体をすりつけてくる。もちろん体をすり抜けてしまうのだが、その感覚がなぜか懐かしくて嬉しくなる。

「……返さないからね」

「いーよ」

 そのままアニーは路地を通り抜けて家へと帰った。霊獣を連れて。




 アニーの仕事はおおむね順調……といえばそれはいいのだが、資格試験の勉強をしなければならなくて忙しい。

「よし、頑張るぞ」

 と言ったアニーの肩に、狛犬が頭を乗せてきた。それを振り払うように手を動かす。

「うん、邪魔」

 集中、集中。机に向かって本を開いた。その上に狛犬が両手を乗せる。まるで、のしっという音が聞こえるようだった。嬉しそうに尻尾を振るな。絶対、遊ばないからな。やらなきゃならないんだよ。

「邪魔だって……」

 ノートに書き込んでいる間も背中に登っては頭から手を出してくる。集中できない。他人の霊獣は懐かないんじゃないかと思った自分がバカだった。これは彼女も捨てたくなるわ。

「あーもー、おまえ、返品だ返品!」




 翌日、同じ時間、同じ路地で彼女と会った。アニーの頭に狛犬が乗っている。彼女のほうはといえば、その狛犬を見て何か言いたそうに口を曲げた。

「……昨日の」

「ミタマ」

「ミタマちゃん。これ、返すわ」

 彼女、ミタマは驚いたように目を開いた。

「なんで」

「だって言うこと聞かないんだもん。早く寝ろとかお風呂入れって言うし……人と話しててもちょっかいかけてくるし……」

 狛犬はアニーの背から下りて、ミタマの足元に走っていった。舌を出してせわしなくまとわりついている。ほら、やっぱり元の人のほうがいいんじゃん。

「言うこと聞かないから捨てるの?」

 それはミタマと同じだ。アニーは言い返せなかった。ミタマは狛犬を抱え上げるように手を伸ばす。狛犬はその手に抱き寄せられるように彼女の肩に登った。ぺろぺろとミタマの頬を舐めまわし、頭を擦りつけた。ほっとしたようにミタマが微笑む。それから、アニーを見て表情を引き締めた。

「……ねえ、おばさん。なんでかは知らないけどさ」

 ミタマはいったん言葉を切って、それからはっきりと言った。

「おばさんの霊獣はいるよ。そこに。見えないけど」

「え」

「うちのはその霊獣のかわりに……ええと、その霊獣がしたいことをしただけだって」

 わたしにも霊獣がいる。アニーはすぐには信じられなかった。どこにも見えないのに、ちゃんといるのだろうか。小さい頃になくしたはずなのに、ずっとそばにいたのだろうか。

「……言うこと聞かないのは、おばさんのほう」

「う」

「一万は返さないよ」

 それっきり、ミタマは背を向けた。振り返らずに、手だけを振る。狛犬も尻尾を振ってみせた。

「ありがと、こいつを返してくれて」

 去っていくその姿を見て、アニーは少しずつ信じられるような気がしてきた。勉強が嫌だったのも、早くお風呂に入って寝たかったのも話してる人が苦手だったのもわたしだ。わたしの思いそのものを現すのが霊獣なら、わたしが思えば霊獣はそこにいる。生まれた時から霊獣とは一心同体なのだから。




 勉強しなくていいってわけじゃないけど、嫌だなあくらいは思ってもいいじゃない。気持ちに素直になって、その上で決めていいんだ。

「よし、やるぞ」

 そう思えば、わたしの見えない霊獣がおとなしく勉強が終わるのを待っていた。終わったらいっぱい楽しいことしよう。

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