蝶番風流奇談

宮脇無産人

蝶番風流奇談(ちょうつがいふうりゅうきだん)



 


 昭和二十六年の、早春のことである。

 昼過ぎだというのに未だ床の中にあった私は、虹が出ていますよという妻に声に起こされて、しぶしぶ庭に出てみた。数日続いた雨もすっかり上がり、久しぶりの晴れ間を見ると心持ちか塞いだ気分も幾分和らいだような気もする。白状するとこの頃、ある気鬱に取り憑かれたものか、書物を読もうにも物を書こうにも、文字が意味を取り落す事さながら掌を砂がこぼれ落ちるが如き症状に悩まされ、著述も研究も一向捗らぬまま、徒に日々を過ごして一月ばかりになる。

 午後に土井晩翠氏の訪問を受ける予定であったことなぞつい忘れて居たのである。

 彼こそは、あの事件で地位も名誉もすべてを失い、もはや世間の無理解を相手に構える気力も失いつつあった私を励ましてくれた無二の友であった。

 塞ぎ込んでいた私に、九州熊本への旅を勧めてくれたことが懐かしく思い出される。終戦から間もない頃というのもあって、あまり気乗りのしない私に、鉄道も概ね復旧されていることでもあるし、仙台から上野を経て、東海道本線を西へ、数度の乗り換えを厭わなければ出来ぬ相談でもあるまい、それに年が年でもあるから後悔だけは残すべきではないではないか。殊に縁の深い関西には、旧知を訪ねるのに数日を要するかも知れぬ。また新たな人生の門出の地ともなった高野山を忘れてはならぬ。長旅には相違なかろうが、人生はそもそも旅である。邯鄲の夢の故事の教える如く、うたかたに過ぎゆくだけの儚い幻のようなものではあっても、その間に見聞きした人事の数々や少なからぬ知己を得たことは、やはり生涯にとって得難い宝ではないか。そんな有難い言葉で励ましを与えてくれる友人、それが土井氏であった。


 そんな友人の来訪を前にしても、私の心は重く沈んだままであった。私はここである事件について思い出さずには居られぬのである。思えばあれは、あの事件こそはその後に続くこの国の暗澹たる歴史の予兆とも云うべきものであったの知れない。

 愚かなる大戦の時代は過ぎた。新憲法も施行され、デモクラシーの復権も成った。世間は再建の槌音しげく、人々の顔を見れば明るい将来への希望に満ちて、もはや戦火の暗い影を些かもとどめてはいない。

 しかし私の後悔は、如何に戦後の社会が明るい光に包まれようとも、これからも私の中に、心の深部に燻り続けるのに違いない。いつか人生の終焉にあたって本当の闇と対決せざるを得ないその時まで、私はこの闇を己の中に飼い続けねばならないのであろうか。

 

 庭に出た私は、空にはもう虹の見えないことに少しく落胆した。しかし、水を得たばかりの花壇には、どこからさ迷い出たのか二羽の蝶々がひらひらと舞っている。私は目を閉じた。閉じた瞼の裏で、その蝶々が女人の姿に変じて、耳の後ろからそっと息を吹きかけるように私に囁きかける。そんな奇態な幻想をいだくほどに、私の心は挫けてしまったのであろうか。


「土井様がお見えになって居りますよ」

 ぼんやり眺めていると、妻の多津が茶を運んでくる跫が聞こえた。


 中央の学界を追われた一心理学者に過ぎぬ私と『荒城の月』の作詞や『天地有情』等で人口に膾炙した詩人・土井晩翠氏との交友を語るには、まずその因縁から説かねばならぬ。大戦前、私の一家は大阪近郊の伊丹飛行場の近くに居住していたが、戦火が激しくなると妻の実家のある仙台へ疎開することになった。戦後の今日まで隠棲するこの寓居には、あの事件に纏わる噂を聞きつけた地元の書生たちが訪れるようになり、折々講演や座談会に呼ばれる機会も多くなった。やがて私の研究に関心を持つ地元の名士たちの中でも、互いに歳も近い土井氏とは、科学者の志賀潔氏とともに大いに歓談に興じる仲となったのである。

 御承知の方もあるかもしれないが、詩人晩翠は英才で知られた長男栄一氏、ふたりの御息女を相次いで病で亡くすという悲運に見舞われた人でもあった。夫人とともにその傷心を慰めようと、降霊術や心霊学にただならぬ関心を持ち始め、たびたび盛岡から霊媒師を招いては招霊会なるものを開催して子息の霊を慰めていたそうである。また、昭和九年に第二高等学校ボート部の選手十名が松島湾沖で遭難した事故の折、ある霊媒師の霊視が的中して、その言の通りに遺体が発見されたということがあった。それに大いに心を動かされて、ついに心霊の実在を確信するに至ったというのである。

 その土井氏が、かつて私の研究の被験者であった御船千鶴子の墓を訪ねてはどうかと勧めたのが、先に述べた熊本行きのそもそもの発端である。毀誉褒貶のあった婦人のこととて、その墓をいまさら訪ねようというのは世間体も無論であるが、私には後悔と贖罪のせいばかりではなく、訪れたいという強い気持ちがあった。千里眼実験に立ち会ったこともある長岡半太郎とも旧知の間柄であった志賀氏に話すと大いに賛同を得て望外の励ましを受けたこともあり、説き伏せた妻の多津を伴って、およそ二週間の熊本への旅は実現されたのである。しかし、こうして多くの友人の尽力を経て実現された熊本行きから数年を経ても、私の心の底には何か線虫のように不快に蠢くしこりが横たわったままであった。折々訪ねて来る友人たちの顔を見ても、以前のように快活に談話に応ずるでもなく、寂しげに微笑を返すだけがこの頃の私の習慣であった。


 ところで土井氏の用件というのは、ある古い手紙に係ることであった。

 氏はこの頃、茶話に興ずる折に、悲願であったホメーロス『イーリアス』『オデュッセイア』の完訳の大業を成し遂げた後、しばし筆を休めて心霊研究に没頭していたというが、八十寿を経て空前の大作の着想を得たので余生をその完成に捧げたいと漏らすことがあった。とりわけ氏が序文を寄せるほどであった浅野和三郎著『小桜姫物語』には強い刺激を受けたとのことで、多年の心霊研究の成果と詩人としての己を賭けて、ダンテの『神曲』にも比肩すべき会心の作を物したいと興奮気味に語るのである。『小桜姫物語』というのは、封建時代の婦人が著者の妻を霊媒として語ったと伝えられる幽冥界の記録である。この小冊子を本邦に於ける破天荒の書とまで絶賛する土井氏は、これに匹敵する素材さえあればすぐにでも筆を進めることが出来るのだがと嘆息しつつ、スウェーデンボルグやシュタイナーの神秘主義について、已むことなく熱を込めて語り続けるのであった。


 私は手元の『小桜姫物語』を眺めながら、その一篇の雄大な構想にただ聞き入っていた。

 この老齢に及んでさらに大作を物しようという精力に驚くとともに、どこか嫉妬にも似た同情を禁ずることが出来なかったのである。その構想雄大なりと言えども、彼にはそれを物するべき時間はどれほど残されているのであろう。その情緻密なりと思えども、彼の老いたる脳髄の襞は、数奇なる運命に弄ばれた婦人の心の嘆きと哀しみを、如何ほど汲み取ることのできる瑞々しさを残していよう。詩人晩翠もついに老いたり、長年の労苦が祟ってついに心身消耗の状を呈するに至ったのかもしれぬ。私はそうした不安を覚えつつも、心を読まれぬように目を伏せて沈思していたが、開け放した障子の隙間から迷い込んできた一匹の蝶々が、煙草盆の取っ手の端にとまったのを認めると、なにか得体のしれぬ啓示を受けて立ち上がった。

「書斎に行って探してみよう」

 そのとき、どうして私が創作の資料として千鶴子の手紙を借り受けたいという申し出に快く応ずることを決心したのか判らない。ただこれまでの交友と旅を勧めてくれた恩義に報いるためではない、眼に見えぬ何ものかの力が作用して私の心をひと押ししたように思われたのである。

 戦争当時、蔵書や書きかけの草稿のほとんどは輸送の途中、東京で空襲に遭い恐らく焼失してしまった。しかし少数の私信などは妻が疎開の際に手荷物といっしょに保管していたはずで、件の手紙はいまも書斎のどこかに眠っているはずである。私は暗い廊下を渡りながら考えた。そうして、もう使われなくなって久しい実験器具の数々や書架に収納しきれずに積み上げられた本の山ををかき分けるうちに、いつしか過ぎ去った記憶の洞窟の中へと分け入っていった。

 あの事件の後、千鶴子の義兄である清原氏と井芹校長、千鶴子本人から合わせて三通の手紙が届いた。けれども、私はこの千鶴子の手紙だけはどうしても封を切る勇気が出なかった。先の二通を読む限りでは、当たり障りのない弔意を表す言葉といっしょに、今後の実験再開の見込みについてのあれこれの思惑に終始するばかりで、私は深い落胆の意を感じた。なんら事件の真相に迫る記述もない、何よりも関係者や身内としての温情のひとかけらもない冷酷無比の文面であった。

 その後、清原氏からもしあの事件のあとで千鶴子から届いた手紙があれば、何も言わずに遺族である自分の許に返送してもらいたいと申し出があった。私は多忙を口実にしてそれを断っていたが、内心を言えば、あわや科学者としての理性と冷静さの仮面をかなぐり捨て、申し出の書状を両手に引き裂かんばかりの激情を抑えるのに汲々としていたのである。何も後ろ暗いことがなければ、手紙を取り戻そうとはすまい。義妹の死を悲しむよりも、己の保身ばかりが頭にあるこの男を私は心底から軽蔑した。だが千鶴子を私に紹介したのも他ならぬこの清原氏である。みずからの立身出世のために身内を利用し、破滅に導いたのがこの人物であったとすれば、科学のためという大義名分を立てて、それを手助けしてしまった私の科はどういうことになるのか。

 いくら悔やんだところで、あの幼気なひとりの婦人の一生を狂わせることに手を貸した私の罪は、終生消えることはあるまい。


 明治四十三年四月某日。

「不思議なる透視法、発明者は熊本の女」との記事をかねて東京朝日新聞で読んでいた私は、濟々黌中学の井芹校長の紹介を通じてついに念願が叶うこととなった。熊本への出張の折にこの千里眼の婦人と会う機会を得たのである。

 濟々黌中学の体育教師をしていたのが千鶴子の義兄の清原猛雄であり、これより幾度となく行われた千里眼の共同実験は、その多くが彼の計らいによるものであることを明記しておかねばならぬ。そして何よりも印象的であったのは、投宿していた熊本の旅館で千鶴子と初めて対面した時の、あの恥じらうような初々しい様子である。それは長い年月を経た今なお、心にはっきりと蘇らせることができる。

 義兄に連れられて部屋へ入ってきた時の彼女は、既に一度の結婚を経ているとはいえ、まだうら若い田舎の乙女といった風情であった。伏し目がちの黒々とした眼に、ふっくらとした色白の頬、小さく結ばれた口は、突如として現れたこの中年の男を目前にして、いったい何を語ったらよいものか判らない様子であった。体格もよく軍人風に堂々たる髭を生やしたあの義兄とは対照的に、まるで籠から出された小動物のように強張って震えているさまは哀れにも、また可憐にも思われたのである。


「妹は先日、夫と離縁をしたばかりばってん、まだ気分が晴れんとでしょう」

 料亭で会食に及んだ際にも、千鶴子は終始じっと俯いたままであった。それも当然であったかも知れない。熊本の片田舎に、帝国大学の教員が二人もやってきた上に、義兄とその上司が立ち会いながら、恰も自分の品評をされているような心地であったことは容易に想像されよう。清原氏はいかにも九州男児らしい精悍な面付きで、しかもなかなかの能弁の士でもあった。千鶴子の超自然的な能力がいかに優れたものであるか、その能力開花には自分の指導の甚大なる貢献のあったこと、全国に数多出現し始めた千里眼能力者の内にあって、千鶴子こそは随一の能力者と断ずるべき理由その他について、朗々とよく通る声で述べ立ててみせるのである。その様子はさながら政治演説の如くであった。井芹校長は地方の有力者然とした威厳を崩さぬよう鷹揚に構えながらも、帝都からはるばるやって来た中央の学者の前で些か表情を強張らせているようにも見えた。

 千鶴子はその中にあっては、獰猛な獣のただ中に取り残された雛鳥のような弱々しい生き物に過ぎなかったと云えば語弊があろうか。いや、私には彼女の心中を推し量ることなぞ出来はしないのであるが、場違いなところへ引き出され、添え物のようにじっとしているこの婦人が少しでも肩の荷を下ろし、談話に加わることの出来るように、私は簡単ながら己の来歴を話すことにした。読者諸賢に於かれても、ここで簡単に私の経歴について頁を割いて触れるのも強ち無用とは云われますまい。


 私の生まれたのは、雪深い山々と渓谷とに囲まれた、飛騨高山の街道筋にある小さな呉服屋であった。

 代々呉服商を営んできたが、遡れば江戸の中頃、美濃の国は福来という寒村から高山へ奉公に出た先祖の一人がそのままこの地に土着して移り住んだのが始まりという。家は士族ではなく平民であったから、御一新の時に祖先に縁のある福来の地名をそのまま姓としたのである。いずれ商人となることを期待されながら、一向商売には向かずに読書三昧の少年期を過ごした私は、奉公先からも追い返されてばかりであった。

 意外に思われる向きもあろうが、帝国大学に奉職したこともある私とて、決して学問をするに当たって恵まれた境遇にあった訳ではないのである。それが上級学校へと進むことのできたのは、偶然に上野惣平という人物の書生となることが出来たことや、妻・多津の父である町田真秀氏の知遇と援助を得るなど、幸運に恵まれたことも大きかろうと思われる。やがて代用教員や家庭教師で資金を貯めながら、苦学の末に帝国大学の大学院へ進んだ私は、そこで黎明期の心理学研究の草分けであった元良勇次郎教授の教えを受けることになり、半ば運命であるかのように催眠研究という未開拓の分野へと導かれてゆくことになる。……

 千鶴子は、そんな私の退屈な身の上話を、まるで紙芝居に魅入る幼児のような純粋な眼差しを向けながら真剣に聞き入っていたのであった。その黒曜石のように純粋に輝いている彼女の目の光を、単なる好奇心のしるしに過ぎないかも知れぬ輝きを見ながら、私は何を思っていたのであろうか。この婦人を研究に協力を仰ぐひとりの人間として見ていたのか、それとも何ものか珍しい、貴重な実験動物のように見てしまっていたのか、正直を云うと、私は心理学者の肩書きを持ちながら、己の心の深淵を覗くのが怖いのである。

「あなたに与えられたこの千里眼という力も、ひとつの才能ではないか」

 この才能を生かすも殺すも己の心掛け次第である。人とは異なった才能というものは、ひとつ間違えば己を誤った道へと導きかねないが、それを上手に利用することが出来れば、屹度すばらしい未来が開かれるだろう。どうか、この力をいっしょに解明して、不可思議なる力のあることを世に認めさせるという難事業に、力を貸してもらえないだろうか。私はおそらくこんな意味のことを言って、千鶴子を研究の協力者に仕立てたのである。その時、傍らの席で井芹校長と談話に興じていた清原猛雄はどんな顔をしていたものだろう。義妹を出汁にして一商売企もうとする商人の顔であったのか。中央の学界と渡りをつけて、これから愈々売名を企てんとする山師の顔であったのか。私には判らない。

 畢竟この福来友吉も、あの清原という男と同じ穴の貉に過ぎないのだ。

 彼女の人生の辿った悲惨なる運命を思えば、科学のため研究のためという意匠を纏ったと云えども、その行為の意味するところは同断であったことを今は恥入るほかないのだから。

 

* * *



「 ……南国の山々もすっかり雪に覆われ、辺りの景色も冬めいて参りました。人家も疎らなこの九州の辺境に暮らして居りますと、都会の喧騒や東京での日々はみな遠い夢の中の出来事のように記憶の底へと沈んでゆくようです。この頃はようやく身辺も穏やかになり、連日訪れてしつこく付き纏う新聞記者も居なくなった代わりに、僅かに妾(わたし)の気持ちを煩わせるものと云えば、遠い冬の空からやってくる冬鳥たちの、あの物悲しい泣き声くらいなものです。世間というのは現金なもので、丸亀の長尾郁子女史による念写にまつわる一件が新聞を賑わすようになってからというもの、新聞も雑誌も妾のことなぞすっかり忘れてしまったかのようです。お蔭で、こうして何の気兼ねもなく好きな本を読んだり、時には不知火の港の近くでそぞろ歩きを楽しんだりして、気ままな日々を過ごして居ります。

 いえ、妾はいま嘘を申し上げました。本当に、その通りであれば、どんなにか喜ばしいことでしょう。煩わしい世間から離れて静かな暮らしを手に入れる、そんなささやかな願いすらも、もはや妾にとっては幼い頃に想い描く他愛のない夢のように、叶わぬものとなってしまったようです。先生に於かれましても、妾はてっきり長尾女史との念写の研究に御忙しい毎日を過ごしておいでとばかり存じておりましたが、新聞雑誌などでご近況を知り大変に驚いています。何と申し上げればよいのでしょう、この度のことには妾にも責任の一端があるようにも思う一方、どうすることも出来ない自分に苛立ちと歯がゆさを感じ、ただ心は曇天の冬空のように沈みゆくばかりです。

 先日、兄が大変興奮した様子で慌しく妾のところへやってくると、ほれこれを見ないかとばかりに一部の新聞を目の前に投げ出したのです。妾は急かされるままに紙面に目を走らせました。そこに踊る挑発的な文句に目の前が真っ暗になり、妾はよろめいて危うく鏡台の上に倒れ掛かるところでした。まさに青天の霹靂でした。『郁子の念写は手品』『ことごとく詐欺と断ず』妾は柄にもなく興奮して、兄に他の新聞報道はないのか催促を致しました。すると、兄が持ってきた数紙の中には、長尾女史ばかりか妾の千里眼や透視もひとからげにペテンと決め付けるものさえあったのです。改めて申し上げるまでもないことですが、妾は先生を前に詐術を弄するようなことを、誓って行なったことはありません。福来先生はじめ先生方が、この不思議な力を解き明かそうとなさる真摯な努力がひしと伝わり、妾もまた力の及ぶ限りそれに応えようと努力を致して参りました。故に、このような思いがけない新聞報道には深く傷付き、ただ世間に対して云いようのない寂しさと怒りとを感じるほかありませんでした。

 兄は「万事おいが何とかするばってん、お前は余計な心配をするこつはなか」と云い捨てると、怒気を孕んだ面持ちで妾の顔も見ずに部屋を立ち去りました。千里眼と呼ばれる妾の力を、兄はいま診療所で行なっている診療透視のみならず、炭鉱の探索など他の分野での事業に応用しようといろいろな方面へ運動している最中でした。兄が心配し恐れているのは、この妾の身を気遣ってのことではなく、ただそれらの事業の目論みがことごとくふいになってしまうことなのです。

 思い起こせば妾が、このような思いがけない事件の渦中にあるのも、元はといえば姉の夫、この義兄のために他なりませんでした。


 妾の生まれは熊本県の宇土郡松合村という田舎で、生家は漢方の医院を営む士族の家柄でした。

 六つ上の姉がありましたが、後に清原の家に嫁いだこの姉と妾とは、性格もまるで正反対でした。理知的で何事にもはきはきと応えた姉に比べ、妹の妾は律義で優しいところがあると褒められることもある半面、すぐに物事にくよくよとし、いつまでも思い悩んでいるような娘であったと云います。そういえば、女学校時代、憧れの先生に贔屓にされていたのを級友から妬まれて、それを理由に中途で学校を辞めてしまったという一件がありました。それも、自分の意思よりも人目を気にしてしまうような、弱い心のせいもあったのでしょう。

 二十二の歳に、妾は陸軍歩兵中尉の男性と結婚を致しました。けれども、夫が外地に転属となっている間に夫の両親と不仲となってしまい、夫とは手紙でよしみを通じていたのも関わらず、双方の親の考えで実家に戻されてしまったのです。将来有望な軍人の家へ玉の輿で嫁いだ娘がおめおめと実家へ戻ってきたことに父は怒りをこらえ切れず、事あるごとに妾を家の恥であるだの、親不孝者と罵りました。そして、狭い村の中であれこれの噂を立てられるよりはと考えた父は、妾を姉とその夫である義兄・清原猛雄の暮らす、熊本の家に預けることにしたのです。

 義兄は中学校で体育の教諭をしておりましたが、他に副業として、父の医院の一角を間借りして、催眠術を応用した診療も行なっていました。妾は医師である父を持ちながら、幼少の頃からあまり身体が丈夫ではなく、十二、三の頃からはずっと耳鳴りに悩まされても居ました。一方で勘の鋭さを発揮して周囲の大人を驚かせることも度々あったということです。そう、幼い頃から妾にはそうした不思議な能力の萌芽があったのは慥かなことでした。樹の下に潜んだ虫の居所を当てたり、戸棚の中に菓子があることを言い当てたりするなどは日常のことで、子供の時分の妾はそのことを特別な能力であると気にかけたりすることもありませんでした。

 そういえば、こんな想い出があります。ある日、妾は尋常小学校の帰りに隣の級の顔見知りの男子から、大事な話があるから学校が退けたら神社の境内まで来いと呼び出されたのです。そして、お前のその不思議な力は狐憑きや天狗の使う神通力と同じものだ、もしその力を大っぴらに人に知られるようなことになれば、よくて見世物小屋に売られて珍獣のような扱いを受けるだろうし、悪ければ怪しげな術を使う妖女として世間から糾弾され、あるいは座敷牢に閉じ込められて一生を徒に終えることになるかもしれん、そんなことを言われました。妾はからかわれているのだと思い、逃げようとしましたが、おいはお前を好いとるけんわざわざ云いに来たとたいと袖を掴まれ、もう人には術を見せないと約束しろと迫られました。妾は怖くなり、相手を振り切り、突き飛ばして必死で駆け出しました。気が動転したまま、その日はどの道をどうやって家に帰ったものか、まるで覚えていないのです。しばらくしてその子は、炭鉱で働く父親の仕事の都合で引っ越し、それきりになりました。

 でも、この時に言われたことは、後々になるほどに、不吉な予言として度々妾の胸に蘇ってくることになるのです。思えば、婚家を追い出された事情というのも、この能力に係ることからでした。夫の財布から五拾円がなくなるという事件が起こった時、妾はそれが義母の仏壇の引き出しにあると、思わず口を滑らせてしまったのです。妾の能力について何も知らない義母が驚いたのも当然でした。しかも、自分の仏壇から見付かったとあっては疑われるのは義母の方で、逆恨みにも似た心理からでしょうか、義母はこの妾に辛く当たるようになったのです。普段であれば、妾と義母とのあいだを取り持ってくれるはずの夫も、この時は運悪く満州へ赴任したばかりで不在でした。この能力のことを話しても信じてもらえるとは思えず、妾はただ下を向いて嵐の過ぎ去るのを待っているしかありませんでした。弁解すれば、故意に義母を陥れようとしたかのようなあらぬ嫌疑すらかけられかねません。義理の両親との暮らしは次第に息苦しいものとなり、そして夫とは決して不仲ではなかったにも関わらず、泣く泣く婚家を出るに至ったのです。

 妾は姉や義兄にも、この能力のことは伏せてきました。いや、意図的に隠してきたというよりも、ただ生きる上での面倒を避けたいという後ろ向きの心理からそうしていたに過ぎないのかも知れません。けれども、物事は隠そうとすればするほど露見するとよく云われるとおり、いつの間にかそのことは兄の知るところとなっていたのです。

 実家に戻って塞ぎがちな毎日を過ごしていた妾のところへ、あるとき義兄が現れて、催眠術治療の手伝いをしてくれぬかと切り出しました。当時、従来からある漢方の医療に加えて、催眠術を利用した診療所を開くのが或る種の流行になっていました。後で思えば、新たな西洋医学の登場で行き場を失いつつあった旧来の医術が、民間療法の分野に活路を見出そうとしたひとつの現れでもあったのかもしれません。兄もまたその流れに乗ろうとした一人であったのです。妾はこの押しの強い、有無を云わさず相手を思い通りに従わせようとする兄が苦手でした。どうにかして断ろうと口実を探しても、元来が口下手な妾ではどうにも云い逃れができぬと、それを見透かしたように足元を見てじわじわと蛇のように迫るのが兄のいつものやり方でした。そして、催眠術とは西洋の心理学に基づいた歴とした医術で、迷信なぞではなく科学であると妾のまえで息を継ぐ暇もないほどに弁じ立てるのです。その兄の言葉に、いつしかそのまま催眠にかけられたようになって、虚ろな半眼で聞き入っている妾の姿がそこにあったのです。

 お前は被験者としてのみならず、施術者としても見込みがある。

「ぬしには千里眼の力があるとばい。何もかもが、硝子のように透けて見えるとじゃ」

 兄の言葉は呪文のように妖しく響きました。そして五感を越えた超感覚の手をぬっと妾の身体に差し込み、たちまち心の臓を鷲づかみにしたのです。とたんに鼓動が激しく打ち始めました。その手は妾の心の中を無遠慮にまさぐり続け、妾の秘密を何もかも知ろうと動き続けるのです。

 兄は妾に自信を持つようにと暗示をかけました。相手を催眠にかけるためには、まずは自己自身を己の暗示の虜にしてしまうことを覚えなければならぬ。そう云って潤んだ両目で妾を睨み付けると、不思議なことにその時、兄への畏れや警戒心がすっかり失せ、能力のことを兄や姉に伏せておこうという気持ちもなくなったのです。寧ろすべてを打ち明け、兄に己を託そうという心にすらなっていました。すっかり自分の言葉を失ってしまった妾は、ただ兄の言葉に盲従するだけの、憐れな人形と成り下がってしまったのです。


 こうして妾は度々清原家の診療部屋で、兄の訓練を受けることになったのです。

 それは一日に数時間、精神をある対象に振り向けて瞑想するという訓練から始まりました。厳しい食事の制限を申し渡され、肉魚や五穀を断って、まるで修業僧のように一心不乱に取り組むことを求められたのです。兄は毎日、きょうは花瓶、明日は鉢に入った金魚、というように対象物を変えながら、その対象にひたすら精神を集中し、対象に没入しながら世界と己とが一体となるような境地になるまでそれを続けよと命じました。

 ある時、数時間も座ったままの姿勢で思わず意識を失いそうになって倒れかかると、兄はそれは呼吸が乱れているせいだと一喝しました。十数秒息を吸い込み、また同じ時間だけ息を止める。次に同じ間隔で息を吐き出す。この気息調節の術に精通することによって、己を対象世界と合一し、日常感覚から超感覚の世界へと入り込むことが可能になるのだ。そう兄は云いました。お前にもやがて、この世界が仮象の世界であることが会得できるだろう。そして、さらに上達すれば、やがて時間と空間と物質が未分化の混沌であるような本質の海へと乗り出してゆくことも可能かもしれないと云います。妾にはさっぱり意味が分かりませんでしたが、そもそも兄はいったいどこでこのような催眠術や瞑想についての知識を仕入れてきたのでしょう。兄の教えは、西洋の神秘主義の思想に密教や修験道、印度のヨーガを融合したもののようで、一人の師の下で修行した結果身に着けたものとは思われません。おそらくは節操なくあちこちの神秘家の許を訪ね歩いたあげく、自己流に練り上げたものでしょう。兄の身辺から発するあの禍々しい気のようなもの、正道を踏み外したものに特有の、獰悪な獣の放つような独特の気配は、あるいはその辺りの消息に係るものかもしれません。

 しかし今となってはそんな異常な日々を過ごすうちにも、ああ、妾には忘れられない瞬間も訪れたものです。今も鮮明に思い出すことのできるその瞬間、あれが涅槃の境地と云われるものでしょうか。

 ある日、呼吸法を実践しながら瞑想していると、それは突然やってきたのです。静かな森の奥にある泉のほとりの、一本の樹の下に座っている妾。そんな風景を想い浮かべていると、その泉はぐんぐんと海のように拡がり、やがて風のそよぎや鳥の囀りも消え失せて、静寂そのものの海の上空に妾は居たのです。それは動く世界像をあらわすとともに静止した永遠の法則の具現でもあり、荒ぶる生命力の源であると同時に、悠久の宇宙の拡がりそのものでもあるような実相の世界……その表面に立つ小さなさざ波を見ていると、その世界で起こっている人事の数々がまるで手に取るように眺望できるのです。恍惚としながら、妾はその永遠の世界の住人になることを、どれほど願いもしたでしょう。


 その体験を兄に伝えると、にやりとしながら、そうか小手調べはもう終わりでこれからが本番たい、と不愛想に返答するだけでした。もっと嬉しそうな顔をするだろうと期待していた妾はがっかりしました。あれはいったいどういう現象なのかを兄に聞こうとすると、それには取り合わず書架へ向かった兄は一冊の書物を取り出して妾に示しました。

 西洋には神智学という学問の一派があり、その本の中に物体を透かし見る透視という能力について触れた一節がある。我が国ではまだこの術を習得したものは確認されて居ないようだが、お前にはその素質があるのではないかと思う。妾は驚き、訝しく思いながらも、すべて兄の云う通りにすることを約束したのです。これまでの訓練の中でも、妾がうまく集中出来ないことがあると時には力づくで脅して恐怖心に訴えかけ、あるいは妾のひとに知られたくない秘密を暴露することをちらつかせたり、家に居場所を見つけられない妾の弱みに付け込んだ卑怯な手口を度々見せつけられてもきたからでした。

 妾は催眠術の手解きを兄に受けながら、同時に催眠の持つ妖しい力で兄に心を操縦されていたのです。妾を見る兄の目つきが嫌らしいと云って、姉が妾と兄とが不義の関係にあるのではないかと密かに疑い、危うく家族の間で騒動になりかけたという事件のあったのも、この頃の出来事でした。姉と義兄との間は、夫婦とはいってもすっかり冷めきった関係にあったので、義妹である妾に執心して催眠術の訓練に夢中になっていることは面白いはずもありません。妾は、血の繋がった姉からも目を逸らして暮らさなければなりませんでした。義妹である妾を女として見るような、兄にそんな下心があったのかどうかはこの時分の妾には分かりませんでしたが、それでも催眠術による暗示の効果だけは本物のようでした。その証拠に、兄の暗示の言葉は日を追うごとに妾の中の隠れていた能力を引き出し、徐々に効果を現していったからです。


 兄の訓練はだんだんと精神の統一といったことから、実践的な方面へと進みました。まず手始めに封書の中の文字を当てる練習などから始め、やがて妾がそれを卒なくこなせることが分かると、人体内部の透視という難度の高い技にも挑むように命じられました。兄によれば、無生物である封書や箱の中身が透視できるのなら人体も同様ではないか。また人体を流れる気の動きを感知することが出来れば、X線などという西洋医学の助けを借りずとも患部の状態を見抜けるはずだと云うのです。兄はとても実利的な人物で、夢のような妄想を抱いたり、思い込みから行動を起こすような性質ではありません。催眠術という耳慣れない技に目を付けたのも、すべてはいずれそこから利益を得んがための行動でした。家の稼業であった漢方医も兄の診療所も、この頃は西洋医学を修めた医師の病院に押されて先細りする一方であったので、兄は妾の能力を呼び物に医院を再興させようという考えを持っていたのかもしれません。ところが兄の目論みは医療や施術の分野にとどまらず、もっと大きな野心を抱いていたことがやがて明らかになりました。


 ある時、兄は炭鉱会社の重役だという身なりの立派な男性を数名伴って颯爽とした様子で座敷に現われました。そして、妾に座るように云うと、目の前に地図を広げ、どこかに石炭の鉱脈があるはずだがお前に分かるかと、問うのです。そんな山師のような仕事に透視能力を役立てるなど想像もしなかった妾がたじろいでいると、兄は無表情な目でじっと睨み付けました。兄は人を暗示にかけるとき決まってそうするのです。妾はたちまち蛇に睨まれた蛙のように逆らうことが出来なくなり、その地図を借りると別室へと向かいました。そして、心を一に集中しながら観音さまの姿を思い浮かべ、どうか力をお貸し下さいと一心に念じたのです。すると、閉じた瞼の中に一条の光が見えたかと思うと、右手が自然に動いてぴたりと静止しました。目を開けてみると、妾の右手中指の指し示していたのは地図の上の「万田」という地名でした。

 それから数週間ほどして、兄が笑いが止まらぬとでもいうような、とても体操教師とは思えぬにやけた、得意満面の顔つきで妾の前に現れました。そして、炭鉱会社が二万円という大金を持ってやってきたと興奮気味にまくし立てました。千里眼は金になる。そう確信を持った兄の眼差しは、ぎらぎらと貪婪な光に輝いて、まるで次から次へと獲物を求めて徘徊する獣のようでした。兄だけでなく、父や姉さえも事あるごとにする話は次第にお金のことばかりになって行きました。周囲のあまりの急激な変わり様に、妾は戸惑い振り回されるばかりでした。妾の運命が、後戻りのできない方向へと転がり始めたのは、思えばその頃だったのでしょう。家の経済は潤っても、妾の心は荒んでゆく一方です。破滅。そんな言葉が浮かびました。妾は狭い鶏舎の中に閉じ込められ金の卵を産む鶏のようなものでした。子供の頃の不吉な予言のことは、もうその頃の妾はすっかり忘れていたのです。

 兄の催眠療法の医院は患者がどっと急に増えて、妾も日に二十人もの治療を手伝わされるようになりました。やがて、町の外にも噂が伝わったのか、東京や大阪から新聞記者が頻々と訪ねてくるようにもなり、取材やら兄の診療所の手伝いやらで、妾の平穏な暮らしはすっかりかき乱されてしまったのです。千里眼の評判で父母もすっかり舞い上がり、この頃には出戻り云々と世間体を気にすることもなくなりました。結局は、すべてはお金だったのです。それに加えて名誉と云うものが、人間をますます狂わせて行くものであることを、妾は後に知ることになりました。一家の恥晒しであった出戻りの妾は一夜にして金のなる木となり、新聞や雑誌は妾を霊能者として祭り上げ、家族の者たちはそれを名誉として喜びます。でも、そんなものは妾には何の値打ちもないことでした。こんなことは妾の望んだことではない。すべては兄の企みから始まったことなのだから。そう悲しみ、枕を濡らさぬ夜はありませんでした。すでに任地から戻ってきていた別れた夫との手紙のやりとりだけが、妾に残されたたったひとつの慰めであったのです。


 思えば、不思議な幻覚に悩まされるようになったのはその頃からであったように思います。

 突然はげしい耳鳴りに襲われ、心に観音さまを思い浮かべながら必至の思いで祈っていると、心がふっと身体から離れてそのままふわふわと空中を飛んで行き、どこか遠くにある人間の身体に乗り移ったような感覚を覚える。これは一時的であるにもせよ、妾が生霊というものになってしまったということなのでしょうか。あの涅槃のような素晴らしい世界へと入って行く感覚とは、それは似ていながら、まるで対極にあるような不快さを伴って現れたのです。あの静かな海を見下ろすような物事の実相の世界から墜落して、小波の中に飲み込まれる木の葉になったような気分でした。心理学を専門にご研究される先生は、どのようにお考えになるのでしょう。それは、妾にとって、あまりにも恐ろしい、あるいは畏れ多い体験といってよいものでした。身内の者にも、信頼する別れた夫にもとても話すことは憚られるような……本来ならば妾の一身に起こったこのような不可思議な現象のすべてを、先生のご研究のためにすべて包み隠さずお話しすべきだったのでしょう。長い間ずっとこのことは伏せて参りましたが、もはや妾の命もそう長いことはないでしょう。だから、先生にはこの機会にすべてをお話ししたく存じます。

 その前に、一度先生にお尋ねしたいことがありました。天がこの妾に特別な能力をお与えになったとすれば、いったい何の目的があってのことなのでしょうか。自分を決して幸福にはしなかったこの力を、妾は心の底では呪っていたのかも知れません。それは罪でしょうか。福来先生の御説によれば、宇宙の神髄は心すなわち太霊であると。人間の心は宇宙の太霊と共通一如であると。先生はいぜん、御著書を示しながらそう教えて下さったことがあります。そうであるならば、妾がこの力を疎ましく思い、憎むのは天と自らに唾吐く行為なのでしょうか。すべてを受け入れるべきなのでしょうか。妾を夫から引き離し、兄の金儲けの道具にし、世間の見世物にし、揚句に妾をペテン師呼ばわりして世の中から追放しようとしたこの力を、受け入れ、愛し、そして感謝を捧げるべきなのでしょうか。

 いいえ、もしかすると、妾はその答えをもう知っているのかもしれません。この不思議な力は、観音さまのお導きで授かったものに違いない、そう思えることもあります。迷える衆生である妾達を救うために、さまざまなお姿で道をお示しになるという観音さま。こんな考えはおこがましく、思い上がりも良いところかもしれませんが、そう考えると合点が行くのです。妾を通じて、観音さまが法力をお見せになっている。それが、千里眼という形で妾のもとに現れて、兄や世間の人びとを通じて妾に試練を与え、世の中を救えとでもいうのでしょうか。妾にそのような大役が務まるのでしょうか。


 先生とお会いすることが出来た幸運には、本当に感謝して居ります。先生は常々、世間の好奇の目や無理解から妾を守り、励ますことに心を砕いて来られた方です。そんな先生に失礼千万な物言いの数々、どうか切に御容赦下さい。妾は少し疲れているようです。先生もどうかお体を大切に。少し休んでから、またお便りの続きを物したいと思います。……


明治某年某月某日


 兄の診療所が繁盛し、身辺が慌しくなればなるほど、却って妾の気持ちは沈みがちになるばかりでした。

 診療の手伝いがない時にはじっと自室に閉じこもって、物思いに耽っていることが多くなって参りました。というのも、唯一の慰めであった別れた夫からの手紙が、ある時期を境にはたと届かなくなってしまったことに気付いたからです。妾の両親と夫の両親とが面会して、離縁の手続きについて話し合いを進めていることを知ったのはそれから暫らく後のことでした。密かに手紙のやり取りを続けていたことも家中に知れてしまい、夫からの手紙は妾の手に届く前に処分されてしまったもののようでした。

 気分はいっそう落ち込み、ますます厭世的に傾いて行きました。そんな妾の気持ちなぞ一向に頓着しない兄は、どこからともなく新しい話を持ち込んで妾を試そうとするのを止めませんでした。兄が体操教師を務める済々黌中学の井芹経平校長と熊本の同郷人で、京都帝国大学の木下広次前総長から依頼があり、千里眼を応用して遠隔で診察治療をしてもらいたいというのです。

 日頃の疲れのせいか、耳鳴りもいつになく酷くなる一方の妾は、この話はすぐにお断りしようと決めました。また妾の透視は、対象物に直接手を触れていなければ駄目で、遠隔にある人体を透視するなぞとても出来そうにないと兄に切に訴えました。ところが義兄は、いきなり激昂すると妾の衿を掴み上げ、「出戻りのぬしがこげんぬくぬくと暮らせっとは、誰るんお蔭と思うちょっとか!」と一喝したのです。嫁ぎ先を追い出されたお前が、この小さな町でどうやって暮らしてゆくのか。この明治の御世に女ひとりで身を立てようと思えば、一芸を売るか女郎に身を落として春をひさぐより仕方がない。芸も学問もないお前には、ただ千里眼があるばかりではないか。そうまくし立てる兄の目には、もはや妾の姿なぞどこにも映ってはおらず、金と名誉だけを求める強欲の炎だけがそこにめらめらと燃え上がるようでした。

 この時、妾は夫からの手紙を郵便配達夫から奪って隠しているのは、兄に違いないと確信したのです。お前の千里眼は金になる。兄はそう独り言のように呟くと部屋を出て行きました。そして日本地図を持って戻ってくると、手に触れていなければ千里眼を使えないというのなら地図を使えば宜しい、いつかの万田炭鉱の時のように、そういい残すと部屋を出て行きました。万田炭鉱、という時の兄の目は金剛石のようにキラリと輝きました。

 お前の千里眼が大学の偉い先生にも認められるようになれば、それが兄の口癖でした。けれども、その手柄は妾のものではなく、すべて兄や父のものなのです。あるいは妾の手柄で得た金銭を奪い合って、兄と父とが争うのです。姉は兄の清原の家に、母は父の御船の家にそれぞれ付きながら、骨肉の争いを続けることになるのは目に見えていました。明治の世になっても、妻は夫に従い、女は殿方の後ろを控えめに歩くのが美徳であるとされていたのです。女というものは、男の支配する家というものに備え付けられた、箪笥や竃のような、ただの道具だとでもいうのでしょうか。

 ああ、こんな家を出て行くことさえ出来れば。女中奉公をしてもよい、製糸工場に勤めてもよい、そんな考えも浮かびましたが、士族の娘に生まれ世間を知らぬ妾には、現実味のない空想に過ぎません。よしんば家を出ることに成功しても、じきに欲に目の眩んだ兄の手の者によって、襟首を掴まれ引き戻されてしまうのが関の山です。普通の人には到底出来ぬ、神通力のような力を天から与えられながら、妾は兄の事業のために良いように利用され、家から出て自分の人生を生きることすら叶わぬ身なのです。千里の先を見通すと言われるこの能力が、妾を自由にするどころか却って、妾を兄の奴隷にし、この家という狭い場所へ閉じ込めている。

 その頃には、妾は悟っていたのです。自分が金の卵を産む籠の鳥であり、見世物小屋に陳列される片輪の女に過ぎないということを。子供の頃の不吉な思い出は、何もかもを正確に予見していたのです。

 観念した妾は、兄の置いていった地図の前に座り、その上に両手を置いて静かに目を閉じました。

 その時、妾の中にひとつの考えが閃きました。いっそ、失敗してしまえばよい。見当違いの場所を透視して、間違った結果を兄に報告すれば、世間のこの狂ったような千里眼への熱狂や兄の自分への期待もなくなるかもしれない。兄は折檻するだろう。世間は嘲笑い、後ろ指を指すだろう。家の者は恥ずかしい思いをして、土地を追われてしまうかもしれない。ふと、場違いな可笑しさが込み上げて、妾は笑い出しました。そして、目を瞑ったまま地図を両手でぐるぐると回すと、当てずっぽうに両手の指先を這わせ、その先端に気を集中させながら観音さまの姿を思い浮かべたのです。

 すると、あの耳鳴りがどこからともなく響いてきて、妾の頭をがんがんと内側から激しく叩き始めました。鈴の音のような、あるいはお寺の鐘の鳴るような、キンと響く高音のようでもあれば、ずしんと腹の底に響く低音のようでもある、あの不思議な耳鳴りが。妾の身体はぐにゃりと平面になり、次には細い針金のような姿になって空へと延びてゆき、まるで地の底へ続く暗い坑道の中をきりもみしながら落ちて行くような不快な感じに包まれました。

 気が付いてみると、妾は見覚えのない街中にひとり所在なく立っていたのです。

 見たことのない町でした。道行く人の服装や髪型も、ここ熊本の松合村ではつい見かけないような、ハイカラな、都会風のものでした。所在なく立っていたと書きましたが、時間が経つうちに、妾の思い違いに過ぎないことが判ったのです。夢にしてはあまりにも風景の輪郭がはっきりとしており、しかし現実と思うにはあまりにありえない状況でした。やはり、これは現実ではない。屹度、妾は夢を見ているのだろうとそう思っていた時、足元がぐらりと揺れて目前の景色がゆっくりと流れて行きました。何か大きなものの上に、妾は乗っているようでした。それはがっしりした男の肩の上で、首にかけた手拭いから時折、汗が滲んで妾の足元まで流れて行きます。

 そして男がいくつかの角を曲がり、小さな橋を渡り際に立ち止って水面を覗き込んだ時、妾は覚えず、あっと息を飲み込みました。水面に映った男が少し帽子を被りなおして気障な微笑を浮かべた時、その肩にとまっているのは一匹の小さな蝶々でした。妾は驚いて大声を上げましたが、周囲を行き交う人びとの耳にはまるで聞こえないようです。それもそのはず、咽喉を持たない虫けらに声なぞ出せるはずもなかったのです。己の身を振り返って、自分の手足や身体をしげしげと見つめると、果たしてそれは普段と変わらぬ人間の妾の姿でした。ところが、右の手を動かすと蝶の右の羽が動き、左の手を動かすと左の羽が動くので、この蝶々が自分であることを認めるほかはなかったのです。

 まったく不可解な出来事でした。いったい何の因果でこのようなことになってしまったのか。夢ならばすぐに醒めて欲しいと妾は願いました。そうだ、蝶ならば飛び立つことも出来るだろう。でも下を見るとたちまち足が竦みました。例え飛ぶことが出来たにしても、どこへ行く当てがあるだろう。心の声が囁きました。そうするうちにも男はどんどん歩を進めて、先を急いで行きます。それは目的を持った人間だけの持つ、確乎たる足の運びでした。

 止まった家の門前に『平民新聞』という看板が掲げてあるのが見えました。そこで男が深呼吸をしながら、御免と玄関先で声を上げようとした時、横合いから出し抜けに一人の男が飛び出すと、氏名や来訪目的を尋ね、身体検査をさせろと要求しました。物を訪ねてきた男は、私服の官憲のようでした。そして、ずっと後になって知ったことなのですが、この平民新聞を訪ねてきた労働者風の逞しい男は名を宮下太吉といい、この日はある用件で主筆である幸徳秋水という人物に面会を求めて、平民社を訪れたところであったのです。この平民新聞というのは、政治に疎い妾にはよくは分かりませんが、数年前に露国との間に戦の始まろうとする時、非戦の論陣を張っていた萬朝報がにわかに開戦論に転じたため、社を飛び出した幸徳秋水らが発行していた新聞でした。

 宮下太吉は、官憲に不敵な笑顔で笑い開けると、姓名と来訪目的をすらすらと並べ立てました。しかし官憲はそれでも納得せずに、宮下に荷物の中身を見せろと迫ります。そして、ひったくった風呂敷から転がり出てきた空缶を摘みあげると、これはなんだと鼻先へ突付けて凄んでみせました。

「工場のネジや釘を入れるための容器だよ」

 そう返答すると、官憲は取り出した手帳に事務的な手つきで何事かを記し、渋々道を開けて立ち去りました。見回すと、向かいの店先には仲間の私服警官たちがこちらをちらちら見ながら出入りする様子が眺められます。さては、官憲は向かいの店先を借りて、そこから平民新聞の社屋を四六時中監視しているようでした。かかる警戒の中を、宮下の振る舞いはまことに自信に満ちた堂々たる態度ではありましたが、妾が思いますに、後にその男ぶりが仇となって思わぬ気の緩みを招くことにもなり、身を滅ぼすことになったのかも知れません。

 玄関はしんとして、物音ひとつしない静けさでした。官憲に監視されるほどの新聞社であれば、さぞかし多くの書生や記者たちが談論風発の火花を散らせてもいようはずですが、どうもこの日に限って事情が違っているようでした。やがて、足袋をする音とともに、口髭を立てた四十がらみの壮士風の男がそこへ現れました。

 それが幸徳秋水という人物でした。宮下が「先生」と声をかけると、先生と呼ばれた男の背後から、あら、と言いながらひょいと顔を出した女性があります。つり目がちの、少々えらが張って、器量は美しいとは申されませんが、その口元は何か人を惹きつける凛とした気合で固く結ばれていて、妾なぞと比べればよほど意思的な顔立ちをして居ります。そして、先に立ってずんずん廊下を進むと、お茶の用意をしてある部屋へと二人を案内し、悪びれもせずに先生の横へ腰を下ろしました。

 幸徳とその女性は、妾を肩を乗せた宮下太吉と対座する格好になりましたが、矢張りというべきか、二人には妾の姿はまるで見えないようです。妾はそれを好いことに女性を隅々まで観察しておりましたが、身のこなしといい、物言いといい、今の世にこれほど堂々とした態度の女性があるものかと妾は目を見張るほかありませんでした。そして我が身を振り返り、兄や家に縛られて己の運命すら如何ともしがたい自分の無力さを不甲斐なく思ったものです。それよりもっと驚いたのは、その部屋で三人で話し合われた事柄の数々であったのです。

 それをここにどう記したらよいのでしょう。ありのままに出来事を記せば、ややもすれば、このような手紙を受け取った福来先生の身に危険が及びかねないような、そのような恐ろしい文言に満ち満ちた言葉ばかりでした。そのときの妾には慥かにそう思えました。けれども今の妾から見ますと、彼らがそのような思想を抱くに至り、その熱情から起こる行為を抑えることが出来なかったのも、この理不尽に満ちた世の中では故無しとしないと思われるのです。ですから、妾はここに見たまま聞いたままを思い出す限り、そのまま詳述することに致しましょう。

 宮下は山梨甲府の生まれの機械工で、愛知県知多郡亀崎町の鉄工所へ仕事で赴任していた時に、秋水の平民新聞を読んで大いに感銘を受け社会主義について学び始めた、と語り始めました。そして、ある時に不審な小包が自宅に投函されていたのを見付け、紐解いてみると果たして内村愚童の『入獄記念無政府共産』なる五十部ほどの小冊子であった、それを見ると、世の中が何故良くならないのか、多年、労働者として心に朦朧とわだかまっていた疑問の数々がたちどころに氷解したというのです。小作人はなぜ苦しいか。それは天皇というダニが人民の上に君臨しているからである。そう喝破すると、たちまち上機嫌になって、次のような唄を、節を付けて唄い出したのです。


 なぜにおまえは、貧乏する。

 ワケをしらずば、きかしょうか。

 天子、金持ち、大地主。

 人の血をすう ダニがおる。

 ……今の政府をなくして、天子のなき自由国にすると云うことがナゼむほんにんのすることでなく、正義をおもんずる勇士の、することであるかと云うに、今の政フの親玉たる天子というのは諸君が小学校の教師などより、ダマサレテおるような、神の子どもでも何でもないのである……


「明治四十一年某日、天子の乗ったお召し列車が大府駅を通過せられるということでしたから、そこへ行って私は右の小冊子を奉迎に集まった群衆に配布し、世直しをするためには皇室を廃する他ないことを説いたのです。ところが、期待に反して誰も私の説に耳を貸す者はなかったのです。却って、やれ日本の皇室は西洋の王室や清国の皇帝なぞは異なり皇統連綿だの、神州不滅の神の国だのと反論を受ける始末でした。幕府瓦解から半世紀も経たぬのに、露国との戦争に辛勝したり、朝鮮を属国にせんとするうちに、まったく何を勘違いをしてしまったものでしょうか。……兎も角も、民衆のうちに天子は神だという迷信はかくも根深いものなのかと、私は失意のうちに退却するほかありませんでした」

 そして、茶舞台を叩き付けんばかりの勢いで茶碗を置くと、この国の人民の目を覚ますには、天子は神の子なぞではなく、赤い血の流れる同じ人間であることを教えてやる必要があります、そう気炎を吐き、アレクサンドル二世を倒した露国のナロードニキのように、私もまた一個の爆裂弾を胸に抱いて、人民の目覚めと革命のための捨石となる覚悟であると決意のほどを述べると、静かに目を閉じて茶を一服啜りました。

 いつかはそのようなことをする人物も必要な時が来るかもしれないが、と幸徳秋水は目を逸らしながら困惑気味に言葉を濁しました。そして、先の女性に目配せをすると、いそいそ席を立って奥へと消えてしまいました。これも後に新聞で知ったのですが、その女性こそが管野須賀子であったのです。

「何か、先生の気に障るような失礼でも申し上げたでしょうか」宮下がぼそりと呟きました。

「そうじゃないの。先生は今、新しい著述のことで頭がいっぱいなのでしょう。中江兆民先生の哲学を祖述するのだと云って、資料を集めていらしたところでしたから」

 そうですか、と宮下が不満げに席を立とうとしたところを、管野が遮って、

「待って。私はあなたの考えには大賛成なのよ」そう云いながら、静かに宮下の大きな黒い瞳を見据えました。

 しばし沈思ののちに、彼女は口を開きました。

「あなたの仰ることは正しいわ、私もずっと同じことを考えていたの。御一新……いえ、こんな言葉は使いたくありません。あの幕府瓦解以来、この国は西洋に追い付こうとなりふり構わずに富国強兵に邁進して来ました。清国、露国を相手に、戦争に次ぐ戦争で人びとの暮らしは貧しくなるばかりです。戦争で大儲けをした貴族や資本家が、湯水のように財を投じて遊興に耽っている一方で、農村では若者が兵隊にとられて働き手もない。税金は上がり、暮らしは立ち行かなくなり娘を身売りするより生きる術がないといいます。

 私たちは、これ迄ずっと非戦を訴えて来ました。でも人びとは、政府が戦争で下した露国から賠償金を取れなかったことに腹を立てる始末で、露国との戦争が朝鮮の人びとを犠牲にして始まったことに思いが及びません。戦争そのものが悪であるという考えには立たないの。まるで、自分自身が国家の立場に立ってしまったみたいに。これは如何いうことかしら?

 明治の世になっても、支配をする者と支配を受ける者との関係は何も変わらない。幕府が明治政府になり、侍が軍隊に変わったところで、虐げられる人びとの立場は変わらないままだわ。それが見えなくなっているのは、天皇や皇室があるせいよ。それを神と崇めて、国民がみんなその赤子であるという迷信があるために、自分が支配される側であることを忘れてしまっているのよ。この日本という国に人民の国を打ち立てるためには、天皇制という取り除くべき大きな壁がある。

 知らしめねばなりません。それを身を以て打ち壊さない限り、迷信に曇らされた人びとの目覚めもなければ、明日もないということを」

 それでは、と顔を紅潮させた宮下が身を乗り出します。

「あなたこそ本当の同志になる人だと信じます。もう二、三人の仲間は集めてあってよ。けれど、幸徳先生は屹度この計画には賛成して下さらない。あの人は文の人です。一緒に命を捨てることは、主義のためにも良くはないわ。革命の捨て石として私たちが斃れた後も、著述の力で主義のために尽くして下さる方だと思うの」

 そういう管野の瞳はどこか寂しげに遠くを見ているようでした。思えばそれは、師としての、いや男としての秋水を身を以て庇おうとする女の覚悟の表れであったのです。一方、感極まった宮下は、俯いたまま顔を拳で何度も何度も拭うのを止めず、目を腫らしながら風呂敷を解いて見せたのです。官憲に見せたのと同じ缶を取り出し、それをしげしげと見つめて云いました。

「これが爆裂弾用の缶です。用途を伏せて知人の職工に作らせました。爆薬の調合については目下研究中で、近いうちに人目につかぬ山奥ででも実験したいと考えているところです……」

 管野須賀子は缶を持った宮下の手を、ぐっと両手で包み込みました。そうして、屹度やり遂げましょうと繰り返すと、宮下もまた頷きました。言葉は静かながら、女性の目に意志の炎がめらめらと燃え上がるのが見えるようでした。それは欲得のために濁ったあの兄の目とはまるで異なる色合いを放ち、宝石のように輝いて見えたのです。

 宮下は管野と呼ばれた女性と後日の再会を約束すると、その家を後にしました。

 男はいつになく上機嫌で、即興の鼻歌なんぞを陽気に鳴らしながら、夜道に下駄の音を響かせました。入獄記念、無政府共産。天子、金持、大地主、人の血を吸うダニが居る。塩酸加里に鶏冠石、硫黄若干、ワセリン油、合わせて混ぜて爆裂弾。

 意気揚々と大股に歩く宮下の肩に揺られながら、妾は目前で展開する奇異な事件にすっかり打ちのめされてしまい、自分が一匹の蝶となっていたことをすっかり忘れて果てて居りました。

 ここはいったい何処なのだろう、そして妾はどうなってしまったのだろう。妾にはさっぱり判りませんでした。これは夢なのだろうか。兄を恨む心が、妾にこんな夢を見させるのでしょうか。夢にしては、何もかもがはっきりと輪郭を持っていて、其処に登場する人たちの話す内容もあまりに具体的であり過ぎるように思いました。

 何よりも不可解なのは妾の姿でした。この小さな虫けらが妾であるというのなら、熊本にいるはずの本当の妾はいったいどうしてしまったのだろう。妾は生霊になってしまったのだろうか。もしかすると妾は死んでしまったのかも知れない。実験中に魂が帰るべき肉体とはぐれてしまって、蝶の姿で見知らぬ街を彷徨っているのだろうか。……

 目覚めようとする意識の中で、妾は思いました。ここで見聞きしたことは決して誰にも話さないでおこう。兄は勿論、先生にも内緒にしておこうと心に誓いました。記憶の奥底へ沈めてしまい、自分ひとりの秘密として墓場まで持って行こう、そう観音さまに誓ったのです。


 それから暫らくの間、妾はいったいどうやって毎日を過ごしていたのか、さっぱり覚えがありません。

 相変わらず、兄の診療の手伝いをしながら日々忙しく過ごしていたことは間違いないはずなのに、心はまるで糸の切れた風船のようにどこかへ飛んでいってしまったようです。地上の出来事はすべて妾とは関係のない些事のように感じられました。千里眼や透視が妾を有名にしようと、兄の事業がどうなろうと、もはやどうでもよい。ただ春の日の昼下がりに、誰にも邪魔されることなくひとり川べりを逍遥することが許されるような、ささやかな毎日が欲しかっただけなのです。どうして妾は、こんなに弱い人間であるのか。目を閉じると脳裏にちらちらするのは、あの平民社で見た管野という女性の毅然とした眼差しでした。妾に必要なのは神通力などではなく、人並みに運命を切り開くための強い意志だったのです。封書の中の文字を開けずに読み取ったり、遠いところで起こった出来事の詳細を居ながらに知る力が、いったい妾の何に役立つと云えるのでしょうか。あるいは、慥かにそれは使いようによっては世の中の役に立つ能力かもしれません。でも、妾はそれを周囲の人間たち、世の中を動かしている男の人たちの都合で、一方的に引き回され、利用されるばかりなのです。管野というあの女性は違っていました。神通力などはなくとも、自分の意思というものを確りと持っている。時には、あの先生と呼ばれた幸徳秋水さえも優柔不断に見えるほどに、己の行き方を己自身で捌いてゆく度量を備えているように見えます。そして周囲の男たちは、むしろ彼女に振り回され、引きずられるばかりで、まるで男と女の主従が逆転しているようで愉快にすら思われるほどです。そんな彼女と比べて、この妾は。自分というものが情けなくなる一方です。他人に心を吸われたように空っぽな気持ちで、縁側で庭の金魚に餌をやりながら終日ぼんやり時を過ごしてばかりいました。


 そんな折、またあの兄が現われました。

 乱暴に障子を開け放つと、嬉々として縁側に飛び出し、新聞を握り締める手は興奮のために汗ばんでいました。そして顔を紅潮させながら、京都帝大前総長・木下氏の遠隔診療は大成功であったと伝えたのです。新聞には『千里眼の女、熊本に現る』『遠隔透視治療、成功す』などと、人の耳目をそばだたせる煽情的な見出し文句が踊っていました。とても信じられませんでした。妾は何も覚えてはいないからです。

 ところが兄に問い返すと、地図の上で突っ伏した妾は、それから物に憑かれたようになり、木下氏の病状について事細かく述べるとそのまま昏睡状態になったというのです。妾が話した内容を直ちに電報で伝えると、数日経って医者のところから、所見と一致すると返答があったそうです。

 妾は気味が悪くなりました。この神通力、あるいは千里眼と呼ばれる力の正体はいったい何なのか。人にはないちょっとした勘の良さや、昔から伝えられるお告げのようなものであるのか。けれども、自分が蝶の姿に変じて、見ず知らずの人びとに纏わりつくあの奇妙な体験を振り返ってみても、そのような単純なものとは思われません。妾が蝶の姿となって見知らぬ街の巷にあった時、空っぽの身体はどうしてそんな医師の診断めいたことをやってのけることが出来たのでしょうか。医師の家に生まれたとはいえ、女学校の教育しか受けていない妾には、無論のこと医学の知識などはないのです。しかも意識を失った妾がどうして口をきくことができるのか。ひょっとすると、主が不在となった妾の身体はその時、なにか得体の知れぬものに乗っ取られて、自由にもてあそばれていたのかも知れません。

 兄の催眠術の働きかけによって、開けてはならぬパンドラの箱が妾の中でうっかり開いてしまったのだ、そう思うと、次はいったい何が起こるのかもう何も分からなくなりました。



 「東京と京都の帝国大学の偉か先生が、ぬしの千里眼にたいぎゃ興味ばお持ちになり、こん熊本まで来らるッそうたい」

 羽織の袖に腕を通しながら、兄は妾を見下ろして得々と話しました。ついに中央の学会の偉い教授が、千里眼に頗る興味を持たれ、この不可思議な力に是非科学の光を当てて解明を試みたい、そう仰るのだと。自分の栄達のために、どこまでもこの妾を利用して憚らない兄の目は、夢見心地にうっとりと輝いて見えました。田舎の一教師に過ぎぬ自分が、立派な学者の研究の一端に与れるのが余ほど嬉しいようです。またしても兄は、妾の意志などまるで構うことなく、前途に先回りして勝手にレールを敷くような真似をしていたのです。

 科学の光。研究。ついに妾は、見世物小屋に陳列される珍しい動物から、あわれな実験動物の立場に落ちようとしているのだろうか。別れた夫は、こんな妾のことをいったいどう思うことだろう。一人前の人間として扱われることなく、モルモットのように実験台に乗せられ切り刻まれようとする妾。そんな女と一度でも所帯を持ったことを、恥と思うだろうか。夫からはあれ以来、一度も便りの届いたことはありません。法律上も籍を抜く手続きが終ったことを父から知らされたのも、ちょうどこの頃でした。妾たち夫婦の意志なぞ訊かれることもなく、親同士で勝手に話し合われた末、別れさせられたのです。

 なんという情愛のない父母であり、兄であることか。情けなくなり、涙が零れ落ちました。女であることでこんなに情けない思いをしなければならぬ、この明治という世に生れ落ちた身をこれほど恨みに思ったことはありません。


 ああ、妾は何を云っているのでしょう。福来博士へのお手紙を書くうちに、いったい誰に向けてこの文章を綴っているのか段々と判らなくなって参ります。父母や兄や生まれた時代への恨み言をここへぶちまけても、先生はただ困惑されるだけなのに。大変失礼を申し上げました。こんな妾でも、自由に人生を生きることも出来ず兄に利用されるだけの妾でも、希望を捨てずに生きてゆくことを教えて下さった、それが福来先生であったと、まずそのことへの感謝を初めに申し上げるべきであったのです。


 先生が初めて熊本へ来られた時のことを、妾は思い出します。

 その日の朝、三日前に夫の実家から届いた協議離婚の成立を伝える手紙のことでくよくよし、食事もよく咽喉を通らない有様であった妾のところへ、また兄が現れて、そして今から大事な用事が出来たからついて来るのだと妾の腕を無理矢理に引っ張ると、俥に押し込んだのです。兄と、兄の勤める中学校の井芹校長もいっしょでした。着いた先は春日町のとある料亭でした。気分の優れない妾は、折角の晩餐会の時も下を俯いているばかりで、兄に叱られるまで先生方にお酌をすることさえすっかり忘れていたくらいです。兄は両博士を前に、手振り身振りを交えて大げさな調子で妾を褒め上げ、井芹校長はそれを援護するように大きく頷きます。普段の威圧的で支配者然とした態度とはうって変わった、兄が目上の人に調子を合わせ媚びへつらう様子を目にすると呆れるばかりで、胸もますます悪くなる一方でした。談論にも付いて行けず、添え物のように一人でじっと座っているより仕様がなかった妾に、優しくお声をかけて下さったのが福来博士だったのです。

 帝国大学の教授であるという立派な紳士を前に、何を話したらよいものか分からず、どぎまぎしていると、先生は妾の緊張を解きほぐすように優しくお声をかけて下さいました。

「実は私も飛騨高山から東京へ出てきた田舎者に過ぎません」そう仰って、ご自分の幼少の思い出や東京へ出て今の研究の道へ進まれるまでの苦労話などを話して下さったのです。


 この物静かな紳士のどこに、逆境に抗して運命を切り開いてゆく逞しい力があるのだろう、そう感心するとともに、妾との違いはいったい何処にあるのだろうと考えました。やはり、この弱い心のせいでしょうか。同級生のつまらぬ妬みや虐めのために女学校を中途で辞めてしまった妾。親の命ずるままに夫と別れ、負い目から兄の云うがままに振り回されるだけの妾。ただ恥ずかしく、嫌になるばかりでした。そんな惨めな妾に、先生がかけて下さった言葉があります。

「あなたに与えられたこの千里眼という力も、ひとつの才能ではないか」

 この才能を生かすも殺すも己の心掛け次第である。人とは異なった才能というものは、ひとつ間違えば己を誤った道へと導きかねないが、それを上手に利用することが出来れば、屹度すばらしい未来が開かれるだろう。どうか、この私に協力して頂けないだろうか。この力をいっしょに解明して、不可思議なる力のあることを世に認めさせるという難事業に、力を貸してもらえないだろうか。

 じっと妾の目を見詰めながら、先生はそう仰いました。

 その瞳は、山師のような兄とはまるで違う輝きに満ちておりました。その時、妾は確信したのです。福来先生は、己の野心のために妾をどこまでも利用しようとする兄のような人間とは違うのだと。教育者の端くれとはいえ、金に意地汚く山気があるばかりか、妾のような目下の人間にはつらく当たっても何とも思わない兄という人間。一方、田舎者であると謙遜しながらも、いかにも洗練された紳士の風情を漂わせながら、気さくな様子で話す中年の紳士。まことに、先生と兄とでは、殆ど天と地ほどにかけ離れた存在のように感じられました。ただ柔和というのではない、先生の真剣な眼差しは、妾にある人を思い起こさせたのです。それは、あの管野須賀子という人の燃えるような瞳でした。


 まだこの世の何処にもない世界を夢見る眼差し、といっても好いかもしれません。人間というものは、ごく大雑把に云って、大きくふたつの種類に分けられるものではないでしょうか。ひとつは、この世の中の決まり事にあくまで忠実に生き、その出来合いの秩序の中で、如何にしてお金を儲けるか、高い地位に就くことが出来るかという、謂わば立身出世に執着する人たちです。もう一方というのは、今の世の中の何処にも存在しない世界に憧れ、ただ憧れるだけではなくて、それを現実のものにするために努力を惜しまない人たちと云ったら宜しいでしょうか。誰も行ったことのない未踏の地、人がもっとより良く生きられる世界を夢見て、それを一生を賭けて追い求めてゆく人たちと云っても好いかもしれません。向かう方向はどうあれ、その行き着く先はどうあれ、先生の瞳の輝きはあの管野という女性の瞳と同じでした。地平線の向こうに明日を追い求める人たちに共通の、あの独特の光線を放って輝いているように思えてなりませんでした。

 妾には難しい学問上のことは分かりません。けれども、妾がともかく先生を信頼しようと心を決めたのは、屹とこの時なのです。

 もう兄のためではない、自分の自分の道を切り開くためにこの力を使おうと。そう思うとすっと心が軽くなったのです。兄の催眠の手解きによって千里眼の能力が開化してしまったことは、もはやどうしようもない事実です。それはそれとして受け入れようと妾は決めました。そう気持ちが定まると、未来への恐れもだんだん退いてゆき、物事を前向きに受け入れるように気持ちが変わって行くのが判りました。

 そう。思えば、夫と無理矢理に別れさせられ、空っぽになっていた妾の心を埋めてくれたのが、福来先生との出会いであったのかもしれません。


 そうして愈々、妾の力が大学の偉い先生方によって実地に検分される運命の日がやって来たのです。実験が行なわれるのは、清原の家の一室でした。ここが選ばれたのは、後に聞くところでは、繊細で万事に付け感じやすい妾が心を乱されることなく、平常通りに精神を集中することの出来るようにと、兄が先生と、この日参加された京都帝国大学の今村博士に進言してくれたからという話でした。

 兄と両博士が居られる隣の十二畳の部屋とは襖が開けられ、妾の一挙一動を見ることが出来るようになっています。背後から、何やら電気がぴりぴりするような視線を感じるほどに、思えば実験の初日、妾は心身を張り詰めていたのかもしれません。

 実験が成功すれば兄は得意になり、失敗すれば妾は激しく責め立てられることだろう。でも、そんな事にはとらわれずに、精神を集中しなければならない。成否を見守る兄や父や、大学の先生方や、あるいは結果を報じる新聞報道、口さがない世間の人びと。そういう一切合切を意識の外に遠のけ、対象物のみを心の中に想い描き、自分自身とその対象物との境目が分からないほどに一心同体に溶け合って、その心を読まなければならない。……

 妾は床の間に掛けられている観音さまの掛軸に手を合わせ、それから徐ろに、部屋の真ん中に置かれた実験物を前に座ると、静かに目を閉じて呼吸を調えました。 


 それは小さな茶壺で、実験の内容は、錫箔で包み込んだ厚紙に書かれた文字を当てるというものと、茶壷の中に名刺を入れて封をし、その氏名を透視するというものでした。

 ところがこの日は、右の膝の腫れ物が痛み出し、どうにも精神を集中させることが出来なかったのです。目を閉じても何も見えず、透視が出来なければ答えるわけにも参りません。悪寒がし、動悸が止まらなくなった妾は寝台に倒れかけ、結局この日の実験は中止となってしまいました。

 明けて、翌日の実験は大変首尾よく終えることが出来たのです。

 朝からうち続く小雨の中を、父が数珠を持って駆けつけてくれました。以前に数珠を持っている時の方が的中率が上がるようだと兄が云うのを聞いていたとのことでした。今日の実験は、何重にも封書に入れた名刺の氏名を当てることと、名刺の入った錫製茶壷を桐箱の中へ入れて封をし、名刺の氏名を透視するというものです。

 猜疑心の強い兄は、昨日の失敗でよもや両博士が妾の千里眼に疑念を抱いてしまったのではないかと気をもんでいる様子でしたが、そうした心配は必要ありませんでした。

 掛軸の観音さまを一瞥し、目を閉じてその姿を思い浮かべながら祈ると、目の前にぼうと文字が浮かんで来るのがわかります。やがて文字は、はっきりと肉眼で見えるほどに明瞭な輪郭をとり始めました。

「見えました」

 妾の申し上げた氏名が的中する度に、兄は得意げに頷き、両博士は身を乗り出して感嘆の声を漏らすのです。父も嬉しそうに顔を歪ませて、欲得ずくで娘を出汁に一儲けしようなぞという料簡はすっかり忘れてしまったようにさえ見えました。まるで尋常小学校の運動会の徒競走に出る娘を応援するような誇らしげな様子です。そんな父を見て妾は嬉しくも思いました。いつか物事がこのまま好い方向へと傾いていって、家の問題も円満に片付いてしまうのを密かに願ったのです。


 ところが、その三日目でした。この日は、熊本市会議員の長崎伊太郎という方に請われ、実験はその御屋敷で行なうことになっておりました。長崎氏の依頼もあって御家族の人体透視を実演することになり、それが済むと昨日の実験の続きに入ろうということになりました。引き続いて実験は首尾よく進んで、このあたりでそろそろお茶を一服しようという段になった時です。

 しばらく席を外した井芹校長がビスケットの缶を持って現われると、さりげなくそれを妾に手渡したのです。妾はそれを茶うけの菓子であろうと思って、蓋を開けて皆の前に配ろうと致しました。すると今村博士がそれを制止して、その中にあるのはビスケットではないというのです。今村博士は少し意地悪そうに目を細めると、ビスケットでなければこの缶の中に入っているのは何だろうか、答えてもらいたいというのです。

 どうしてこんな、不意にひとを試すようなことをするのだろう。

 この人は実験に参加しながら、妾がどこかで詐術を行なっていると疑っているのではないか、妾はそう思いながら博士の顔を見上げました。でも、其処には何の表情も浮かんで居ませんでした。妾は物の中身を透視することは出来ても、ひとの心の中を覗き見ることは叶わないのです。あるいは、研究者としての多年の訓練が、心を冷たい鉄壁の中に隠してしまっているとでもいうのでしょうか。ふと物寂しい気持ちに襲われ、悲しさがこみ上げて来て、縋るような気持ちで心に観音さまの姿を思い描きました。

 缶を額に押し付けながら目を閉じると、そこに二重箱の形がじんわりと浮かんできました。

 「この中には二重箱が入っているとです」

 妾は答えました。でも、その中に何が入っているのかまではどうしても見通すことが出来ませんでした。まるで、その二重箱が、猜疑の心に幾重にもくるまれた今村博士の心のように思えてなりませんでした。妾がその二重箱の心を読もうとして、箱と一体の気持ちになろうとしても、箱の方がそれを撥ね付けてしまい、どうにも取りつく島もないのです。もしかすると今村博士も、この実験に疑いを抱いているのかもしれない。科学者の矜持を守る為に、千里眼のような中世の魔術まがいの現象は科学に非ずと否定しなければならぬ。そのような気持ちが、何重もの鎧をがっちりと着込んだように、博士の心に纏わりついているような気がしました。

 どうしてこんな騙し討ちのようなことをするのでしょうか。

 そう声を絞り出すのが精一杯で、妾はそのまま泣き崩れてしまったのです。

 福来先生はすぐに駆け寄って妾に詫び、今日はもう休んだ方が好いと云って下さいました。

 井芹校長と今村博士は、互いに目を見合わせながら、腕組みをして考え込んでいる様子でした。兄は俥を呼ぶと、その日はもう実験は終わりにするから、妾と父は先に清原の家へ帰って休んでいるのが宜しかろうと云いました。

 後に知ったことですが、今村博士は妾の透視能力を試験する際に、この能力の実在を証明するためには二重箱の実験はどうしても避けては通れないと考えて居られたそうです。つまりは、実験を見守る多くの学者の先生方は多かれ少なかれ、千里眼という現象に疑問を持っている、彼らを納得させる為には、到底詐術を弄することの不可能な厳密な形式を整える必要がある、それが福来先生のご説明でした。それも尤もなお話です。福来先生も、疑義を持ちながらも実験に臨席してくれる先生方と、自分を信任してくれる人びとに囲まれて、物静かな環境を用意してくれなければ透視を成功させることは難しいという妾の間で、御苦労をされていた事と思います。それを、妾は自分に信用がないのだとばかり思うあまり、勝手に傷付いてしまっていたという訳なのでしょう。

 先生は以前、科学の研究の基本は疑うことにある、と教えて下さったことがあります。でも、先生の御説によると、別して超常現象の研究においては、実験参加者に猜疑心の強い人物が混じっていると成功率が甚だ低下する傾向があるとも仰いました。信じる気持ちを持つことが実験の成功率を上げる。しかし乍ら千里眼の研究を科学として行うことを難しくしているのもこのせいである。何故なら、公正を期すべき実験に於いて研究者が疑うことを忘れてしまえば、ともすれば研究は容易に信仰の域へと引き戻されてしまいかねないからである、と。そんなお話もされたことがあったとふと思いました。

 妾には難しい学問のお話は分かりません。でも、疑うことを基本にしなければならない科学とは何という寂しい学問なのだろう。妾はいつも、心に観音さまを思い浮かべて、ただ一心に信ずることだけをよすがとして生きてきたというのに。

 疑いの目を向ける人たちと向き合うことに、妾はこの先、耐えて行くことができるだろうか。福来先生の信頼に応えることができるのだろうか。それ以上のことを考えるのはとても妾の手に余ることでした。けれども、千里眼の研究を科学的に行おうとすればするほど、それが学者であれ、新聞記者であれ、猜疑心の強い人物を周囲に呼び込むことにもなるだろうことは、何となくは理解されたのです。

 そのことが後に、妾や先生の運命を大きく変えてしまうことは知る由もありませんでした。


 その夜、ひとり深夜に目覚めた時、枕はしとどに泣き濡れて、昼間の失態のことばかりが目蓋に浮かんできました。今村博士も実験について考えがあってなされたことなのに、妾はといえば浅はかな考えから感情的になるばかりで、今日の実験そのものを台無しにしてしまった。福来博士にも思わぬ恥かしい姿を見せてしまったに違いない。そして、心を強く持って己自身の力で生きたいと願いながらも、結局は兄や父の手を借りてしまったという不甲斐無さ。

 妾はなんと弱い人間であることだろう。ただ、自分の弱さが憎く、悔しいばかりで涙が出ました。

 こんなときにいつもそうするように、心に観音さまを思い描いて強く念じたのです。

 すると、あの耳鳴りが、鈴の音のような、和太鼓を打ち鳴らすような不思議な音色が段々と近くに迫るのが聞こえて来ました。その振動する空気の波は、やがてうっすらと光る薄い皮膜のようになって、妾を包み込むとふわりと浮かび上がります。そのまま、するすると持ち上げられて天井をすり抜けてしまい、気が付くとそこは満天の星空で、ハレー彗星が長い尾を引きながら、天馬のように頭上を駆け抜けて行くのが見えたのです。

 妾は夜風に吹かれ、星空の下をひとり歩く女性の肩の上に座って居りました。

 風呂道具を抱え、下駄をかたかた鳴らすその女性は、あの管野須賀子に他なりませんでした。勿論、例によって蝶の姿となった妾は、誰の目にも見えないようです。そういっても道は閑散として人影もなく、出会うものと云えば、瓦斯燈の灯りに群がる蛾や小さな羽虫だけでした。橋を渡り、家の近くまで来てみると、官憲と思しき怪しい人影がちらほら見えましたが、管野はいつものように見過ごして、玄関をくぐりました。

 その時、二、三の男たちがどかどかと奥から雪崩れ込んで来たかと思うと、話があるから談話室に来るように催促するのです。袴履きの、書生風の若者たちばかりでした。管野は荷物を置きに行ってからと断って、右手の四畳半を開け、鏡台の前に立ちました。「管野さん」そう呼ばれて、女は振り返りました。

「先生のことで、皆が君に聞きたい了見があるのだ」

 男は乱暴に袖をつかんで談話室の方へ引きずって行きました。そして、膝を突き合わせ肩を怒らせている数人の青年たちを前に、強引に座らせたのです。

 こんな話は、幸徳先生のいない今しか出来ないことだ、と青年の一人が切り出しました。

「全体、君はどういう積りでいるのだ」

「何のお話でしょう」

 すました顔で茶を入れながら、目を合わせずに女が答えました。

「同志の荒畑君の件だよ。云う迄もない話だ」

「彼はいま獄中に居る。あの我々の同志が一斉検挙された赤旗事件で、謂わば此処にいるみんなの身代わりとなって、獄のなかで厳しい試練に耐えている。それを君はどういう積りなのだ、田舎から君を慕って出てきて、入籍までした彼をだよ。その獄中の荒畑君に一方的に離縁状を突き付けて、その上かれの不在を良いことに、ここで幸徳先生と起居を共にし始めた君の了見を訊きたいのだ。先生の云う<フリー・ラヴ>の実践だか如何なのか知らないが、余りにも人の道に反するというものじゃないか」

「人の道なんて、随分と封建的なことを云うのね」

「そいつは聞き捨てならないな。管野スガ、君は主義者の間に、いま対立と分断を齎そうとしている」熱り立った書生のひとりが、激昂して叫びました。

「俺はそもそも、先生がアメリカ帰りで仕入れてきたフリー・ラヴなんて思想はあまり感心しないな」

 別の青年が身を乗り出して、詰め寄るように畳み掛けます。

「何がフリー・ラヴだ。革命のためには、われわれは私情というものを乗り越えて進まねばならない。この先、官憲との闘いを進める中で、同志の内には斃れる者もあるだろう、裏切るものも出るかもしれん。そんな緊張のただ中にあって、男女の色恋沙汰のことで同志の間を徒らにかき乱す君の態度は、むしろ運動を破壊しようとするものじゃないか。君を官憲のスパイではないかと疑う者が出ても不思議はないんだ」

 ここで初めて、女は皆の目を屹と見据えて、はっきり云ったのです。

「好いこと、この私が居ないであなた方に何が出来るというの。この私が居てこそ、先生も文筆のお仕事に専念できるのよ。この私が、全国津々浦々に散らばっている主義者同志のあいだの、手紙や機関紙のやりとりなどの通信を受け持っているからこそ、先生は真に大事な革命のための事業に専念できるのではなくて。先生の筆になる文は天下随一のものです。先生が信奉する中江兆民先生よりもずっと上かもしれない。あの田中正造氏の直訴文も先生の筆になる名文中の名文だわ。その先生の手になる檄文が、労働者の、兵士の、市井のひとたちの心を焚きつけて、いつか革命の導火線に火をともすの。私はただ、その露払いをする捨て石になりたいだけよ」

「そんな話をしているんじゃない。自分に酔ったような革命夢物語はもう沢山だよ。君が全国の同志を結び付けているだって?現実を見給え。先生との個人的なフリー・ラヴの実践とやらで、同志間の連帯というものはもう滅茶苦茶にならんとしている。もはや、君が此処を出て行くか、我々が運動を遠ざかるか二つに一つだという議論さえ飛び出すことがある。それに、何よりも可哀想なのは荒畑君じゃないか。もしも彼が獄を出てきた後に、ピストルでも持ち出して報復にやって来たらどうするつもりだね」

 突然可笑しさが込み上げてきたように、女はからからと笑い声を立てると、声を一層低めて静かに答えました。

「甘ったれるんじゃないよ」皆が凍りついたように怯みました。

「あんたたち、ただの書生っぽじゃないの。碌に学校にも仕事にも行かずに此処にたむろして、食客気取りで先生のご厄介になりながら、談論風発だのなんだの云いながら天下国家を論じて暇を持て余しているだけじゃないの。いつまでもこんなことをしていたって何にもならないわ。私たちのすることが気に入らなくて、離れて行きたければそれでもいい。命が惜しければいつでも逃げればいいのよ。私が欲しいのは、もっと心に決意を持っている人なの。そして行動できるひとだわ。そう、あのいつか訪ねてきた宮下太吉のような……」

 そして俄かに立ち上がった時、どういうわけか、彼女の想念らしきものが妾の脳髄の中へ奔流のように流れ込んできたのです。いえ、そうとしか思えませんでした。烈火のように激しく、赤々と燃える石炭のような、彼女の心底をそこに見たのです。妾が自分には欠けている強さの源と見ていたもの、それは尽きせぬ憎悪の泉のようなものであったのです。田舎の旧家に生まれ育った妾などには想像もできぬ不遇な生い立ちと、そこから這い上がろうと努力し、そしてあえなく踏み躙られた悲痛なる叫びが、妾の小さな身体をつらぬいて、響き渡ったのです。

 どうしてこうも情けない男たちばかりなのだろう。私という女ひとりのために壊れるような結束しかなくて、どうして革命が出来るというのだろう。そう、女と見れば欲望の対象としか思わず、家という制度を維持するために国家が都合よく定めた結婚制度を疑いもしない彼ら。家を維持するために、親同士の決めた相手と所帯を持つことに何の疑問も持たないような連中に、フリーラヴの何たるかが解ってたまるものですか。

 家制度。女の貞操。いくら革命を騙っても、そんな封建時代の観念をいつまでも卵の殻のように引きずって歩いているような、そんな男たちには、私は負けない。主義者とは云っても書生上がりの、大方田舎の富農の次男三男に生まれ、親に甘やかされて育ったひよっ子のような男たちには。

 幼い頃の彼女の家の様子が、まるで活動写真のフィルムのように妾の脳裏をよぎり、それを追うように彼女の言葉が、妾の中を駆け巡りました。


 父の鉱山事業が好調で、暮らし向きも好かった幸せな幼年時代。

 でも、それは長くは続かなかった。

 事業の失敗から家政は傾いて行く一方。優しかった母も心労で亡くなり、後から来た継母は鬼のような人間だった。初めて男を知ったのは、その継母に唆されて私の寝室に上がりこんできた人夫の男に手篭めにされた時だった。……


 それはとても正視に堪えぬ光景で、妾はたまらず飛び立とうと思うほどでした。


 親の決めた結婚は失敗だった。婚家から逃げ出した私は、小説家・宇田川文海の弟子となった。でも、それも結局は男の庇護のもとに生きるということだったのだわ。

 宇田川は私によくしてくれたが、文筆修行の身というのも、ある意味では愛人や囲い者とかわらなかった。

 荒畑といっしょに暮らすようになってからもそうだった。私を姉のように慕う年下の男も、結局は外面ばかり気にするこの国の男のひとりだった。

 そんな私の転機と云えば、矢張り、女性の地位向上をめざす婦人矯風会との出会いであったかもしれない。平民社の堺利彦や幸徳秋水との出会い、社会主義の運動へのめり込むことになったのも、これが契機だった。

 そして、あの赤旗事件が起こったのだった。いまも獄にある大勢の同志と一緒に、私も投獄されて苛烈な取り調べを受けたこと。いや、取り調べなどというものではない、あれは陵辱だった。女としての私の矜持を、完膚なきまでに叩きのめし、踏みにじり、人格を持たない一個の肉塊として、私はさんざんに弄ばれたのだ。

 あの検事のニヤけ顔を、終生忘れることはできない。あれが家庭に於いては、優しい夫や父の顔をして罷り通っているのだろう。それが日本の顔なのだ。それに騙されていることも知らず、かしずく妻がいる。それこそが日本だ。天皇なのだ。大日本帝国と、その人民との関係そのものなのだ。……


 きっと睨み付ける眼差しはたちまち燃え上がり、気圧された男たちは尻餅をついて、ずるずると後ずさりしました。

 そう、彼らひとり一人が小さな天皇。それがこの国の正体なのだ。私が爆裂弾を投げつけるのは、ひとり千代田城にいる天子だけではない。日本のつまらぬ男たち一人一人の頭に巣食う小さな天皇が爆裂弾で木っ端微塵に砕かれるまでは、本当の革命も来なければ、人民の夜明けもないのだわ。

 その時、襖がすっと開いたかと思うと、急に背もたれをなくした男たちはどっと廊下に倒れ込みました。そして、不思議そうに覗き込む幸徳先生のお顔を、放心したように見上げておりました。

 先生が、いったいどうしたのだと事も無げに訊くと、管野はとつぜん可笑しそうに笑い出し、釣られて先生も呵呵大笑されると、そのまま静かに書斎へお戻りになりました。


 部屋には妾と管野須賀子の二人だけが残されました。鏡台の前に座ると彼女は、肩にちょこんと座っている妾の姿など気にも留めず、じっと己の眼に見入っていました。

「私は日本のソフィア・ペロフスカヤになってみせる」

 その時は知る由もありませんでしたが、かの露国皇帝アレクサンドル二世を斃した、ナロードニキの烈女の名前でした。白いハンカチを振り、血と栄光のうちに死ぬことを覚悟していたソフィア。サンクトペテルブルクを疾走する皇帝の馬車、前に後にそれを護衛する衛兵たち。群衆に隠れて密かに標的に迫る同志。女が立ち上がって合図をする。投げつけられる爆裂弾。鮮血と吹き飛ぶ手足。

 ……そして紅を取り出すと、口の端から両耳にかけて、蛮族の入墨のように長く伸ばして塗り込めたのです。それは、まるで彼女の人生がすべて一本の線で繋がっていく様子にも似ていました。爆裂弾へと続く一本の導火線のように、出生の瞬間からこの先の将来へ至るまで、長く長くどこまでも引かれて行く線路のようでした。その線路の上を、濛々と真っ黒な噴煙を吹上げながら、彼女の人生という機関車が、猛烈な勢いで疾駆してゆくのが見えました。


 その時、妾はこの女性のあまりに激しい思念に打たれるあまり、自分自身の奇妙な体験に驚くことを忘れていたのです。あるいは、この女性の背負うもののあまりの重さに目がかすんでいたのでしょう。なんと他愛のないことで日々悩んで暮らしてきたことかと、呆れながら、自分を情けなく思う心境にあったのかも知れません。

 そう云えば、いつかの宮下太吉という男はどうしたのだろう。あの爆裂弾を持ってこの平民社を訪れた、がっしりとした体躯の、目の黒々とした男は。

 その事については、また別の機会にお話することもあるかと思います。


 朝の光線が鋭く寝床の中へ差し込んで、妾は目を覚ましました。外は快晴でした。

 なんだか気分がよくなって背伸びをし、奇妙な夢のことはすっかり忘れてしまったのです。



 その年の秋口、福来先生のお招きで私たちは東京へ行くことになりました。

 著名な大勢の先生方の前で公開実験会が開かれることになったのです。明治四十三年九月十四日のことでした。

 ついに、この国の首都である東京で、当代一流の大学の先生方がずらりと顔を揃えているまえで実験を行うというのです。ただの田舎の女に過ぎない妾が、生きてあるうちに東京を見ることがあろうとは思いもよりませんでしたが、しかし妾の心はと云えば、まったくの上の空で別の事を考えていたのかもしれません。それはあの、時折見る不思議な夢と、その中に登場する人たちについてでした。

 妾は夜汽車の窓の外をぼんやり眺め、ちらちら明滅する人家の灯りを目で追いながら物思いに耽っておりました。

 あの人たちは、本当に実在するのだろうか、それとも妾の心が産み出した架空の人物に過ぎないのだろうか。もしも記憶に間違いがなければ、あれは東京の何処かに違いない。もしかすると、今度の旅で偶然にすれ違ったりする事はないだろうか。

 莫迦げた考えだとすぐに気が付いて、可笑しくなりました。何百万人もが身を寄せ合っている大都市で、そんな偶然が起こるはずもない事は、少し考えれば分かります。

 飛ぶように過ぎてゆく灯の中に、それぞれに家庭というものがあり、ひとの暮らしというものがある。この国にいったいどれだけの人間が暮らしているのか、妾には及びも付きません。でも、その大勢の中からどうしてあの人たちが、管野という女性やその周囲の人びとが選ばれて妾の夢に現れるのだろう。

 すると、列車の後ろの方の座席から、鳥打帽を被った男がちらりとこちらを伺ったような気配を感じたのです。妾は慌てて目を閉じたのですが、もしかするとあれは刑事だったのかもしれない。でも、だからと云って妾には怯える理由などありません。ひょっとすると、夢で見た人びとに親しみを感じ始めていた妾は、自ずと彼らの行動の様式に影響されてしまっていたのでしょうか。……

 


 汽車を降りると、驚く事ばかりでした。早朝の到着だというのに、妾たち一行は瞬く間に歓呼の声で迎える群衆に取り巻かれてしまったのです。

 千里眼の噂は文字通り千里の道を走って、学会のみならず東京の市井の人びとの耳にも聞こえているようでした。何やら、新手の占い師や相場師のようなものだと誤解をさされているのでしょうか、やれ明日の米相場はどうなる呉服の流行はどうなる、と冷やかし半分の野次が飛んでくる有様でした。

 そんな妾の手を引っ張って、群衆の列から引き離しながら、兄は待ち受けていた俥の中に妾を押し込みました。

 これまでの内々で行ってきた実験とは訳が違うのだぞと兄は厳しい表情で云いました。千里眼現象をより科学的に厳密に確かめる目的の実験であるから、懐疑的な見解を持つ先生方も大勢参加されることを忘れぬよう、重々心して取り乱すことなどないように、そう念を押して云い含めました。

 先ほどの異様なほどの歓待ぶりを思い出して、妾は少し不安に思いました。妾の千里眼は京都や大阪でも大変な評判だとは聞いておりましたが、大都市での熱狂ぶりは妾の予想をはるかに超えるものでした。何やら株や土地の値段が不当にせり上げられてゆくような、そのような気配さえ感じたのです。これは何だろう。この千里眼という力が、まだ科学的には何も解明されていないというのに、人びとの間で期待だけが高まり、何でも出来る万能の力のように持ち上げられている。みんな、この妾に実験の成功の他に、なにかそれ以上のものを期待しているような空気を感じざるを得なかったのです。

 それに応えられなければ、妾はどうなるのだろう。

 もしも実験の当日に心身の調子を損ねてしまい、失敗してしまうことにでもなれば、わざわざ東京での実験の機会を与えて下さった福来先生の骨折りを無にしてしまう。そんな不安もよぎりましたが、その時はあの観音さまを脳裏に浮かべて一心に祈ろう、教えられたとおり呼吸を整えて無我の境地へ入ろう、そう自分に云いきかせました。

 先を行く父の乗った俥を見ると、そんな妾の不安など一向目にも入らない様子で、並び立つ赤煉瓦の洋館や路面電車、異国の男女の睦まじく闊歩するさまなど、開化のめずらしい景色に無邪気に見とれているばかりです。なんだか恥ずかしいような思いがしました。兄だけは東京の風物になど目もくれず、瞬きもせずにじっと何事かを考え込んでいるようでした。

 人馬の巻き上げる埃のなかを、匂い立つ人びとの汗のなかを俥は進んで行きます。妾が浮かぬ顔をしているように見えたのでしょう、宿についた一行が荷物を部屋に下すと、先生は「折角東京へ出て来たのだから、明日は浅草の凌雲閣や本郷の芝居見物へ皆で行ってみませんか」と提案して下さいました。


 それにしても、初めて見る東京はまるで異国にあるような大都会でした。東京駅を降りると、宮城を取り囲むように林立する官舎が眩しく立ち並んでいるのが目に入ります。その外側にあたらしい街が、江戸の古い街並みを呑み込むように拡がりつつありました。隅田川はこの街の発展を支える大動脈として、木材や煉瓦を運ぶ船の往来が絶えません。一行はその流れに沿って北上し、浅草をめざすことにしました。

 妾はこの時のことを一生涯覚えているでしょう。

 生まれ育った熊本の小さな村の外の世界を、そこで初めて目にすることになったからでしょうか。いえ、そうではありません。赤煉瓦の立派な建物が並び立つ大通り、市電が鐘を鳴らしながらゆっくりと蝸牛のように人びとを運び、働き蟻のように忙しく動き回る車夫の群れ。夕暮れ時、千里の先をも見渡せそうな凌雲閣の展望台から、玩具の街を見るように眺め下ろした、あの時の子供じみた感激は、すぐに妾の中から消えてしまったのです。


 東京に住み慣れた先生は、妾や父や兄を面白がらせようと寄席や怪しげな芝居小屋の並び立つこの浅草の路地へと案内したのでしょう。けれども、行き交う人びとの賑々しい掛け声や、祭りの夜店を思い出すような食欲を誘う芳ばしい香り、そうしたものに目を奪われていた妾の気分は、一気に醒めてしまったのです。

 かねて妾が観音さまを深く信心していることを御承知の先生が、この機会に浅草寺の本堂を参拝してきてはどうかと云って、右に弁天堂、左に五重塔を仰ぎ見ながら仲見世を通り抜け、ちょうど宝蔵門を過ぎた折のことでした。

 旅慣れないせいか、土地の水に当たってしまったらしい妾は、少し一行から離れて境内の中のご不浄を探すことにしたのです。本堂の裏へ周ったとき、背中に視線を感じて妾は振り向きました。すると、菰をまとった幼子が足元に纏わりついて、僅かな金銭を求めて哀願するのです。みるまに樹の陰から子供の姿がつぎつぎ現れて、我も我もと近寄ってくるのでした。

 戸惑いながら財布を取り出す妾に、通りすがりの職人体の男が「相手をしちゃあいけねえ、切りのねえこった」と声をかけました。その餓鬼どもにはみんな親方がいて、集めた銭の上前をはねるのが商売だ、というのです。中には貧乏人の子どもを買い集めて荒稼ぎを輩もいるという話でした。糊口をしのぐためとは限らず、酒や賭け事のために子供を売り飛ばしてしまう親もある嘆かわしい世の中だといって、男があきれ顔で立ち去るのを妾は茫然と見送るほかありませんでした。

 ここは華やかな大都会の蔭、栄えある帝都の裏面ともいえる病苦と貧困の世界へのとば口でもあったのです。見ると、寺の軒下の辺りには痩せこけた大人達の、行き倒れ同然に倒れ込んでいる姿がいくつも散見されました。先の職人風の男の話では、元々の住人だけではなく、飢饉や不作で食うに困って地方から職を求めて東京へやって来た者たちの、落ちぶれて郷里へ帰る金も使い果たしたなれの果ての姿だとも云います。

 この開化の世にどうしたことだろう。国は世界へ門戸を開いて、清国や露国との戦争にも勝って豊かな強い国となったはずなのに、この人たちはどうしたことだろう。

「どうして、お国はこのひとたちを放って置かれるのですか」

 妾は先生に訊ねました。

「仏教でいう因果応報というものかもしれない。人間は運命には逆らいようがない」

 なぜこの世の中に貧富の差というものが現れてくるのか。仏教やヒンドゥー教の教えでは、それは前世にいかに生きたかという因果が深く係っているとする、先生はそう仰いました。人間やあらゆる生命は肉体が滅びても新たな身体を得て次から次へと生まれ変わる。これを輪廻転生と云い、前世に於いて善い行いを積んだものはよりよい境遇のもとに生まれ変わり、反対に悪行をくり返せばより悪い境遇、あるいは畜生などに生まれ変わってしまうといいます。

 でも、本当にそうだろうか。先生の仰ることが本当なら、現世でどんなに理不尽な非道い目に遭っても、それは本人の自業自得ということになります。また現世で地位も権力も得て豊かな暮らしを楽しんでいる人たちは、前世でよい行いをして徳を積んできた結果なのでしょうか。

 妾はあの夢の中で、管野という女性や幸徳秋水の語っていた言葉を思い出しました。

 曰く、世の中に貧富の差というものがあるのは、人類史に於いて強者が弱者から搾取を続けていた結果であると。行いの善悪や道徳など問題ではなく、ただ少数の持てる者が多数の持たざる者を暴力や社会の組織の力で制圧して、その富その労働の成果を盗み、ますます己のみ肥え太らせてきた結果にほかならぬと。多数の農奴の支配に立つ貴族、大地主、さらにその上に君臨する露国の皇帝。この日本に於いて、それは天皇である。すべての資本家、すべての大地主の上に立つ天皇という存在。己を神としながらあまた窮民の血を啜るのは天皇その人である。この不平等の社会を倒さんと欲するのが主義者の使命である。……

 因果か搾取か。二つの言葉が妾の頭の中で両輪のようにくるくると回転して、ふらりと妾はよろめきました。

 この人たちが置かれている境遇は、彼らの魂の負った罪業の因果のせいなのか、それとも、この社会で不当に富を吸い上げる人びとの犠牲となったためであるのか。妾が何がしかの金銭をあげることが、あの子供たちを救うことになるのか、そんなことは気休めに過ぎないのか。こんな時、妾の千里眼や透視は何かの役に立つのだろうか。妾は基督のように石を麺麭に変えることも出来なければ、死から蘇って人びとに希望を約束することも出来ないというのに。……

 考え込んでいる間にいつの間にか福来先生とはぐれてしまい、妾はどこか見も知らぬ薄汚れた看板に寄りかかっていました。すると大道芸人の娘でしょうか、まだ学校へも上がらぬほどの小さな女の子が妾の袖をつかんで走り出したのです。

 何処の子供なのでしょう。いや、親も家もないのかもしれない。妾をどこかへ連れて行って、そのお店からなにがしかの銭を貰うのでしょうか。まさかこの子が人攫いの手先でもないだろう。そう思った妾は、引かれるがままに彼方此方の角を曲がり、いくつもの路地を抜けました。

 やがて着いた先は、薄暗い小屋掛けの劇場の中でした。疎らに椅子の並べてある座敷のようなところで、気が付くと先刻の女の子の姿はもうないのです。なにやら、この大都会に来て狐にでもつままれたような気分になっていると、奥の演台に座った長髪の壮士が、三味線を片手に、節を付けて唄う声が聞こえて来ました。


 華族のめかけのかんざしに

 ピカピカ光るは何ですえ

 ダイヤモンドか違います

 可愛い百姓の膏汗 トコトットト


 当世紳士のさかづきに

 ピカピカ光るは何ですえ

 シャーンペーンか違います

 可愛い工女の血の涙 トコトットト


 大臣大将の胸先に

 ピカピカ光るは何ですえ

 金鵄勲章か違います

 可愛い兵士のしゃれこうべ トコトットト


 どこか滑稽な感じのする節でしたが、田舎から出てきたばかりの妾には、まるで何の唄やら、まるで分かりません。ときどき客席から笑い声が混じったり、演説会のように「そうだ」という掛け声も混じるのですが、よくよく歌詞に耳を傾けてみれば、貴族や軍人といった地位ある人々のことを殊更に悪く言い募るような、そんな内容にも思われます。

 妾は先日、汽車の中で見かけた男を思い出して不安になり、却って不審にもきょろきょろと周囲を見回すような格好になりました。薄暗い会場の中を、辺りには得体のしれぬ香の匂いが立ち込め、食い入るように芸に見入っている満座の人びとの顔を、電灯の灯りが仄かに照らし出しました。すると、なんという奇縁でしょう。妾はそこに思いがけない顔を見出したのです。

 それはあの、尋常小学校の帰りに妾に忠告を与えた男子生徒であったのです。鳥打帽を被った横顔はふと妾に気付いたものか、つかつかとこちらへ近づくと懐かしそうに口を開きました。

「熊本から千里眼の女が来ると評判だったのは、矢張りあんたのことだったのか」

 青年はすっかり東京の言葉に変わっていましたが、人懐っこそうな半面どこか意地の悪そうな口の利き方はまるで少年時代のままでした。昔の出来事を思い出して、やっぱりこげんこつになってしまったとばいと妾が云うと、青年も「これも運命というもんたい、仕方ンなかと」と郷里の言葉に戻って応えました。

「それになんばい、この<ラッパ節>ば、聞きに来たとじゃなかとか。何も知らんで来たとは驚きじゃ。まさかここで千里眼ば、実演すッために来たとでもなかとばい」

 聞けば父の炭鉱の仕事で諸国を転々とする暮らしに耐え切れず、あるとき家を飛び出して、つてを辿って書生をしながら各種の学校を渡り歩くうちに、新聞記者の職にありついたと云います。しかしそれは表の顔で、実はその傍ら社会主義の伝道に携わる毎日で、ここはそのための秘密の連絡所のひとつなのだと明かしました。この歌は、演歌師の添田唖蝉坊の『社会主義ラッパ節』といって、自分たちの考えを分かりやすい言葉と音楽で人びとに伝えるためにもってこいなのだと云います。

 昔あんたの秘密を無理に聞き出して出汁にした償いばい、そう照れながら笑う青年に、妾はすっかり警戒心を解いて、あの不思議な夢について聞いてみる気になったのです。ラッパ節はすでに終わって、何やら幕間討論のような雰囲気に包まれておりましたが、弁士の張り上げる朗々とした声も、周囲の威勢の良い掛け声も、どこか皮一枚隔てた遠い世界での出来事のようで、もはや妾の目にも耳にも入りませんでした。

 矢張り思った通り、妾の不思議な夢……管野という女性や幸徳秋水などは皆実在の人物で、しかも青年は彼らとも面識があるというのです。平民社の佇まいや、彼らの会話の内容から推察される現今の社会主義者を取り巻く状況も、妾の話とほとんど一致するというのでした。青年も些か驚いた顔を見せながら、あんたは千里眼の女だから何もかもお見通しだろう、今さら隠しても無駄だということは判っているが、と前置きしながら声を潜めました。

「夢で見た主義者の話は、これは誰にも話してはならん。外に漏れればたちまち官憲が動いて大勢の同志が危険にさらさるッごとなる」

 妾は固く約束を致しました。そしてその代わりに、記者であるからこそ知り得た消息をこっそり教えるといって、近頃の千里眼の流行を取り巻く動きに変化のあったことを話してくれました。それによると、放射線の研究などと同様に科学研究として光が当たり始めたこの分野も、今や帝国大学内の勢力争いの駆け引きの皺寄せで、今後どういう方向へ転じてゆくか判らないのだと云います。世間の耳目を集める催眠や千里眼研究を、そもそも文科である心理学で扱うか、理科である理学で扱うかという議論があったそうです。

 心理学を専門にされる福来先生は云うまでもなく文科大学の方です。理科大学では、この千里眼研究を物理学の一分野として研究しようという動きがありましたが、福来先生を快く思わぬ人びとの間に、千里眼研究そのものを懐疑的に見る流れが出来つつあるというのです。新しい研究分野という手柄を文科大学に取られてしまうくらいなら、いっそ学問とは認めないという証拠を集めて、叩き潰してしまおうということなのでしょうか。先生の属する文科大学に対する理科大学の対抗意識。それはまるで晴天の霹靂のように妾の意表を突いた考えでした。科学という客観的な学問の在り様も、このように学者たちの功名心に左右されるものだは俄かには信じられなかったのです。

「そいだけではなかと。新聞記者のおいが云うのも可笑しかばってん、報道にも十分気を付けるがよかばい」

 それは帝国大学の中の、文科大学と理科大学の争いだけに気を取られていては危ないという忠告でした。というのは、実験に臨席する新聞記者がどのような報道をするかということも世間の評判に大きな影響を与え、その世間の態度というものが、反対に中央の学会での千里眼の取り扱いに影響してくることもあり得ない話ではない、ということでした。

 数を恃んだ世論というものに、学問の方が頭を下げるということなど信じられませんでしたが、流石に新聞記者の話だけに根も葉もない話とも思われません。

「用心した方がいいぜ」と軽い挨拶をしてその場を後にする青年を見送りながら、懐かしさの余韻と共に、どこか重々しい気分に囚われて宿へと帰ったのを覚えています。


 それは実験がいよいよ明日に迫った晩のことでした。妾は先ほどまでの、浅草で物乞いの子供に出会ったことや、記者の青年に云われたことを頭から振り払おうと努力しました。学会での動向がどうあろうとも、己の力を普段通り発揮することができれば、と妾は思ったのです。よしや自分の技能が世の中の役には立たなくとも、出来うる限りのことをするのが務めだと自分に云い聞かせました。不安げな妾の顔色を見て取ったのか、先生は旅館の一室で本番に向けての予行演習をしようと提案されました。そして練習用にと作っておいた実験物の鉛管を、妾に三つほど貸して下さったのです。それを大事に身に付けながら、当日もお守りとして持っていこうと決めてその日は床に就きました。

 この些細な出来事が、のちのちに妾と千里眼研究の運命に影を落としてくることになるとは気が付きませんでした。


 実験は麹町にある大橋邸で行なわれました。

 今度の実験で使う物は、千里眼をより実証的な観点から研究するために、新たに考案されたものでした。鉛の管を短く切って平たく潰し、中に文字を書いた紙を入れてから両端を半田付けで密封してあります。これなら密かに手紙の封を開けて中を見るような詐術を弄することも不可能だろうというのです。これで透視が成功すればもはや疑う余地はない、学会や世間の疑念も払拭することが出来るだろう、並み居る先生方の中からそういう声も聞こえて参りました。

 妾は山川博士から鉛管をもらい受けると、別室に入って正座し、心を集中させます。

 そして外で待機している二人に透視の結果を告げると、鋸で鉛管が切り開けられ、中の紙を取り出して文字の当否を確かめるのです。

 一度、二度と成功するたびに、座に静かなどよめきが起こりました。もはやこれで千里眼の実在は疑いなしと皆が頷き合っているその時でした。妾は透視を終えた鉛管を「盗丸射」と記した紙と一緒に差し出しました。すると、果たして鉛管を切ってみると「盗丸射」と書かれた文字が出てきたことに、ほっと安堵の一息をつきました。

 ところが、山川博士が怪訝な様子で首を傾げると、そのような文字の鉛管は今回用意した実験物の中にはないはずだが、と仰るのです。同席された先生方が一同に顔を見合わせる中、驚いたような顏を向ける福来先生と目が合ったのです。

 あっと小さく声を上げ、妾はその時すっかり蒼ざめて居りました。

 何ということをして了ったのだろう。

 何処でどう迷ったのか、妾は山川博士から渡された実験物ではなく、昨夜、福来先生からお守りとして預かった鉛管を透視してしまったらしいのです。不安な気持ちを落ち着かせるために右手に握り締めていた鉛管と、実験物として左手で触れていた山川博士の鉛管とをどこかで取り間違えてしまったとしか考えられません。とんだ失態でした。

「妾は、」思わず、両手で顏を覆って、涙が溢れるのを堪えながら、口を開きました。

「八百長ンごとするつもりは、なかったとです」

 その日は結局、どうしてこのような手違いがあったのかと訊かれた山川博士に、先生が事情を説明して事なきを得ました。前半では、せっかく順調に透視実験を成功させてきたというのに、妾の不注意による失態があったせいで、一連の実験そのものの信用が失われるという事態に立ち至ってしまったようなのです。

 山川博士は、手違いから実験の厳密性に疵がついたとはいえ、実験結果については疑うべきものはない、この手違い自体は千里眼の実在を否定すべき根拠とするには十分ではないだろう、と云って居られたとのことです。

 実験物の取り違えという誤りがあったことは、今後の実験においては、実験物の意図的なすり替えなどが絶対に行われないような、さらに厳密な仕掛けというものを考案する必要がある。そのような話も、熊本への帰りの汽車の中で兄から聞かされました。


 父はと云えば、東京見物のついでに何処で手に入れてきたものか、公開実験会の結果を大々的に報じる新聞を開いて、得々とした顔でその紙面に読み入っていました。

「一度や二度の失敗は誰でんあるとじゃ、それよりも千鶴子のことが新聞に出よるばい」

 目を細める父の指差す先を見れば、そこにはまるで活動写真のスタアにでもなったような妾の写真が写っていました。さっと流し見をすると、扇情的な文句が見出しに踊って、記事は概ね好意的といった風でした。何だか恥ずかしくなり、妾は目を伏せて俯いてしまいましたが、ああこれでやっと先生への恩を返すことが出来たのだと、あの鉛管を取り違えた失態のことはすっかり忘れてしまったのです。いま思い出せば、妾は何という御目出度い幸福感に浸っていたものでしょう。

 それを見かねたように、兄は「あまり浮かれていると酷い目に遭うぞ」と険のある声で注意を与えました。新聞屋というものは信用の置けぬ者だ、相手を有頂天になるまで持ち上げておいてから、奈落の底まで突き落とすことを商売にしているからな、ああいう手合いは人の幸運も不運も食い物にして金になりさえすればどうでもよいという連中だから云々と。

 妾は先日の浅草の出来事を思い返しながら、本当にそうだろうかと反問しました。もちろん新聞記者にも色々ありましょうから、記事のためなら人を食い物にして憚らない人も居るかもしれない。でも、みんなが皆そんな人だとしたら、誰が新聞を読むでしょう。真実、妾のことを心配しているように振る舞うこの兄こそ、本当に窮地に陥ったときに頼りにしてよいものだろうか。身内だと云って、妾の成功を喜んでいるからと云って、腹の底では何を考えているのか分からない。あの奇しくも浅草で再会した新聞記者をやっているという青年の方が余ほど頼みに出来るのではないか。

 妾はぼんやりとそんなことを、汽車の窓を眺め、兄の話を半分に聞き流しながら考えました。郷里へ帰ったらさぞ沢山の人たちが繰り出して、凱旋する妾たちを迎えてくれるだろうと少しばかり好い気分で居たのです。妾は浅はかで、何処までも思慮の足りない人間でした。そうするうちにも、あの浅草の貧民窟や青年との再会の驚きは段々と影を潜め、先生と凌雲閣の展望台に登り街を巡り歩いた楽しい思い出ばかりが妾の胸を一杯にときめかせていたのです。


 妾は夢を見ました。

 汽車が駅に到着すると、停車場には大勢のひとが詰めかけ、何やら大きな垂れ幕なぞを掲げて、旗を振りながら万歳三唱をしているのです。あの尋常小学校の同級生の男の子がいます。見れば、女学校時代に妾を贔屓にしてくれた、あの先生の顔も見えます。懐かしい面々ばかりで、出迎えの人たちの中に、別れた夫の姿さえあったのです。どういう訳なのか、熊本にいるはずのない福来先生の姿も其処にありました。一方で、一緒に帰途についたはずの父や兄の姿は、いつの間にか消えていたのです。

 そうして、熊本の千里眼万歳、という声々に袖を引かれるままに、提灯行列の繰り出す市街へと連れて行かれました。空にはドンドンと花火が打ち上がり、大輪の花が咲いては散って行く夜空を見上げている妾がいます。

 その大音響を遠くに聞きながら、暗い山中を急ぐ男の姿が見えました。

 男は鳥打ち帽を被った職人体の姿で、大事そうに風呂敷包みを抱えていましたが、渓流に差し掛かるとめぼしい大岩を探して腰掛け、そこで包みを開いて見せます。

 取り出したのは、ブリキの缶詰のようなものでした。それを月夜にかざすようにして、まじまじと見詰めながら男が呟くのが聞こえました。

 こいつを完成させるのは並大抵の苦労ではなかったぜ。

 塩酸加里に鶏冠石、硫黄若干、ワセリン油。

 合わせて混ぜて爆裂弾、この配合がむずかしい。

 そして、徐ろに立ち上がると数十歩歩いて、今さっき腰掛けていた大岩目がけ、マッチで導火線に火を点けたブリキの缶を、ベースボールの投球のように投げつけたのです。

 大音響が山中に響き渡り、木っ端微塵に砕ける大岩を前にして、男は叫びます。

「赤ん坊が生まれた!」

 さっそく手紙を書いて、実験の成功を管野さんにしらせなければ。

 それは正しく、二人の長年の苦労が結晶した赤ん坊と云うべきものであったのかもしれません。次々と打ち上がる花火は、まるで赤子をあやすメリーのように夜空に花咲き、星空を彩り、大輪の花は已むこともなく頭上を埋め尽くしました。実験の成功、と聞いた妾も、何やら自分のことのように嬉しくなって、街の中や野山を駆け巡るうちに、いつしか自分があの蝶の姿となって、夜空を飛び回っているのを発見したのです。そう。世の中には悲しいことが満ちているようだけれど、屹度いつかはうまくいくようになるに違いない。ひとがひとを虐げたり、相争うような世の中はいつまでも続かない。妾もこの人たちも、観音さまは見捨てないだろう。妾たちは迷える衆生なのだから。仏さまが再臨して世界をお救いになるまでの、途方もなく永い年月を待ち続ける妾たちは迷える衆生なのだから。



明治某年某月某日


 先生とはその後十一月に熊本でまたお目にかかったのが最後になってしまいました。

 上熊本駅でお別れする時、来年の春にはまた上京しますとお約束しましたが、それを果たせるかどうか自信がなくなって参りました。それというのも、あの時以来、妾の透視の能力はじわじわと力を落としてしまい、また先生の実験のお役に立てるかどうか、あの兄すらも危ぶむような状態になってしまったからです。

 あれからも能力を落さぬようにと兄から云われ、毎日のように練習を続けて参りましたが、近頃では正答率がみるみる落ちて行く妾に癇癪を起こした兄が、憤然と部屋を出て行ってしまうような場面も少なくなかったのです。

 兄はすっかり妾に愛想を尽かしてしまったと見えて、今度は妻である妾の姉に目を付けたのです。そして、能力の落ちた妾の代わりに診療所の助手を務めさせ、催眠術の手ほどきまで始めたようでした。妾の力が、観音さまから授かった特殊な能力であったとすれば、姉に代わりが務まるようには到底思われません。けれども、姉にしてみれば、夫を夢中にさせる目障りな妹が遠ざけられたことはむしろ望ましく、内心それ見たことかとほくそ笑んでいる様子まで見受けられます。

 兄はもう妾と顔を合わせても、以前にも増して不機嫌な顔をして通り過ぎるばかりです。父や母の態度も似たようなものです。

 妾は再び、婚家を追い出された出戻りの娘という立場に舞い戻ってしまったのです。本当に、お金や体面や名声ということが関わると、血の繋がった家族とはいえどうしてこうも人間の底が見えてしまうものでしょう。

 ただ哀しい。もう夫も居なければ、先生とも会われない。庭の池のほとりで終日ぼんやりしながら金魚に餌をやり、己を慰めるだけが妾の日課となってしまいました。


 東京での公開実験が新聞で大きく取り上げられてからというもの、透視が出来るという人物が日本中のあちこちで名乗りを上げるようになりました。無論真偽の怪しいものもありましょうが、中には傑出した人物も現れていることに驚いたものです。

 取り分け、香川の長尾郁子という方の能力は抜きん出ているという話です。妾に出来る程度の透視はわけもなくやってのけるばかりか、近い将来の地震や火事などの災害をぴたりと予知してみせたとも云います。

 学問のない妾にはよくは分かりませんが、先生はこの長尾という方の透視能力を研究されるうちに、新しい仮説を思い付かれて「念写」という現象を発見されたそうですね。兄から聞き及びました。精神の力を集中させるだけで写真機の感光版に画像を焼き付けてしまうとは、妾にはとても想像もつきません。

 あたらしい物が現れては古い物が次々と忘れ去られてゆくのは世の習いとはいえ、もはや千里眼や透視だけがもてはやされる時代ではないのです。念写や更にこれから発見される新たな現象へと、世間の人びとの興味もどんどん移り変わって行くものでしょう。


 こうして金魚と戯れている間にも、先生はあの長尾郁子という方と念写の実験を行なっていると思うと、こんなことを云うのもおこがましい話ですが、申し上げます。

 その方との実験がうまくゆくことを願うべきなのだと判っているのですが、妾はその方が憎らしくて仕方がないと思うことがあります。

 あの時、失意の生活の中に自分を見失いつつあった妾に勇気を下さった先生は、やはり恩人であることに違いはありません。

 でも先生にとっての妾というものは、ご研究のために必要な被験者でしかなかったのだと、そう自分に云い聞かせています。妾はなんと厚かましい、思い上がった人間であったのでしょう。

 ただ、それでも東京で凌雲閣にいっしょに昇った思い出や、実験がうまく行かない時に優しく声をかけて下さったことが、ひとり過ごす夜などに殊更に思い出されるのです。


 そんな夜には、時には思い切ってこっそり家を抜け出して、浜辺を散歩してみたいと思うことがあります。

 透き通るような空いっぱいの星々の下、風に吹かれながら夜の浜辺を歩くのはどんなに気持ちが好いだろう。あの海の向こうには、妾を知らない人たちの国々がある。唐の国でも朝鮮でも、誰ひとり妾のことを知らない国へ渡れたらどんなに素晴らしいだろう。誰も妾を追い回したりしない、隠れて暮らす必要もない土地へ行きたい。

 あの海の向こうから不知火の灯が、夜の水平線に並んで明滅するあの光が、妾を呼んでいるような気がするのです。

 村の漁師たちは皆、あれに心を奪われてはならないと云います。あれは海で命を落とした者たちの魂で、心に隙のある者が近づくのを手ぐすね引いて待ち構えているのだと、子供の時分の妾たちを怖がらせたものでした。あれに心を惹かれてしまうと直に気が狂ってしまうぞと脅されたものです。

 沖の彼方の水平線に、ちらちら灯る明かりがだんだんと数を増してゆくのを見ながら、幼い妾はよく空想に耽ったものでした。妾はじつは御船の家の娘ではなく、どこか遠い国から小舟に乗って流れ着いた高貴の姫ではなかろうか。故国の戦乱を逃れるために、密かに両親が船に乗せたのが妾であったとしたら。

 あの不知火の灯は、まだ見ぬ本当の故郷からの迎え船の灯りかもしれない。その光に導かれるままに、夜の砂浜で履物を脱いで、裸足のまま冷たい海の中へ入って行けたらどんなに気持ちが好いだろう。


 心理学を専門にご研究なさっている先生に、是非お尋ねしたいことがあるのです。

 人間にもしも霊魂というものがあるとすれば、それは一人の人間につきひとつしかないものでしょうか。それとも、あの不知火の灯りのように一人の人間の中にいくつもの魂の火がちらちらと明滅しながら灯っているのでしょうか。

 何かの弾みにその霊魂のひとつがぽんと飛び出して、他人の身体の中に入ってしまったり、反対に留守になった身体の中に不意に他所から来た霊魂が入り込んで本人の知らぬ間に何事かを成してしまう、そんなことが世の中に頻々と起こっているとすればどうでしょう。

 昔からよく、女の霊魂は蝶の姿となって現れると云います。あるいは身体を飛び出した霊魂が、時空をも越えて縁もない動物の身体を一時の宿りにすることがあるとしたら。もしかすると、あの妾が気を失っているときにしばしば見る夢はそのことを証しているのではないでしょうか。

 田舎の出戻り娘の、莫迦げた空想をお笑い下さいませ。でも事実、妾のばらばらになった心は今にも千々に乱れ、あれこれと浮かんでは消える果てしもない想像は、最後に憂鬱だけを妾の心に残して、消えてしまうのです。



 そんな物思いに耽るだけの虚しい日々も、今では却って懐かしくすら感じられます。

 思えば、千里眼が世間からものめずらしい奇術として喜ばれていた頃はまだよかったのです。先生とお会いして、学術的な研究のお手伝いをさせていただける間は、妾の人生の中ではむしろ幸せな時代だったのです。

 兄の持って来た新聞記事が、何もかもを粉々に打ち砕いてしまいました。妾は、もう完膚なきまでに打ちのめされてしまいました。


『千里眼の手品/山川博士実験の結果/学術上研究の価なし/立会者藤理学士の談』


 叩き付けるように目の前に投げ出された新聞記事には、目を疑うような挑発的な見出し文句が踊っていました。『郁子の念写は手品』『ことごとく詐欺と断ず』どの新聞のどの記事を見ても、似たり寄ったりの酷いものばかりでした。念写や透視なるものは一種の詐術に過ぎず、許しがたいペテンであるばかりでない、この開化の世に再び前時代の迷信の種を蒔かんとする云々とあります。何の検証もない一方的な記事ばかりであったのです。ただ、茫然とその場に立ち竦むしかなく、寂しさと怒りとを感じる他ありませんでした。

 兄もまた、普段ならどんなに頭に血をのぼらせても感情を表に出さず、次はどんな手を打って相手の虚を突き、事態を己に有利な方へ動かそうと思案顔をするというのに、今ばかりは顔を真っ赤に上気させ、目を血走らせて立ち竦んで居りました。

 目を合わせれば今にも殴りかからんばかりの殺気に満ちて、妾は兄の暴力の気配に怯えながら、勇を鼓して、どうしてこのようなことになったのかと訊ねました。

「世の中を動かすのは金だけではなかちゅうことを、おいは忘れておったとじゃ」

 吐き捨てるような返答でした。

「偉か人間共にとっては、金よりも名誉や権力ちゅうもんが大事たい。こげん小さか村の中にいろいろと縄張り争いのあるように、帝国大学の中にも縄張りちいうもんがある」

 文科大学と理科大学との争いに巻き込まれたのだろうと兄は断言しました。もともと文科大学の心理学研究を快く思わぬ理科大学の人間が、千里眼研究にかこつけて挙って福来先生らの属する文科大学を貶めようとしているのだろうと云うのです。


 妾ははたと思い当って、あの浅草の妖しげな劇場で再会した新聞記者の青年の言葉を思い出しました。

 帝国大学の中でも、文学や法学を擁する文科大学と、物理学などを自然科学研究を主体とする理科大学の中では対立がある。殊に、この千里眼研究に於いては、これまで心理学など文科大学が中心であったのに、物理学方面からの研究が要請されることから、理科大学の発言力が大きくなってきていた。ところへ、一部の研究者から千里眼の存在そものものに疑義を持つ勢力が現れ、報道機関を巻き込んで、大きな騒動が巻き起ころうとしている。……

「あの藤教篤とかいう理科大学講師の奸計に間違いなか」

 兄は丸めた新聞を叩き付けました。聞くところによると、この藤教篤という人物こそは千里眼をペテンと決め付ける一派の走狗であると云うのです。彼は長尾女史の念写実験の立ち合いに於いても、実験そのものの妨害のために乾板の抜き取り工作をしたとの嫌疑もある、殊に信用の置けぬ人物であるそうです。

 千里眼はいまや学者たちが大学の中で縄張りを争う合うところの、政争の具に成り下がってしまった。潮目が変わったとばかりに、藤教篤は新聞や雑誌の記者を集め、千里眼は手品の一種でありこれを科学であるとするのはペテンであると盛んに吹聴しているそうです。妾は目の前が真っ暗になりました。

 長尾女史はこの新聞記事に憤慨して、近く追試験を行なって藤講師とはいずれが正しいのか理非曲直を明らかにしたいと語っているそうですが、妾にはとてもそんな気概はありません。

「藤なぞ帝大の中でも小者に過ぎんばい」兄の顔を脂汗が伝いました。

 福来先生を陥れんとする黒幕がついに動き出したのかもしれぬ。文部省からの圧力で教員整理の必要に迫られる中、理科大学では理学界の権威でもある山川健次郎帝大総長を担ぎ上げて、この機会に文科大学の出身である福来先生を学界の中枢から追放せんとしているという噂も耳にしたことがあるからな。

 山川博士。

 どこかで聞いた名前でした。

 麹町の大橋邸で行われた実験でのことを思い出して、妾は蒼くなりました。

 あの時、実験物を取り違えてしまったことが、こうして今に響いてしまったのだろうか。……

 いずれにせよ、兄の言葉を聞く限りもう妾の手に負えることではありませんでした。 

「新聞雑誌も手の平を返してしもうたばってん、形勢ば逆転するのは難しか」

 兄は俯いたまま、重苦しい調子で呻きました。炭鉱会社と大きな契約も控えておったのに、このまま放置しておけば大変なことになる。そう吐き捨てると、憤然として部屋を出て行ったのです。

 もう何もかもが破滅へ向かって一挙に走り出しているのだ、そう妾の直感が告げました。それは理屈ではありませんでした。新聞社の一方的な報道に対して、筋道を立てて反論をすることなど思いもよりませんでした。また僅かな教育しか受けていない女の妾にとって、とても任に堪えることではなかったのです。そして、念写の長尾女史のように、自分の能力を見せ付けることによって千里眼の実在を相手に納得させるだけの精神的な強さも、妾にはありませんでした。

 あの新聞記者の青年……いえ、彼に頼ることも恐らくできなかったでしょう。

 時おなじくしてこの頃には、政府による主義者の検挙・弾圧の波が市中に押し寄せていたに相違ないからです。秘密の集会所へ集まっていた人びとがどんな運命を迎えることになったのか、このときの妾には知る由もありませんでした。妾は縋るような思いで観音さまを心に思い浮かべましたが、ただ何も応えてはくれない、柔和な微笑みがそこにあるだけでした。


 妾には、これから起こるであろうすべてが想像されました。

 それは千里眼でも予知でもなく、妾の理性の告げるところでした。

 千里眼をお金儲けに結び付けようと運動していた父と兄の間では、悶着が起こるだろう。井芹校長や福来先生の名誉にも傷が付いてしまう。妾のせいで皆が不幸になってしまう。

「兄さんどこまで研究しても駄目です」

 妾は、悲嘆のあまり倒れ込み、そのまま気を失ってしまいました。


 そこは煉瓦造りの大きな洋館が続く大通りで、道は大小の日の丸の旗を手にした人たちでいっぱいに溢れて居りました。

 妾はいつの間にか、あの蝶の姿に変じて、旗の代わりに小さな風車を持った女の子の頭の上に座っているのです。その童は、どうか前を見ようと人ごみを分けて進もうとするのですが、ごった返す大人の脚に阻まれてどうにも動きようがない様子に見えました。

 やがて、人ごみの中に一際大きなどよめきが起こったかと思うと、遠くから騎馬隊の闊歩する足音が近づくのが分かりました。

 その時、ふと背後から近づいてくる気配がありました。

 女の子が振り返るとその人影は腰を屈めて、危ないからここに居ては駄目よ、そう声をかけると、すぐに物陰に隠れて消えてしまいました。若い女の声のようでしたが、どうも、女の子の母親や身内ではないようでした。

 妾はその声に聞き覚えのあるような気が致しましたが、周りが騒がしくなったのに気をそがれて、すぐに忘れてしまいました。

 やがて、羽の付いた帽子を被り、槍を立てた騎兵がゆっくりと迫ってくると、やっとこの混雑の理由がやっと判ったのです。人びとが手に手に日の丸の旗を持って集まったのは、行幸の御馬車がやってくるのをひと目見んがためでした。

 路地から路地へと溢れ出す人の波に押されて、女の子はだんだん道から外側へと押し出されてしまいました。風もないのに、人びとの熱気で、風車がくるくると回り出します。女の子も人込みの中をあちこち盥回しに押されながらくるくる回って、いつの間にかすっかり列の外側にまで弾かれてしまいました。周りの好奇の目に感化されてしまったものでしょうか、どうしてもこの行幸の様子をこの目に収めておきたいと思い、二階ほどの高さまで飛び上がってみようと思いました。その時、妾はさっきの声の主が何者であったかを思い出したのです。

 突然、ピィーッと口笛が鳴ると、伸びあがった女が片手を突き上げて、白いスカーフのようなものを振り上げるのが見えました。何が起こったのか、まるで判りませんでした。出し抜けに騎馬が嘶いて後ろ足立ちになったかと思うと、ひと波が引き潮のように後ろに退いたのです。そして最初の炸裂音が響くと同時に、御馬車の車輪が吹き飛び、均衡を崩した客室が横倒しになるのが見えました。混乱した馬が暴れまわってそれを蹴散らし、ひしゃげた馬車を捨てて走り去ろうという時、いくつかの缶が弧を描くように四方から乱れ飛ぶのが見えたのです。あちこちから悲鳴があがり、まばゆい閃光と、凄まじい爆発が幾度となく起こりました。馬車の残骸は炎の中にめらめらと燃え上がり、辺りを見れば黒焦げの塊が、まるで打ち捨てられた生人形の手足のように散乱しているだけでした。

 妾はそんな信じがたい光景を、上空からぼんやりと見下ろしながら佇んでいました。先ほどの女の子が建物の陰に隠れて、ひとりで泣いているのが見えます。あの声は、管野須賀子であったのに間違いはありません。そして、この童を助けたのは、その年の二月に亡くしたばかりの妹の姿が胸に迫ったからかも知れないと後から思いました。

 商店の硝子が割れ、巻き添えを食った人たちの呻き。このどさくさに火事場泥棒を働こうと、倒れている人の懐を探りにやってくる不届き者たち。朝鮮人の仕業だ、と早合点してさっそく、流言飛語を飛ばそうと余所の町へ鉄砲玉のように飛んでいく慌て者。そんなあれこれを眺めながら、いろいろな想念が心をよぎりました。

 天子様がもし、神ではなく人であるというのなら、やはり赤い血を流すのではないだろうか。宮下太吉の云ったように、人間ならば死ぬ時には赤い血を流すのではないだろうか。では、やはり人ではなく神様なのだろうか。そんなはずはない。こんな魂のない、生人形のようなものが神様であるはずがない。思えば天子の御尊顔は誰も拝したものが居ないのです。この人形を天子であるとして御簾の奥に隠して、偉い人たちは皆をだましているのでしょうか。

 その時、空を舞い上がった火の粉が羽に降りかかり、妾はたちまち炎の中に包まれてしまったのです。そして小さな火の玉となって舞い落ちる中、身悶えするうちに何も分からなくなりました。気が付いてみるとそこは、鉄格子を嵌められた狭いじめじめした部屋で、薄闇の中を照らす一本の蝋燭の炎の下に、虫の死骸のようにぽとりと落ちた妾が居たのです。

 鍵をがちゃつかせながら、そこへ看守らしい男がやって来て云いました。

「お前たちの不逞な企みは頓挫したよ、御苦労なことで」

 驚いたように、管野須賀子が顔を上げました。そして、勝ち誇ったような看守の薄笑いを、まじまじと見詰めました。妾も信じられぬ思いで、看守の自慢げな話に耳を傾けるばかりでした。

 それによれば、兼ねて宮下太吉を密偵していた警察は、宮下と職場の同僚である清水という男の妻が密通しているのではないかという噂を聞きつけたと云います。そこを糸口にすべてが判明し、芋蔓式に関係者が検挙されるに至った、と云うのです。極秘に薬品を調達して爆裂弾を完成させていた宮下は、ふとしたことから親しくしていた職場の同僚の妻と懇意になり、密通するほどの間柄になってしまった。それが清水に露見して、天子暗殺計画についても清水の知る所となった。そこで相手を共犯者に仕立てて秘密を守らせるために爆裂弾を預からせたというのです。

「なんという愚かしいことを」

 これで何もかもが水泡に帰してしまった。看守が立ち去ると、管野は静かに目を閉じて呟きました。

 すると、先ほど妾が見たあの光景もすべて幻であったというのでしょうか。陛下の乗った御馬車が爆裂弾で木端微塵に吹き飛んだのも、あの人びとの絶叫も、騒々しく右往左往しながら怒声を上げる騎馬隊も、硝煙の匂いも、妾の五感の記憶に残っているあの出来事はありもしない幻想であったというのでしょうか。

 そう、すべては妾の他愛もない想像が作り出した幻だったのかもしれない。

 夢の中で管野須賀子が天子の御馬車を襲ったということが嘘であるように、妾の千里眼や透視の能力と、それの生み出した騒動がみんな嘘であったなら。連日、妾や長尾女史を紙上で責め立てる新聞や雑誌の云い分がほんとうであるなら、妾はこれまで嘘をついていたのかもしれない。

 屹度そうだ。夫と別れた寂しい思いを慰めるために、ただそのために周囲の歓心を買おうとして、無意識の裡にいかさまをやって兄や先生を騙していたのは、妾の方なのだ。

 すべては妾の噓から始まった、茶番劇なのかもしれない。

 気が小さく、人見知りであることを良いことに、誰かが手元を見ていては集中力が削がれて実験を成功させられないなぞと尤もらしい理由をでっち上げ、妾は別室まで用意させて、手元で詐術を弄していたのではないだろうか。そっと身を屈めて、封筒を唾で濡らして中を見たあとで、何食わぬ顔でもういちど封をしていたのではないだろうか。そうして、みんなから拍手喝采を受けてはいい気になり、妾のいかさまを信じた兄をその気にさせ、日本中を好奇と期待のために沸き立たせ、名立たる学者の先生方を巻き込んでその人生を狂わせたのはひとえにこの妾でなくて誰だろう。この妾さえいなければ、千里眼騒動などというものが世を惑わすことがなければ、家に諍いの起こることもなく福来先生も大学での地位が危ぶまれるようなこともなかったはずなのに。

 夢の中でさえ、夢を見ていてさえ、世間の妾を責める声は絶えず聞こえてきて責め立てるようでした。早く己のペテン師であることを認めて楽になれ。いつしか鉄格子も管野の顔も消え、ただ暗闇の中に鳴り響く非難の声に怯える妾があるだけでした。


 ふと身を起こすと、妾はちゃぶ台の上に臥せって転寝をしていたのでした。

 兄の姿はもうなく、そこに投げ出されたように打ち捨てられた新聞に目が留まりました。

 そうして、はたと気付いた時には、妾はもう己を取り巻く事件についてのあれこれをすっかり忘失してしまうほどに衝撃を受けたのです。


 初めに大見出しで「死刑」という文字が目に入り、続いて「二十四名」「幸徳秋水」「管野須賀子」という字が目に飛び込んだのです。妾は食らいつくように紙面に目を走らせました。

 幸徳秋水。平民新聞の主幹にして社会主義者の領袖。足尾鉱毒事件の田中正造の直訴文を代筆した人物。

 その傍らにある写真、柔和な中にも口を一文字に結んだ意志的な顔立ちの女性は、正しくあの管野須賀子でした。

 その横に、幸徳秋水、管野須賀子ら二十四名は先年、明治天皇暗殺を企てた嫌疑で検挙され非公開にて審理中であったが二十四名の死刑が確定したとあるのを読んで、妾は昏倒せんばかりに驚いて、放心のあまり声を出すことも出来なかったのです。

 やはりあれは本当であったのだ。妾の弱い心の生み出した幻影などではなく、あの浅草で再会した新聞記者の青年の話したことは真実だったのだ。しばしば気を失っている間に見た夢は、あの蝶の姿になって見聞したさまざまな出来事はすべて、現実に起こった事件に係ることだったのだと、あらためて妾は思い直したのです。

 ああ、妾は何を自分を見失っていたのでしょうか。この妾に、何か不可思議な作用が働いて、常人には考えもつかぬ力を与え、常人には見えぬ世界を垣間見せたのは、紛れもない真実であったのに。

 昔から、蝶は女の霊魂が姿を変えたものだとも云います。あの奇妙な夢を見るようになってから薄々感じては居ましたが、やはりこれは、妾の生霊が蝶の姿となって、見ず知らずのこの人たちのところへと出没して、そこで見聞きしたものが夢となって現れたものでしょうか。でも、どうしてあの人たちのところへ姿を現したのだろう。凡そ、妾とは生まれも育ちもまったく違う、互いに縁もない人生の筋道を歩んできた人たちであるというのに。これもまた、観音さまのお導きだとでも云うのでしょうか。


 福来先生、これは全体どういうことなのでしょうか。先生が日頃仰っていた御説を思い出します。この世は仮象の世界であって、その背後には実相の世界が存在している。そして、偶然の一致に過ぎないと見える事柄も、実相の世界に於いては因果の鎖によって結ばれている、と。それなら、夢という現象は、仮象である現実の世にありながら、実相の世界を垣間見せるものなのでしょうか。学のない妾にはよく分かりません。実相とは、この世界の背後にある見えざる理想の世界のことなのでしょうか。

 でもそれなら、どうしてこうも不幸な出来事が絶えないのでしょう。

 惨めな境遇の者を、殊更に寄ってたかって虐げるような世の中が続くのでしょうか。 

 妾には悪い予感がするのです。近く起こるであろうことが、何か第六感のようなもので感得されるような気がするのです。

 妾は新聞の紙面を食い入るように見ながら、あの夢の中で出会った人びとのことをもっと思い出そう努めました。数名の謀議らしいものはあったものの、結局は実行されもしなかった暗殺未遂事件。それに二十四名もの人びとが死刑を宣告されるとは一体どういうことなのだろう。それに首謀者とされている幸徳秋水も見たところ文人気質の人物であり、周囲の若者たちに対しても、跳ね上がった過激な行動を慎むようにたしなめるような振る舞いを見せていると映ったのに。

 もしや、この妾や先生が世間からペテンの烙印を押され、世の中から抹殺されようとしているのと同様に、あの幸徳や管野須賀子たちもあらぬ嫌疑をかけられて、この世から葬り去られようとしているのではないだろうか。いや、管野は自らの意志で謀議に加わっていたとしても、他の二十数名についてはどうなのか。証拠もない上に嫌疑をかけられて、非公開裁判の後に直ちに死罪とはあまりにも非道い仕打ちではないか。

 いったい、こんなことをして誰が喜ぶというのでしょう。真実を捻じ曲げ、世の中の正しい道理を捻じ曲げて無辜の人間を罪に落とすようなことをして、いったい誰のためになるというのでしょう。

 これが世の中というものだ、と妾に教え諭すひとがあるかもしれません。

 国や世の中に怒ってみても埒は飽かない、天災に遭ったとでも思って諦めるがよい。

 そう嘲笑いなら通りすぎるひともあるでしょう。

 これが明治の世の国がすることでしょうか。

 開化の時代の人間のすることでしょうか。


 縁側の方を見ると、群がる黒雲で、空はすっかり夜のような暗さでした。

 重苦しい空気が部屋の中にまで入り込んで、黒々とした影のように畳を伝いながら足元ににじり寄ってくるようでした。妾は得体のしれぬ悪寒に襲われて、居ても立ってもいらなくなりました。ここを飛び出そう。ここに居ては妾はおかしくなってしまう。何処か遠くへ、先生のいる東京でもいい。何処か遠くの、誰も知らない土地へ。堪らなくなって、妾は履物も履かずに家を飛び出していました。降り出した雨の中をやみくもに駆けて行く妾を見て、村の人たちは怪訝な顔で見ぬふりをして過ぎます。御船の家の出戻り娘がついに気のふれたとばい。子供や猫までがそんなことを云って指差すようにさえ思われました。妾にはもう判っていたのです。新聞や雑誌の記者たちから逃げ回っても、何処へ逃げても妾の顔を知っている人たちからは逃げようもないことを。世間から身を隠すために家に籠っていても、もうこの家には誰も妾を護ってくれる者など居ないということを。

 今の私にとって、本当に親密さを感じる人たち、それはもう、あの別れた夫でもなければ、無論家族でもなく、福来先生、残念なことにもう貴方でもありませんでした。偶然の運命によって、いや、そうではなく、何か抗いがたい現世の暴力によって必然的に、破滅の縁へと否応がなく追い詰められてゆく一群の人たち。あの幸徳や管野須賀子のような人たちこそ、今の妾によってもっとも親しい友のように思われてならなかったのです。ああ、なんと莫迦げた考えでしょう。妾は主義とはなんの係りもないというのに、それに、事もあろうに信念に殉じようとする立派な人たちと、自分の弱さから逃げようとするばかりのこの妾を、同列に扱ってしまうなんて。

 妾にもあの人たちのような確乎たる信念があれば、己がしっかりしてさえいれば、と思わずにはいられませんでした。何か云いようもなく恐ろしい、妾を呑み込もうと追ってくる強大な物の影はもうすぐ傍まで来ていると感じていたのです。


 そんな折も折、さらなる絶望が妾に追い打ちをかけ、僅かに残っていた前向きに進もうとする心を完膚なきまでに打ちのめしてしまったのです。それをここに記さずには居られなくなりました。先生、どうか恥を忍んでする妾の告白を聞いて下さい。

 恐ろしい夢にうなされて何度も寝返りを打ち、目を覚ますたびに寝具がじっとりと濡れていたある夜のことでした。夢の中で、妾はあの浅草の一二階の塔、凌雲閣の展望台の上に立って東京の街を見下ろしていました。そして、千里眼の千鶴子と呼ばれて僅かのあいだ大衆のスタアであった短い幸福を懐かしんでいたのです。いえ、そうではなく先生といっしょに東京の街を歩いたこと、それが妾の幸せな思い出の時間でした。もしもこのまま、先生の研究のためにともに東京に留まることが出来たなら。熊本へ帰ってからも、妾は何度もそのことを手紙に書こうかと迷いました。故郷のしがらみを捨てて、先生を頼って東京へ出る。いつしかそんな夢想を抱くようになっていました。妾は愚かであったのです。真っ暗な空には雷鳴が轟き、妾を睨み付ける大きな目玉が虚空に浮かんで居りました。そして巨大な掌が、夢魔のように妾をむずとつかみ上げると、足元がぐらぐらと地震のように揺れて、妾は崩れ落ちる高楼の瓦礫といっしょに、どこまでも落ちて行ったのです。思わず悲鳴を上げ、脂汗を浮かべて目覚めた妾の枕元に座っていたのは、あの兄でした。妾はその時、いったい何を考えていたのでしょう。自分のすがり付いた相手が誰であるのかすら、判断の付かないほど取り乱していたとしか思われません。兄は、今までお前に苦労を掛けたことは本当に申し訳がなかったと思っていると妾に頭を下げました。およそ人に謝る姿など見せたことのない兄の弱々しい声を聞いて、妾は当惑しました。本当に憔悴しきった様子で、眼の下の隈やめっきり増えた白髪のせいで十も老けて見えました。兄の懺悔はそれだけ真に迫っていたのです。その憐れな様子に、妾は兄を赦そうと思いました。これまでのことをすっかり水に流してもよいとまで思いました。一方で、兄への恐れが消えたことで堰を切って溢れ出す感情を如何することも出来なかったのです。

「だったら、せめて妾を以前の暮らしに戻して下さい。千里眼なんて如何でもよい。元の暮らしに戻して下さい。戻して下さい」

 兄の前で初めて感情をあからさまにする妾を見下ろしながら、兄は長いこと黙って居りました。

 そして沈黙の後、目を伏せたまま低い声で云いました。これまでしてきたことは、何もお前を金銭のために利用しようとしてやったことではない、お前を実の妹のように可愛いと思えばこそ、催眠術の手ほどきもしてやったのだ。これでまだ終わりではない、おれに全て任せさえすれば、また世間に打って出る機会もあるだろう、そう押し殺すように云うと、妾の左腕をぐいと引き寄せて着物に手をかけたのです。中学で体操を教える兄の剛腕が締め付ける力はもの凄く、妾はもはや罠にかかった小鹿も同様でした。そして必死に声をあげてもがこうとする妾をしたたか平手で打ち付けた挙句、兄は脂ぎった顔を乗り出して妾の口を塞いだのです。声を出すことも出来ない声帯の奥から、必死で「先生」と叫び続けました。この非道い世界から、どうか妾を救い出して下さい。そう祈ることしか出来ませんでした。助けを呼ぼうにも声は出ず、妾は兄の為すがままに弄ばれました。

 そしてこの時、妾は死んだのです。心が死んだのです。その証拠に、妾のあの千里眼の能力は、この瞬間を境にふっつりとその力を失ってしまいました。妾はもうただの、何処にでもいる田舎の女でした。これでもう兄の野心のために利用されることもない、ただの女に過ぎません。兄、いえあの畜生にも劣る男は、こうして自らの野心の道具を潰したのです。

 でも一方では、この失った能力が福来先生と妾との繋ぐ絆でもあったことに、妾はまだ気付く余裕がありませんでした。千里眼を失った妾に、先生は屹度興味を失ってしまうに違いない。何故なら、妾はただの一個の研究対象でしかないのだから。

 妾がようやく本当の涙を流すことが出来たのは、そのことに気付いた雨の朝のことでした。


 それから間もなく、妾はあの忌まわしい清原の家を出て、松合村の実家へと戻ることにしました。眼病を患った母の看病のためという口実があったので、兄とのあの出来事を近隣に悟られることはありませんでした。あの夜の後も兄と呼んでいた男は御船の実家を訪れて、妾に清原の家で診療の手伝いをさせようとしましたが、抜け殻同然の妾の様子を見ると、諦めたように帰って行きました。姉もまた夫の挙動にどこか異変のあるのを悟ったものか、探りを入れるようにやってくることも度々でした。

 部屋に籠もり切り、ただぼんやりと無為に過ごすだけの日々が続きました。

 ある時、井芹校長の奥様が体調を崩したとの知らせを聞いた父が、少し外の空気を吸ってくる好い機会ではないかと云って、妾に病中見舞いに行くよう命じました。奥様に顔を合わせるのは気が退けましたが、これといって断る口実もない妾は、承諾して俥に乗り込みました。


 透きとおるような冬の寒気の中を、昼下がりの陽射しが温かく道を照らしました。妾を乗せた人力車は、霜の潰れる音をたてて畦道を走ります。晴れ上がった空には、とりどりの意匠の凧が万国旗のように翻って、稲刈りのあとの田の上を子供たちが犬と一緒に追いかけて行きます。あの凧は悠々と空を泳いでいるのだろうか。凧は自由の空を飛んでいるのだろうか、それとも糸という軛で地上に縛られながら哀れに藻掻いているのだろうか。妾にはひとの一生も、運命という糸に繋がれた凧のようなものだとそのとき思ったのかもしれません。糸の切れた凧は何処へ向かうのだろう。あの山や海を越えて、朝鮮や大陸へも行けるのだろうか。印度やさらに向こうの、世界の果てまで飛んで行く凧もあるのだろうか。……

 不意に、今朝の新聞ば御覧になりましたか、奥さん、と車夫が声をかけました。

 妾はいいえと返事を致しました。退屈凌ぎに声を掛けただけと見えて、妾があの千里眼事件の渦中にある御船千鶴子であることにはまったく気付いていない様子でした。

「二十四名死罪と出ました。うったまげたなんの、こん近所の新美卯一郎ち男もそん中にいます」

「何が」

「あん天子様に弓引いた輩の判決たい」車夫は驚いたように声を裏返して、

「ほんなこて畏れ多かばってん、業らしかはそん親ばい」

 この男は、その新美という人にもその母親にも、何の興味も同情もないのだろうと妾は思いました。

 何処を目指して人生を進んで行く積りなのだろう。もしもひとの人生が運命の糸に導かれる凧のようなものであるとしたら。どの凧にも糸は付いているのだろうか。それを握る手は誰のものだろう。善意のひとだろうかそれとも悪人だろうか。いま妾を乗せているこの俥は妾を何処へ運んで行くのだろう。


 俥に揺られながら、妾はいつしかまた白昼夢の中へと誘われて行きました。

 さまざまなイメエジが浮かび、また消えて行く中に、あの宮下太吉の逞しい後ろ姿が、なにか仕事道具を背負いながら道を急ぐのが見えました。妾の乗っているこの俥の車夫の男の死んだ魚のような目付きとは違い、宮下のそれは気高い目標に向かって燃え立つように輝いていました。そして、あの新聞記事にあったように、いつか燃え尽きる運命にあることを妾は知っていたのです。

 全国各地の現場へ飛び歩くうちに、その地方の薬剤店へ出向いては色々な小瓶を物色する宮下。借り受けた百科事典で調べながら、爆薬の調合をあれこれと研究する宮下。ずらりと並ぶ店の棚を物色しながら、彼はひときわ鮮やかに見えるオレンジ色の粉末の小瓶を見出して手に取ります。

 これは屹度、あの爆裂弾を拵えるための材料に違いない。

 いつか彼の命を散らすことになる爆裂弾の材料に違いない。

 その命は、いつかの花火のように美しく散るのだろうか。

 蝶の鱗粉のように妖しく輝くこのオレンジ色の粉末。

 この粉が、妾の命にも大輪の花を咲かせてくれるとしたら。


 妾は行き先を鶴田染料店に変えるよう車夫に頼みました。

 次の交差路で車夫が梶棒を切り回すと、俥は進路を変えて走ります。

 吐く息が白く冬の大気に溶けて、たちまち霞のように消えて行きました。

 ああ、と妾は思わず声を洩らしました。畦道は何処までも続き、山も川も人家の立ち並ぶ集落も、陽の光の中を飛ぶように行き過ぎます。なんという素晴らしい眺めだろう。妾はもう陰鬱な考えをすっかり忘れ果てました。まだ荒涼とした冬景色が続くばかりだというのに、車上から見える景色や流れゆく雲がいつになく美しく見えました。春が来れば野山も樹々もまた緑に萌え出すだろう。荒涼とした田畑も、来年には輝くような穂を垂れ実をつけるだろう。すべての風物が愛おしく、すべての生き物を愛おしく思う心がそのときふつふつと湧いたのです。

 妾はすっかり我を忘れて恍惚となりました。たとえ世界がこの妾を受け入れずとも、妾はこの世界を愛そう!いずれ妾というものが消滅して、この世界だけが残ったとしても。……

 俥は駆け、霜は黙して語ることなく、その後に延々と轍の跡を踏み残すばかりでした。



 買い物を済ませると、妾は家に戻って湯を一杯沸かしました。

 そして、家族の居ないのを確かめると、急須の中にさらさらとそれを注ぎ入れました。妾は女中を呼んで、疲れているので暫くは何があっても起こさぬようにと云いつけて戸を閉めました。そして、摩り下ろした西洋人参のような鮮やかな橙色のそれに一気に湯を注ぐと、茶のようにぐっと飲み干したのです。

 手足が痺れ、寒気が足元からじわじわと背筋を這い登ってくるのが判りました。頭は割れるように痛み出し、妾はただ観音さまに祈るより仕方がありませんでした。顔をひやりと冷たいものが撫で付け、身体の感覚がなくなっていくのと同時に、あの鈴の音のような、和太鼓を打つような不思議な音が聞こえて参ります。天井がくるくると回り出し、そこに駆け付けた父母が何事かを叫びながら妾を揺り起そうとするのが見えました。もはや為す術もありませんでした。やがて漆黒の巨大な渦巻きのようなものに吸い上げられたかと思うと、急な速度で洞窟のようなところを通り抜けて行くのが解りました。


 そこはいつか夢で見た平民社の六畳間でした。

 洋灯の明かりの下、書き物机で筆を執っている幸徳秋水の背中に、茶盆を持って入ってきた管野須賀子が暗い面持ちで佇んでいたのです。

「天国というものはあるのでしょうか」

 幸徳は答えて云いました。

「中江兆民先生はこう考えて居られた。世の中はすべて人間の見た通りのものに過ぎず、ただ人間の営為のみがこの世界を良くも悪くもする。神仏のような超越的な存在は何もそこに介在しないのだ、と」

「では天国はないのでしょうか」

「唯物論では、人間が死ねばあらゆる生物と同様にただ塵芥に帰るのみであると教える。すべては個人の死とともに終焉を告げる。だが一方で、私はこうも考えるのだ。革命運動の半ばで斃れた同志たちの魂は、我々の中に生きると。死後にその志を継いで生きる者があれば、それは基督教徒のいう救いにも通じる考えだと思わないかね。死んだ同志の志と共にわれわれは生きる。それは来世があるも同然じゃないか」

 そう振り返った幸徳の首に、はらはらと涙を零して管野が縋り付くのを、妾はどこからともなく見ながら思いました。彼らもきっと死ぬのだ。もうすぐ死ぬのだ。そう思うと、まるで彼らの死が妾自身の死でもあるかのように悲しくなり、あんな薬など飲まなければよかったと後悔しました。これから死ぬ男と女のいる寒々とした小部屋に、轟々と風の吹きすさぶ音が響きました。窓の外を覗くと、曇天の下には遥かな暗闇が拡がり、地上の人家の明りがちらちらと明滅するのが星のようでした。

 ここは冷たい大理石で出来た八角形の丸天井の部屋のなかで、あの浅草一二階、陵雲閣の展望台の窓辺にいることに妾は漸く気が付いたのです。


 その時、月あきらかな空の彼方へ向かって、足元からするすると階段が伸びて行くのが見えました。

 妾はそこへ足をかけると、一歩一歩と空へ踏み出しました。足元は明るく、月光に照らされたそれは光の街道のようでした。登って行くのは怖くありませんでした。登り切った妾の傍らには、福来先生が優しく微笑みかけています。先生といっしょなら何も怖くないと思いました。見ると妾の首には縄がかけられ、その縄の先を目で追うとそれは空高く曇天の中に姿を消してしまい、その先が何者の手にあるのかも定かではありませんでした。

「われ主義のために死す、万歳!」

 それは妾の声ではありませんでした。同時に、妾の声でもあるようでした。

 大音声とともに、足元の床が割れると、恐ろしい地響きがしてあの凌雲閣がたちまちにして崩れて行くのを目にしました。そして、妾もまた暗い坑道のようなところをどこまでも落ちて行きます。その弾みでもありましょうか、妾の魂はいくつもの断片に千切れては、四方へ飛んで行ったのです。それは、さながら羽ばたく蝶の群れのようでした。妾はその一匹一匹となって、同時にもっと広くて大きな、満天の星々の位置からそれを見ているのです。群れはオーロラのように燐光を放ちながら、野を超え、海を渡り、エーテルのようにどこまでも大気の中に拡がって行きました。

 見下ろせばそこは大きな街で、あちこちに火の手が上がり、川にはたくさんの死体が浮かんでいます。多くの人が逃げ惑うさまが小さく見え、どさくさに紛れてひとを斬り殺す兵隊の姿もありました。真っ赤に染まった夜空を覆うほどの巨大な鉄の鳥が、悠々と翼を広げて火矢のようなものを次々と投下しながら飛んでゆきました。逃げ惑う人たちを追うように、ひとりの騎馬の兵隊が躍り出ては、狂ったような叫び声を上げて軍刀を振り回すのが見えます。顔を引き攣らせ笑っているその顔は、驚いたことにあの兄の顔に他ならなかったのです。兄は次々と女や子供を切り伏せては、その懐を探って卑しい行為に手を染めているようでした。妾は火の燃え移りつつある電柱の周りをぐるぐると廻って飛んでいましたが、やがて電柱は大音響を上げて倒れ、兄の頭上に切り倒された大木の如く落ちかかるのを見ました。その傍で、兄の屠った婦人に縋り付いて泣く幼児の声が、一陣の風に吹き飛ばされ遠ざかる妾の耳にいつまでも消えず残りました。

 蝶の群れとなって大陸へ渡った妾たちは、どこか砂埃の多い土地の、城門に囲まれた大きな街の上空を飛んで居りました。すると、家財道具を大八車に積んだ大勢の人の群れが、外へ出ようと城門の方へ向かって列を作っているのに行き会ったのです。別の城門が破られたらしく、そこから待ち構えたように軍隊がどやどやと押し入って、商店や民家の硝子を叩き壊す音が聞こえました。兵たちには、もはや軍紀も何もあったものではなく、嬉々として目を血走らせながら、民家の中を物色して金品を漁り、婦女の姿があれば見境なく押し倒すのです。のみならず、母恋しと駆け寄ってきた子供の腹を銃剣で突き刺して高々と掲げるに至っては、とても正視に堪えぬ畜生の所業でした。そして街のあちこちで銃声や悲鳴が鳴り止むことなく、いつの間にか城門の中には数千の黒焦げの屍が山と築かれたのです。その上に国旗を立てて、嬉々とした笑顔を浮かべている軍服の顔を見れば、それは紛れもない兄の顔でした。

 気流に流されるまま、黄砂とともに妾たちが運ばれてきたのは、内海に面したある地方の大都会のようでした。妾はどこか大きな川に掛かった橋の欄干にとまり、のろのろと走る路面電車や自動車、人びとの忙しく行き交う様子を眺めていました。蝉の声がしんしんとビルヂングの岩肌に沁み入る夏の盛りで、そのせいか密かに低い唸り声が近づいて来るのに気付く者とてなかったのです。橋の上で筵をひろげて野菜を売るひとりの老婆が、ふと眩しそうに編み笠を傾けた時、上空で何かが光ったように思いました。そしてあの黒い鉄の鳥が上空を飛び去るのが見えた刹那、閃光とともにそこに巨大な火の玉が現れたのです。それはみるみるうちに膨らむと、ただの一瞬で街を消し去りました。灼熱の津波は容赦なく人を襲い建物をなぎ倒し、焼き払いました。粉塵はとてつもない力で天空高くまで吹き上がり、その黒々とした渦巻く噴煙の中に、妾はまたしても悪鬼のような兄の顔を見出したのです。それがむくむくと更に大きく不気味に膨れ上がるさまは、まるで咲き誇らんとする大輪の菊の花を見るようでした。

 地上は何もかも焼け爛れていました。人は丸太か木炭のように投げ出されてあちこちで燃え燻ぶっていました。犬や牛の死骸と一緒に、煮え立った川には男や女のむくろもたくさん浮かんで流れます。

 ものの数秒の裡に悪夢のように変わり果てたその光景はとても現実のものとは思えず、これほどの災厄をもたらすほどの恐ろしい武器を妾は目にしたことも耳にしたこともありません。聖書に出てくるソドムやゴモラの街の廃墟の前に居るようでした。仏教の教える地獄のような有様でした。

 けれどもこの街の人びとが、野菜売りの老婆やそれを買いに来る主婦たちが、このような悲惨な仕打ちに値するような罪を犯したようには見えなかったのです。

 ……


 嗚呼、と妾は声もなく叫ぼうとしました。

 もしもこの世界に神や仏というものがあれば、こんな暴虐を赦すはずがない。この災厄から人を救えない天子は勿論神ではない。この世に神仏なぞというものは無いのだ。ひとは死んでしまえば、ただ命のない物の世界へと帰るだけなのだ。

 だのに何故ひとは生まれ、そして死ぬのだろう。自分の力ではどうにも出来ぬこの生の世界へ投げ込まれ、運命のままに命を奪われねばならぬのはどうしてだろう? ……先生、輪廻転生など本当にあるのでしょうか。もしも在るとしてもそれは、魂が永遠に苦の世界を彷徨うだけの、地獄巡りの旅の別称ではないでしょうか。

 妾は憤怒と、荒ぶる気持ちを抑えながら、必死で祈りました。

 神や仏というものがなくとも、妾にはただ祈ることしか出来ませんでした。

 観音さまに祈りを捧げることで、精一杯でした。

 途方もない未来の果てにこの地上に現れて、迷える衆生である妾たちをお救いになるという観音さまに。悟りへの道をお示しになるという観音さまに。

 そして妾の信心の限界を超えて、慟哭が、妾の五体を貫いて呻き声を上げたのです。

 

 その刹那、どうしたものでしょう。妾のすべての化身たち、蝶の群れはひとところに集まり、次第に仏のかたちを現したのです。その頭部は凝集して憤怒の相を示し、かっと見開いた眼は天地を睥睨して、あらゆる諸悪を討ち滅ぼさんと異様な光を以って激しく燃え立つのでした。

 それは妾でもあり、同時に妾ではありませんでした。管野須賀子の怒り、妾の悲しみと嘆きとがひとつとなって、ついにこのような姿に化身したのでしょうか。

「観音さまがお怒りになっている」

 妾は叫びました。

 そうして、三千世界の果てまでも轟く咆哮を上げながら、右手に持った錫杖を大ぶりに振り上げると、まるで世界を両断せんばかりに振り下ろしたのです。……


 明治四十四年一月十九日のことです。


 その時、柱時計の振り子の動きが次第に緩慢になり、やがて止めをさされた猛獣のようにぴたりと動きを止めてしまうのが見えたのでした。





 山々の雪はすっかり溶け、春めいた陽気が心地よい季節となって参りました。野山には春の花が咲き乱れ、田畑を耕す牛馬の嘶きにまじって、鶯の澄んだ声が妾の心を和ませてくれます。そうはいっても、遠く高く聳える峰々に囲まれたこの土地は、まるで年中が春のようなもので、酷暑に日照りの心配をすることもなければ、台風の被害を恐れることもありません。かといって、寒い北の土地にあるというわけでもなく、冬に大雪に閉ざされることもないのです。年中が穏やかな気候の中、人びとは思い思いの作物を田畑に植えて、皆でその収穫を分け合いながら静かに暮らしています。この小さな集落に落ち着いて、どのくらい経つのでしょう。畑仕事にもすっかり慣れた妾は、時折は子供たちの集まる教場へ行って、読み書きなどを教えることもあります。

 ここは土がよほど肥えているせいか、何度同じ作物を植えても土が痩せることがありません。それどころか、ろくに水をやらずともすくすくと育つので、仕事を終えても時間は余るほどあるのです。その余暇を使って、人びとはそれぞれ自分の得意を生かして、生活に必要な様々な道具類を作り出してしまうので、職人や商人もまた必要がないようでした。土地も農具も、個人のものはなくすべて村の所有なのです。それを無償で貸してもらえる代わりに収穫を皆で分け合うことになっているので、ここには争いごとというものがありません。そもそも、ここの村人には自分だけがよい思いをしようという欲がないのです。この村で暮らし始めたころ、妾に宛がわれた家に、村長らしい年配の男性が訪ねてきたことがありました。妾が丁寧に挨拶と自己紹介をしたところ、村長は優しく微笑んで首を振り、祝いの品をいくつか置くと何も云わずに帰って行きました。

 村の人たちはみな親切でした。やがて畑を借りて働き始めると、農作業で分からないところがあると必ず、近くを通りかかった誰かが教えてくれるのです。妾はあることに気付きました。ここで暮らす間、人びとがお互いに呼び合うのをそれまで聞いたことがないのです。道々で出会った村人はお互い、目で挨拶を交わすと用件に入り、用事が済むとそれ以上世間話に興じることもなく去っていきます。村人同士の関係は、実にあっさりとしたものでした。それでいて、冷淡ということはなく、まだ新参者の妾などに対しても、村長に対するのと同じように丁重に接してくれるのです。

 村長というものはあっても、ここには身分の上下や貧富の差というものもないように見受けました。作物は平等に皆で分け合い、必要な道具類は村から借り入れられ、家具やこまごまとした雑貨などは手作りしたものを交換すれば用は足ります。お金というものが不要なので、それを更に貯め込もうという人物も見当たりませんでした。この集落に、外から役人のような偉い人たちがやってくることがないのもまた不思議なことでした。妾は村長に、ここと同じような村々は他にもあるのだろうか、それを統べるさらに上の役人というものはないのだろうかと訊いたことがあります。村長は、同じような村々はこの世界に無数にある、と答えました。だが、それらを統べる役人のようなものはどこにもないと云うと、髭を撫でて微笑を浮かべました。

 村長はどうも得心の行かない妾を察したものか、峠をひとつ越えたところにある隣の村を訪ねてはどうだろうと妾に勧めました。妾は一日の作業を終えると、村の人たちが設えてくれた荷馬車の荷台に座って、隣村へ向かったのです。贈り物として、村で搗いた色とりどりの餅や、木工好きの青年の作った工芸品の数々を積んで、まだ見ぬ新しい村へと向かいました。

 それにしても、何という美しい景色だろう。よく手入れされた田畑がどこまでも続き、ほとんど自然林のままに残されている瑞々しい山野が広がります。その上、道はよく均されて塵芥ひとつなく、野の獣たちも性質は穏やかで、人を恐れることがありません。渓流の流れはどこまでも清く、あの松合の田舎の近くでもつい見られないものでした。

 カーン、カーンと樹を切り倒す音が何処からともなく木霊します。妾は荷車を留めて、少し寄り道をして、山小屋の方へと茂みを歩いて行きました。樵は手ぬぐいで汗を拭くと、こちらを振り向いてにっこりと笑いかけ、近くの切り株に座るよう手招きをします。その無邪気な笑みにすっかり警戒を解いて、妾は昼の弁当にと持ってきた握り飯を半分、その人に分けました。よく日に焼けた大男でした。そして、取り出した缶詰を開けると妾にすすめながら、遠く見える集落の、大きな風車を箸で指して云いました。缶と樵の顔を見比べながら、妾はどこかで見覚えがあるような気がしました。

「なかなか大したものでしょう。素人ながら、あれは私が作ったのです」

 その人は、以前は機械工の仕事で国中をあちこち転々とする暮らしだったと身の上を語り始めました。そして、ここへ落ち着いてから樵に商売を変え、村になにか得意なことで貢献したいとだんだん考えるようになったそうです。そうして、昔取った杵柄を生かして、麦を挽くためのからくりを拵えることにしたのだと胸を張ってみせたのです。その風車がとてもしっかりと働く機械であることが、遠目にもよくわかりました。風を受けるとゆっくり廻るその動きが、いくつもの歯車を伝わって軸に伝わるのが目に見えるようでした。そうして、ぎしぎしと大きな音を立てながら動力が臼を回す様子が、この山の中腹からもよくわかるのです。風の強い日には村中の麦を粉に挽いてもまだ余力があるほどで、隣村からもぜひ借り受けたいと申し出があるほど評判だと云います。

 あんなに大きな風車をどうやって貸すのかと訊くと、それは手間だから設計図をあげてしまうのだと彼は答えました。実をいうと、この風車も遠くからやってきた旅人から借りた図面を基に新たに設計をやり直したものだということです。ここには、設計の権利を主張して使用料を取ろうと考える人は誰もいないのだと云います。妾ははっと気付きました。そもそも、ここにはお金というものがないのです。権利を主張してお金を要求することも、お金を貯めることも意味がないのです。では、どうやって生活が成り立つのかといえば、お互いに労働や生産物を融通し合って助け合うので、現世では労働や価値を媒介するお金というものが不要になるのです。妾はじぶんの暮らす村での暮らしを思い浮かべました。

 もうひとつ、妾が驚いたのは発明についての考え方でした。誰かが何か素晴らしい発明を行うと、ただちにこの世界の隅々にまで伝播して皆に恩恵を与えるのだと云います。誰も各々の工夫や改良を妨げることもなく、また権利の取り合いといった余計なことに煩わされることもないので、個人は自由にじぶんの発明に没頭できるのだそうです。千里眼を巡る学会の争いごとが、脳裏を掠めました。ここにはあのようなことはないのです。個人の発明や発見が、その権利や縄張りをめぐる争いなど経ずとも社会の発達に無駄なく生かされるのだと聞いて、妾はたいそう感心したものです。


 妾は礼を云うと、山を下りて風車のあるその村へ向かいました。緑なすなだらかな丘陵に囲まれた家々は、大きな鏡のような湖の傍の街道沿いに並び立ち、若者を乗せたボートが数艘、水鳥のように湖面を滑って行くのが見えました。

 やがて妾に気付いた若者がこちらに向かって手を振ると、村長が伝書鳩か何かで予め到着を伝えてあったのでしょうか、大勢の村人たちが総出で出迎えて、妾を歓迎してくれたのです。その中には、何故だか見知った顔がいくつかあったのですが、どうしても名前を思い出すことが出来ませんでした。

 広場にはたくさんのテーブルが設えられ、芳ばしい料理の皿が次々と運ばれて、大人も子供もみな嬉しそうな笑顔です。今日は村のお祭りの日なのだろうと妾は思いました。白髪の眼鏡の老婦人が近づいて来て、にこりと笑って挨拶をすると、わっと歓声が上がって、子供たちが駆け寄ってきます。妾はこの人が村長に間違いないと思って、荷車で運んできた記念の品々を贈りました。

 村長が高齢の女性であることに妾は驚きました。でも、それだけではありません。よく見ると、高齢と思えたのも若い女性のようでもあり、また女性と見えたのも目を凝らせば男性のようでもあります。妾は戸惑いましたが、それを見て取ったのか、傍の見知らぬ人が、ここではお金が価値を持たないのと同様に、年齢や性別もまた意味がないのだと教えてくださいました。


 やがて村の楽団が演奏を始めると、集まった人びとは手に手を取って、ステップを踏み始めたのです。それはまるで、西洋のどこかの国のお祭りのような光景でした。これまでの妾の知らない、夢のような時間がここには流れていたのです。くるくると舞い踊る人びとの輪にまぎれて、ひとりの女性(妾には慥かに女性に見えたのです)がこちらへ向かって来るのが目に留まりました。動きやすい洋装で、血色もよいのですぐには分かりませんでしたが、あの管野須賀子という女性に紛れもなかったのです。

 これは夢なのだろうか。けれども妾は蝶の姿ではなく、他の人からもしっかりと人間の姿に見えているのです。そして、妾を認めて微笑みかけると、ようこそ、屹度来てくれると思っていたわと告げました。

 何故か嬉しくなって、名乗りを上げようとしましたが、彼女はそっと口に指を当てて、

「あなたのことは何でも知っているのよ。あなたが私のことをみな御承知のように」

 そう云って微笑みます。妾があの不思議な夢の中で彼女を知っていたように、彼女も妾のことを知っていた。

 聞けば、同じように自分が蝶の姿になる夢を見て、その夢の中で妾の暮らしをつぶさに見ていたのだと云います。妾はこの世界の成り立ちの不思議に思いを馳せました。お互いに蝶となって夢の中を訪ね合いながら、ついぞこれまで顔を合わせることのなかった二人。

 こうして妾たちはすぐに打ち解けてしまったのです。そして、見たこともない料理に舌鼓を打ちながら、お互いの生まれ故郷や生い立ち、子供の頃の思い出のあれこれについて、語り合いました。辛い思い出も、こうして二人で話をしていると不思議と浄化されてしまうのです。あの夢の中では、まったく対照的なふたりとしか見えなかったものが、まるで双子の姉妹のように近しいものに思えて、自然に親愛の情が芽生えるのが分かります。

 妾たちは、賑やかな広場から少し離れて、野原にほど近い川縁を歩くことにしました。

 不思議なことね、と彼女が感慨深げに呟きました。

「私や幸徳先生の目指した世界は、みんなここにあったなんて」

 子供たちがザリガニ釣りをしている傍らを、牛がゆっくりと通り過ぎて行きます。畑の中に点在する低木の木陰には、煙草をふかしながらのんびり空を見上げている農夫の姿もあります。それは瞑想する印度の哲人のようにも見え、悠久の時間の中で森羅万象と一体になりながら、深い宇宙の哲理を洞察するようでした。澄みきった空のかなたに見える峨々たる峰々は、文明の汚濁からこの雄大な天地を護るように屹立しています。もしも天国というものがあるのならかくもあろうという壮麗な眺めに、妾はただ見とれるばかりでした。そして程よい丘の斜面を見つけると、頷き合ってそこへ腰を下ろしました。

「こんなに、すぐ傍にあっただなんて。ねえ、可笑しいと思わない」

 そう女学生のように無邪気に笑う彼女に釣られ、妾も思わず笑いました。幸徳先生や、あの主義者と呼ばれていた人たちのことを訊ねると、みなこの村で新しい仕事を見付けて、それぞれに意義深い生活を送っているということです。妾はふと、風車を自慢していた樵が、缶詰を開けるところを思い出して可笑しくなりました。あの幸徳先生という人は、まだやり残したことがあるからと、近いうちに地上へ戻る予定で、その日取りについて村長に掛け合っている最中だと云います。

 どうして地上では、この村の人たちのように平和に暮らせないのだろう。富を求めて国同士が、名誉を求めてはひとが相争う、そんな世の中をいつまで続ける積もりだろう。ここでは、そうではない人間の暮らし方というものを皆が知っているというのに。

 可笑しいわね、と妾たちは顔を見合わせて、笑いました。

 そして腰を上げると、丘の上にある花畑を目指して、手を取りながら駆け出しました。



 福来先生は今頃、どうしているかしら。もうお年だから、御病気で臥せっていらっしゃるかも知れない。大学をお辞めになったのは随分まえだったかもしれないけれど、千里眼のご研究はまだ続けていらっしゃるのだろうか。もしや、あの戦争で奥様の御実家へお移りになって、悠々自適に余生をお過ごしかも知れない。

 何だか、妾には分かるような気がします。屹度そこは、古いお城のある大きな城下町で、先生は地元の優しい方々に慕われて、幸せな日々をお過ごしだと思います。大勢の名士や若い将来のある方々が先生を囲んで、みなが楽しそうに談笑している様子が目に浮かびます。そして先生の業績がいつの日にか世の中に認められ、弟子の方々がそのご研究を引き継ぐことになるでしょう。妾はその日が来るのを心から楽しみにして居ます。

 この世の中が進んでゆく先には、屹度、あの今際の際に目にした幻のように、地獄のような苦しい時代もあるかもしれません。露国との戦争や、あの震災のような災厄が、再び妾たちを見舞うこともあるでしょう。でも、そんなことを思う時、妾はあの樵の男性が胸を張った、よく働く立派な風車のことを思い浮かべるのです。どんな時代の逆風を受けても、それを大きな羽のうちに吸い込んでしまい、力強く前へ進むための動力に変換してしまう、あの風車のことを。ひとびと皆の力を一つに結び合わせて作り上げられた、あの風車のことを。

 妾は出会った人びとを通じて、ひとつ大事なことを知りました。観音さまをただひたすらに拝み、祈念するしかなかった妾に欠けていたもの、それは未来は妾たちすべての手の内にあるという信念でした。ひとえに人びとの努力次第で、未来は良いものにも悪いものにもなるということ。それを忘れて、運命にただ翻弄されるがままに、他力本願の信仰に身を委ねていたのが、過去の妾だったのです。


 本当に、人生の有為転変というものは分からないものです。


 先生は以前、古い中国の故事を引いて教えて下さったことがありました。

 ひとの一生は夢のようなもので、この生きている己の人生も、夢の中の別の自分の見ている夢かも知れない、人生は夢のようなものであるが、夢もまた人生である、と。慥か『荘子』にある「胡蝶の夢」という一篇のように思います。

 あの短い妾の生涯は、もしかすると蝶である妾の見た、永く儚い夢であったのでしょうか。


 先生、こんなにも美しい朝には、たまには障子戸を開け放して、奥様といっしょに縁側に出られては如何でしょう。朝露にきらめく花壇の花々が、眼を閉じた妾の心にありありと浮かびます。その花々をめぐって、陽射しに鱗粉を輝かせながら舞い踊る二羽の蝶を見かけたら、それは妾かもしれません。



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蝶番風流奇談 宮脇無産人 @musanjin

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