15.2章 攻撃作戦始動2

 ペンシルベニア大の研究所で電子計算機の1号機が試験を開始した。アメリカ政府からの強力な支援のおかげで、数倍に増えた資金を使ってノイマン博士のチームが開発した試作機は、設計開始後、4カ月で動作ができていた。


 ノイマン博士は、もともと真空管式のコンピュータを十進法で設計することを考えていたが、日本の小型計算機の構造を分析してからその方針を変えた。計算機内で扱う情報を二進法を基本とするように全面的に変更した。素子の電子的なスイッチング動作を前提とするならば、二進法を基本とすれば、圧倒的に回路との親和性も良くなって無駄がない。それに加えて、日本の計算機に使われていたフェライトリングを利用した磁気記憶素子については、同じ構造の複製品を作って、博士自身の計算機の記憶部として利用していた。


 早期に計算機が実現できたのは、ベル研究所の努力で半導体素子が想定以上に早くでき上がったのも大きく貢献していた。ベル研究所は以前からトランジスタ素子を独力で研究していた。ある程度動作はするものの、最大の問題は流せる電流が小さく、素子として満足な増幅率が得られないことだった。増幅できないのであれば、単なる抵抗器と同じになってしまう。日本製の半導体を分析できたおかげで、あと一歩のところで停滞していた課題を解消できた。電子と正孔の移動度を増すために、シリコンに浸透させるべき不純物の適切な量が判明したおかげで、画期的に電流が増えた。これにより、短期間で実用可能なトランジスタ素子を完成できたのだ。


 そもそも計算を実行する部分とは独立に記憶部を設けて、プログラムを内蔵させてそれに基づいて演算を実行させるコンピュータアーキテクチャをノイマン博士は考えていた。日本製の計算機を分析すると、その装置は彼が構想していた機能を完全に備えていることに驚いた。それと同時にかなり勇気づけられた。名も知らない日本の技術者が、博士の考え方が正しいことを証明してくれたのだ。演算を実行するためのコンピュータの命令は、この設計を開始する1年前から机上で検討してきた。命令セットに限らず、事前に検討してきた計算機の構造(コンピュータアーキテクチャ)を生かして設計できたのも、開発期間短縮に大いに役立った。


 この日、ENIACと名付けられたアメリカ最初のコンピュータは、試験用プログラムを用いて本格的な機能検証の段階に入っていた。


 IBM製のプリンタから印字された用紙を持って、ENIAC設計部隊の主要メンバーであるエッカートがやってきた。

「アリューシャンで我が国が手に入れたサム(烈風)の計算機から抽出した情報の分析が終わりました」


 アクタン島に不時着して裏返しになっていた烈風は、アメリカ軍が飛行可能な状態に修理して飛行試験を開始していた。一方、照準器はひっくり返った衝撃でジャイロが壊れていたが、制御用の計算機は動作した。しかも不揮発性の磁気記憶には内蔵していた情報が残っていた。その計算機に残されていた情報をプログラムであるとの想定により解読していたのだ。


「やっと意味のある情報へと復号することができました。やはりこれは、計算機が実行すべき命令群でした。命令の種類は数十程度で論理的に構築された命令群なので短時間で内容の解釈まで可能です。実行した計算結果により次に実行する分岐命令を備えています。しかも外部からの信号により実行中のプログラムを一時中断して、異なる処理を実行する機能まで備わっているようです」


「なるほど、外部からの信号で優先すべき処理を即座に実行できるわけだ。確かに照準器のように即時の反応を要求される使い方には必須の機能だな。やはり、日本人は我々よりも一歩も二歩も先を行っているというわけだ」


 ……


 ノイマン博士たちは、日本人の計算機が備えていた機能で、自分たちの装置に必要だと判断した機能を追加することにした。もちろん全てではなく、割り込みなど有用だと判断した機能だ。日本の計算機のアイデアも取り入れて機能を強化したおかげで、ENIACの実用性は大幅に増すことになった。


 機能強化したコンピュータにより、ペンシルベニア大の研究室では、試行としてハワイの太平洋艦隊司令部が過去に傍受した電文の分析を始めた。日本の電文は計算機により暗号化されているという前提での解読だ。


「やっと意味のある単語がみつかりました。電文の頭の部分の数字が解読できました。やはり、2進数を基にした電文を計算機が暗号化しています。テキストの2進化の符号則については、彼らの計算機命令と共通するところがあります」


「本文の最初に追加されている部分の数字は、ある程度わかるようになったのだな。方向性としては我々のアプローチが正しいということだ。それでもまだ電文本体の意味は全く不明だぞ。解読のための演算式をいくつか変えてみる必要があるな」


 しかし、演算式を変えたり、アルゴリズムを変更してみたが、入手できた限られた電文では、一部の数字しか判明しなかった。しかも時間も不足している。

「頭のヘッダ部分と電文の本文は暗号化の方式がおそらく違います。本文自身を解析するには、参考にすべき文章と計算機の性能が圧倒的に不足しています。我々の計算機ではもっと長い時間をかけて多数の暗号文を解析しなければ、これ以上の進展はなさそうですね。それに加えて、我々はコンピュータの知識はあっても、暗号分析については素人です。暗号の知識を有する専門家の参加も必要です。ところで、やっとわかったこの数字は、位置を示す緯度と経度じゃないですか?」


計算機は本文の先頭部分に送受信しやすいように付加情報を通信時に追加していた。この人間が意図していない部分は、暗号化されていたがその中に通信文を発信した座標情報が含まれていた。ノイマン博士のコンピュータは、構造が簡単だったヘッダ部分だけを先に解読できたのだ。


 実際に地図上にプロットしてみると、暗号文に記載されていた地点はハワイとサンフランシスコとの間の海上だった。

「これは、過去に受信した通信文なのだから、過去の日本軍の作戦に関係しているのだろう。この位置に該当するのは、輸送船団に対する潜水艦攻撃作戦ではないだろうか」


「つい最近、傍受した情報もありますよ。同じように解析できれば、これからの日本潜水艦の作戦予定の位置がわかるのではないでしょうか」


 エッカートの推定は正しかった。但し計算機が撃ち出したのは、最初の電文よりもかなり南方の海上だった。むしろ赤道に近い座標だ。


「これは……」


 ノイマン博士のチームはわかった情報をアメリカ陸軍信号情報局(SIS)に送付した。政府の支援で開発したので、暗号関係の情報は陸軍の情報局に報告するように命令されていたからだ。


 ……


 信号情報局のフリードマン長官は、ペンシルベニア大からの報告に驚いた。

「彼らの計算機は、ほんの少し前に試験的に稼働を開始したはずだ。既に成果が出てきたのか?」


 SISの暗号担当だったローレットは、あらかじめレポートを読み込んでいた。

「この報告書には、日本軍は暗号処理に計算機を使っているとあります。それも一度暗号化した後に、2進符号を周波数変調して電波に乗せているようです。報告書が事実ならば、人間では周波数変調された信号の復調さえ困難でしょう」


「我々が日本人の暗号を全く解読できないという事実からは、その見解を否定できない。君はペンシルベニア大学に出向いて、ノイマン博士の暗号解読をサポートしてくれ。私は、現時点でわかっていることを陸軍と海軍の上層部に報告する。少なくとも解読した数字を信じるならば、日本軍はこの場所に大いに興味を持っていることになるからな」


 フリードマン長官の指先は、北米大陸と南米大陸の間の最も幅が狭くなったところを指していた。


 ……


 スペインに諜報活動の拠点を移して活動していた由利中佐は、須磨公使の助手として秘密の仕事をこなしていた。戦闘に関係する情報や軍からの要求は、まず中佐のところに入ってくる。そのため、米国や英国での諜報活動に関する限り、彼が実質的な主導権を握ることになった。


 米国で活動を行う「東機関」の特徴は、スペイン系アメリカ人として、いくつかの工場や研究機関に労働者を装った諜報員が入り込んでいたことだ。そのため、由利中佐は、米国の科学研究や新兵器開発に関する情報を収集できていた。彼は、須磨公使に日本に報告する内容を説明していた。


「アメリカ政府からの支援により、自動的に演算する電気式の装置がペンシルベニア大学で開発されています。大きな部屋全体に装置が設置されてたとのことです。最近になってアメリカ政府がかなり力を入れ始めたようで、研究組織が急速に拡大しています。まあそのおかげで、我々の諜報員も研究室に入り込めたのですがね」


「その電気式の装置というのは、間違いなく電子計算機だな。使用目的は複雑な科学演算や暗号処理だろう。我が国の電子技術者が情報を解析すれば、もう少し詳しい内容がわかるかもしれない。計算機が暗号処理や兵器開発に使われれば、我が国にとって大きな脅威になるだろう。すぐにも報告しよう」


「もう一つ、軍から収集を要求されていた航空機の情報が入っています。米海軍の逆ガルの戦闘機はチャンス・ヴォート社のF4Uコルセアという2,000馬力エンジンを搭載した戦闘機です。これとは別に2,000馬力エンジンを搭載したグラマンの新型戦闘機が開発されています。アリューシャンの戦いに登場した米陸軍の戦闘機はリパブリック社のP-47サンダーボルトです。もう一つ、液冷エンジンのP-51マスタングという戦闘機は改良型になって大きく性能が向上したようです。更に、ボーイング社のB-29という巨大な四発機の開発が進んでいます。既に試作機が飛行試験を開始しています」


「航空機に関する情報も日本に急ぎ報告しよう。我が国の戦闘に直接関係するからな。それで、新たな空母や戦艦の動向はわかったかね? 確か、連合艦隊から要求が来ていたと思う」


「米軍が建造していた大型正規空母の名前がわかりました。『エセックス』と命名されて、昭和17年末(1942年)に竣工しています。既に竣工して訓練中のようです。また、巡洋艦改造の小型空母は『インディペンデンス』という名称で、艦艇としては完成しています。双方ともにかなりの数の姉妹艦が建造中です。今のところは、機動部隊として戦力が充実しないと太平洋には出てこないでしょうね。ニューヨークで建造中の30ノットの新型戦艦はまだ完成していません。こちらは竣工までには、まだしばらく時間がかかるでしょう」


 ……


 スペインからの情報は、内容に応じて関連部署に機密扱いで分析依頼が発出された。


 技研の計算機開発課は、ペンシルベニア大が開発していると思われる装置の情報分析を依頼された。諜報機関が入手した情報には、詳細な技術的な内容は含まれていなかったが、誰が聞いても電子計算機だとわかる。


 戦争開始前からアメリカの研究機関は、電子的に動作する自動計算機に関する論文を発表していた。それらはリレーを使用していたり、特定の方程式の解を求める限られた用途の真空管式計算機だったが、近代的な電子計算機を生み出すための土俵には十分になり得る。我々もベル研究所などの論文を目にしていたので、米国製の計算機が遠からず登場するだろうと前から想定していた。


 望月少佐が、分析結果をまとめて真田少将に報告していた。

「この情報が事実ならば、アメリカの研究所で計算機が実際に稼働しているということになります。計算機は、弾道計算や各種の装置や機器の開発用途に使うことができるはずです。もちろん、暗号解読にも使われるでしょう」


「我が国の暗号も解読される可能性があるということなのか?」


「計算機を利用した我が国の暗号は、まず解読されないと言われてきました。しかし、それは計算機が解読しない限りという但し書きがついています。その前提が崩れたのです。当面は、長期間同じ暗号を使い続ければ解読されるという前提で、定期的に暗号鍵を変更するという方法で運用するしかありません。陸軍と協力して、現状より強力な暗号化法も開発する必要があると思います」


「暗号化の演算式を変更して、強度のもっと高い方法に変更するということだな。新暗号については、私の方から、陸軍参謀本部に要請しよう。それと、米国製計算機の性能推定についても要求されているが、この情報からでは不可能だろうな?」


「ええ、全くわかりません。しかし、大きな部屋一杯の装置とのことなので、我が国の『オモイカネ』に相当する大型の計算機です。もちろん性能は不明ですが、稼働を開始してからそれほど時間が経過していないようなので、我が国の計算機より進んでいるとは考えられません。大学の研究室で動き始めたというのも、初期の試験機だということを示唆しています」


 ……


 軍令部から問い合わせを受けた空技廠では、入手した情報により、新型機の分析を実施した。


 福留少将と富岡大佐を前にして、飛行機部の杉山少将と山名少佐は飛行機部で作成した書類の説明を始めていた。

「おそらく、海軍機であるF4UコルセアとP-47サンダーボルトは18気筒の同じ空冷エンジンを搭載しているのではないでしょうか。これらの戦闘機が使用している2000馬力のエンジンは、常識的に考えて、P&Wとライトの2社のどちらか、あるいは双方が開発したと考えて間違いありません。グラマンが開発中の戦闘機も似たような機体になるでしょう。今までのグラマンの傾向から考えると、やや主翼面積の大きな格闘戦を考慮した機体になるかもしれません。性能については、珊瑚海やアリューシャンでの戦闘結果から360ノット(667km/h)から370ノット(685km/h)以上は出ているでしょう」


 すぐに富岡大佐が応答する。

「北太平洋では我が軍の烈風が苦戦したようだが、それも当然だということか。2,300馬力発動機を装備した烈風改ならば対抗可能だろうな?」


「烈風はP-47との戦闘に苦労していますが、烈風改ならば負けないでしょう。ちなみに、リパブリック社のP-47は、P-43からの進化型と考えられます。P-43は1,200馬力のエンジンに排気タービン過給機を搭載していましたが、P-47も同じ装備法だろうと思います。そうだとすると、戦闘高度が8,000m以上の高空になれば、P-47が有利になります。我が国は、紫電改で対抗する必要があるでしょうね」


「B-29という爆撃機については、情報から何か推定できることはあるかね?」


「ボーイングが開発している四発機は戦闘機と同様に2000馬力を超えるエンジンを備えているはずです。しかも、B-17やB-24が排気タービン付きエンジンを搭載していることを考えると、この機体も同様の装備を備えているでしょう。機体の規模は不明ですが、間違いなくB-17より一回り以上大型化しているはずです。2,000馬力の発動機を前提とすれば、深山よりもやや大きくても爆撃機としては成立します。速度は、300ノット(556km/h)は超えるでしょう、高度9,000mで320ノット(593km/h)と言われても私は信じますよ」


「爆弾の搭載量や航続距離は想定できるか?」


「米軍機の傾向として爆弾の搭載量が大きいので、5トンから10トンは積み込めるでしょう。この爆撃機が深山と同程度の3000海里(5,556km)の航続距離を有すると考えると、アメリカ領土のグアム島から直接東京を攻撃できます。もちろん中国大陸に基地を建設すれば、大陸からでも日本全国への攻撃が可能になります」


「まあ、現状の中部太平洋の制海権では、グアムに大型機の基地を造るなどというのはかなり困難だが、中国の奥地やソ連領内に基地を建設する可能性はありそうだな。いずれにしても、高空を飛来する爆撃機の対応を急ぐ必要がありそうだ」


 黙って説明を聞いていた福留少将が初めて意見を表明した。

「とりあえず、現在の状況は理解した。戦闘機は改良型の烈風や紫電改の配備を今以上に急ぐように働きかける。陸軍も飛燕や鍾馗の次の戦闘機を開発しているから、それに切り替えてゆく必要があるだろう。高性能な爆撃機に対する日本国内の防空体制の強化も必要だろう。さしづめカムフーバーラインの日本版を整備する必要がありそうだな。ボーイングの新型爆撃機はいつ頃部隊配備になるだろうか?」


「アメリカといえども、大型機の試験が1年以内に終わるとは考えられません。昨年から試験飛行を開始したとしても、昭和18年末までは前線に登場することはないでしょうね」


 ……


 望月少佐の計算機開発部隊には、海軍艦艇が備えている暗号機のプログラムを更新するように指示があった。アメリカの開発している計算機に対して脆弱性を少しでも改善するためだ。次の作戦の開始までの1週間で改善せよとの命令だった。


 そんな短い期間でできることには限りがある。結局、我々は、暗号化演算を2回行うこととした。二重に処理するために、鍵を2つ使うことになるので鍵の長さを2倍に増加させた。こんな小手先の方法では、計算機を使った総当たりでの解読により、いずれ無効化されると考えていたが、時間を稼ぐことはできるだろう。


 本土に帰還している艦船に対しては、すぐに更新用プログラムを配布できた。しかし、洋上で航海中の艦艇に対しては、飛行艇が飛んでプログラムを書き込んだ磁気テープを運んだり、暗号機そのものを新しい機器に置き換えることで、短期間で更改を完了させた。こんな強引な手段をとったのは、もちろん次の連合艦隊の作戦に間に合わせるためだ。



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