14.5章 爆撃機開発

 栄を18気筒化したNK9(将来の誉)の成功が確実視されるようになると、中島社内の機体設計部隊でそれを使いこなすための検討が始まった。中島で開発した高性能エンジンを自社の機体に搭載しようという動きだ。中島で艦攻の設計主任だった松村技師は、天山のエンジンを火星から誉に変更することを提案した。


 新型のNK9は補機まで含めて重量が約850kgで、天山がもともと搭載していた火星と大きな重量の違いはなかった。エンジンの出力が250馬力も増加しているにもかかわらず、エンジンの直径に関しては圧倒的にNK9が小さい。つまり、重量を増加させることなく機首をより空力的に抵抗の少ない形状に小型化して、航空機としての推進力は十数パーセント増加することになる。


 しかも、大排気量のシリンダを使用した火星はもともと振動が大きな傾向があった。一式陸攻のように主翼にエンジンを取り付ける機体と違って、機首にエンジンをつけた天山はまともに、火星の振動が胴体に伝わってきた。それが、気筒当たりの排気量が減って、気筒数も増えたのでエンジンの回転は滑らかになった。加えて、誉は動的振動抑制バランサー(ダイナミックダンパー)を新たに内蔵した。操縦員にとっては、短時間搭乗するだけで振動の違いが明確にわかるほどの違いが出た。


 しかも、排気量の小さな誉への変更により、燃費が改善した。天山は、前線部隊から燃料タンクを防弾付きとすることを強く要求されていた。防弾ゴムを燃料タンクに追加すると、それだけ容量が減ることになる。それでも、燃費改善のおかげで航続距離が減少することは避けられた。


 天山22型(B6N2) 昭和17年10月制式化

 ・全幅:14.0m 折畳み時:7.2m

 ・全長:10.7m

 ・全高:4.3m

 ・翼面積:34㎡

 ・自重:3,150kg

 ・正規全備重量:5,190kg

 ・発動機:誉22型、離昇:2,100hp

 ・プロペラ:ハミルトン定速4翅、直径:3.6m

 ・最高速度:281ノット(520km/h) 5,500mにて

 ・武装:左翼固定7.7mm ×1挺、後方旋回13mm×1挺、後方下方7.7mm ×1挺

 ・爆装:航空魚雷×1、爆弾80番×1、50番×2、25番×3、6番×6


 ……


 昭和16年4月、十三試艦爆(彗星)の開発が終息に近づいたころ、海軍は次期の艦爆に対する検討を開始した。次の世代の艦爆ともなれば80番(800kg)クラスの大型爆弾を搭載するようになるはずだ。重量級の艦爆は、開発中の2,000馬力級の発動機を前提とすれば、十分実現可能と考えられた。1トン近くの爆弾を積載するならば、同じ重量の魚雷の搭載も可能なはずだ。もちろん、長大な魚雷は単発機の爆弾倉には格納できないが、その時は機外搭載と割り切れば艦攻と艦爆を1機種に統合できる。しかも胴体内の爆弾倉に爆弾を搭載する条件ならば、彗星並みの320ノット(593km/h)の速度も発揮可能だろう。


 この研究を基にして、海軍航空本部は愛知時計に対して、十六試艦上攻撃機(機体略号はB7A)の名称で艦攻と艦爆を統合する機体の開発を要求した。愛知時計は艦爆の設計経験を有する尾崎技師を設計主務者に指名して開発を開始した。


 B6Nは胴体下半分に爆弾倉を配置しなければならない。従って、主翼はそれを避けるために中翼配置となった。中翼にすると主脚がかなり長くなるので、内翼を斜め下方に傾けて最も高さが低下した位置に主脚を取り付けた。主脚位置よりも外側の主翼には上反角を持たせたので、全体の形状は逆ガル翼となった。中翼は、胴体と主翼取り付け部が交差する角度が直角に近くなるので、翼付け根に大きなフィレットがなくとも、干渉抵抗が小さくなる。


 主翼のフラップは発着艦時の速度を低下させるために、親子式の二重フラップを採用した。二重フラップは、ファウラー式の主フラップが後方に滑り出して下方に下がると、更にその先の補助フラップが引き出てきて下方に下がる構造により高い揚力を確保した。急降下実施時の急降下制動板(ダイブブレーキ)は主翼下面のフラップ前方に取り付けた。これは彗星艦爆の配置とほぼ同じだ。


 しかし設計が進んで、計算機による強度の確認や空力的な特性が明らかになると、設計の不具合が明らかになった。主翼の構造設計に不備があって、構造重量が著しく増加したのだ。機体の重量過大は速度や上昇力などほとんどの性能を悪化させる要因になる。設計の後戻りになるが、計算機によりかなり早い段階で発見できたので遅れは最小限にできた。構造を変更して重量を軽減したが、艦攻に比べれば強度が必要なので、主翼は重くなる。そのために急降下爆撃に耐えられるだけの機体強度を確保した十六試艦攻の自重は、主翼が一回り大きな天山よりも数百kg増加した。


 尾崎技師は、要求性能と搭載量を勘案すると2,000馬力以上のエンジンを使用すると決めていた。三菱でも中島でもほとんど差はないと考えていたが、空技廠からは中島のNK9を推奨してきた。尾崎技師自身も、空力的な整形と機体の自重を考えると、わずかでも直径と重量の小さなMK9(誉)にもそれなりの魅力を感じていた。


 計算機による設計促進の効果もあって、昭和17年3月には、十六試艦攻の試作1号機が飛行した。機体の試験を先行するために暫定としてエンジンは新星を搭載していた。試作4号機からは制式化直前のNK9C(誉21型)が使えるようになった。


 低抵抗でしかも重量級の機体に高出力のエンジンをつけたので、急降下を始めるとあっという間に加速する。急降下制動板を何度も改修して、面積も拡大した。すると、後方の水平尾翼に制動板で乱れた気流が当たって尾部の振動が発生した。最終的には下げ角の変更と乱流を減少させるために制動板に多数の小穴を開口することで振動を回避した。それでも、80番(800kg)爆弾を投下する場合は、過速となってしまう。このため、正確な照準を可能とするためには、70度の降下角度に制限することになった。


 この機体が実戦に参加してみると、実運用ではほとんど90度降下を利用することはなかった。ジャイロ式の急降下爆撃照準器の性能が向上したおかげで、70度程度の降下で投下高度を1,000m程度としても命中率はそれほど悪化しないと判定されたのだ。もちろん低空に降りてから爆撃すれば命中率は更に良くなるが、そんなことは許されないほど対空砲火が激しくなっていた。爆弾投下前に撃墜されれば元も子もない。


 珊瑚海の戦いが終わって、空母航空隊の立て直しが行われているころ、空母の改修が開始された。十六試艦攻は、全備過荷重では軽く6トンを超える。5トン級の天山に比べて1トン近く重量が増すことになる。この重量級の機体を運用するためには空母の改修が必要だった。


 そもそも日本空母の飛行甲板は鉄骨製のビーム上に10mm程度の鋼板を貼って、その上に50mm程度の木製甲板を貼り付けた構造だった。そのため、6トンの機体に耐えるためには、支持構造への鋼材の追加と飛行甲板自身の補強が必要となる。この点では、飛行甲板の直下に1層のギャラリーデッキを設けて、箱型構造により十分な強度を確保していた米空母の方が設計が巧みだった。機体を上げ下げするエレベータも5トンの機体が最大値になっているので、改修が必要だ。また着艦制動装置も従来の呉式四型では制動力が不足するので、空技廠発着機部が開発した油圧を用いて減速する新型への換装が必要になった。


 昭和16年以降の建造や空母改修が行われていた艦艇に関しては、これらの装備は当初から織り込み済みだったが、それ以前の空母はいずれも改修が必要だった。


 十六試艦攻は、初飛行後約1年の試験を経て昭和17年12月に流星として制式化された。


 流星(B7A1)

 ・全幅:14.4m

 ・全長:11.7m

 ・全高:4.1m

 ・翼面積:35.4㎡

 ・自重:3,520kg

 ・正規全備重量:5,990kg

 ・発動機:誉21型、離昇2,100hp(1段2速過給機)

 ・プロペラ:3.5m 4翅プロペラ

 ・最高速度:325ノット(602km/h) 軽荷重時、6,000mにて

 ・武装:翼内:13mm×2挺(携行弾数各200発)、後方旋回13mm×1挺

 ・爆装:航空魚雷×1、80番爆弾×1、50番爆弾×2、25番爆弾×3、6番爆弾×8


 ……


 十三試大型陸上攻撃機の開発を海軍が決定したのは、昭和13年(1938年)8月だった。要求条件は3トン以上の爆弾を搭載して、3,500海里(6,482km)を飛行できること、最大速度は240ノット(444km/h)で良好な操縦性を兼ね備えることだった。これは、明らかに四発機でなければ、達成不可能な要求だ。1社特命で開発を受注した中島飛行機も大型の四発機を開発した経験はなかった。それに対して、海軍航空本部はアメリカのダグラス社が開発したばかりの四発旅客機のDC-4Eを基礎として開発させることを考えた。ライセンスも海軍がアメリカから購入した。


 昭和14年(1939年)春になると、アメリカからDC-4の設計資料も届き始めて、基本構成の検討が始まった。昭和14年8月には海軍が民間企業を経由して購入した試作機も日本に運ばれてきた。しかし、この旅客機は、米本国ではエンジン出力に比べて重量が過大なことと各部の機構が複雑で整備性も経済性も悪いことから、1機の試作のみで早々と開発の中断が決まっていた。つまり失敗作を金を払って、つかまされたのだ。


 基本設計が進むと、中島の他の開発機と同様に計算機による性能推定や強度計算が始まった。旅客機から爆撃機への変更は、装備の追加だけでなく機体強度そのものを増加させる必要がある。しかも海軍の要求による航続距離の増加と爆弾の搭載により、重量はどんどん増えてしまう。


 設計課長の三竹技師が、海軍機部門を統括している吉田部長に相談にやってきた。計算機の出力した性能推定値を持参している。

「計算の結果が出てきました。これじゃあ、どんなに頑張っても低性能の機体にしかならないですね。理由は明らかです。そもそも機体の重量が過大です。予定している1,800馬力のエンジンを使っても十分な性能回復は不可能ですよ」


「なるほど。大きな機体なので懸念していたが事実になったな。これは、お客をたくさん乗せるための機体じゃないのだから、もっと機体を小型化して爆弾倉と燃料タンク、それに銃座が設置できれば十分だろう。しかし、そうなると、機体の再設計はかなりの規模になるな」


「根本的な機体の見直しを海軍にも報告します。このまま設計を進めても失敗作になるのは明白ですから、無理に開発を続ける意味はありません」


 吉田部長も計算機の結果に納得した。科学的に導き出した結果に対して、技術者は正直になるしかない。

「空技廠と航空本部への説明には私も同行する。それに先立って、中島社長にも説明しておくよ」


 中島から提起された問題は、詳細な計算結果も示されていたので航空本部も空技廠も反対できなかった。しかし、十三試大攻を救済する手段が思わぬところから出てきた。


 第二次欧州出張には、都合で間に合わなかったが、かねての望みが受け入れられて空技廠飛行機部の杉本大佐は昭和14年7月からドイツの航空機会社の見学を許された。


 杉本大佐の渡欧目的の一つが、日本ではまだ製造できていない大型機に対する情報収集だった。可能であれば購入して帰ることも許可されていた。当初見学できたのはDo19とJu89の四発爆撃機だった。いわゆる「ウラル爆撃機」として設計された機体である。しかし設計時期も古く、ドイツ空軍からも既に見放されてしまった機体は、杉本大佐の興味も引かなかった。


 その次に、フォッケウルフ社で見ることのできたFw200は、旅客機ではあったが近代的な設計で機体も洗練されていた。しかもフォッケウルフ社は日本への売り込みにかなり熱心だった。当時、まだFw200のドイツ軍への採用は決まっておらず、Fw190も試験飛行を開始したばかりだった。要するに、ユンカース社と異なり、売り上げの少ないこの会社は日本人の資金を当てにしたのだ。


 クルト・タンク技師もFw200を哨戒機や爆撃機などの軍用に改修することについては非常に前向きで、軍用化の要点を書類にまとめてくれた。しかも、変更案の図面まで急いで作成してくれたのだ。すぐにも手続きが行われて、昭和14年9月には、フォッケウルフ社が保有していたFw200試験機の1機が日本に輸出された。


 アメリカからのDC-4が却下された後に、中島と空技廠が参考にしたのが、日本にやってきたばかりのFw200だった。従来の十三試大攻(G5N1)の設計は中止して、この機体を参考として、G5N1とは全く違う機体の設計(G5N2)をやり直すことになった。


 とはいえ、Fw200も爆撃機として使うためには、いくつもの再設計が必要だったが、航空機としてははるかにDC-4よりもまともだった。何よりも、クルト・タンク技師が設計した機体に共通する特徴だが、いたずらに機構が複雑でなく、実用性を優先した設計だった。しかも、内部構造は作りやすさにも配慮がされていた。


 結局、三竹技師は、航空機としてはFw200を見本として設計を進めたが、電装品や油圧系統などの艤装品はアメリカのDC-4を参考にした。設計のやり直しのために開発は遅延していたが、クルト・タンク技師が作成した軍用化のための図面や説明書類も入手できたために、昭和15年(1940年)からは、十三試大攻の設計は順調に進みだした。


 Fw200は低翼形式で主翼の桁が胴体下面を貫通しているので、そこには爆弾倉が設けられない。そこで胴体下面にバルジ状の爆弾倉を追加して胴体とスムーズにつながるように成形した。ドイツ軍のFw200も軍用になって、爆弾の格納と銃座を設けるために別構造のゴンドラを下面に追加したが、中島はもっと大型の爆弾倉を胴体と一体化して設けた。Fw200の胴体断面は、旅客機として横3列の座席確保のために長方形と円形の中間的な形状になっていた。この形状は、座席配置のやりやすさと共に低翼となった主翼と胴体の接続部が直角に近い角度で交差することになって、整流のためのフィレットを縮小する効果もある。しかし、お客を乗せない爆撃機としては抵抗削減を優先したいので、相似形のままで2割程度断面積を縮小した。


 一方、パイプを複雑に組み合わせたトラス構造のような主脚は強度を増したが、再設計の手間を省いて構造はそのままとした。複輪(ダブルタイヤ)構成の主車輪もそのままだ。


 主翼は、FW200では、空力中心を若干後退させるために外翼部に後退角を持たせていたが、重心位置を調整して空力中心が一直線になる形状とした。おそらくFw200は、試作後に搭載物が増えて重心が当初よりも後退したのだろう。初期の試作機では直線翼だったが、まもなく外翼に後退角をつけて主翼の揚力中心を後方にずらしていたのだ。


 爆撃機として、全備重量が増加したので、フラップ面積の拡大と共にファウラーフラップ化して、離着陸速度の増加を抑えた。翼断面形状は、中島の内子技師が開発した翼型に変更した。これは、天山にも採用された初期の層流翼型だった。もちろん翼型の変更だけでなく、重量増加と爆撃機としての機動に耐えるように胴体も主翼も外板と桁材の厚さを増して構造を強化した。


 尾部については、尾輪の抵抗を減らすために、完全引き込みに変えた。また尾部に銃座を取り付けられるように、極端に胴体尾部を絞り込まず、ある程度の太さを維持するように尾部形状を変更した。


 未経験の大型機だったことに加えて爆撃機にするための設計変更の影響もあって、初号機の完成時期は、昭和16年5月になった。6号機までの試作機が順次完成して火星23型(1,800馬力)を装備して、試験飛行を続けることになった。試作4号機からは胴体の上下と機首と尾部に13mm連装銃座も追加されて、防御銃の試験も開始された。G5N2が、日本軍機としては初めて計算機制御のジャイロ照準器付きの動力銃座を装備することになった。


 昭和17年(1942年)2月になって、中島は2,000馬力のNK9が実用化に目途が立ってくるとエンジンの変更を決断した。海軍としても、もともと開発に注力していたエンジンへの変更をすぐに了承した。既に完成していた試作機もNK9にエンジンを載せ替えて試験を再開した。


 この結果性能も向上したので、大型機として長い期間の開発となったが、十三試大攻(G5N2)は深山11型として制式化された。


 深山11型(G5N2) 昭和17年6月制式化

 ・全幅:33.5m

 ・全長:25.2m

 ・全高:6.5m

 ・翼面積:132㎡

 ・自重:17.3t

 ・正規全備重量:28.5t

 ・発動機:誉23型、離昇:2,100馬力

 ・プロペラ:ハミルトン定速4翅、直径:4.0m

 ・最高速度:315ノット(583km/h)(6,200m、軽荷重)

 ・航続距離:3,000海里(5,556km、過荷重増槽装備)

 ・武装:機首13mm×2挺、胴体前方上部13mm×2挺、胴体後方下部13mm×2挺、尾部13mm×2挺

 ・爆装:航空魚雷×2、爆弾4tまでの組み合わせ


 三菱の新星エンジンが排気タービンをつけて試験を始めると、中島も同様の開発を開始した。もともと排気タービン過給器自身は空技廠の開発だったから、海軍の判断で情報を開示することは可能だった。NK9Cへのターボチャージャー過給器の追加はNK9Cよりも3カ月遅れてNK9Hとして完成した。


 深山はいち早く、排気タービン付エンジンへの変更を行った。大型機はエンジンルーム後方にまだスペースの余裕があったので、大きな変更をしないで排気タービンと中間冷却器の追加が可能だった。この辺りは、機体内部に余裕の少ない単発機が、排気タービンの搭載位置に苦しんだのとは事情が異なる。


 爆撃機にとって、排気タービンの利点は燃料消費を増やすことなく高空での巡航が可能になることだ。空気抵抗の少ない高空を飛べば、エンジン出力は変えなくても速度をあげて巡航できる。燃料消費率を変えずに、巡航速度が2割高速化できれば、それだけ航続距離が延びることになる。


 長距離を飛ぶことになる爆撃機にとって、自動操縦機能は必要になる機能だ。操縦士の負担を軽減して長時間飛行が可能になる。計算機を利用することによって昭和17年10月には完成した。しかも爆撃照準用計算機と自動操縦を連動させることで、命中精度を改善できた。


 深山22型(G5N3) 昭和17年11月制式化

 ・全幅:33.5m

 ・全長:25.2m

 ・全高:6.5m

 ・翼面積:132㎡

 ・自重:19.5t

 ・正規全備重量:32.0t

 ・発動機:誉33型ル、離昇:2,100馬力、1750馬力(9,000m)

 ・プロペラ:ハミルトン定速4翅、直径:4.1m

 ・最高速度:326ノット(604km/h)(8,500m、軽荷重)

 ・航続距離:3,300海里(6,112km、過荷重増槽装備)

 ・武装:機首13mm×2挺、胴体前方上部13mm×2挺、胴体後方下部13mm×2挺、尾部13mm×2挺

 ・爆装:航空魚雷×2、爆弾4tまでの組み合わせ

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