4.3章 十四試艦攻の開発

 新型機の開発が佳境になったころ、中島飛行機において、航空機設計への計算機利用を開始した機体があった。1939年(昭和14年)から開発が始まった艦上攻撃機である。海軍航空本部は、九七式艦上攻撃機の後継機として、1939年(昭和14年)10月に十四試艦攻の開発要求を中島への1社特命で発出した。主な要求条件は、速度250ノット(463km/h)以上、航続距離1,800海里(3334km)となっており、九七式艦上攻撃機の正常進化型といえた。


 中島飛行機で海軍機開発を統括していた三竹課長が様子を聞くために、陸軍向けの開発主任である小山課長のところにやってきた。

「次期艦攻の開発要求が海軍から出ました。今回の開発では、開発に計算機を利用しようと考えています。それで、小山さんのところでは、どの程度計算機を活用できているのか、様子を教えてほしいのです」


「そうですね、かなり効果が出ていると思っています。強度計算から始めて、すぐに重量や、空力的な計算にも利用範囲を広げつつあります。計算用のプログラムについては、うちの若い技師が作成したものが揃ってきているので、それを流用できると思います。艦攻向けには若干の修正が必要になるかもしれませんが、最初から作成するよりもずっと早いはずですよ」


 続けて小山課長はキ44で実際に行っている計算内容について解説した。計算で得られた結果の精度や計算に要した時間なども記憶に基づいて説明した。1時間ほど話して三竹課長の疑問点もかなり解消したようだ。


「わかりました。私が想定していた以上に計算機を活用しているのですね。私の部門でも計算機を使用することにします。ついては、先行して作成した計算用のプログラムについては提供をお願いします。おっしゃるとおり、航空機の開発で使う計算式は基本的には大きな違いはないはずですから。私の部門でプログラムを作成したら、お返ししますよ」


 三竹課長は、最初から特段の不都合がない限り計算機を使うつもりだった。小山課長から色々な説明を受けることで不安は払拭できた。しかも、もともとお願いするつもりだったキ44の部隊が作成したプログラムの利用も承諾を得られた。これで十四試艦攻の設計もはかどるはずだ。


 自部門に戻って来ると、十四試艦攻の設計主務の松村技師が待っていた。

「やはり海軍は三菱のMK4(後の火星)を使用せよとの意志が固いですね。我々が提案していたNAK(後の護)は、まだ開発途中のエンジンで性能や信頼性が不確実と判断されています。おそらく、我々から希望を出しても許可されないでしょう。最近の航空本部は、どうも着実に開発することを重視するように変わってきているように思います」


「欧州の状況が影響しているのだろう。ドイツのポーランド侵攻とそれに続く、イギリスとフランスの宣戦布告だ。地球の裏側では戦争が始まっているのだ。軍用機の開発もできる限り短時間で使える機体を早く持って来いということだろう。遅れる可能性のある最善よりも、必要な時期に間に合う次善を選択するという判断だ」


「それを言うなら、第三善を戦場に送れ。次善は遅れる。最善はついに完成しない、ですよ」


 松村技師は上司の考えに納得した。日本から見ればドイツの戦いは対岸の火事のように思えるが、太平洋に飛び火してくる可能性は十分にある。部下の様子を見て、課長は続けた。


「軍靴の音が近づいてきている今の状況ならば、海軍の考え方も間違いではないと思う。我々も機体として保守的になっても、早く十四試艦攻を仕上げる方法を考えよう。小山さんから計算機の活用状況について、様子を聞いてきた。計算機を活用すれば、間違いなく設計期間の短縮に効果があるはずだ。計算させるためのプログラムもキ44で使用した情報を渡してくれるそうだ」


 松村技師は使用するエンジンをMK4に決めて設計を開始した。出力が1,500馬力では、若干不足するが、機体の軽量化と空力設計で乗り切ることにした。エンジンの選択は悪いことばかりではない。MK4のほうが100kgは軽いのだ。


 十四試艦攻は設計を始めてから10か月後の昭和15年(1940年)9月に、試作1号機が完成した。試験飛行を開始するとすぐにプロペラのトルクと後流により、離陸でエンジンを全開とすると、激しい左への回頭が発生した。更に、全開としたときのエンジンの振動も当初想定したよりも大きい。これは単純にエンジンから振動が発生しているというよりも、大直径のプロペラが振動に関連しているように思われる。続いて、高速試験を行うために、降下で加速すると水平尾翼にフラッター気味の振動が発生することがわかった。


 松村技師は、プロペラの後流について風洞試験により、胴体の表面や主翼内翼部への気流の流れを観測した。彼は、風洞試験の結果も用いて計算機により左向きに回頭しようとする力を計算してみた。エンジンを離昇まで出力を上げると、100kgを超える力が機首にかかっていることがわかってきた。これでは垂直尾翼のあて舵だけでは、修正が困難だ。


 左への機首の回頭防止として、胴体中心線に対して垂直尾翼の取り付け角を左側に2度程度、傾けることで修正することとした。ドイツのMe109が垂直尾翼を左右非対称断面として尾部を左側に振る様に揚力を発生させたのと同じ対策である。


 尾翼のフラッターの原因は、機体の姿勢により主翼後縁からの後流が乱流となって水平尾翼に当たっていることだった。計算機で乱流を計算すると、尾翼のフラッターが増大して、破損へと発展する可能性もあることがわかった。そうなれば墜落だ。


 尾部全体の板厚を増加するとともに尾翼支持部の強度を増してフラッター対策とした。試作3号機からは、主翼後流を避けるために、尾翼位置を10センチほど上に移動することにした。


 なお、プロペラ後流以外にも、機首の振動が発生することも判明した。そもそもこの発動機は、高馬力を発揮できる代わりに振動が大きいと、もっぱらうわさになっていた。すぐに三菱の発動機部門に連絡する。飛行は不可能ではないが、長距離飛行時に搭乗員が疲労してしまう。また、機首振動は爆撃や雷撃時の照準に悪影響がある。すぐに三菱から、開発中の改良型では内部にダイナミックバランサーを追加しているので、振動抑制の効果があるはずだとの回答が来た。


 十四試艦攻の試作3号機は、昭和15年(1940年)12月に完成して直ちに試験飛行を開始した。3号機は、垂直尾翼に仰角をつける変更と水平尾翼の位置変更、加えて出力向上とともに振動対策を行った火星20型を搭載していた。改修により、1号機で発生した左回頭や機首振動、尾翼のフラッターなどの問題は解決していた。計算結果がすべて正しかったということが証明されて、計算機の威力を松村技師は改めて認識した。


 山本設計部長に、松村技師は自らの反省とともに報告を行った。

「機首の左回頭と尾翼の振動について、計算不足だったのは私の失敗です。最初から計算機を使う範囲をもっと広く考えていれば試作機が飛ぶ前から対策が可能でした。これからの設計は、全面的に計算機を利用して行くべきです。そうすれば試作機が飛んでから発生する問題を減らせます。結果的に開発期間の短縮が可能です」


 雷撃機として、空母での試験が開始されると、運用の課題が浮き彫りになった。当時の空母の呉式着艦制動装置は、4トンまでの機体が対象となっていた。ところが、十四試艦攻は自重は3トン台だが、魚雷や爆弾を搭載して、燃料を満載すれば、5トンを超える。重量級の艦載機はこれからも増えてゆくと考えられる。それを見込んで、より能力の高い着艦制動装置への置き換えが徐々に進んでいた。油圧による制動力の増加で、6トンの機体まで対応できる着艦制動装置は空技廠の開発が完了していた。十四試艦攻の試験も新型制動装置に改修が済んでいる空母を使うことが前提だが、改修が間に合っていなかった。新型の制動装置に変更した空母は「加賀」だけだったのだ。


 同様に重量級の機体に対して、能力の限界に達していたのがエレベーターだ。今までの空母のエレベータは、5トンまでの機体の積載が条件となっていた。装備を積み込んだ十四試艦攻はこれをわずかに超える。既存の空母について、エレベーターの能力強化改修も着艦制動装置同様に計画されていた。もちろんこれから建造する空母については、最初から能力の高い制動装置とエレベーターを装備する予定となっている。


 実際の魚雷を搭載して雷撃実験を開始すると、想定外の問題が発生した。十四試艦攻では、今まで以上に高速での雷撃になったため、投下した魚雷の海面での飛び跳ねや、入射時の方向変化が発生した。最終的には、海面への突入角を一定にするために魚雷頭部を基軸に対して、2度頭下げにして搭載することとした。更に、航空魚雷では、投下後の空中での魚雷の姿勢を安定させるために框板が尾部に追加されていたが、それをより高速向きの形状に変更した。



 一方、悪いことだけではなかった。試作3号機には、出力を増加させた火星20系を搭載することができた。火星20型は、18気筒エンジンのMK6に採用した空冷フィンや振動抑制のためのダイナミックバランサー、1段2速過給器を新たに採用していた。これらの施策により、ブースト圧や回転数を増加させることが可能となり、離昇1,850馬力が実現可能になっていた。直ちに火星10型の搭載は試作機にとどめて、量産機には試作機火星20型の採用が決定した。


 様々な問題の発生により、十四試艦攻の試験は約1年を要した。中には必ずしも機体が原因ではない課題もあったが、解決しなければ艦上攻撃機としての運用はできないのだ。昭和16年(1941年)9月に審査が完了して十四試艦攻は「天山」と命名されて正式採用された。


 天山11型

 ・機体略号:B6N1 昭和16年9月制式化

 ・全幅:14.0m 折畳み時:7.2m

 ・全長:10.7m

 ・全高:4.3m

 ・翼面積:34㎡

 ・自重:3,080kg

 ・正規全備重量:5,050kg

 ・発動機:火星22型、離昇:1,850hp

 ・プロペラ:ハミルトン定速4翅、直径:3.58m

 ・最高速度:265kt(490.8km/h)(4800m)

 ・武装:左翼固定7.7mm ×1挺、後方旋回13mm×1挺、後方下方7.7mm ×1挺

 ・爆装:航空魚雷×1、爆弾80番×1、50番×1、25番×2、6番×6

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