第4章 航空機開発

4.1章 新型エンジン開発

 昭和14年(1939年)9月には、中島飛行機で開発していたキ44と海軍の十四試局地戦闘機の共用化がほぼ決まった。三菱に内示されていた十四試局戦の開発は無くなった。しかし、すぐに次の戦闘機開発の仕事がやってきた。海軍航空本部が打診してきたのが、次期艦上戦闘機の開発だった。現状ではまだ正式要求にはなっていないが、来年になれば十五試艦戦という名目で次期戦闘機の計画要求が発出されるに違いない。


 中島が局地戦闘機を開発して、その代わりに三菱が経験を有する艦上戦闘機開発に専念するという海軍の決定については、堀越技師は好意的に受け止めていた。三菱にとっては戦闘機の受注が減ったために損失となるが、大局的に見ればおそらく望ましい方針だ。


 次の戦闘機開発に向けて、彼が頭を悩ましていたのはエンジンの選定だった。十四試局戦の検討時に決定できなかった高速機向けのエンジンについては、相変わらず解決していなかった。十二試艦戦以上の性能を実現するとなると、エンジンは1,500馬力以上の出力が必要だ。そうなると、自社製の十三試で開発中のMK4A(後の火星)が候補になるが、直径の大きなエンジンでどうやって高速機を実現するのかの課題が立ちふさがる。しかも艦載機となれば、大きなエンジンにより視界が問題になる可能性が高い。


 一方、国内生産準備中のDB600系の十三試ホ号(後のアツタ)にすれば出力が1,200馬力になるが、高速機に適した細身の胴体にできるだろう。視界についても問題視されることはないはずだ。このエンジンの問題点は、出力が十二試艦戦のエンジンからあまり向上していないことと信頼度が未知数な点だ。更に水冷固有の冷却器が必要となり重量が増える。空気抵抗も冷却器の形状を工夫しなければ、空冷とそれほど変わらないかもしれない。しかも、航空本部が十四試局戦では空冷エンジンを指定してきたという前歴がある。同じことになればもちろん候補から外れることになる。


 中島が開発したハ41エンジンという選択もあり得るが、大径のわりに出力が小さいので、MK4Aと五十歩百歩だと思える。エンジンに関して、十四試局戦と大きく条件が変わったのは、開発要求が来年にすれるということだ。この1年の間で十五試艦戦に使える開発中の新エンジンが完成すれば、問題はないわけだ。実は十四試のときには候補にならなかったエンジンが三菱社内で開発中だった。


 ……


 三菱が金星エンジンの小型版として開発した小直径のA14エンジンは、瑞星10型として昭和12年(1937年)6月に航空廠の審査に合格して量産に移行していた。1,055馬力に出力を向上した改良版の瑞星20型も昭和14年(1939年)10月に審査を終了していた。短期間での開発だったが、大きなトラブルも発生せず、三菱社内では開発は成功だと考えられていた。


 このようないきさつから排気量の小さな瑞星系のシリンダは、異常燃焼も起こりにくく、安定していると考えられていた。この信頼度のある小型シリンダを18気筒としたエンジンの開発が昨年から始まっていた。つまり、瑞星の18気筒化だ。三菱社内でA16と命名されたこのエンジンは、1,700馬力を目標として開発が開始されていた。これが完成すれば、十二試艦戦とさほど違わない大きさの胴体に1,700馬力のエンジンを搭載できる。エンジンの直径が中島の栄とほぼ同じで、1,700馬力の出力が可能であれば、間違いなく性能は向上するはずだ。それに加えて、十二試艦戦から胴体の太さがあまり変わらないならば、艦上機としての視界の問題も発生しないだろう。


 ……


 昭和14年(1939年)10月になって、新型エンジンの開発状況を確認するために、堀越技師は名古屋城の東方に新たに建設された名古屋発動機製作所にやってきていた。開発状況を知りたいという堀越技師の要望に対して、A16の設計主任の西沢技師自らが対応した。


 西沢技師は真剣な顔で状況を説明してくれた。

「A16の基本設計はほとんど終わっています。一部の部品は既に作成に取り掛かっていますので、来月には1号機を組み立てます。試験機が完成すれば、すぐにでも試験を始めますよ。A16は、目標馬力を達成するためには、A14以上に1気筒当たりの出力を上げる必要があります。このため、ブーストと回転数を上げていますが、それに対する対策も実施することにしていますので、性能は達成できると思っています」


「かなりの施策は、金星や瑞星でも実施済みなのでしょう。これから実施すべき対策として、いったい何が残っているのですか?」


「まだまだ改善の余地はありますよ。時間的な制約から瑞星では見送った過給高度の増加などを今回のエンジンでは採用します。加えて我が社は昨年のうちにアメリカのライト社にライセンス料を支払って、この会社の技術を利用することができるようになりました。アメリカの発明でも、有用な技術は使用しますよ。まあ、現時点では国際情勢も悪化して、技術契約も不可能になってしまったので、昨年のうちに契約を終えられてよかったですよ」


 西沢技師が説明した従来のエンジンからのA16の技術的な改善点は3項目だった。


 一つ目は、堀越技師自身にもわかった。

「最初の項目は1段2速過給器の採用ですね。既に、金星や火星では2速過給器を装備することで開発が進んでいます。A16では、高高度での性能改善のために2速の全開高度をもう少し高めますよ」


 ターボ・スーパーチャージャーを搭載する高高度爆撃機がアメリカのボーイング社で開発されているとの情報を聞いて、堀越技師が、開発中のエンジンでは高空性能の向上が必要だと提言していたのだ。


「A16では、当初2速の全開高度は、6,000mを予定していました。それを6,800mまで増加させます。出力の一部を過給機の駆動用とすることが必要なため、2速の公称馬力は若干減少しますが、高空での性能は改善するはずです」


 堀越技師がうなずくのを確認して、西沢技師が続けた。

「二つ目は、冷却性能の改善です。もともと金星系からシリンダのストロークを短縮した瑞星系は、2乗3乗則の効果で排気量に対する気筒の表面積が、金星や火星に比べて相対的に大きくなっています。大型シリンダの火星のように冷えにくいエンジンというわけではありません。それでもブースト圧を増加させて、回転数を上げてゆけば、それに応じて冷やす必要があります。空気密度の小さな高空において冷却を行うためにも空冷性能の改善は必要でした」


「それで、空冷性能改善の目途は立っているのですか?」


「ええ、ライセンスを受けたライト社の技術の中にプレス加工した放熱フィンを後付けする技術を見つけました。シリンダ胴の外周にはまるように4分の1の円弧の形にプレスしたアルミ板を断面がU字型になるようにプレスします。これで、2枚の円弧状のアルミ板がU字部分で上下につながった部品ができます。一方、気筒表面にはあらかじめU字がはまる溝を掘っておいて、加工したアルミ板を気筒の全周にはめ込みます。次にアルミ板のU字部分に金属線を巻きつけて締め上げます。更に細線の上からコーキング処理をしてアルミ板をシリンダ胴の溝に圧着させるのです」


 説明しながら、西沢技師はグラフを堀越技師に見せた。シリンダの表面温度をグラフにしたものだ。

「計算機を使って算出したシリンダ表面の温度です。実物でいろいろ実験しなくても、冷却フィンのピッチや厚さを順番に変えて計算すれば、どの値の冷却性能が優れているかわかるはずです」


「我が社は先月から九九式とほぼ同じ計算機を使い始めたはずですが、さっそく開発に利用したのですね?」


「ええ、まだ小手調べの計算ですが、温度分布の計算に使ってみました。計算結果がどこまで正確なのか、まだ確認できていないので、実験用シリンダを作成してこれから検証するつもりです。それでも、実験を繰り返すのに比べれば、従来の数分の一以下の時間で結果が判明すると思います」


 続けて、西沢技師は1枚の図面を取り出した。クランク軸に取り付けたかまぼこのような断面形状を有する錘の図だった。堀越技師にもそれがクランク軸の前と後ろに取り付けてエンジンの振動を抑制するためのバランサーだとわかった。但し、錘の取り付け方が普通ではないように見える。

「これは、ライト社のサイクロンで利用されつつあるダイナミック・バランサーです。錘がかっちりとは固定されていなくて、ブランコのように左右に揺れる構造になっています。これにより、エンジン回転数の整数倍の振動を抑制します。エンジンの出力を上げてゆくと、いろいろな振動が発生して無視できなくなりますからね」


「振動抑制のための設計にも、計算機を使っているのですか?」


「計算機による振動解析については、これからです。エンジン設計のためのプログラムはまだ十分そろっているわけではありません。いろいろ準備をしている途中です」


 一通り、エンジンの設計者から説明を聞いた後に、堀越技師はもっとも気にしていたことを質問した。

「それで、来年にはこのエンジンは出来上がるのですかね? このエンジンが完成してくれれば、次期戦闘機の大きな課題の一つが解決することになります。さすがに来年中旬までに制式化まで終わらせてくれとは言いません。それでも、耐久性の一次審査くらいは合格してもらわないと、海軍が戦闘機への採用を認めてくれないでしょう」


「かなり短期間での開発要求ですね。何かトラブルが発生しないとも限らないので、とにかく頑張りますとしか言いようがありませんよ。それでも計算機の活用により、少しでも開発期間を短縮します。特に後戻りを削減するために、試験機を作る前に計算機によりかなりの部分を検証したいと考えています」


「中島飛行機では既にパラメトロン計算機を設計計算に活用して成果が上がっているようですよ。私も機体の空力や強度計算などの広い範囲で利用するつもりです。エンジンの設計で計算機を活用するのは、私も大いに賛成です」


「エンジンの設計でもっとも計算機を使いたいのは、振動や強度の解析に加えて、シリンダ内の燃焼の様子を分析することです。燃焼はかなり複雑な現象なので簡単には答えが出ないかもしれません。それでも、計算機を本格的に使うならば、今まで躊躇していたような計算も実行すべきと考えています」


 しばらくして堀越技師が答えた。

「かなり歯ごたえのある挑戦に聞こえますが、計算機の性能が進歩してゆけば、計算可能な範囲はどんどん拡大するでしょう。常識的に考えれば、性能を向上させた次の計算を開発しているでしょうね。それが使えるようになれば、我が社も購入するはずです。とりあえず、三菱所有の計算機を強化してゆく要求には私の名前も使ってください。エンジン設計者と機体設計者の双方が要望を出せば、新型計算機導入の優先度が上がると思いますよ」


 計算機の開発情報については、西沢技師も独自に情報を入手していた。

「ええ、海軍技術研究所から聞いた情報では、どうやら今年の末には陸海共同開発の計算機ができるそうです。そうなれば、計算できることも増えるでしょう」


 A16の設計部隊は計算機の利用と並行して、試作エンジンの部品生産を進めた。計算により、修正すべきところが出てきても、いちいち修正を行わず、1号機の動作試験の結果が判明したところで、試験機の動作結果と合わせて改良を行うつもりだった。


 ……


 西沢技師は、燃焼や振動、強度などについて、本格的な計算作業を開始する前に技研の計算機課に相談にやってきた。さすがに複雑な計算を始める前に、専門家の意見を聞こうと思ったのだ。この時は、私がエンジン設計者の相談にのることになった。彼は、持参した資料を示しながら、エンジン設計のために考えている構想について説明を開始した。


「例えば、燃焼の計算については、シリンダ内の空間を多数の小さな立方体(ポリゴン)に分割して、それぞれについて演算します。一度空間内の計算を実行した後に、その状態をもとにして短い時間経過後の状態を同じように立方体ごとに計算を行います。時間の経過をなぞる様に、同様の計算を繰り返し実行すれば、シリンダ内の燃焼がどのように変化するのか計算により求めることが可能だと思うのです」


「西沢さんが求める結果が出せるように思います。実際に、やってみる価値は十分あると思いますよ。但し、あくまで疑似的な模擬計算(シミュレーション)ですから、かなり細かく空間を分割して、時間の進め方も刻み幅を小さくしないと、現実とは差が大きくなるでしょう。そうすると計算量が莫大になるので痛しかゆしです。計算を開始しても2日も3日も答えが出てこないというのでは困りますよね。西沢さんが考えている立方体に分割した構成と計算式の概要を教えてください。私の方で計算に要する時間を示すことができると思います」


「なるほど、規模の大きな計算をする場合はあらかじめ、実行可能な時間に収まるのか目星をつけてから本番の計算を始めるというわけですね。所要時間の予測を見たうえで、計算の細かさを手加減するということでね」


 西沢技師は、多数の小片に分割して別の計算を行うことも考えていた。プッシュロッドやクランク軸、減速ギアのような複雑な形状の部品を計算可能な単純な形状の集合となるように細かく分割する。分割した小片ごとに計算を行うことにより、部材にかかる応力を計算して、強度や変形、振動を数値演算しようと考えたのだ。


 私は西沢技師の挑戦に対して積極的に協力することを約束した。計算機技術者としても今までの計算とは一線を画する歯ごたえのある内容だとわかったからだ。これで成果が出れば、計算機の活用範囲は大きく増加するに違いない。


「熱力学と振動、強度計算は、エンジン以外にも広い分野で活用できる可能性があります。技研としてもプログラムの作成に協力しますから、出来上がったプログラムを他社でも使うことを許可してください。日本の技術を底上げするような資産になりますよ」


 西沢技師は上司に相談しますと言って帰っていった。しばらくして、深尾所長の名で、プログラムの利用を許可するとの文書が研究所長のところに送付されてきた。


 ……


 昭和14年(1939年)12月からは、三菱社内の計算機がオモイカネ相当の新型機になったおかげで計算機による検証が加速した。西沢技師が意図した計算が、一通り終わるまでには3カ月を要した。


 同じころ、三菱の独自開発として始まったA16は海軍から認められた。航空本部が海軍の開発として承認したので、MK6Aという試作名称が与えられた。MK6Aは、昭和15年(1940年)3月になって試作1号機が完成して、実機による社内試験を開始した。


 いくつかの問題は発生したが、重大な問題ではなく、それを解消して試験を消化していった。最初に発生した問題は、過給器で、2速動作時に油圧が不足する現象だ。原因は、高速回転する過給器の内部で、かき回された油のスラッジが発生して悪さをしていたことだった。この問題は、油の循環系統の分離と過給器の系統にフィルタを追加することで解決した。


 次の問題は、摩耗の発生だった。潤滑油に金属の切粉が混入していることが発見されたのだ。原因は、減速歯車の軸受けの摩耗だった。これは西沢技師にとっては、既知の問題だった。


 西沢技師は、この問題の発見に計算に大きな効果があったとの報告を私にもしてきた。

「計算機による強度計算で、減速歯車の軸受けの強度が不足しているとの結果が出ていたのですが、実験機でも摩耗が発見されました。見事に計算結果と実物の特性が一致しました。筧さんの協力に感謝します。もちろん、改良した軸受けについては、既に設計済みです。他の部分の修正と合わせて一気に改修を行う予定です。燃焼や振動に対する計算についても、試作機の試験結果が、どこまで計算機と一致したのかは後で技研さんにも報告しますよ」


 昭和15年(1940年)5月になって、1号機の試験結果と計算結果による修正を行ったエンジンが2号機として完成した。実質的に改良版となった試作2号機は好調に試験が進み、7月には試験機として海軍に領収された。海軍の第一次審査は9月まで実施された。一次審査が始まってしばらくすると、2号機以降の試験機も続けて納入されたので、審査と並行して陸攻に搭載しての飛行試験と耐久試験が実施された。


 ……


 堀越技師は、MK6Aの第一次審査が、9月には完了予定との報告を受けてほっとしていた。初期段階で改修をした後は、大きな問題もなく耐久試験でも不具合は出ていないようだ。


 7月には十五試艦上戦闘機の設計計画要求書が、海軍から発出された。堀越技師は、最大の課題である発動機については、空技廠で審査中のMK6A(A16)と決めていた。まだ二次審査が残っていて、制式化まではしばらくかかりそうだとはいえ、一次審査がかなり進展しているので海軍も拒絶はしないだろう。上司の服部技術部長にもエンジンに対する判断を報告して許可をもらっている。


 ……


 その後のエンジンの状況について簡単に記述しておこう。

 MK6Aは昭和15年(1940年)9月から空技廠による第二次審査に移行した。4カ月後には耐久性の審査も含めて第二次審査が完了した。制式化までには書類上の手続きが残っているが、実質的に海軍の採用が決まったことになる。昭和16年(1941年)2月になって、MK6Aは新星10型として制式化された。


 新星11型(MK6A) 昭和16年(1941年)2月

 ・空冷18気筒、気筒径:140mm、気筒行程:140mm

 ・気筒容積:36.0L、重量:690kg

 ・発動機直径:1,120mm、全長:1,550mm

 ・過給器:1段2速、1速高度:2,800m、2速高度:6,800m

 ・離昇出力:1,720hp、回転数:2,780rpm、ブースト:+370mmHg

 ・公称:1,580hp(2,800m)、回転数:公称2,750rpm

 ・公称:1,450hp(6,800m)、回転数:公称2,700rpm

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