1.5章 フェライト素子

 鉱石検波器のおかげで、電探開発は基本的な性能確認から本格的な性能改善の段階に移っていった。電探の性能を向上させるためには、それに使われるマグネトロンの性能向上も必要になる。これからの改善施策を考えていると、先輩の望月陸郎少佐が相談にやって来た。彼はもともと呉海軍工廠で通信関係の仕事をしていたのだが、電探部隊の増員に伴って、我々の組織に参加することになった。


「強磁性体のフェライトなんだが、磁気性能を改善した材料が最近できたようだ。東京電気化学工業という会社で製造できるようになったとのことだ。一度、我々の装置で使えるかどうか様子見に行ってみないか?」


「フェライトの生産を始めた会社については、聞いたことがあります。確か東工大の先生がフェライトの研究をしていて、自分でそれを製造する会社を設立したはずです。性能の良いフェライトが簡単に使えるようになればいろいろ使い道がありそうですね。すぐにも見学に行きましょう」


 電子機器にとって磁性体は重要な材料の一つである。そもそも、電波自身が電界と磁界の波なのだ。電波を利用する機器では、磁力を利用した部品はいろいろあるが、なかでもマグネトロンは真空管の外部から強い磁界を印加することにより発生する電子の共振現象を利用している。マグネトロンにとって強い磁力は性能を左右するのだ。またモーターの部品としても重要度が高い。更にコイルやトランスなどの電子部品でも磁性体が材料として必要だ。


 昭和13年(1938年)4月になって、私たちはマグネトロン専門家の日本無線の中島技師にも声をかけて、さっそく蒲田の東京電気化学工業を訪問した。訪問先では、フェライト発明者の一人である武井博士がわざわざ説明をしてくれた。


「フェライトというのは、強い磁力を有する鉄と亜鉛やニッケルなどの化合物を酸化させて高温で焼結したものです。世界に先駆けて1929年には、最初のフェライトの製造が実験的に可能となりました。まあ、私と同僚の加藤博士が研究して発明したのですがね。フェライトの大量生産を行うために、約2年ほど前にこの会社を設立しました。無線機器に使用するフェライト部品の生産は充分可能です。フェライトの磁気性能に関しては、成分の混合比の調整や高温下での焼成方法の工夫により、会社設立時よりも2割程度は磁気性能を改善させていますよ」


 さっそく中島技師が質問する。

「マグネトロンに使用する場合は、真空管の外形に合わせた形状にすることが必要です。管の直径に合わせた中空の円形や半円形への加工は可能ですか?」


「もちろん、成型用の金型さえあればいろいろな外形にすることは可能ですよ。穴の開いた輪の形状を前提とするならば、五銭硬貨の半分くらいの直径でも加工できると思います」


 大電力のマグネトロンでは、強力な電磁石を使っている。一方、私は受信側の小出力マグネトロンでは単純な磁石を使うことを考えていた。

「送信系に加えて受信回路でも高周波発振のためにマグネトロンを使用することを考えていますが、省電力で小型化するのには都合がよさそうですね」


 すぐに中島技師も賛成してくれる。

「なるほど受信回路の局部発振用のマグネトロンに使用するのですね。確かに電力は必要ないが、周波数が安定して小型であることは必要です。まあ送信回路であっても電磁石ほど大掛かりな仕掛けを必要としない小型の電信機や機載の電探にも使い道がいくらでもありますよ」


 ……


 博士と意見交換してみると、フェライトには当初想定していた以上にいろいろな用途があることが分かってきた。無線アンテナのインピーダンス整合や微小信号を処理する回路などに対する外来ノイズを遮断する部品としても有効に使えるようだ。このあたりは特定部品の開発だけに注力していた私よりも、装置全体の面倒を見ていた望月少佐の方が詳しい。既に使用する範囲にめぼしをつけて話始めた。


「次回は、我々の開発している装置に使用するトランスとマグネトロンに使うフェライト部品を作るための図面を持参しますよ。性能確認のために試作品をまず製造して、技研内で実験をさせてもらいます。良好な結果が出れば、日本無線などの民間企業の工場から発注が出ることになります」


 我々が見学については充分な収穫があったなと思って、技研に戻ろうとしたところに、武井博士がごちゃごちゃと部品を搭載した一枚の基板を持ってきた。小さな指輪のようなリングに銅線を巻き付けた部品が二十個余り半田付けされている。


「皆さん。今まで説明した無線関係とは分野が違いますが、我々は磁気を利用した新たな装置を開発しています。この素子を使うことにより、電気で動作する新型の計算機が実現できるだろうと考えています。今はまだ初歩的な計算だけですが、装置が完成すれば、今までの機械式の計算機に比べて、計算速度は千倍くらいにはなるはずです」


「その、ベークライト基板上の部品により、計算を行うのですか?」


「我々は、この素子をパラメトロン素子と名付けています。フェライトの輪に電線をコイル状に巻き付けて、その外部にコンデンサとコイルを接続することにより特定周波数の共振回路を形成しています。フェライトの輪には、更に信号の入力線を追加して、共振回路には電流の出力線を追加します。この構成により、共振電流の位相により情報の記憶と演算の双方が可能となります。これをたくさん接続することで計算機として動作させることができます」


 電話や電信技術にも詳しい望月少佐は、全く分野の異なるこの素子に大きな可能性を見出したようだ。彼は、電話交換の原理を知っていたので、機械式リレーの組合せ回路により、論理演算が可能になるということを理解していた。同じような機能が、このパラメトロン素子でも可能だと容易に想像することができた。

「機械式リレーのように2つの状態を記憶できる多数の素子をうまく接続すると、2進数の論理和や論理積を演算することが可能になりますね。同じ様な計算がパラメトロン素子でも可能ならば、機械式のリレーに比べて計算速度はかなり向上するはずです。電気の速度は機械の動作よりも何桁も速い」


「ええ、非常に高速の演算が可能になります。しかも素子の状態として計算の入力値や計算結果を記憶しておくことも可能なのです。この素子を利用した最初の計算機の試作機は逓信省にありますよ。ちょうど今週末には私も調整のために逓信省を訪問する予定です。興味がありましたら、電気試験所の計算機をお見せしますよ」


 私たちの意向も確認しないで、望月少佐だけが直ぐに返事をしてしまう。

「ぜひお願いします。具体的な訪問者については後で連絡しますが、私はぜひ見学させていただきたいと思います」


 ……


 我々は、技研に戻ってから見学の結果を真田大佐に報告した。もちろん無線機器や電探に使用する部品としてフェライトを活用していくということにはすぐに賛成してくれた。フェライトを使用すれば、マグネトロンの性能も向上できるだろう。


「艦政本部や航空本部から、小型の艦や航空機に搭載できる電探の開発要求が出てきている。哨戒艇や索敵機に電探を搭載して使おうという意図だ。機器の大きさを縮小するためには新しい素子の利用も必要になるだろう。フェライトの活用方法の研究を進めてくれ」


 続いて、見てきたばかりのパラメトロン素子について望月少佐が説明した。

「逓信省電気試験所にパラメトロン素子を利用した計算機の試作機があるそうです。私が、電気試験所への見学の手配をしますので、善は急げでさっそく実物の確認に行きましょうよ」


 真田大佐は大いに興味を持ったようだ。

「我が軍から技術研究所への要求の一つに、高速の計算機の実現がある。もともと大砲の弾道計算にはいくつもの微分方程式に基づいた計算が必要になるが、現状の歯車を利用した機械式計算機では時間がかかる。海軍も陸軍も高速で計算結果を得られる装置は喉から手が出るほど欲しいはずだ。私もパラメトロンを利用した計算機を是非とも見学したい。まずは武井博士が言っていることの真偽について、この目で確かめる必要があるだろう」

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