1.4章 電探開発

 輸送船は、ドイツから購入した兵器や航空機、各種機器の積み込みをしていた。一方、我々はひと足早く帰国することにした。シベリア鉄道を利用すれば、船に比べて半分以下の日数で帰国できる。欧州の雲行きはかなり怪しくなっていたが、ソ連の大陸横断鉄道はまだ運行していた。大きな荷物を輸送しなければ、人員だけは鉄道を利用して、先に戻ることが可能だった。


 ソ連のシベリア経由の列車でも電子関連の調査員は陸海軍が一緒になったので、真田大佐と佐竹少佐が意見交換する時間は十分あった。二人はすっかり意気投合したために、帰国後に上奏する報告書は共にほぼ同じ内容になってしまった。


 二人の報告書での最も大きな提言は、パルス方式の電波探知装置の開発に全力で取り組むべきだということだ。我が国では、今まで遠方の物体探知のために変調した電波を送信して、戻ってくる反射波の干渉から物体を探知する方式を研究していた。しかし、電波をパルス送信して反射波をとらえる方式の方が大幅に実用性が高いことが判明した。パルス方式に変更して開発すべきだと主張していた。


 更に、電波の波長が十数メートルから1メートル程度で遠方での探知を行う機器と波長が1メートル以下の精密に測定するための装置の2種類が必要であり、並行して開発を行う必要性も強調した。


 開発すべき装置については、地上の基地や大型艦船向けの機器をまず開発するが、将来は小型装置の開発を進めて、車両や航空機への搭載を可能とする開発計画を提言した。更に、ドイツで得た知見から探知機と裏表の関係にある逆探知器についても必要性を記載した。相手が同様の電波探知機を使用した場合に、それを検知して電波の送信位置を突き止める機器が絶対に必要だとの意見だ。基本的に電波探知器が実現できるならば、電波の受信部を切り出した逆探知器は実現可能だ。


 ……


 日本に戻ると、私は渡航前の担務であったマグネトロン開発に復帰した。幸いにも順調に開発は進捗していて、8キロワットを超える大出力の電波出力に成功していた。電波探知器で使用できる性能に十分達している。実験結果をまとめて電気部長の向山少将に報告すると、量産への移行の許可を研究所長の日高中将から得るように指示を受けた。


 真田大佐と私は、技術研究所長のところに出向いて、一通りマグネトロンの開発状況を説明した。

「今まで目標としていた性能を満足する送信管ができたということだな。これで、君たちが一刻も早く開発すべきだと要望していたパルス方式の電波探知器も実現に近づくだろう」


 パラパラと報告書を見てから、日高中将は書類を承認してくれた。部長は押印した報告書を私に戻すと、私たちに向き直った。他にも言いたいことがあるようだ。


「真田大佐、君が直訴していた探知器の開発費の増加と人員増加の件だが、海軍省から予算追加の了承が得られたぞ。欧州での電探に関する調査報告書が認められたということだ。すぐにでも予算と人員を増やすことになる。それに伴って、電気研究部配下に探知器開発専門の電波探信儀開発課を設置する。課長は真田君だ。海軍省からは、金と人を増やすのだから短期間で成果を出せと要求されている。そのために、大至急人選を進めてくれ。優秀な研究者であれば海軍工廠や部隊から引っ張ってきても構わん。それに加えて、民間からの参加も許可する」


「ありがとうございます。横須賀と呉工廠の電気部で電波関係の仕事をしている人員に声をかけたいと思います。民間と大学に加えて、逓信省電気試験所からも研究者の参加を許可願います。電気試験所では、今までアンテナや回路など極超短波の基礎研究を行ってきています。ぜひとも協力をお願いしたいと思います」


「うむ。その件については了解した。私の名前で派遣依頼書を書けば、承認するぞ。民間からやってきて技研で仕事をする技術者については、海軍から兼務扱いとして俸給を支給する」


 もともと私のように電気研究部内で既に電探開発に参加していた海軍籍の人間にとってはあまり大きな変化はなかったが、研究所外からの技術者の参加により海軍の電波探知器開発は大きく加速されることになった。


 ……


 昭和12年(1937年)11月になって、海軍技術研究所で電波探信儀開発課が設立された頃、陸軍においても電探開発を加速する動きがあった。欧州での調査結果と電波探知機の早期開発を要求した佐竹少佐と木原大尉の報告書の重要性に気づいた人物がいた。陸軍技術本部の副長であった多田中将である。中将は陸軍技術本部隷下の陸軍科学研究所に電波兵器の研究を専門に行う研究所を設置することを決定した。


 当時登戸にあった研究・実験施設を拡張して設立したために、「陸軍科学研究所登戸出張所」と名付けられた。後になって、電探以外の計算機などの電子機器を研究するようになると登戸研究所と呼ばれ陸軍の電子技術研究の中心となっていった。


 海軍と陸軍はそれぞれ別の研究組織で電探の開発を開始したが、課長クラスと中核となる技術者は顔見知りだった。我々は、緊密に連携することにより、重複開発を回避するように努力した。


 陸軍は基地への配備を前提に考えて、大型の長距離捜索電探の開発に注力した。海軍の研究所ではマグネトロンによるセンチ波を利用した海上の反射波の影響を受けにくい電探開発を志向した。


 センチ波長の電波を使用する電探は、難易度が高いが航空機に加えて海上の艦船の探知が可能となるので利用範囲が格段に広いはずだ。砲撃時に正確な測距情報を提供して命中率が向上するという目的は大艦巨砲主義の軍人たちにも受けが良かった。方位や距離を精密に計測するためには、波長の短い電波の方が格段に良い精度で計測できるのだ。


 しかも、海軍技術研究所のマグネトロン開発は確実に陸軍よりも先行していたから、その成果を実用装置に生かす点でも都合が良かった。この時期には技研配下の日本無線などの企業ではマグネトロンを量産する準備ができていた。


 ……


 昭和13年(1938年)1月になって、マグネトロンを利用した電探の試作機が完成すると技研では海上の目標探知実験のために横須賀の観音崎に試作機を設置して実験を開始した。50センチ波長の短波長の電探による実験だ。実験を開始して早々に東京湾を航行している艦船の探知に成功した。また飛行中の航空機についても探知が可能であることがわかった。


 すぐに陸軍の実験機の情報をもらい受けて、試作したメートル波を利用した長距離捜索電探も試作機ができた。この実験機も観音崎試験所に設置した。こちらの装置では飛行中の航空機の長距離探知は可能であるが、海上の艦艇の探知は海面反射波の影響で、近距離以外は困難であることがわかった。


 しかもセンチ波長の電探は、連続運転していると不調になることがしばしば発生した。機器としての動作が安定しないのだ。当初はマグネトロンなどの送信管が被疑となったが、すぐに原因ではないとわかった。被疑範囲を絞ってゆくと、受信部に問題があることがわかってきた。試作回路を作って受信回路の変更を行ってみたが、結果は芳しくなかった。


 真田大佐のところに問題の答えを持ってきたのは根津大尉だった。

「現状の受信回路は、周波数を下げるための局部発振に真空管を用いていますが、同時に受信電波の検波も真空管で行っていますね。それを、検波は鉱石に置き換えて、局部発振は専門の真空管に任せればいいのです」


「鉱石検波器というと、半導体に検波をさせようということだな。ドイツで会った科学者の意見から思いついたのか?」


「ええ、ホールマン博士の意見によると、ドイツでこれから開発する電探は半導体を検波に使うつもりのようでした。私だけの発想ではありません。すぐに使うとなると、材料は黄鉄鉱になります。残念ながらゲルマニウムやシリコンは実用にできるような高純度な材料が今は入手できませんから」


「単なる思い付きではないことは理解した。ところで、高周波発振を専門に行うと本当に回路は安定するのか? 発振真空管ならば、筧君の分野だろう。何か意見はあるか?」


 いきなりの質問でちょっと驚いたが、私も根津大尉の考えに賛成だ。

「1メートル以下の短い波長の受信部であれば、小型で出力の小さなマグネトロンを受信専用に制作すれば使えます。既に完成しているマグネトロンの出力を抑えるだけなので、それほど手間はかかりませんよ。回路が安定化するかどうかは実験で確かめる必要がありますが、少なくとも回路構成が簡潔になって周波数とゲインの調整は検波機能をなくすことにより、かなり楽になるはずです」


 真田大佐も、効果が見込めると納得したようだ。

「わかった。根津大尉が提案する方向で実験機を制作してみよう。問題が発生している探知器の受信部を大幅に変更する。とりあえず手持ちの部材を使って2週間くらいで改修してくれ」


 根津大尉は、黄鉄鉱の中でも良好な結晶構造を有する材料を探してきて、さっそく鉱石検波用の実験部品を作ってきた。あくまでも手作りの間に合わせ品だ。


 私が自身で言ってしまったことだが、受信部のスーパーヘテロダイン回路で使うマグネトロンを短時間で準備することになった。最初の受信用マグネトロンは送信管の部品を流用したため、外見は大きくなってしまったが、所定の周波数の発振はできたので、実験には使えた。


 急ごしらえの受信用のマグネトロンと鉱石検波器を使って電探試作機を改修した。実機で評価をしてみると、受信感度が改善して安定性も良好であることがすぐに判明した。局部発振用のマグネトロンを回路的に分離したおかげで、調整も容易になっていた。


 1カ月ほど試験を続けて安定性も感度も改善されたことが確実になったので、真田大佐は今後も鉱石検波器を電探に使用することを決断した。昭和13年(1938年)3月になって、この決定を同様の悩みを有する陸軍にも通知した。もちろん陸軍も同じ変更を決めた。


 根津大尉は、鉱石検波器があちこちで引っ張りだこになると、真田大佐のところに相談にやってきた。

「鉱石検波器がいろいろなところで活用されるのはうれしいのですが、急速に数が必要になったことから、私の実験室では、準備が間に合わなくなっています。民間工場内に鉱石関係を専用に生産できる設備をそろえたいと思います。いずれは、工場の建屋を丸ごと半導体の生産に利用することも必要になると思います」


「良かろう。もともと半導体関係の研究や製造を組織的に行うことは考えていたことだ。検波器への適用が、半導体に大きな使い道があることを示すきっかけになるだろう。現状でも技研はいくつかの電気会社に部品製造を委託している。その中に検波器を加えればいいだろう。生産手順をどのようにするのかは、君の方でも検討してくれ。初めての生産分野なので、今までにない新しい機材が必要だと思う」


「もう一つ提案があります。これも欧州訪問時に仕入れてきた知識や論文をもとにして考えたことですが、将来の性能向上を考えると現状の黄鉄鉱では限界があるので、別の部材を考えたいと思います。海外では亜酸化銅とゲルマニウム、シリコンが半導体材料の候補となっています。その中から私としては、シリコンを材料として使用する方向にしたいのです。高純度のシリコンの生産は、容易ではありませんが、それが可能になれば素子の性能は格段に向上するはずです」


 真田大佐もさすがに考え込んだ。自分の知識を総動員しているのだ。

「海外の研究成果を考えるとシリコンによる高性能化については異論はない。高純度シリコンを生産できれば、私が知っている範囲でも性能が改善して、更に今まで以上にいろいろな使い道があると思う。しかし、生産については、未知の部分が多いはずだ。基本的なところで研究が必要になるぞ」


「その点についていろいろ調査をしてきました。現状では、理化学研究所と逓信省の電気試験所において、物性を含めて研究が進んでいます。シリコンの高純度化の方法についても研究を依頼したいと考えます」


「理研への依頼については、技研所長と電気部長に私から話しておく。既に電気試験所には、電探への開発依頼が出ているが、理化学研究所への協力事項は追加することになるな」


 ……


 電探開発に関して、各種の横断的組織の研究体制が整備されつつある頃、実際に電探を使用する側である軍令部から問い合わせがあった。海軍でも陸軍でも実験成果が出てきていることから、詳しい開発状況とそれを艦船に搭載した場合の有効性を示してくれとの要望だ。


 真田大佐から、私にもすぐに電探実験結果の報告書作成に協力するよう指示があった。


「筧君、観音崎の電探試験機について、今までの実験結果を報告書にまとめてくれ。まだ実験は途中だが、次の段階に実験を進めるためには、電探という装置が使いものになるのかどうか見解を出せと要求されている。軍令部の許可がなければ艦艇での試験をすることはできない。所見と有効性については私が記述するから、実験機で得られた結果を書類にまとめてくれ」


「まだ、送受信機共に十分な調整はできていませんよ。条件のいい時のいくつかの実験結果を記載できる程度です」


「それで構わない。人も金もかけて重点的に開発を進めるためには、軍令部のお墨付きが必要だ。こんなところで足踏みをしたくはない。君も欧州の状況を目の当たりにしただろう。電探開発に関しては間違いなくイギリスが我が国よりも進んでいる。我々は追いかける立場なのだ」


「軍令部への説明となると、専門的な説明はかみ砕く必要がありますね」

「ああ、素人受けするようにまとめる必要があるな。難しい理屈よりも、とにかく有効に使えることを強調してくれ」


 現状の成果報告だけでも早く提出して、海軍の重点開発項目に格上げさせようという真田大佐の作戦は成功した。まだ性能改善の余地はあるが、夜間でも濃霧でも接近する航空機や艦艇の探知が可能で奇襲を避けられる。しかもすぐに砲撃時の測距も可能になるという効果が認められたのだ。


 真田大佐は知らなかったが、軍令部第一部長の近藤中将には、陸軍の登戸実験場にて電波探知機の試験が行われ、数十km遠方の空を飛行する目標の探知に成功しているという情報が入っていた。


 当然、海軍の開発は陸軍に対して遅れはないのか、ということになる。そこに真田大佐の実験報告が上がってきたのだ。近藤中将は持ち前の勘の良さから、この装置の性能を改善すれば夜間でも無灯火で砲撃や雷撃が可能になるだろうと考えた。精密に距離が測定できれば航空機に対しても有効性が増すに違いない。


 軍令部内では、電波探知器の適用に関して心配する声が寄せられていた。それを代表していたのが軍令部第一課長に就任したばかりの草鹿大佐だった。

「自ら強い電波を発射するのは、闇夜に提灯を照らすのと同じです。敵に電波を探知されれば、友軍の存在が暴露される可能性が大きいと考えます。そのような装置が使用できる局面は制約されるでしょう」


「時刻や気象条件によっては人間の目が頼りにできない場面があるだろう。探知手段が多ければ、それだけ選択の幅が広がる。そもそも、夜戦で灯火管制や無線封止をしていても、実際の戦闘開始時には照準のために、探照灯や吊光弾で敵艦隊を照らす必要がある。自軍の位置を最後まで秘匿しての戦闘などあり得ないんだよ。まさか探照灯も船から降ろせなんて言わないだろうな。むしろ敵軍が電探を使用したら、それを探知する受信機を我々も備える必要がある」


 軍令部の近藤部長は、電探の開発を推進するということで腹を固めた。なんといっても陸軍は同じ装置を開発しているのだ。ここで後れを取るわけにはいかない。しかも、第一課長の指摘から電波を逆探知する装置の必要性についても気がついた。


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