第47話 対話
セレンの問いに、エタムは静かに告白した。
「我らが母の力を色濃く継ぐ六神と違って、わたしは人々の信仰心がなければ思うように権能が振るえなくなるのだ」と。
エタム曰く、この世に因果律が生まれた瞬間、神々の中にも秩序が生じた。
その秩序の対象は全能なるアウラコデリスも例外ではなく、唯一秩序の影響を受けないのは「因果律」と「正義」の神であるユースティティアのみなのだそうだ。
「神々は自らの代理者を選び、その者に対してのみ関与することが許された」
「代理者とは?」
「自からの権能や祝福を宿す者。もしくは血縁や神によって生み出された存在のことだ。ラギメスには奴が生み出した力、いわゆる『祝福』を宿す魔法使いが、わたしにはそなたらフエゴ・ベルデへの介入が許されている。そしてアウラコデリスの場合は、権能を分け与えた聖女ただ一人だ」
「……」
(つまり、それは)
「……私は、叶えられない相手に対して、懇願していたということなのですね」
シアは与えられた真実に、くしゃっと顔を歪めた。喉の奥から絞り出された声は僅かに震えている。
(ああ。だから……だから、声が届かなかったんだ)
「は、はは……っ。あまりにも滑稽すぎる。アウラコデリスにすがったのは、見当違いだったなんて……!」
愕然とした。衝撃を受けた。裏切られた気がした——そんな言葉では、とうていこの気持ちは言い表せない。
「シア」
こみ上げた感情にぐっとこぶしを握ると、兄の優しい手がその手を優しく包む。
エタムもまた、淡々とした顔に感情らしきものを浮かべその手を伸ばした。
「すまない、末の子よ。本当はわたしがお前の声に応えてやらねばならなかったのだが……」
が、ふいに。
エタムは伸ばしかけた手をぴたりと止め、言葉を切り、じっとシアを見つめた。
「?」
いったい、どうしたというのだろう。
一門の誰よりも鮮やかな緑柱石の瞳に凝視され、シアは首を傾げる。
「エタム?」
「……ふむ」
一呼吸後、エタムは伸ばしかけた手を戻し、自らの形のいい顎を撫でた。
「気のせいかとも思ったのだが、どうやらお前の魂には、誰かの守護が働いた形跡があるようだ」
「え?」
「誰かとは。……神々の誰かということでしょうか?」
セレンの問いに、神はゆっくりと頷いた。
「そうだ。それも、我らが母から分離した六神の内の一柱……」
「え!」
今度こそ、驚いてしまった。
「本来、禁忌である回帰の魔法自体には、時を戻すだけの作用しかない。魂を伴った時の回帰は時空を司るクロノーアにしかできない芸当だからな」
「つまり、妹が記憶を伴って時を回帰させた背景には、クロノーアの関与があるということですか?」
「……ああ、いや、ううむ」
(もしかして、意識が飲まれる直前、なにかに抱かれたような感覚があったけれど、それが……?)
「これは、クロノーアの権能? いや、それよりはアウラコデリスに近いような……しかし、秩序がある限り、理を曲げることは……ああだが、魂を保護し流れに乗せるだけならば——」
どうやらエタムでも、誰がシアに手を貸したのかはわからないようだ。
ひとしきりぶつぶつと呟いていたが、答えはでなかったらしい。
「でも、なぜ他の神が手を貸してくださったのでしょう? 時の回帰は神々ですらも忌諱するのですよね?」
「ラギメスのやつがやりすぎたのだ」
「え?」
「あやつはいつも度が過ぎる。破壊の性だとのたまっているが、ただ本人が物事をひっかきまわして楽しみたいだけだ。あれの意図を深読みしたところであまりにもくだらない理由に苛つくだけ。いったい何度周りが振り回されたことか……」
(な、なんだかものすごく仲が悪い?)
ラギメスは破壊と混沌を司る神とはいえ、両者ともまた創造につながる権能である。創造そのものであるエタムとは、本来、反発しあう性質ではないはずなのだが。
しかし、これまでエタムが見せたどの表情よりも心情のこもった苦々しい表情に、シアは二人の関係性をなんとなく察した。
「ともかく、クロノーアや他の神が末の子へ手を貸したのだとしたら、それは多くの人間の宿命が歪められ、本来の時系列に見過ごせないほどの乱れが生じたということだ」
時の回帰を最も嫌う因果律が、禁忌の発動後に原因分子であるシアを見逃したのがその証拠だという。
「そうでなければ禁忌の魔法を感知した時点で、因果律が阻止していただろう」
「見逃した、ということはつまり、妹は因果律の懲罰から逃れられるということですか?」
「いや、因果律の懲罰つまり禁忌の代償は、あくまで傾いた天秤を釣り合わせるための対価だ」
「つまりは、禁忌を犯したからというよりも、禁忌を犯したことで生じたアンバランスを補正するための対価、ということですか……」
「そのとおり。だから神々と利害が一致したからといって、罪が帳消しになるわけではない。しかも因果律の手にする天秤は厳格で融通が利かないうえに、回帰の影響で別の歪みが生じれば更なる代償を求めてくるからな」
「……そう、ですか」
(まあそう、うまくはいかないわよね)
物理的に釣り合わせない限り懲罰から逃れる方法はない、ということだ。
わかっていたことだから、今さら落胆したりはしない。
セレンは微かな希望を抱いていたようだが、シアはそれ以上因果律の懲罰に付いて追及するのはやめておいた。
そのかわりにこう切り出したのは、エタムから「なにかほかに知りたいことはあるか」と尋ねられたからだ。
「では、神を殺す方法を教えてください!」
にっこりと笑って告げた台詞に、セレンが凍り付き、エタムが無の表情になる。
「……」
「……」
「さあ」
沈黙が多くを物語っていたが、シアは気が付かないふりをした。そればかりか、不穏な笑顔を崩すことなく答えを促す。
(だってラギメスだけは絶対に許せない。あいつをぶっ殺……いえ、消滅させる方法があるならぜひとも聞いておかなくちゃ)
「…………そなたはなかなか強かだな。よりにもよって神を殺す方法を、臆面もなく尋ねてくるとは」
「シア」
どことなく呆れたような感心したような、不思議な声音で告げるエタムとは対照的に、セレンは頭痛を覚えたように複雑そうな表情でこめかみをもみほぐす。
(うーん。セレン兄様のおっしゃりたいことはだいたい察しが付きますが、ここで引くわけにはいきません)
だってこんな機会は、二度と訪れないかもしれない。
するとエタムが身を起こし、すっとシアに手を伸ばす。
(もしや本当に、神を殺す能力でも授けてくれたりする?)
エタムは意外と太っ腹なのかもしれない。
期待に胸を高鳴らせながら、シアはじっと表情の読めない神の美しい顔を見上げる、と——。
「!」
ぽんと頭に大きな手が乗せられたのと同時に、瞬きの一瞬、体中を力強いマナが駆け巡った。
だが、それだけだった。
(う、ん……?)
「神を殺す方法は教えられないが、その不遜さに応えて、魔力を少しだけ満たしてやったぞ」
「……」
(ほんとに……ほんの、ちょっと?)
満たしてやると尊大に言ったわりには、微妙な感覚だ。
体を流れる魔力が、全然増えていない訳ではない。だが、満足するには程足りない。
(これならむしろ、セレン兄様が下さった紅結晶のほうが、はるかに魔力の補充になったような……)
シアは思わず両手を握って開いて、体内の魔力量を確認してしまう。
「…………」
(はっきり言って……ショボい)
「なんだ? 不満そうだな」
「だって、ケチ臭くはありませんか?」
「シア!」
「神が与えて下さる力と聞けば、こう……もっと全身が満たされるような、圧倒的な充足感があるものでは?」
慌てたような兄の声を聞きながら、シアはじとっとエタムを見上げる。すると、神は皮肉に口の端を持ち上げた。
これは……笑っているのだろうか。
「ふん、見た目にそぐわず本当に肝が据わっているな。だがその体はまだ幼い。許容以上の魔力をいきなり得れば、体が壊れるぞ」
「うぐ、確かに」
「強欲も過ぎれば身を滅ばす。今後の成長に期待するのだな」
「うう……っ」
正論なだけに、言い返せないのが悔しい。
しかも、ぐりぐりぐりと頭を撫でる手はぞんざいだが、瞳がことのほか優しいのだ。
(まるでお父様とお母様が、私たちを見つめるときのよう)
ゆらりと緑の火が揺れる眼差しは、一見すると冷たそうなのに、柔らかく溢れる愛が感じられる。
(……『我が子』か)
エタムにとってフエゴ・ベルデは、その言葉の通り、成長を見守る彼の子供なのだろう。
だから不遜な表情の裏に隠した不安を見透かされたとき、シアは素直に頷いた。
「それから、あの破壊神のことは気にしなくていい。やつが約束を守るかどうかはわからないが、『我が子らに手を出したら容赦しない』と釘は差しておいた」
「……」
「不穏な動きを見せれば、ラギメスの相手はわたしがする。だからあまり焦るな末の子よ。力は少しずつ取り戻せばいい」
「はい」
「ふ、素直だな」
ふたたび、ぽんぽんとシアの頭を叩き、エタムは今度こそ破顔する。といっても、目じりを下げ口端が上がっただけではあるが。
「何はともあれ、お前たちは過去にとらわれることなく、心のままに生きなさい。人はなにかを決断し望むとき、神々でさえ予測できないほどのパワーを発揮する。ときにそれが、未来を切り開く鍵となる」
「未来を切り開く鍵……」
「ああ。神の定める命運さえねじ曲げなければ、すべてはうまくいく。ーーそれから、セレン」
「はい」
「これからはオクルスの力を制御できるようになるだろう。いまのように空間を歪めて相対することは難しいだろうが、夢を通して助言はしてやれる」
「ありがとうございます」
「ふ。では名残惜しいが、そろそろ戻る時間だな——……」
エタムがそう告げたとたん、彼の声がふっと遠のくのがわかった。
現れたのが唐突なら、消えるときも唐突だ。
先ほどエタムは「空間を歪めて」と言ったが、己が存在する空間とシアたちが存在する空間の二つを、強制的に交わらせていたのだろう。
そのつながりが切り離されたいま、少しずつエタムの姿が霧に巻かれるように不明瞭になり、やがて完全に消えてしまった。
あとに残されたのは、先ほどまでエタムが寄りかかっていた苔むした岩と、平和な森のみ。
「帰ろうか?」
束の間、ふたりは神との邂逅の余韻に浸るように無言で佇んでいた。だがやがて、セレンがこう切り出す。
「このことはイリオスや父上、母上にも共有しないとね」
「はい」
シアたち家族の間では、情報共有が鉄則である。
全員には無理でも「一人で抱え込まず、誰かひとりには悩み事や相談事を打ち明けること」というルールは、回帰前から存在している。
とくに家門や魔法に関することは、一人で抱え込むには荷が重い。だからセレンもまた、オクルスの権能について父に相談していたと、道すがら教えてくれた。
ただし、このルールにもちょっとした問題が一つ。
「自分がのけ者にされていた間にエタムと会っただなんて、イリオ兄様が拗ねないといいですね」
「ううーん。イリオスは人一倍好奇心が旺盛で、探求心の固まりだからな……」
しかもシアは今日、日々難易度が上がっていくラナイの鍛錬に、一人イリオスを残してきたのである。
絶対、拗ねていじけるだろうな、と。意見が一致した二人は、仲良く来た道を戻りながらイリオスへの埋め合わせを話し合ったのだった。
回帰の代償 ~史上最凶の魔法使い『白い悪魔』ですが、今度こそ殿下を幸せにしてみせます!~ 涼暮月 @i-suzu
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