初めまして。
戸籍と家系図のところは、私にも共感できるところがありました。私もひっそりと作っている最中です。(元々檀家だった寺にあった過去帳なるものは関東大震災やら第二次世界大戦やらの火災で灰になってしまったそうです)
郷愁にかられる話でした。ありがとうございました。
作者からの返信
感想ありがとうございます。
震災や空襲などで貴重なものがたくさん失われてしまったのは残念ですね。
上月祈さまの故郷を思い出す助けになれたのであれば幸いです。
私にも亡くなった祖父の一軒家があるので、同じ様な境遇に不思議な気持ちになりました。分かりやすく引き込まれる情景にとても感動しました!
作者からの返信
感想ありがとうございます。読者の懐かしい思い出を思い出す助けになったのであれば幸いです。
私はたまに新潟県中越地区にある祖父の実家の話を書きますが、庭に大きな渋柿の木がありました。
このお話だと平城とありますが、祖父の家の裏山は山城でした。
城主の一族はいろいろ移転していますが、その本流は戦国時代の大河ドラマで、とある人気俳優が演じていました。
まだ空堀や井戸跡が残っています
ずっと上ると、山頂で狼煙を焚いた山があります。
上杉家が敵襲を知らせる時に狼煙を上げたといわれます。
ロード・オブ・ザ・リングで敵襲を知らせるのに狼煙を使うシーンがありましたが、あれと同じものです
作者からの返信
感想ありがとうございます。
祖父母の実家の近くの平城は父親の子ども時代までは土塁が残っていたようですが、現在では開発でなくなってしまったようです。現在でも字の名前に名残があります。
私はこの様な本家で生まれて、育ちましたから、読んでいて懐かしくなりました。どちらかと言うと、よく訪れていた母の実家の方を思い出しもします。道路事情は、特にそうです。我が家は県道に面していましたが、母の実家は、実は、地主だったので、集落の一番高い山の麓にありました。明治時代にできた道路は集落の中心を走っており、車が通れる道は、母の実家まではついていませんでした。後に、家を継いだ叔父が、道路を少しづつ広げて行きました。その工事は、私の父の建設会社が行いました。
私の実家はダムに沈んだ為、取り壊されましたが、Googleマップでは、水位が低い時に写真が撮られているので、今でも跡地が確認できます。米国から学生達に私の育った場所がどれだけ田舎だったかを自慢しています。
その柿の種を植えて、新しい木を育ててはどうですか?
作者からの返信
感想ありがとうございます。
分かりにくいですが、最後の柿の種は、私の実家で植えている方の柿の木です。実家には果物の苗木が数本植わっていて、その中に柿の木もあるのです。今の私の家はマンションなので、さすがに柿は育てられませんね。
この前、祖父からレモンをもらったことを思い出しました。まだ最後ではないレモンです。でもそう遠くない日に最後のレモンになるでしょう。
変わらないものはないけれど、少しずつ日常の景色が塗り替わっていく様子に切なさを感じました。
作者からの返信
感想ありがとうございます。変わらないようなことでも、今自分たちが記録に残さなければ永遠になくなってしまうかもしれない、というのは切ないですね。