最後の柿への応援コメント
はじめまして、蘆蕭雪と申します。
胸に染み入るような、滋味深いエッセイを拝読できて幸甚でした。ふとしたきっかけから、記憶に残る情景を辿っていく足取りに郷愁を感じます。今は存在しない場所が丁寧な筆致で再現されることの奥深さに胸を打たれました。私事で恐縮ですが、コロナ禍の間に思い出の場所が手放され、言葉にしがたい落胆を覚えたことを思い出しました。素敵な読書経験をありがとうございました。
作者からの返信
感想ありがとうございます。
蘆蕭雪さまも大切な思い出の場所と突然のお別れをされたのですね。
もう存在しない場所も、思い出の中と保存されているGoogleマップを見れば再会できるのは感慨深いです。
最後の柿への応援コメント
私はたまに新潟県中越地区にある祖父の実家の話を書きますが、庭に大きな渋柿の木がありました。
このお話だと平城とありますが、祖父の家の裏山は山城でした。
城主の一族はいろいろ移転していますが、その本流は戦国時代の大河ドラマで、とある人気俳優が演じていました。
まだ空堀や井戸跡が残っています
ずっと上ると、山頂で狼煙を焚いた山があります。
上杉家が敵襲を知らせる時に狼煙を上げたといわれます。
ロード・オブ・ザ・リングで敵襲を知らせるのに狼煙を使うシーンがありましたが、あれと同じものです
作者からの返信
感想ありがとうございます。
祖父母の実家の近くの平城は父親の子ども時代までは土塁が残っていたようですが、現在では開発でなくなってしまったようです。現在でも字の名前に名残があります。
最後の柿への応援コメント
私はこの様な本家で生まれて、育ちましたから、読んでいて懐かしくなりました。どちらかと言うと、よく訪れていた母の実家の方を思い出しもします。道路事情は、特にそうです。我が家は県道に面していましたが、母の実家は、実は、地主だったので、集落の一番高い山の麓にありました。明治時代にできた道路は集落の中心を走っており、車が通れる道は、母の実家まではついていませんでした。後に、家を継いだ叔父が、道路を少しづつ広げて行きました。その工事は、私の父の建設会社が行いました。
私の実家はダムに沈んだ為、取り壊されましたが、Googleマップでは、水位が低い時に写真が撮られているので、今でも跡地が確認できます。米国から学生達に私の育った場所がどれだけ田舎だったかを自慢しています。
その柿の種を植えて、新しい木を育ててはどうですか?
作者からの返信
感想ありがとうございます。
分かりにくいですが、最後の柿の種は、私の実家で植えている方の柿の木です。実家には果物の苗木が数本植わっていて、その中に柿の木もあるのです。今の私の家はマンションなので、さすがに柿は育てられませんね。
最後の柿への応援コメント
いいのすたるぢいに浸れるエッセイですなー
グーグルマップで見つけるとかいい意味で今風の話ですが、そういう検索とかしてないと思い出すのも遅かったりして現状を知るのも遅れたかもですね
自分は最近まで実家だったうえ引っ越し後直ぐ壊してしまい、こういう様な縁のある再会はなかったですね
でも家じゃなくてもやっぱ昔遊んでた公園とかが残ってたりすると何とも懐かしい気持ちに襲われますわー
この公園のこの位置に遊具があったなーとか、おもちゃを砂場で無くしたなーとか……
作者からの返信
感想ありがとうございます。
やはり家そのものは残っていなくても、子ども時代に見た物が残っていると感慨深いですね。
最後の柿への応援コメント
この前、祖父からレモンをもらったことを思い出しました。まだ最後ではないレモンです。でもそう遠くない日に最後のレモンになるでしょう。
変わらないものはないけれど、少しずつ日常の景色が塗り替わっていく様子に切なさを感じました。
作者からの返信
感想ありがとうございます。変わらないようなことでも、今自分たちが記録に残さなければ永遠になくなってしまうかもしれない、というのは切ないですね。