本気の失敗をしよう

一式鍵

本気の失敗には価値がある。

 PVが伸びない。

 それはたぶん、多くのカクヨムユーザーが抱える悩みです。


 私も旗艦フラッグシップ作品が3桁PV行くことは殆どありません。

 かろうじて2桁後半にしがみついている状態です。

 また、12月2日に公開してから今まで(1/4 10時頃)で★も62個と、かんばしくありません。読者選考突破には程遠い状況です。「異世界ファンタジー」部門なので。


 ↓これね

 https://kakuyomu.jp/works/16817330667806787552


 「(たまにでも)3桁いくなら贅沢言うな」と言う方もいらっしゃるとは思います。しかし目的・目標がある以上、私は全く贅沢とは思いませんし(ましてカクヨムコンの読者選考突破ボーダーから遠いですし)、そう思うことは既存の読者さんを裏切り、また、読者になりうる人たちを舐めてることにもなると思います。


 なので、私は作品(上記のみならず)を掲げています。

 総体として自信がないなら表に出しませんよ、そもそも――と、いう主義ですから。


 なお自信が実力に結びついているかどうかは私の判断するところではないですね。

 なので「たいしたことないのにかっこわるいwww」とかいう評価をされる可能性ももちろんあります。ですが、それとこれとは話が全く違うのです。「みんなが笑うから自信を持たない状態で公開します」とか、そんな馬鹿な話はありません。


 そして評価してくださっている人が(幸いにも)確実にいる以上、「私に実力なんてないです」とは口が裂けても言えません。それは読んでくれた方に対する裏切りでもあるからです。


(*文字列書くのがまだ不慣れなため乱文になってしまってすみません、とかその辺は客観的事実かもしれないので、表明しても良いかもしれないですが、『(作品に)自信がありません』はダメです)


 エンターテインメントに於いて、謙遜は美徳ではないのです。

 (そして謙虚さもまた表明するものではありません)


 そこんところを分かってない人が多すぎ。

 腰の引けてるエンターテインメントに、観客が集まりますか?


 自分の自信のなさに謙遜という皮を被せて自己防衛しようという魂胆が見え見えの人。だったら出すなよ(出るなよ)と、私は思います。自信もない作品を出して、見ちゃった人の時間を奪うなと。あわよくば評価されたいな~なんていう甘い魂胆は透けて見えます。それはよくない。


(*言い方きついのでフォローさせてもらいますけど、もちろんそのスタンスは自由です。あくまで私の主観だと思っていただければ良いです)


 出した結果評価されないのは仕方ないんです。私だってその一人です。

 実力があるかどうかじゃない、大事なのは自信があるかどうかなんです。換言するなら、「読んで欲しい」という強い情熱があるかどうか、かもしれません(ニュアンスで伝われ)


 百歩譲って「自信が持てない」作品だったとしても、その作品に「自信がない」ことを表明してはいけないと思うんですよ、私は。そんなことは一生黙ってろと。そのそぶりを見せるなと。「うちらの漫才しょぼいんで、そのつもりでお手柔らかに聞いてください」なんていう漫才師がいますかと。


 また、たとえば絵画を考えてみてくださいよ。

 駆け出しの時期に一枚売れました。なんと10万円で売れました。

 ところがその絵に対して後に「あれ駄作でしたよ」って言っちゃったら、10万という評価をくれた人はどう思いますかと。


 小説でも同じです。カクヨムでは★(★(★))と押す「だけ」に見えますが、そこに至るまでに、数分から数時間の時間を、読み手に使ってもらっているわけです。その時間も投資です。↑の例でいえば「10万円の一部」です。多かれ少なかれ投資してもらった結果の★ということです。


 であるからこそ、極論「PVが1でもついた作品」を卑下することは許されないと私は思っています。(PV0はがんばれ) もちろんより良い数値を出すために改良するなというわけではありません。それはどんどんやっていい。けど、「しょぼい作品ですから」とか言っちゃいけない。読者がついたに「自信ないですけどとりあえず出してみました」も言っちゃいけない。つくなら、誰も読まないだけなのでワンチャン言っても良いかもしれませんが、誰も幸せにならないのでオススメはしません。


 自信持って出した結果、ぜんっぜん評価されない。良いじゃないですか。


 『宇宙兄弟』でムッタが言ってますよね。

 「本気の失敗には価値がある」


 自信満々で創ったものを世に送り出す――それはつまりで取り組んだからこそできることだと思うんです。自己防衛もなにもなく、「どうだ!」と出した作品。


 それがまーったく評価されなくても(凹みはするけど)、「」というが残る。次はそれを踏まえてがんばればいい。


 しかし「謙遜」という皮を被って防衛ライン引いて及び腰で挑んだとしたら、それは「本気」にはならないと私は考えています。


 なので私は常に本気です。

 どんな作品であれ、本気で書いてきましたし、本気で発表してきました。

 (2020年以前のカクヨム時代とか、今の個人サイトとかね)

 「実験作」ももちろんありますが、それに手を抜いたこともありません。

 「バカな作品」も書きましたが、だからと言って手を抜いて会話わけではないです。


 ――結果として未だ鳴かず飛ばずという事実はあるにしても、また、あとから見た時に反省することはあるにしても(そりゃありますよね、自身が成長してれば)、自分の作品をおとすことはありえません。


 なぜならそれはその時その時の本気ですし、その時その時のその作品を面白いと評価してくださった方や、ある程度の時間を割いてくださった方がいるからです。私はその投資頂いた分を裏切ることだけは絶対にしたくないですし、他人がしている現場を見たくもない。


 というわけなので、私は、少なくとも私は「自信」を持って公開しています。

 大前提なので何も誇るべきことではありませんが、現在「腰痛剣士と肩凝り魔女」について評価してくださっている21名(2024/1/4-10時ごろの時点)の皆様には最大限の感謝をしております。もちろん他の作品に於いても同様です。ここを見てる人の中には「21名、しょっぼwww」っていう人がいるかも知れません。しかし人数の多寡の問題ではないです。誰かの人生の時間を引き換えにしていただいているという事実があるのみ、です。


 そもそも自信と実力(あるいは客観的評価)に相関関係はないです。


 それが大きく乖離する人もありますし、私もそうかもしれません。


 ですがまず、自信を持てるだけ、つまり自分が納得できるだけの情熱で作品を作り、「どうぞ!」と堂々と掲げること。自作に言い訳せずに前に出ること。


 これがまず最初の一歩大前提なんじゃないかと、私は思うのです。


 やる以上、でやる。

 誰に笑われたって良いんです。自分の中の本気でやれば。


 本気でやったら提供(公開)する。

 公開したら、言い訳しない。自作品をおとさない。


 がんばってやっていきましょう。


 というわけで、ここでまたURL貼らせて頂きます。

 ここまで言っておいて提示しないのはなんか片手落ちなので。


 「腰痛剣士と肩凝り魔女」(長編)

 https://kakuyomu.jp/works/16817330667806787552


 「輝く森の中心で、君は眠る」(短編)

 https://kakuyomu.jp/works/16817330668887841602


 以上、でございます。

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