王子様はつれないメイドのガラスの靴を落とさせない

楠 結衣

第1話

 

 ほっくりした甘い匂いが鼻先をくすぐる。

 はじめて連れてきてもらったハロウィン祭の仮装行列に目を奪われていたら、ひとりぼっちになっていた。


「迷子になったの?」


 犬の仮装をした男の子に覗き込まれたら、目の前があっという間ににじんでいく。


「あ、あのね、手をつないで、いたのに、っ、一人になっちゃったの……」

「大丈夫だよ。ぼくが一緒に探してあげる」

「ほ、ほんとう……?」

「一緒に探せば、すぐに見つかるよ。ぼくは、ルーだよ。君の名前は?」

「わたしはミア。ルー、ありがとう」


 安心した途端にお腹の虫がくるる、と鳴いた。

 くすくす笑うルーがパンプキンパイを差し出してくれて、二人で分けっこして食べる。

 美味しくて落ちそうになった頬っぺたをルーが両手で押さえて、わたしの頬っぺたの代わりにわたしが恋に落ちた。パンプキンパイ味の初恋に……。


「ミア、ぼくは明日になったら帰るけど、来年のハロウィンに会える?」

「うん……っ! またルーに会いたい!」


 私のおばけのブローチとルーのかぼちゃのブローチを交換して、またハロウィンの日に会う約束をした。



 ◇◇◇



 こっくりしたパンプキンパイを切り分けていたら、昔のことを思い出してしまった。

 気付かれないようにため息をこぼして、スパイスの香る紅茶を淹れていく。


「パンプキンパイとシナモンティーでございます」

「ミアは下がっていて」

「はい、かしこまりました」


 お義母さまとお義姉さまに給仕を終えたあとは、言われた通り壁際に立つ。


 わたし――ミアはディステニー伯爵令嬢なのだが、母が流行り病で亡くなってから生活が一変した。

 まだ喪の明けない内に、父が愛人だったお義母様との義姉を伯爵家に連れ込んだ。陽当たりのいい部屋はお義姉さまの部屋に変わり、私は屋根裏部屋に押し込められ、メイドとして扱われるようになった。


「ああ、お城のパーティー楽しみだわ! 運命のつがいに絶対選ばれたいわっ!」

「エイミーちゃんは、こんなにかわいいんだから絶対選ばれるに決まっているわよ」


 お義母さまとお義姉さまは、まもなくお城で開催されるハロウィンパーティーの話題で盛り上がっている。

 遥か昔、獣の耳や尻尾の生えている獣人の住む隣国のグロース帝国と交流がはじまる時、多くの国民が驚かないようにお互いが仮装姿で交流したのがハロウィンのはじまり。

 今では、人より身体能力や知能も優れている獣人に運命のつがいと呼ばれる生涯で唯一の愛される人に選ばれることに憧れている人は多く、わたしも初恋のルーと運命のつがいだったら……と何度夢見たかわからない。


「そういえば、ミアにも招待状が届いていたんだわ」

「えっ……」


 ひらひらと招待状を振るお義母さまに無表情の仮面が剥がれる。

 15歳を迎えたお義姉さまが招待されているなら、わたしにも招待状が届いていると思っていたけど、処分されていると思っていた。


「でも、あなたには縁談がきているから行かなくていいわよね」

「えっ……?」

「トンデーモ男爵に嫁げるなんて羨ましいわ、さすがミアよね? とってもお金持ちみたいだから贅沢に暮らせるわよ、いいわね」

「エイミーちゃんったら譲ってあげて本当に優しいわ。あらあら、シナモンティーを招待状にこぼしてしまったわ……まあ、どちらにしてもパーティーには参加しないから構わないわよね? ミア、片付けておいてちょうだい」

「…………かしこまりました」


 トンデーモ男爵は、変態趣味の噂がある男性で、若い愛人が両手で足りないほどいて、怪しい道具を使って快感を得る特殊性癖があるらしい。


「ハロウィンパーティーの翌日にトンデーモ男爵が迎えにきてくださるわ。ちゃんと準備しておくのよ」


 お義母さまの言葉に目を見開いて立ち尽くす。

 ようやく我に返った時には、シナモンティーは冷たくなっていた。



 ◇◇◇



「明日はトンデーモ男爵が迎えにくるのだから、家中を磨きあげておいてちょうだい」

「かしこまりました」


 秋色に染まった落ち葉を掃く手を止めて返事をする。

 トンデーモ男爵との縁談を決められて、この家、そして父に残っていたわずかな未練も断ち切れた。亡くなった母との楽しい思い出がある伯爵家を去るのは寂しいけど、変態趣味のある男爵に嫁がされてはたまらない。

 魔女と黒猫に仮装したお義母さまとお義姉さまを乗せた馬車が見えなくなるまで見送り、私物をつめたバッグを手に持った。


「ミア様、お待ちしていました」

「ありがとう」


 裏口には、わたしを慕っていたメイドと従者が待っていた。

 お義母さまは、わたしと親しい使用人を次々に解雇したけど、この二人はわたしをずっと支えてくれた。今回の縁談に怒ってくれた二人の手を取って馬車に乗る。


「ミア様、この国を出る前にハロウィンパーティーに参加しませんか?」

「……でも、招待状が汚れてしまったの」


 少ない荷物の中から汚れた招待状を見せれば、メイドはにっこり笑って胸をたたく。


「ミア様、本物のメイドにお任せください」


 それから、母が懇意にしていたブティックに連れられる。

 わたしは魔法にかけられたようにルーの瞳と同じ青色のドレス、ルーの髪と同じ銀色に光るガラスの靴を身につけて、染み抜きの終わった汚れひとつない招待状を手に持って鏡の前に立っていた。


「ミア様、とっても美しいです……っ! 異国の姫の仮装もとってもお似合いになります!」


 最後の仕上げに、ルーにもらったかぼちゃのブローチをチョーカーにして首につける。

 涙ぐむメイドにつられて泣きそうになると、メイクが崩れるので泣いてはだめだと笑われて、ハロウィンパーティーに馬車で向かった。



 ◇◇◇



 煌びやかな照明がシャンデリアから降り注ぐ。

 コウモリやおばけかぼちゃの飾りつけ、刺激的なブラッドジュースに目玉のオードブル、オレンジとパープルのガーランド、はじめて見るすべてに視線が忙しくて、感嘆の声をあげた。


「す、すごい……っ!」


 人集りから騒めきが起こり、なぜかわたしの前に道ができていく。

 わたしは、目の前に現れた人に驚きすぎて目を見開いた。




「…………ルー」


 現れた男性、ルーから目が離せない。

 はじめて会ったときは同じくらいの身長だったのに、ヒール靴を履いても見上げるほど高くなっている。青い瞳に整った顔立ち、銀色の髪と狼の耳はシャンデリアの光に照らされてきらきら眩しい。

 モノトーンでまとめられたクラシカルなヴァンパイアの仮装がとても似合っている。


 まっすぐに見つめられ、わたしも見つめ返した。


「ミア、ずっと会いたかった」

「わたしも会いたかった……ハロウィン祭に行けなくて、ルーとの約束を守れなくて本当にごめんなさい」

「ミア、謝らないで」


 ルーがゆっくり片膝をついて、指先にキスを落とす。


「ミア、一緒に踊っていただけますか?」

「もちろん」


 わたしとルーは会えなかった時間を埋めるように、一緒に踊って語りあう。

 ルーの本当の名前は、ルーカス・フォン・グロース――グロース帝国の第二王子だと告げられて、目がこぼれるくらいに見開いた。


「ごめんね、ミア。狼獣人は王族のしるしだから、犬獣人に仮装していたんだ」

「ルーカス殿下……?」

「ルーって呼んで?」


 ヴァンパイアのマントをひるがえしながら踊る。

 腰を引き寄せられ耳元でお願いされると、頬に熱が集まった。大人になったルーの仕草ひとつひとつに心臓が跳ねてしまう。


「っ、…………ルー」

「ミア、かわいい――僕の運命のつがい、もう離さない」

「っ!」

「ミアは僕の唯一になるのは嫌?」


 運命のつがいという言葉に心臓が早鐘を打ちはじめる。

 ずっと想い続けていたルーもわたしを想っていてくれたなんて夢のようだけど、伯爵令嬢といってもメイドのように過ごしてきたこと、トンデーモ男爵に嫁がされるのが嫌で他国に逃げようと思っていること、その前にルーに会えるかもしれないと思ってハロウィンパーティーにきたことを告げた。


「……許せないな」


 わたしの話が進むとルーの表情が険しくなる。

 ぼそりとつぶやく言葉は、上を向いていて聞き取れないけど、きっと呆れてしまったのだろう。


「がっかりしたでしょう? もうパーティーを抜けないと間に合わない――最後に会えてよかった。さようなら、ルー……」


 曲が終わり、ルーに別れの言葉を口にする。

 怖くてルーの顔が見れなくて、うつむいた。


「がっかりしたよ」


 ルーの言葉に身体が震えて、目の前の景色がにじんでいく。

 身体をルーから離そうと思ったら、突然の浮遊感に襲われる。横抱きにされていて、ルーの顔がすごく近い。


「えっ……?!」

「ミア、僕は自分の不甲斐なさにがっかりしてる――もうミアに哀しい思いはさせないと誓うから、だから、僕にもう一度チャンスをちょうだい。僕の唯一になることにうなずいて?」

「で、でも、わたしでいいの……?」

「ミアがいい! ミアが好きなんだ! ミア以外は、なにもいらない」


 射抜くような視線に頬の熱がたまっていく。

 わたしが小さくうなずけば、ルーに破顔された。


「ミア、僕の運命のつがい……! 異国の姫のようにガラスの靴は落とさせないよ。このまま連れ去るから覚悟してね」


 ほてった頬に優しく口づけを落とし、さらに真っ赤に染まったわたしの頬を見て、ルーは愛おしそうに目を細める。

 熱の籠った目で見つめられ、気持ちがあふれていく。


「わたし、ルーが好き……。このまま連れて行って」

「ミア、あんまり煽らないで。これ以上かわいいと我慢できなくなる」


 ルーは運命のつがいを見つかったことを理由に、わたしを横抱きにしたまま帰国して、蜜月に突入した。



 ◇◇◇



 それから一年。グロース帝国がおばけやかぼちゃの飾り付けでハロウィン一色に染まり、わたしは初恋の人と出会った日に、わたしを支えてくれたメイドと従者、それからグロース帝国の人たちに祝福されて結婚式を挙げた。



 わたしの代わりにお義姉さまがトンデーモ男爵に嫁いで新しい扉をひらき、爵位を返上して困窮したお父様とお義母様もトンデーモ男爵に新しい扉をひらいてもらったと知ったのは、さらに一年後のことだった。




 おしまい

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

王子様はつれないメイドのガラスの靴を落とさせない 楠 結衣 @Kusunoki0621

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ