【ショートストーリー】ミス・クレデリの予言と夢幻のデリバティブ

藍埜佑(あいのたすく)

【ショートストーリー】ミス・クレデリの予言と夢幻のデリバティブ

 クレジットデリバティブ

 社債や貸付債権の信用リスクに着目し、これを定量化し、投資家同志で個別に条件を決めて行う取引。 社債などを保有する投資家が、債務不履行により社債の元本が支払われなくなるリスクを回避するために、信用リスクが小さいと判断した金融機関などに、保険を支払う。


 ある平凡な朝、西勘一郎にしかんいちろうは目を覚ました。

 彼は名もなき町の地方銀行で、クレジットデリバティブの取引に明け暮れる中堅の金融マンだ。

 しかし彼には他の誰にもない特技が一つあった。

 それは、あらゆるリスクを回避して、確実な利益を生み出すこと。

 彼は単なる金融マンとしての生活に満足していなかった。そして彼は、夜な夜な奇妙な夢を見続けていた。

 そこには常に、クレジットデリバティブが擬人化された「ミス・クレデリ」という女性が出てきた。


「西勘くん、現実は思ったほど単純じゃないわよ」


 ミス・クレデリは夢の中でそう囁くと、いつも地平線の向こうに消える。

 不思議に感じつつも、西勘は日常に戻り、どんなリスクも見事に回避しつつ利益を積み上げていった。

 この町の銀行で最も損失を出していない男、それが西勘一郎だった。

 しかし彼の運命はある日、街外れに新しく開業した謎のカフェ「クレディー」を訪れたことにより、一変する。

 店内に一歩入ると、予想外の出来事が彼を襲った。

 なんとミス・クレデリが現実世界にいたのだ。

 彼女は実在し、彼を待っていた。


「西勘くん、実はね、私たちの世界、この金融のシステムは全て幻想なの。あなたはただの数字遊びの中で生きているのよ」


 戸惑いながらも、彼はカフェで働く女性たちが、彼の夢で見たデリバティブの様々な概念に似ていることに気づく。信用不安、リスク分散、支払不能……彼女たちは笑ってミス・クレデリに同調した。

 突然、西勘の携帯が鳴る。

 銀行からの緊急連絡だ。

 市場が大暴落し、信じられないことに、彼の無敗の伝説は終わりを告げようとしていた。

 クレジットデリバティブ市場が夢の中のミス・クレデリの警告どおり、取り返しのつかないレベルで崩壊している。

 彼が獲得した全ての利益は、一瞬で消滅の危機に瀕していた。

「どうして?」

 彼が尋ねると、カフェの女性たちは一斉に微笑んだ。


「西勘くん、これが現実よ。デリバティブは不確実性の積み木。いつかは崩れる運命にあるの」


 彼はパニックになるが、再び携帯が鳴った。しかし今度は逆転の知らせだった。

 クレジットデリバティブの損失が計算ミスだったという。

 実は彼は何も失っていなかった。

 しかし、西勘はその瞬間、全てを悟った。

 彼がこの世界で育んできた「数字」は、彼自身と世界が創り出した幻想だったのだと。

 そしてミス・クレデリは、その架空のシステムから彼を解放しにきた使者だったのだと。

  彼はそれから「クレディー」カフェに通い、現実と幻想を行き来するかのように、二重生活を送ることになった。

 しかし、本当はどちらが現実で、どちらが幻想なのか、西勘一郎にはもう分からなくなっていた。

 結局のところ、クレジットデリバティブのように、我々が日常で信じて疑わない現実も、ある種の契約の上で成り立っているのではないか、と彼は考えるのであった。

 そして西勘一郎は、毎日がどんでん返しの連続であるこの奇妙な世界に、ただ笑うしかなかった。


(了)

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