たったひとりの12月31日

枕崎 純之助

たったひとりの12月31日

【始まりました! 2013年の大晦日おおみそかにお届けする第64回紅白歌合戦!】


 テレビに映る紅白歌合戦を見ながら、俺はカップ麺の容器にお湯を注ぐ。


「へぇ。この年はリンホラが出てたのか」


 俺は容器にふたをすると、テレビを見ながらそうつぶやいた。

 今日は2024年の大晦日おおみそか

 俺が見ているのは11年前の紅白歌合戦を録画したものだ。

 なぜ大晦日おおみそかに昔の紅白を見ているのかというと、今年は紅白が放送されないからだ。

 いや、紅白どころか全てのテレビ番組が放送していない。


 なぜなら今、この国には人がいないからだ。

 今年の7月1日。

 朝、目覚めた俺は世界が変わり果てたことをすぐには理解できなかった。

 電気、ガス、水道が止まり、SNSなどのネットも全く反応せずスマホが使えない。

 そして外に出ると、人の姿が一切見当たらない。


 奇妙に思った俺は人を探して駅まで走ったが、歩行者も走っている車もなく、誰の姿も見ることはなかった。

 コンビニも駅の改札も無人だ。

 それどころか鳥の1羽も空を飛んでおらず、ゆうべまでうるさいくらいに飛んでいた虫の一匹すらいない。

 動くのは空に浮かぶ雲ばかりだ。

 その日から俺は自分以外の生き物を一度も目にしていない。


 仕事で山口の下関しものせきに一人で住んでいた俺がまず気にしたのは東京の実家だ。

 スマホは使えないし、駅の公衆電話も使えない。

 直接行くしかない。

 そう思い俺は車で東京に向かった。


 広島、神戸、大阪、名古屋。

 途中で通り過ぎたこれらの街にも動くものは何もなかった。

 車での通行に苦労したのは、あちこちの道路に車が放置されていることだ。

 どの車も無人であり、壁にぶつかった状態でそれでもエンジンがかかったままになっている車もあった。

 まるで走行中の車から突然、運転手が消えてしまったかのような状態だ。 


 頭に浮かぶのは「人類滅亡」の4文字だった。

 しかしよく映画などで見るゾンビパンデミックでもバイオハザードでもない。

 ただ世界から人が消えた。

 死体も一つも見かけない。


 そして苦労して東京の実家に戻ると両親、弟、飼い犬の姿も消えていたのだ。

 家族が生きているかもしれない。

 そんな淡い期待は打ち砕かれ、俺は落胆した。

 以降、俺は実家を拠点に近隣都市を車で回ることにした。

 生存者を探すためだ。

 

 その頃の俺は生きている誰かを見つけるために躍起やっきになっていた。

 会いたい。

 人間に会いたい。

 犬や猫でもいい。

 この世に自分以外の動く命が存在していることを確認したかった。


 だが時間はむなしく過ぎ去っていき、真夏から秋になり、やがて冬を迎えた。

 そして大晦日おおみそか

 明日は正月になるというのに、俺は今も一人きりだ。

 多分もうこの世に人はいない。


 俺は冬に入る頃にはもう人探しをあきらめていた。

 食料や燃料、発電機などは近隣きんりんのホームセンターなどで手に入る。

 当面は生きられるだろう。

 実家には父親が録りためていた数々のテレビ番組が光学ディスクに残されており、紅白歌合戦も20年分は見られる。


 母親はそうして残してもどうせ見ないし、ゴミになるから捨てろと父親に怒っていたけど、今になってみれば捨てないでよかった。

 テレビ番組は人が生きていた確かなあかしだ。

 今こうして孤独に生きる俺には何よりのなぐさめだった。

 それがなければ俺はとっくに孤独につぶされていただろう。


 実際、世界がこうなってしまってから時折、俺はどうしようもない虚無感と絶望感に襲われた。

 食事が終わった時、風呂から上がった時、朝目覚めた時。

 ふとした瞬間にそれは襲ってくる。

 何をしていても自分はこの世でたった1人であり、この命がある限り孤独な時間は延々と続いていくのだという重い事実。


 ここは間違った世界なのではないか。

 悪い夢なのではないか。

 目が覚めれば、以前の日常に戻れるのではないか。

 そんな期待が混乱とともに俺の胸に湧き上がる時、それは希死念慮きしねんりょとなって俺の体を支配する。


 突発的に死にたくなるのだ。

 死んでこの孤独から逃れたくなるのだ。

 実際、俺はこの孤独な世界になってから4度の自殺未遂を経験している。

 死ぬことによって苦しみから逃れようとするのだ。


 方法は様々だった。

 だが毎回、寸前で思い留まる。

 それは単純に死への恐怖からだ。

 

 ビルの屋上から飛ぶと地面に叩きつけられた時に痛いだろうな。

 縄で首を吊ったら、呼吸が出来なくてものすごく苦しいだろうな。

 そんな苦痛への恐怖心が俺に自殺を思いとどまらせる。

 だがそれも危ういところだ。

 いつ死への渇望がそうした恐怖を乗り越えて、俺に思い切らせてしまうか分からない。


【それでは皆様~! 良いお年を!】

 

 気付けばテレビ画面に流れる11年前の紅白歌合戦は幕を閉じていた。

 時間も実際の紅白の放送時間に合わせて再生したため、今は23時45分。

 去年までなら後番組である『ゆく年くる年』が始まる時間だ。

 だけど録画した紅白の再生が終わったテレビは当然沈黙ちんもくした。

 聞こえるのは家の外でうなりを上げる発電機の音だけだ。


「……終わった」


 初めて迎える無人の年越し。

 この世でたった一人の俺は孤独な正月を迎える。

 不意に腹の底から強烈な不安がこみ上げ、俺は体の震えが抑えられなくなった。


 家族もいない。

 友達も同僚も皆いなくなってしまった。

 俺だけがこの世界に取り残されたのだ。

 突き付けられる現実。


「生きて……どうする? 意味ねえだろ……うぅ」


 俺は嗚咽おえつらし、止めどなくあふれる涙をぬぐいもせずに泣きじゃくった。

 どうしようもない絶望感が心をさいなむ。

 希死念慮きしねんりょがまたしても不吉なその鎌首をもたげてきた。


「こんなんなら……死んだほうがマシだ」


 ふいに近所のマンションを思い出す。

 今なら飛べるかもしれない。

 6階建ての屋上から飛び降りれば、苦しまずにけるはずだ。

 たった1人の正月なんて、とても迎えられる気がしない。

 そんな苦しみを経験するくらいなら……それならいっそ……。


「そうだ……今日こそ終わりにしよう」


 俺は立ち上がり、くつかずに玄関のとびらを開けた。

 同時に俺は久しく聞いていなかった呼びりんの音を聞いたんだ。

 とびらを押し開いた俺は息をするのも忘れて、その場に立ち尽くす。


「翔吾……」


 名前を呼ばれた。

 誰かが俺の名前を呼ぶというその現象が久しぶり過ぎて、俺は思わず固まってしまう。

 玄関の前で呼びりんを押していたのは1人の女性だった。

 その顔を忘れるはずはない。


「さく……ら?」


 さくら。

 それは大学時代に交際していた同い年の女子だった。

 社会人になってすれ違い生活の中で別れてしまい、その後は一切の連絡を取っていなかった。

 どこに暮らしているかも分からない彼女がどうしてここを訪れたのか。

 今はそんなことを考える余裕もなかった。


 半年ぶりに見た人間。

 それがかつて愛した女性だった。

 それだけで胸が一杯になる。

 それは彼女も同じのようで、俺達は弾かれたように抱き合ってその場で震えながら泣いたんだ。


「翔吾。いてくれて良かった。消えないでくれて良かった」


 さくらの涙まじりのその言葉と体の震えで、彼女も自分と同じ思いをしていたのだと俺にはすぐに分かった。

 どうして彼女は生きているのか。

 そんなことを考える余裕はない

 今、こうして肌で感じられる命の温もりが、何よりも大切だった。


 その時、彼女の腕時計が午前0時を指し示し、アラーム音が鳴る。

 たった1人の12月31日が終わったのだ。

 さくらは涙でぐしゃぐしゃになった顔で俺を見つめた。


「年明けだね。翔吾。あけましておめでとう。世界に2人きりだし、せっかく会えたから復縁しよっか?」


 さくらはそう言うと涙をいて笑う。

 かつて俺が大好きだったなつかしい笑顔だ。

 俺は生きる意味を見つけた。

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