ハデエマアウフヘーベン

くいな/しがてら

ハデエマアウフヘーベン

 地上は一面白に塗られている。

 初詣を終えた人間たちは、お辞儀をしいしい、雪を踏み荒らしひっくり返しながら、やがて逃げるように各々の家庭に引っ込む。大半の人間はこれからぬくぬくのんびりするのだ。そう、人間は。

「よ、明けましておめでとう」

「お前は隣町の。何もめでたくないよ。見てよ、この絵馬の山」

「信心深くて結構だが……うちとは違うな」

「そっちが羨ましいよ。ああ、正月くらい休みたい」

「おいおい、滅多なことをいうんじゃない。どこでアマテラス様がお聞きになっているともしれない」

 氏神は慌てて口を噤んだが、小声で再び愚痴りだした。

「……でもさあ、これだけの地域の人間を把握するのは骨が折れるよ。名前も覚えられないし、住んでいる場所も手当たり次第だ。絵馬を書かない人の望みも分からない」

「うへえ……漢字違いのワタナベさん多いな」絵馬をざっと眺めていた隣町の氏神は口を抑える。

「そっちは楽なんだよね? もしよければ手伝‥‥‥」期待を込めて視線を合わせる。

「おっと、こうしちゃいられない。奇跡を待っている哀れな民を救わねば。じゃあな」引き止める間もなく、隣町の氏神は北風を吹かせて足早に立ち去った。この町の氏神は今後の仕事を思うと憂鬱になるのであった。

 氏神の仕事は奇跡の分配である。信仰や幸不幸に応じて適切な奇跡を適切なタイミングで与える。そのために土地に住まう人間の所在や敬虔さを調べておく必要がある。あるのだが‥‥‥。

「めんどくさい!」

 その地域の氏神はサボり魔であった。

「氏神としての仕事はやらなきゃ、手元に余った奇跡のオーラでアマテラス様に怠慢がバレる。でも丁寧に仕事をしたら来年まで働きづめだ。どうすれば‥‥‥お、この絵馬すごい」

 氏神は一つの絵馬の前で足を止めた。極彩色の背景、インパクト抜群の構図、美形の自分。‥‥‥美形の自分! 氏神はたいへん気をよくした。

「この人には奇跡をあげよう。なになに、結婚したい? お安い御用! ‥‥‥そうじゃん、普段の様子を観察するなんてまどろっこしいことせずに、絵馬のデザインに応じて奇跡分けちゃえ。名前もぱっと分かるし、この神社には駐車場も駐輪場もないから、描いた人は徒歩で来られる距離にいて見つけやすい。望みも一目瞭然だ。よーし!」


 怠惰な氏神が奇跡を与えた人間は、巷で人気のマンガ家であった。年越し前から絵馬を入手してイラストを描き、初詣に行ってそれを飾ると写真を撮ってから帰宅し、SNSに投稿した。神々しい絵と、卑俗な、そしてありふれた「彼女はいないが結婚したい」という願いのアンバランスが笑いを誘ったのだが、その投稿は翌日さらなる爆発力をもって注目を浴びることになる。漫画家は昨日の今日で結婚した。相手は一般女性というだけで、それ以外の情報は伏せられていた。

 写真の情報から漫画家の神社を特定する者が現れた。その神社を訪れた一般人が便乗し、ひどく下手くそな絵を絵馬に描いて投稿し、それなりの注目を集める。彼の「宝くじが当たりますように」も実現した。六等の三千円ではあったが、そのことも評判を呼んだ。

 ある者が「イラストを描けば望みが叶うのでは」と言い始めた。まもなくその神社は意匠を凝らした美麗なイラスト付きの絵馬で溢れた。しかし人々の予想に反し、その中で願いが叶ったものはごくごく少数であった。イラストが直接的な理由ではないのかもしれない、という疑念。そこで、より人間にとって得心しやすい仮説が登場する。

『目立つ絵馬は神様の目に留まりやすい』


「何してんだてめえ!」件の怠け者の氏神は、他地域の氏神に詰められていた。

「時間も運命も平等じゃないんだから、運勢くらい平等にしてやるって話だろ」「テキトーな仕事しやがって。氏神としての自覚がないんじゃないのか?」「そんなに信仰を集めて‥‥‥けしからんぞ!」「アマテラス様に叱られろ!」

「そんなこと言ったって、本当は羨ましいんでしょ?」

 近所の氏神一門はぐっと詰まる。

「労せず信仰を集めたこの僕に嫉妬してるんだよね。神は許そう」「何が許す、だ。俺たちだって神だ」「じゃあ自分で自分に楽な道を許しなよ。この言葉知ってる?」

 つやつやした得意顔で光を発散し、悪びれもせずに件の氏神は言う。

「赤信号、みんなで渡れば怖くない」

 氏神たちはためらいがちに顔を見合わせた。


「目立つ絵馬は神様の目に留まりやすい」は定説となった。例の神社だけでなく、周辺の神社でも同様の現象が見られたからだ。絵馬は一大センセーションを巻き起こした。

 アクリル絵の具は、年末だけ「絵馬用絵具」に名を変え、少し値を上げて販売されるようになった。参拝者の画力は徐々に上がり、一般人にはとても敵わないものになった。そこで人々は別の手段で絵馬を目立たせようとする。

 ある者は絵馬を贅沢に二枚重ねにし、分厚くした。

 ある者は絵馬に彫刻した。

 小さなLEDを敷き詰めイルミネーションを作った者もいた。

 小型ラジオをくっつけて囃子を鳴らした絵馬は、神主に処分された。

 上部にミニチュアの神棚がついた絵馬が販売され始めたが、従来の方法では嵩張るという問題があり、神社が数量限定で販売するものしか飾れないことになった。

 神社に作業スペースが置かれることになった。絵具や彫刻刀を時間単位の料金と引き換えに貸し出すもので、三が日は満席だった。

「神様もお喜びでしょう。このブーム、ぜひ続いてほしいですね」ある神主はきれいに整った顎髭を撫でながら、ほくほく顔でインタビューに応じた。

 しかし派手なら派手なほどいいという訳ではなく、一応ルールがあるようで、木製の五角形でないものに書かれた願いは絶対に叶うことはなかった。専門家は「絵馬とみなされないのではないか」と大真面目に分析した。

 ハッシュタグ「派手絵馬」を付けた写真投稿がSNSで流行した。

 海外でも話題になり、正月の外国人観光客数はうなぎのぼりとなった。美麗な絵馬の熾烈な競争を鑑賞できる初詣は、世界有数のビッグイベントになった。

 霊験あらたかなご神木がどこぞの罰当たりに切り倒され、絵馬の素材として高額取引されたことがニュースになった。

 念願成就のひどい競争率をかいくぐることに希望を持てなくなった人間たちは、まだ「派手絵馬」文化の伝播していない田舎を目指して奔走した。「願いの叶う神社」は最初の神社を中心にどんどん増えていったのである。

 

 変化が表れる発端もまたSNSであった。

 派手絵馬の文化を知らない祖母の絵馬を孫娘が面白がって投稿したところ、軽く炎上した。夫の回復を祈る絵馬を笑いものにするなんて、といった具合であった。

 後日、孫から見た祖父、つまり祖母から見た夫が――不治の病から突如奇跡的に復活したことが、孫娘の投稿で明らかになる。ネット民は歓喜に湧いた。やはり神様は本質を見てくださるのだ。派手絵馬なんぞ虚しいだけだ。伝統的な文化を壊して、これまで私たちは皆狂っていたのだ‥‥‥。そんな中、一人の発言が確かな存在感をもって認知される。

「いまどき地味な絵馬って逆に目立つよな」


 創作アイデアの限界を悟り派手絵馬文化についていけなくなっていた都会の人間たちは喜びに沸いた。今度は派手絵馬文化がやっと伝わったばかりの地域を目指して駆けずり回り、地元民とは対照的になるべく質素な絵馬を飾った。

 SNSでハッシュタグ「地味絵馬」を付けた写真投稿がひっそり始まる。イラストは当然描かない。なるべく願いの文字数は短くする。シンプルな美しさを追及するため、願いを書かず買った絵馬をそのまま吊るす者もいた。その過程の無駄を省こうとする試みは、RTA競技と結びついた。頭のおかしい人間もいるものだ。

 質素であればあるほど良いという集団と、材質にはこだわるべきであるという信念をもつ集団が対立した。最終的に前者が勝利し、違法取引されていたご神木が値崩れを起こしたため、それを売りさばいていた新興ギャングが壊滅した。アクリル絵の具は正月になっても名前を変えることが無くなり、むしろ以前よりも安売りされた。需要が減ったのだから、当然と言える。

 参拝者が他の参拝者と交渉を始めた。同じ神社に地味な絵馬をいくつも飾っては、神の注目が期待できないからである。

 絵馬同士の競争が落ち着くに伴い、これまで作業スペースやら限定版神棚付き絵馬などで暴利をむさぼっていた神社の収入は激減した。

「このままでは神社は続けられません‥‥‥」ある神主は手入れのされていない顎髭を涙で濡らしてインタビューに応じた。知ったことではない。


 氏神たちはすっかり没落していた。

 氏神たちは最初の神社の上に集まって、緊急会議を行っていた。足元には、派手絵馬と地味絵馬が混在して、もはや見慣れてしまった混沌である。

「このブームも、もう出涸らしって感じがするよね」

「最近は地味絵馬ブームだからなあ。派手絵馬ブームの終盤にもまして、変わり映えしないよな」

「それなんだがよ、派手絵馬ブームの時から信仰足りてなかったのは俺だけか?」

 氏神たちはお互いの顔を見て頷き合う。

 信仰は力。信仰は奇跡の源である。しかし派手絵馬ブームの時でさえ、どういう訳か‥‥‥信仰が足りなかったのである。真面目に働こうにも働けない。氏神たちは訝しんだ。何が原因だ?


「分からないのか」こらえかねて私がそう言うと、氏神たちは慌てて姿勢を正し、面を上げた。

「あ、アマテラス様」「げ」「い、いつからいらしたので?」

「私はいつでもどこにでもいるよ。すべての神社にも、きみたちの頭上にも、地の文にも」

 氏神たちは動揺していた。己の怠慢がすべて見透かされていたことを、今この場で告げられたのだ。

「じ、地の文?」「どういうこと?」「何をおっしゃっているのか、わたくしめの小さめの脳では少し‥‥‥」

「ああ、気にしないでくれ。それより、本当に信仰不足の理由が分からないのか?」

「へ、へえ」「お、怒らないで‥‥‥」「申し訳ありません」

 私は呆れて、叱る気力も無くした。

「民草たちが信仰していたのは私たち神じゃない。奇跡だよ」

 氏神たちはまだ納得していないようだ。

「学者が神様の性格・傾向について大真面目に議論した。二礼二拍一礼ではなく、絵馬のみを使って望みを訴えた。絵馬に狂乱する民を利用して私腹を肥やすのは良いとして、私たち神様と取るに足らない人間たちの距離がずいぶん近くなっていることに気づいていたかな」

「確かに‥‥‥」「あー!」「うっ」

「私たち神様が、便利屋として利用されていたんだよ。四次元ポケットがあるからドラえもんはいらない。君たちが怠けたせいで、そんな侮辱を受けたのだよ。よくも平気でいられるものだね」

 氏神たちは顔を赤くして黙った。前回と違い、静かな説教だったのが、かえって深く沁みたらしい。私は諦観をにじませてため息をついた。

「今から現実を改変する。このブームの行きつく先は、絵馬の消滅だ。派手なものが良いのか、地味なものが良いのか。本質を忘れて、人間と神は何も分からなくなる。そうなる前に、リセットしよう。聞いていたね、トキハカシ」

 大袋を肩にかけた神が馳せ参じた。

「五角形の絵馬を全部、この世と記憶から吸い出してくれ」


 今後は六角形の絵馬にしか気づかないよう氏神の認識をいじくってから、私とトキハカシはあちこちの神社を視察していた。現実改変の弊害が出ていないか、直々にチェックするのだ。

「なあトキハカシ、次の次はどんな絵馬が良いかな」

 トキハカシは大袋の重みに任せるように天を仰ぎ、しばし考える。

「前回は四角形で、今回は五角形。次は六角形ですから‥‥‥単純に考えて七角形ですかね」

「うーん、そこまで行くとほぼ円形なんだよな。綺麗じゃないし」

「確かに。かといって、正円も楕円も既にこの袋の中に吸い込んじゃっていますからね」

「ついに立体に手を出しちゃおうかな。ただ‥‥‥」

「従来の飾り方では嵩張りますよね。飾り方から改変しないといけません」

「小型のものを紐で数珠繋ぎして上から吊るすとか?」

「いっそ大きなモニュメントを設置して望みを寄せ書きしてもらうとか‥‥‥そもそも氏神にサボらせないよう教育しないと、このままじゃ私たちのネタ切れが先ですよ」

「駄目だよ。何回叱ってもいつかはサボり始めるんだ。四角形の時だいぶがっつり説教したから今回こそは、と期待していたんだけど‥‥‥」

 部下とうまくやっていけますように、という六角形の絵馬を手に取り、トキハカシは笑った。

「上に立つものは辛いですね」

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