祈りの詩

あおきひび

祈りの詩

 今から遡ること約500年前、新大陸の発見とともに大航海時代が幕を開けました。数々の冒険者が船団を率いて海を渡り、黄金や様々な珍品を我々へともたらしました。彼らの功績は華々しく、我々の発展に貢献した偉人として、今に至るまで語り継がれています。

 例えば、クリストファー=コロンブス。新大陸の発見を成した偉人にして冒険家として、その名は広く知られています。

 しかし、彼が「発見」する前から、そこに世界は存在していました。そこには先住民たちの国と文化がありました。

 先住民たちはその「発見」の結果、入植者たちに虐げられ、多くが命を落としました。

名も無き彼らのことを、我々はどれほど知っているでしょうか。語る者の消えた今、誰がその文化を書き留めることができるでしょうか。いったい誰が、彼らの言葉を聞くことができるのでしょうか。

 その神話も、歌も祈りも物語も、詩の一片でさえも……。我々がそれを知る時は、もう永遠に訪れないのでしょうか。


・・・・・


 二人の少女が走っている。傾斜や窪地を越えて、脇目もふらずに駆けていく。やっとのことで高台の茂みに逃げ込み、命からがら身を隠した。皮の衣服は土埃と汗にまみれ、額には長い髪が張り付いていた。ゼェゼェと呼吸を切らして、その顔色は蒼白だ。

 茂みの隙間から覗くと、遠くに見える平原から黒煙が立ち上っている。二人が暮らしていた集落があった場所だ。

 夜明け前に村は襲撃を受けた。侵略者たちは銃剣を手にみんなを襲って、テントに火を放った。あちこちから火の手と怒号が上がり、殺戮が始まった。少女たちは家族によっていち早く逃がしてもらったが、燃え落ちた集落には生存者がいる見込みもなかった。

 二人は茫然としてそれを見つめていた。すがるものもなく、ただ互いの手と手を固く握りしめていた。脳裏には先ほど聞いた悲鳴が響いている。山野に遊んだ友達、狩りや工芸を教えてくれた大人たち、歌や踊りの上手な司祭たち、誰もかれもみんな殺されていった。その今際の慟哭が、銃剣を突き刺した侵略者たちの笑い声が、少女たちの耳に焼きついて離れない。震える身体を互いに抱いて、二人は茂みの中でうずくまっていた。


 不意に蹄の音が響いて、少女たちは身を縮ませた。侵略者たちの声がすぐそばに聞こえる。

 お願いです、見つかりませんように……。二人は息を殺したままそう祈っていた。自らの鼓動の音にさえ怯えたまま、長い長い一瞬が過ぎる。

 やがて馬のいななきとともに侵略者は遠くへと去っていった。


 二人は震えながら身を伏せていたが、片方の少女がゆっくりと体を起こした。その瞳は何か決然としたものに満ちていて、もう片方の少女に声をかけた。

「あんただけでも逃げて」

 気弱そうな少女は、信じられないといった表情で、友人の方を見た。

「そんなの無理だよ、ねえ、二人でにげようよ」

「あたしが奴らを引きつける。このナイフで、一人でも多く道連れにしてやる。だから」

「早まらないで。あの洞穴まで逃げれば、きっと」

 腰の短剣を抜いた少女は、友人の肩を掴んで揺さぶった。

「分かるでしょ、もう時間がない。あそこには一人しか潜り込めないし、奴らはもうすぐそこに迫ってる」

「いやだ、だって、わたしは!」

 二人は互いをまっすぐに見据えている。その瞳の縁は不安げにさざ波立っていた。それでも、震える声で言葉を紡ぐ。

「あんたは歌が上手い。あんたはあたしよりたくさんの詩を知ってる」

「……うん、村のみんなが教えてくれたから」

「だったらあんたは生きるべきだ。祈りを繋がないといけないよ。そしたらあたしたちは永遠に生きてられるんだ」

 聡明な少女は懸命に思案する。やがて心に決めたように、真っ直ぐに前を向いた。

「分かった。絶対、生きて帰るんだよ」

「……ああ、当たり前だ」

 二人は固く抱擁を交わすと、合図に合わせて茂みを飛び出した。少女は振り返らずに洞穴へと走る。そしてもう一人の少女は、燃え落ちた村を蹂躙する侵略者たちへと、ナイフを構えて突進していく。


・・・・・


 その日、ある先住民族の村が滅ぼされました。家々は焼け落ち、人々は無残に殺されました。その営為、その技術、その尊厳までもが燃やし尽くされました。

 しかし、侵略者達にも奪えなかったものがありました。それは彼らの祈りであり、歌でした。彼らが親から子・孫へと代々伝えてきた文化の結晶は、部族の詩や踊り、旋律の一つ一つに刻み込まれています。私がこの学会にて発表するのは、彼らがその命を賭して残した遺産です。

 今回の現地調査で、私は貴重な史料を発見いたしました。それがこの古いノートです。数十の詩篇が記されたこのノートを、私はとある先住民族の末裔の老婆から受け取りました。彼女はその歌を曾祖母から伝え聞いて、記憶を頼りに書き残していた。ぼろぼろの紙面に刻まれた詩は、時を越えて我々へと届き、その誇り高き魂を歌い上げるのです。


 前置きが長くなりましたが、これより私の研究報告を始めさせていただきます。それではまず最初のページの図を御覧ください、ここに記されているのは……。

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祈りの詩 あおきひび @nobelu_hibikito

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