第七話

◆◆◆



 視界は一面の暗黒だった。

 俺の命が蠱毒ですぐさま奪われなかったのは、俺もまた神の力を得た存在だったからかも知れない。それでももう時間の問題だろう。


 深い深い闇の中、奥底へと引きずられそうな俺を、愛しい少女の声が呼び止める。


(王子様)


 痛くて、辛くて、苦しくて、泣きたくて……今すぐにでも消えてしまいたい。

 にもかかわらずそれを聞いていたいと思うのはどうしてなのか。


 彼女と生きたいと望むのは、もうやめた。諦めたはずなのに。


(神頼みじゃダメなんだ。わたしがなんとかしなくちゃ)

(待ってて。絶対に、助けてみせる)


 そんなことしなくてもいい。全てはうまくいくんだから。


(ねえ王子様、聞こえる?)

(今日、王子様を治す方法を調べてみたの。でもわからなかった。ごめんね)


 ビアンカは俺のために泣き、それでも立ち上がった。


(王子様が苦しんでるのに国王様も王妃様も、誰もお見舞いに来ない。どうして?)

(お友達もみんな王子様のことを何も知らないくせに!)

(次の王様なんかどうでもいい。わたしが王子様が帰る場所を、国を守ろう)


 ビアンカは俺のために憤り、民の支持を集めて国に反旗を翻した。

 後継者問題でいずれ滅びゆく……俺がそう目していた王家は瞬く間にこの世から消え去り、俺の知人友人という名前の屑どもは全て追いやられたらしい。


(王子様、エカーナ?様から『こどく』のことを聞き出せたよ)

(『こどく』は生き物を混ぜ合わせて作る、とんでもない威力の呪いなんだって。それを聞いて、いいことを思いついたんだ)

(『こどく』が呪いなら、わたしも呪いを作る。神様に見捨てられて、聖女じゃなくなってもいい)


 やめろ。そんなことをしないでくれ。

 それにどうでもいいがエカーナじゃなくてエカテリーナだ。そんなところまでおまえは昔から何も変わらないのだから、純粋なままでいてくれればそれでいいんだ。


(王子様はきっとこんなこと望まないだろうけど……でも、でもね。わたしは王子様を愛してるから)


 愛……してる??

 待て。ビアンカにとって俺はただの親友。それ以上でも以下でもないはずじゃなかったのか。


 本当に、俺なんかでいいのか。

 ほとんど何もしてやれなかった上、心の醜い人間の一人に過ぎない、俺なんかで?


 ビアンカは己の髪を呪いの素材とした。

 術の対象者に与えることで呪いを跳ね返し、術者に永遠の苦痛を与える『呪い返し』。到底、純粋無垢たる聖女がやってはいけない行為だ。


 でも、ビアンカの心はどこまでも優しいままだった。


(大好きだよ、王子様)


 そんな声が聞こえたと同時、あたたかいものが俺の口元に触れる。

 全身が甘く痺れた。けれども蠱毒の時のような嫌な感覚とは全く違っていて。


 確かめるために薄目を開けると、そこには、最愛の笑顔があった。



◇◇◇



 ――ああ、やっと目を開けてくれた。

 王子様の宝石みたいに綺麗な青の瞳を久々に見れたのがたまらなく嬉しい。気づいたら視界が潤んでぼやけ、頬にあたたかいものが伝っていた。


 名残惜しく思いながら、口移しのために重ね合わせていた唇をそっと離す。

 『呪い返し』はうまく効いたみたいだ。聖女の力が消え失せていないのは神様も許してくれたということなんだろう。

 エカーナ?様は今頃苦しみ悶えているだろうけど、どうでも良かった。


 長く伸ばしていた髪は肩元まで切っている。でもきっと大丈夫、これでもちゃんとわたしだってわかってくれると思うから。


「王子様。王子様、おうじさま、おうじ、さまぁっ!」


 『こどく』のせいですっかり弱り切った王子様の胸に顔を埋めて。

 わたしは王子様がそこにいるのを確かめるように、何度も何度も呼び続けた。


 王子様は優しく笑いながらわたしを抱きしめる。


「ビアンカ、おまえって奴は……」


 その先の言葉は掠れて聞こえなかった。

 顔を上げて見てみれば、王子様も泣いていた。



◆◆◆



 ビアンカに支えられ、少しずつ体力をつけて……俺はやがて全快。

 それまでの間にたっぷり想いを伝え合い、俺が心を読めると打ち明けた時は驚かれたがそれでも受け入れられて、すぐに婚約と相成った。


 民たちに盛大に祝福されながら、俺はビアンカの手を取る。

 あの公爵家の姫君は『呪い返し』で死んだからもう何も心配しなくていい。身分もしがらみも関係なかった。


「大好きだよ、王子様」


 何度言っても言い足りないのか、ビアンカが輝かんばかりの笑顔で見上げてくる。


 ずっと彼女に触れたいのを我慢し続けてきた。でも、もうその必要もないのだ。


 いつも誰かの道具としか見られてこなかった俺にこんな幸せな未来があるなんて、考えもしなかったな。

 全てはビアンカのおかげだ。もしも彼女に出会えなければ、彼女が想ってくれなければ、俺は身も心も救われなかったのだから。


 胸に込み上げるのは愛しさ。

 溢れる感情のままに、すっかり短くなった彼女の波打つ白髪を撫で、口付けを落としたのだった。




「俺もだ。――ビアンカ、おまえは本当に可愛いなぁ」

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心を読める王子は初恋の純粋聖女を望まない 柴野 @yabukawayuzu

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