第六話

◇◇◇



 初めて王子様と出会ったのは、わたしが育ったあの孤児院に来てくれたあの日。

 わたしをいじめたり遠巻きにしたりしない王子様。あっという間に心を許して、浮かれるままに連れ回したのをよく覚えている。


 王子様が友達になってくれたから、わたしの毎日は楽しくなった。

 王子様が悩んでいたから喜んでほしくて、聖女になってあげることにした。

 王子様のためなら何でもできる気がしていた。


 でも。


 目の前の王子様が紫色の顔をして倒れているのに。

 なんで……なんでわたしは、治してあげられないんだろう。


 かすり傷でも病気でも治せる癒しの力。これがあったからわたしは聖女なんでしょ?

 なのに、どうして。


 王子様と一緒に出られる初めてのパーティーだと気合を入れて、ドレス選びも頑張って、楽しみにしていた。

 そんなパーティーで王子様が死にそうになっているのはなぜなのか、わたしには何もわからない。かろうじてわかるのは王子様の命を蝕んでいるのが強力な毒だということだけだ。


「え、ダメ。待って、王子様。やだ。嫌だよ。なんで……なんで治らないの!?」


 涙が溢れてくる。このままじゃ、王子様が死んでしまう。

 わたしは癒しの魔法を強くした。倒れそうになるくらい全力を出す。それでも手応えは何もなく、王子様の息が浅くなっていくのがわかった。


「殿下……?」


 他の令嬢たちを押し除けるようにして、一人の少女がわたしの方へやって来る。

 名前は確か、エカ……エカリーじゃない……エカーナ様、だっただろうか? 王子様と結婚することになっている人で、わたしを脅してきたこともある彼女だった。


「どうしてダイオニシアス殿下が、蠱毒を」


 『こどく』が何かわからない。

 でもわかるのは、彼女は王子様が倒れた原因を知っているようだということだった。


「王子様に何をしたの?」


 彼女と、わたしにワインを渡してくれようとした令嬢の二人を精一杯睨む。

 こんな目を誰かに向けたのも、誰かに対して怒ったのも、きっとこれが初めてだと思う。


 悪口を言われるのは好きではなかった。

 孤児院を潰すと脅された時は胸がキュッとなった。


 それでも仕方ないなぁと思って生きてきたけれど、どうしても今回だけ許せなくて。

 騎士の人たちに二人を捕まえるようにと叫んでいた。


わたくしを捕らえろ、ですって? 何を馬鹿なことを。わたくしはアディリアンヌ家の姫なのですよ! 本来ならあなたが!!」

「わ、私は何も知らない。知らないんです……!」


 反論も虚しく、取り調べのためにと連れて行かれる。

 二人の処遇がどうなるかはわからない。ただ、王子様を手にかけたことを悔やめばいいと思った。


 パーティー会場が騒がしくなる。

 でもわたしはそれをどこか他人事のように感じていた。


 わたしのせいで王子様が毒を飲まされた?

 いや、違う。……もしかして王子様は、知っていてワインを飲んだの?


 あのままじゃ倒れていたのはわたしだった。じゃあ、それじゃあ、わたしを生き延びさせようとして、王子様は。


 馬鹿だ。わたしは馬鹿だけど、王子様は最高の馬鹿だ。

 『俺もおまえが思うような立派な人間じゃなかった』と王子様は言っていた。でも、わたしなんかのために命を捨てられるなんて、あまりにもすご過ぎる。

 おとぎ話に出てくる英雄みたい。だから、本当に馬鹿なんだ。


「ひどい。ひどいよ……。自分の命を失うより王子様を失う方がわたしにとってどれほど辛いか、考えもしなかったのかな?」


 王子様のことが好きだった。

 今、やっと気づいた。この気持ちは友達への気持ちじゃなくて、恋と呼ぶべきものなんだって。


 王子様のことを思い浮かべると心が満たされたし、王子様といられるだけで幸せだと思えた。それは友達だからと思っていたけれど違ったのだ。


 この想いを伝えたい。でも王子様は目を目を開いてくれるわけもなくて。

 だからわたしは、天にいるかどうかわからない、わたしを寵愛しているという神へ祈るしかない。


「ああ、神様」


 ――「おまえは可愛いなぁ」と言っていただけるのが嬉しくて、ずっとこの夢のような時間を過ごしていたいと思ってしまったのです。

 ――わたしにかけてもらえた唯一の優しい言葉だったから、それを聞けなくなるのが怖くてたまらなかったのです。

 ――だけどわたしのせいでこんなことになるのなら、あの人さえ、あの人さえ助かってくださればわたしはもう、何もいりません。だからどうか、わたしの王子様を助けてください。


 祈り終えて目を開けると、そこにはほんの少し顔の血の気が戻った王子様がいた。

 でも……所詮、その程度。王子様が目覚めることは、なかった。


 そっか、神頼みでは、ダメなんだ。

 わたしがなんとかしなくちゃいけないんだ。


 わたしは今まで王子様にたくさん助けられてきた。だから今度はわたしの番。


 そう決めて、ギュッと拳を握り締めた。

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