第五話

 緩やかなウェーブのかかった透き通った白髪。

 ドレスは王宮に来て以降彼女が纏っていた簡素なものと違い、ペールブルーのペチコートに純白に輝くサテン生地のガウン。胸元にはフリルと宝石がふんだんにあしらわれていた。


 その出立ちはまるで天からの使いが舞い降りたかのようだ。十五歳になった彼女はすっかり淑女としての佇まいを身につけていて姿勢すら美しい。

 目を奪われる俺に、ビアンカがくすりと笑った。


「そんなにじぃっと見て、どうしたの?」


「ビアンカが可愛過ぎるなと思ってた」


「ふふ。ありがと」

(ドレスはきつくて苦しいけど嬉しいなぁ)


 ビアンカの優しい心が俺を包み込んでくれる。

 ずっとこうしていたいと思うが、そういうわけにはいかない。今日の主役はビアンカなのである。


「じゃあ行ってくるね」


 ビアンカは近衛騎士に伴われて会場の中央へ。

 あとはその先で待っていた王によって正式に聖女認定の儀が行われる。


 俺は父を信用していないのでビアンカを預けても大丈夫かと心配していたのだが、幸いつつがなく進み、ビアンカの存在は公に知らしめられたのだった。


(平民上がりなら使いやすい)

(こちらの派閥に引き入れればアディリアンヌ家を潰すことも……)

(聖女か。話には聞いていたが、どう見ても力のなさそうな小娘ではないか。肩入れする価値すらない)


 そんな風に考える愚か者どもがほとんどな一方で、一部は好意的であるらしい。

 彼女と友人になりたいと考える令嬢、興味を抱く若き令息たち。パーティーを終えて自由になった彼女に群がっていく。


 それを笑顔で受け入れるビアンカはまさしく聖女だ。

 しばらく様子を遠くから見守っていた俺だが……こうしてはいられないと、彼女の傍に近づいた。


 ちょうどその時、彼女に三つの魔の手が伸びようとしているのがわかったから。


 一つは婚約者候補の伯爵令嬢。彼女は俺と仲良さげにしていたビアンカが気に入らず、祝辞に見せかけた嫌味を吐きかけようと企んでいた。

 一つは同じく属国の王女。今まで直接的な接触がなかったために聖女の噂は半信半疑だったらしいが、本当ならば自分の代わりに聖女が俺の婚約者候補になるのではと懸念。真っ先に恥をかかせればその事態を免れられるかも知れないと考えて、ビアンカのドレスにワインをかけるために動き出した。


 そして三つ目、公爵家の姫君はワインの中に蠱毒を忍ばせている。

 罪が全て王女に被さるようにと。


「聖女ビアンカ様とお会いできて光栄にございます……。その、もしよろしければワインをご一緒に」

(ごめんなさいね……聖女様。悪くは思わないで。私が王妃になるためだから……)


 気弱そうな声は、己の手にするものが蠱毒だなどと夢にも思わない王女のものだった。


「ワイン、ですか。ありがとうございます」

(飲んだことないけど、美味しいものなら飲んでみようかな?)


 頷くビアンカ。彼女は無邪気にその好意を受け取ろうとし――。


「それは俺がいただこう」


 ワイングラスは奪われた。もちろん、他ならぬ俺の手によって。


「優しさは美徳だが、これは覚えておいてほしい。この世の多くの人間はビアンカほど心が美しくないんだ。俺も、おまえが思うような立派な人間なんかじゃなかった。

 ……でも、おまえを守るくらいはしてやれる」


 グラスを傾け、ごくりと飲み干した。

 口に広がる焼け付くような甘味を感じるのが先か、倒れるのが先か。


 美しい音楽の流れる空間を引き裂くように、ガシャン、とガラスの割れる音が鳴り響いた。



◆◆◆



 最高に痛快な気分だ。

 これは俺ができる最大の意趣返し。愚か者どもは実際に傷つきはしないが……俺がただの手駒ではなかったのだと思い知るがいい。


 王子が蠱毒に侵され死んだとなれば公爵家の姫とて罪からは免れない。

 後継者が失せた王家はいずれ絶える。だからもう大丈夫だ。


 俺なんかが傍にいなくたってやっていけるくらい、彼女は立派になったはず――そう信じている。

 唯一悔やむことがあるとすれば、彼女と釣り合いの取れるような心の綺麗な人間を他に見つけてやれなかったこと。この先、友人や恋人ができ、幸せに暮らしていければいいのだが……。


 と、そう思っていた時だった。


「おうじ、さま?」


 俺を静かに見下ろすビアンカの口からぽつりと声が漏れる。

 そうだ、最後に彼女に何か言ってやらなければ。


 強烈な毒とだけあって効きが早いらしく、あまり残された時間は長くなさそうだ。ビアンカがこんな毒を味わないで済んで本当に良かった。

 薄れていく意識の中でそう思いながら、俺はやっとの思いで彼女に手を伸ばす。


(これは、毒? 早く、早く治してあげないとっ!)


 表情を変えたビアンカが駆け寄ってきて、指先が触れた。

 癒しの力が流れ込んでくる。解毒はできずとも、その力と心のあたたかさを感じられるだけで充分だった。


 『ごめんな』だとか『愛してる』だとか、色々言いたいことはある。でも全部何だかしっくりこなかった。

 色々と頭をよぎった結果、俺が選んだのは。


「ビアンカ」


 ビアンカが目を見開く。

 こぼれ落ちそうな金の瞳が美しく煌めいた。


「……おまえは、本当に可愛いなぁ」


 おまえがいてくれたおかげで俺の人生は退屈じゃなくなった。おまえを可愛いと思えたから、俺はこの最期を迎えられたんだ。

 可愛くてかけがえのない少女に、きっと通じないであろう心からの言葉を遺して、俺は逝く。


「え、ダメ。待って、王子様。やだ。嫌だよ。なんで……なんで治らないの!?」


 最後にビアンカの涙声が聞こえた気がして、それがなんだか申し訳なかった。

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