第四話

「ダイオニシアス殿下、最近お元気がございませんね。あなた様の大切な・・・・・・・・聖女様の御身に何か不幸でも?」


「いや。貴女に心配される謂れはない」


「伴侶となる方のお心を気遣うのは婚約者としての務めでございます」


 本当は己が権力を手にするための都合のいい道具としか俺を見ていないくせに、当たり前のようにそんな言葉を吐く姫君。

 まだ婚約者候補だ、と否定する気にさえならなかった。


(殿下に嫌われていようがいまいが関係ないけれど……まさか本当にあの薄汚くて頭の足りない平民が王妃の器だと思っていらっしゃるのでしょうか。そうだとすれば恋は盲目ですね)


 彼女は嗤う。

 それから――心の中でぼそりと呟いた。


(殿下も聖女もなかなかにしぶとい。脅しだけでは足りぬなら、愚かな夢を見られないように捻り潰してやらなければ)


 捻り潰す、という言葉の意味は深く探るまでもない。


(数百年も出現していなかったにもかかわらず問題のなかったたかが聖女・・・・・を滅した程度でわたくしが害を被ることなどないのですし)


 聖女は神の寵愛を受けている。

 刃物で斬られても急所を突かれても、崖から突き落とされようとも決して死にはしない。


 ――神をも殺すと言われる蠱毒を除いては。


 正体不明の猛毒。

 それの使用は固く禁じられ、その製法は数百年前に失伝したと王子教育の中で習ったことがあった。


 だが俺の婚約者候補たる公爵家の姫君は、当たり前のように蠱毒を熟知していた。


 本当に彼女がそれを入手でき、使用するのであれば。

 聖女とて容易くその命を毟り取られてしまうことだろう。


 彼女の脳裏にはビアンカの死に様が思い浮かべられていた。

 紫の顔をして地面に倒れ伏すビアンカ。癒しをもってしても助からないビアンカに手を差し伸べ、泣き縋る俺。そしてそれを高見から眺める彼女。

 他の婚約者候補に罪をなすりつけて彼女が本当に俺の婚約者となるのだ。


 ただの妄想の産物だと切り捨ててしまいたいのに、そんな風には微塵も思えない。これは現実になるという確信があった。


 想像するだけで気がおかしくなりそうだった。

 結局俺も、心の醜い人間の一人なのだ。

 ビアンカという名の太陽に照らされて初めて、俺は真っ当になれた気でいただけでしかなかった。俺の心はもう、彼女なしでは崩れてしまうほど脆い。


「エカテリーナ、嬢……」


 声が震える。

 自分でも何を言いたいのか、何を言うべきなのか、よくわからないまま口を開いてしまった。


 目の前の彼女がただただおぞましい。

 ビアンカのためにはこの女は始末しなければ。ビアンカだけは絶対に誰にも傷つけさせたくないから。


 一人の令嬢の細首を絞めるだけ。たったそれだけでいい。

 護衛に介入されるまでどれほどの猶予があるのかというのは問題ではあるが、不可能ではないはずだ。


 だが――目の前の女を俺の手で下してしまったらビアンカに嫌われるのではないだろうか。


 伸ばしかけた手が止まる。

 一度考えてしまうとダメだった。


 (そんな人だと思ってなかったのに)と失望されてしまったら?

 (わたしのせいで王子様が手を汚したんだ)と気に病まれたら?


 情けない。本当に情けなくて、馬鹿としか言いようのない考えだと思う。

 たったそれだけの懸念のせいで俺はこの場で敵の首を取ることを断念してしまったのだ。


 公爵家の姫君の考えを知るのは俺一人。たとえ面と向かってその心の全てを暴き出したとして、それが一体何になる。

 きっと誰も信じはしないし、暴かれた彼女自身も全く怯むことなく計画を実行に移してしまうだろう。


 では、黙認するしかないのか。

 ビアンカを守り、かつ、禁忌の蠱毒を使おうとした彼女の罪を暴けるような方法はないのか――。


 その時ふと俺の脳裏に考えが閃いた。

 到底良案とは言えない、破滅的な解決策が。


 ……そうだ、あるじゃないか。


 このままではどうせビアンカと一緒にいられない。結ばれることはない。それなら――この身を捨てたって構わなかった。


 俺の震え声に振り返り、小首を傾げる公爵家の姫。

 俺は彼女に向かって宣戦布告する。


「貴女は俺の婚約者に相応しくない」


「あら、どういうことでございましょう。聖女様の方があなた様にお似合いとでも?」


 涼しげな顔でそう答えながらも、自分が貶められたような気分になって彼女の殺意はさらに高まった。

 これで間違いなく蠱毒を使ってくれるはずだ。次に俺とビアンカと彼女が揃う時、事件は起こる。

 

 ビアンカが聖女であると発表するパーティー、その日が目前にまで迫っている。

 せっかくの華やかな場を奪ってしまうことは心苦しい。しかしビアンカの命を守るためなのだ、この決断に後悔はなかった。

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