第3話

「あー、遊んだ遊んだっ!」


 それから俺は、音々の気晴らしに付き合うことにした。ゲーセン、バッティングセンター、ボーリング。さんざん遊び倒して、気がついた頃にはすっかり日もどっぷりと暮れていた。


「ったく、人の金だと思ってさんざん遊びやがって」


 俺は薄くなった財布の中身を握り締め、バイト先をクビになったことを思いだしていた。早々に次のバイトを見つけないと、それこそ死活問題に関わる。

 遊び疲れた俺たちは、街灯にライトアップされた河沿いの遊歩道を歩いていた。煌々と光る明かりに照らされ、未だ賑わいを見せている街並みとは対照的に、遊歩道を歩く人通りはまばらなものだった。歩道の欄干に手をかけながら、音々はこちらに振り返る。


「ありがとね、珠樹。ちょっとだけ、気が晴れた」

「さいですか」


 愛想なく答えつつ、俺はファーストフード店で見せた音々の表情を思い出していた。あんな風に沈み込んでいた気分が少しでも晴れたというのなら、さんざん連れ回された甲斐もあったのだろう。


「それに、気晴らしというならお互い様かな」

「お互い様?」


 思えば、何も考えず遊び回ったのはいつぐらいぶりだろう。あれだけ沈み込んでいた気分が、今は少しだけ晴れやかになっていた。


「俺もちょうど一人で、ヒマを持て余してたところだしな」

「何それ。大晦日だっていうのに、一緒に過ごす恋人とかいないわけ?」

「失礼なやつだな! ていうか、お前にだけは言われたくないわい!!」

「あははっ」


 無邪気に笑う音々を見ながら、俺は自分の元を去っていった恋人のことを思いだしていた。もう少し彼女のことを気にかける余裕があれば、今ごろはまだ、別れずに済んでいたんだろうか。


「……いたんだけど、別れたんだよ。多分もう、会うことはない」

「あ……」


 触れてはいけないことを聞いたと思ったのか、音々の表情が曇る。


「ごめん、なさい……」

「いいって、別に。お前が謝ることじゃないだろ」

「けど……」


 しゅん、とした音々の不安を和らげようと、俺は音々に笑いかける。


「なあ、音々」

「……何?」

「バイトのこと、気になってるんじゃないのか?」


 音々の表情が、ずっと気にかかっていた。一緒にゲームしていても、ふとした瞬間に表情が翳る。街ですれ違う人々を見て、泣いているような、笑っているような顔を時折するのは、放り出してきた仕事のことを思いだしているのではないだろうか。

 音々は欄干の先に流れる河をじっと見つめ、振り返って俺に尋ねた。


「……ねえ、珠樹は、さ。上手くいかないかもしれないことを、それでもやるべきだと思う?」

「……っ」


 音々の質問に、俺は自分の心臓が激しく動悸したのを感じた。動揺を悟られないよう、俺は平静を取り繕う。俺の内心を知ってか知らずか、音々は言葉を続けた。


「わたしの仕事はね、やってみるまで結果がわからない」

「結果が、わからない?」

「そう。上手くいくこともあれば、いかないこともある。……むしろ、駄目なことがほとんどかな」


 歩きながら音々は、手すりの柵に指を翳した。柵のパイプにかかった指が離れる。次のパイプに指をかけ、また離す。その繰り返し。とん、とん、と微かに指がパイプを叩く。


「そりゃあ、上手くいってくれれば嬉しいけど、そうじゃないときは悲しくて、とても悔しい」

「音々……」

「ずっと、ずっと、そんな事が続いて……。そのうち結果を見るのが辛くて、嫌になって……それで、逃げてきたんだ」


 立ち止まった音々は言葉を区切り、こちらを振り返る。


「……あはは。ごめんね、こんな話して。見ず知らずの他人にいきなり愚痴られても、困っちゃうよね」


 苦笑する音々の表情を見つめながら、俺は得心していた。――この少女は、自分と同じだ。

 正直なところ、入れ込み過ぎだと自分でも思っていた。数時間前まで、赤の他人だった少女。いきなりぶつかってきて、飯をタカられ、挙げ句は人の金でさんざん遊び倒され。いくら情に絆されたとはいえ、ここまでするような義理はなかったはずだ。

 もしかすると、音々が自分と同じ悩みを抱えている、そんな匂いを心のどこかで嗅ぎ取っていたのかもしれない。そうでなかったとしても、ここでこうして出会ったこの子の力になれたら。何らかの道を、指し示すことができたとしたら。


 俺は遊歩道の階段に腰を下ろし、深く息をつく。冷たい夜の空気が、喉を、肺を、通り抜けていく。胸の奥に詰まった澱を除くように何度も深呼吸を繰り返した後、俺は歌を口ずさむ。


「日々は回るよ、回ってく――」

「珠樹……?」


 ここ数日のブランクをものともせず、喉が問題なく旋律を奏でる。ギターを持たない両手は手持ち無沙汰で、どうにも心細い感覚だ。

 自分にとっては慣れ親しんだフレーズだった。仲間たちと一緒に作りあげた、初めてのオリジナル曲。


 悲しいことがあれば、楽しいこともある。例え今が辛くても、歩き続けてさえいけば、道は開ける。そんなメッセージを込めた歌詞だ。

 今となっては拙くて、陳腐で、荒削りで。それでもメンバーの中での愛着は人一倍で。ライブでも、オーディションでも、事あるごとに歌ってきた思い出の歌。


 道につまずいた人を鼓舞するように。歩き続けたその先に、きっと何かが待っていると信じられるように。……そして、願わくばこの歌が、音々にとっての助けになるように。俺は歌を紡ぎ続けた。


 けれど同時に、疑念が首をもたげる。今の自分は、本当にこの曲で歌っているようなことを信じているのだろうか。自分にこの歌を、歌う資格はあるんだろうか。

 やがて、歌は終わる。呆気にとられたのか、音々は目を丸くして黙ったままだ。辺りを沈黙が支配する。その沈黙が、とても怖い。


「す、すまん。いきなり歌い始めたら、普通ドン引きするよな。今のは忘れて……」


 その場を誤魔化そうとすると、音々はぶんぶんと首を振って答える。


「そんなことない! 凄いじゃん、珠樹!!」

「そ、そうか?」


 こうやって素直に褒められたのは、いつぶりだろう。気恥ずかしさで、顔が熱くなる。

 俺の歌は彼女に伝わったのだろうか。階段から腰をあげ、俺は音々に歩み寄ろうとする。


「見つけたぞ、音々」


 その時、後ろから声がした。振り返るとそこには、音々を探し回っていた大男が立っていた。

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