羅城門の猫化け物のこと
星見守灯也
羅城門の猫化け物のこと
「猫とは人の言葉を話すものなのか」
ある邸宅で、主人たる男が問う。右近衛少将である。
その向かいに坐す女は玉の首飾りを着け、鞘に毛皮を巻いた剣を脇に置いていた。
「……長く生きた猫は尾が裂け、人の言葉を解すると伝えられます」
「そうか……。では、あれは、やはり
ふむ、と考え込んだ少将は、
「
懐かしがるように笑って見せると、ふと外を見つめ、
「よい猫であった。闇夜のように黒い猫で、琥珀玉のような目をしていた。そう、ちょうどお前の下げている玉のような……。頭が良く、人なつこい子であった。私が大きくなる前に、邸を出て行ってしまったのだが」
少将が、以知女に視線を戻す。
「その猫が、夢に出たのだ」
「夢の中で、小さな私は夜子と遊んでいた。紐や、鳥の羽でな。しかし、ふいと夜子は門をくぐって行ってしまうのだ。その時、振り返って――」
憂えるように言葉を切り、そして、
「『立ち別れ いなばの山の みねにおふる まつとし聞かば 今帰り来む』と」
少将はふっと息を吐き、
「別れの歌だ。あなたが『待っていよう』と言うのならすぐにでも帰ろう、と……。それきり夜子は行ってしまったのだ。……以知女、どう見る」
以知女は、こくりと頷き、
「少将様は、夜子様を待っておられるのですね」
「……そうだな。ああ、そうだ」
少将はいとおしむように、そう答えた。
「では、その旨を返歌として、門にお張りください。まもなく夜子様はお戻りになるでしょう」
さて、夕暮れ時である。
少将邸を後にした以知女は、ふらふらと人の多い市を覗くなどしていた。
その足下を、赤猫が通っていく。誰かの邸から逃げたものだろうか。
「に、にゃ?」
以知女が声をかければ、赤猫はじっとその顔を見て、首をかしげた。
「にゃあ、にゃにゃあ」
なおも以知女が食い下がると、ついと踵を返して歩き始める。
その後を以知女はついていった。時折、赤猫が振り返っては以知女を確認し、また歩き出す。
赤猫が立ち止まった、そこは羅城門であった。
ずいぶんと寂れた京の端に、荒れ果てた門はなんとも不気味に見える。
以知女が礼をすれば、赤猫は、たたたっと、どこかへ駆けていってしまった。
そうっと、音を立てないように以知女は羅城門へと入る。そこには黒影が、十ほどもあった。人か。いや、人よりはずいぶんと小さな影である。
わざと枝を踏んで音を出せば、その影が、一斉に以知女を見た。
金、青、緑、銅色。それは、猫の目であった。
以知女は膝をついて、
「ご歓談中、申し訳ございません。私、河陽の以知女と申すもの」
猫たちの中心には、白の大猫が寝そべって、うろんげに以知女を見ていた。薄明かりに、その尻尾が八岐に裂けているのが見えた。
らんらんと輝く猫の目に睨まれながら、
「八尾の君に、畏れながら申し上げます。右近衛少将様が、夜子様をお待ち申し上げております」 、
その言葉を聞いたのか、白い猫がふいと後ろを見た。促されるように、影から黒猫がひょい、と出てくると、うさんくさいものを見るように以知女を見上げる。
「夜子様、お帰りいただけますか」
黒猫は一度振り返る。白猫は、猫の影たちは動かない。それを確認すると、夜子がついっと以知女にすりより、その腕に収まった。
夜子の尾は二つに裂けているように見える。
「ありがとうございます」
以知女は再び礼をとると、羅城門を退出した。
「夜分遅くに失礼いたします」
少将の邸を訪ねると、門には歌の書かれた紙が貼ってあった。
「少将様に、夜子様がお帰りになったとお伝えください」
女房にそう伝えれば、奥に通される。
「夜子」
少将が驚いたように、その名を呼ぶ。それを聞いて、夜子は以知女の腕から飛び降り、少将のもとへ歩いて行く。
「夜子、お前、本当に帰ってきたのか……」
感極まった様子で夜子を抱き上げた少将が、ぎょっとした。
「この尾は……」
以知女は動揺する様子も見せず、懐から小刀を取り出すと、
「その『尾』のうちの一本は、毛のかたまりでございます。長く生きるうち、毛がからまって固く、太く長くなったものです。……失礼」
『尾』を切ってみれば、なるほど、それはただの毛の塊であった。
「いや、おどろいた。猫化物とは本当にいたか、と」
「まさか」
ははは、と以知女が笑えば、少将は気恥ずかしそうに頭を掻いたのだった。
それから一月がたつ。
「おお、以知女」
以知女は少将邸を訪れていた。
「夜子はあの後、半月あまりで動かなくなってな。……四、五日前に」
「そうでございましたか。お悔やみ申し上げます」
少将は遠くを見るような目で、
「そう思えば、あの夢は不思議なものであった。己が命尽きる前に、夜子は帰りたかったのかもしれないな……」
以知女は、それを聞き、微笑みを返すだけであった。
羅城門の猫化け物のこと 星見守灯也 @hoshimi_motoya
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