14話 修羅場

 萌香とセックスした後、萌香の部屋で酒を飲みながら何時間も喋って過ごした。酒が無くなったら冷蔵庫に取りに行った。萌香の過去の話を聞いたり、生い立ちを聞いたりした。俺も、自分の過去の話をした。そうしているうちに、時間はどんどん過ぎて、夜になっていた。


「そろそろお母さんが帰ってくるかもしれない」


 と萌香が言ったので、俺は萌香の家を出て、◆◆駅に向かった。◆◆駅まで萌香が一緒に来てくれた。

 電車に乗って、自分の家に帰宅すると、俺は虚無感に包まれた。今度萌香に会えるのはいつだろう。お互いニートだから、会おうと思えば毎日会える。

 俺は冷蔵庫から缶チューハイを持っていこうと思って、キッチンに向かった。キッチンには母親がいた。母親は俺に「どこ行ってたの?」と聞いてきた。俺は「別に」と答える。すると母親は「そう」とだけ言った。俺は冷蔵庫から缶チューハイを1本取り出して、自分の部屋に向かった。

 真っ暗な俺の部屋に入ると、俺の耳元で、声がした。


「おかえり優雅。田中さんとセックスするの気持ちよかった?」

「えっ」


 俺は思わず、持っていた缶チューハイを床に落とした。あいりの声がしたからだ。

 俺はすぐに部屋の電気をつける。

 すると、俺のすぐ目の前にあいりが立っていた。

 あいりは無表情だった。そして、あいりは念を押すように聞いてくる。


「セックス気持ちよかった?」

「……」

「気持ちよかったか聞いてるの。どっち?」

「なんであいりがいるの?」

「私は一生いなくならないよ。優雅が勝手に私が消えたって勘違いしてただけ」


 あいりは、俺が萌香とセックスしたことを知っている。あいりは、全部を見ていたのだ。


「私、優雅が田中萌香とセックスしてたのずっと見てたよ。優雅、ニートのくせにセックスしてた。働かないクズのくせに偉そうにセックスしてた。でも私、優雅が田中さんとセックスしたこと怒ってないよ。ただ失望しただけ」

「ごめんね……」

「今更私に謝ってどうするの? 優雅は田中さんと付き合い始めたし、田中さんとセックスもした。今更謝ったって意味ないよ」

 

 俺は黙ってその場に立ち尽くした。あいりはずっと無表情だ。あいりは俺の目をずっと見ている。俺は罪悪感から、あいりの目を直視することができなかった。そして、あいりはまた同じことを聞いてきた。


「それで、セックスは気持ちよかった?」

「……気持ちよかった」

「すごく気持ちよかった?」

「すごく気持ちよかった」

「またしたい?」

「またしたい」


 すると、あいりは冷たい声で呟いた。


「死ねよ、優雅なんて」

「……」


 俺は返す言葉がない。


「優雅は私じゃなくて田中さんのこと選んだね。あれだけ私のこと大好きとか結婚してほしいとか言ってたのに簡単に田中さんのこと大好きになったね。優雅なんてもう嫌い。死ね」

「ごめん」

「私が今までどれだけ優雅のこと愛してたか分かる? 優雅が田中萌香のこと選んだ時、私がどんな気持ちだったか想像できる?」

「ごめんね、あいり」

「謝ったって無駄。もう私は優雅のこと好きになれない」

「じゃあ俺、今から萌香に電話かけて、別れる。それで許してくれる?」

「なら今すぐ電話かけてよ」

「うん」


 俺はスマホをポケットから取り出して、萌香に通話を掛けた。すると、萌香はすぐに通話に出た。


『もしもし』

「あ、俺だけど」

『うん、どうしたの?』

「いきなりでごめん。俺と別れてほしい」

『なんで?』

「それはちょっと言えない」

『……もしかして、今そこに、あいりちゃんがいるの?』

「うん。そうだよ。俺、あいりと仲直りしないといけない。だから別れてほしい」


 すると、電話越しに萌香は溜息をついた。そして、呆れたような口調になって萌香はこう言った。


『いい? 優雅は私のものなんだから、私の言うことだけ聞いて。優雅はあいりちゃんと仲直りしちゃだめ。私と別れちゃだめ。私とあいりちゃんのどっちが大切なの?』

「……萌香」

『じゃあ私の言うこと聞いて。優雅は頭がおかしいから変なものが見えたり聞こえたりするだけ。あいりちゃんなんていない。私だけの言葉を聞いてればいいの』

「わかった」


 俺は通話を切った。

 あいりは「別れた?」と聞いてきたので、俺は首を横に振った。

 するとあいりは「やっぱりね」と言った。


「田中萌香のせいで優雅がセックスのことしか考えられないゴミニートになっちゃった」


 俺は萌香の言葉に従い、あいりの言葉を無視することにした。俺は床に落ちている缶チューハイを拾い上げ、デスクに置き、椅子に座り、タバコを吸い始めた。

 すると、あいりが俺の耳元で「ゴミ人間」と言ってきた。

 俺は何らかの精神疾患を持っている。本当は聞こえない声が聞こえる。

 

「なんで自閉症がセックスするの?」


 さっきから俺の頭の中でセックスという単語がぐるぐるしている。俺はタバコの煙を吐き出して、ぼーっとする。


「優雅って脳に精子が詰まってそう。セックスのことしか考えてないから」


 無視していると、あいりが矢継ぎ早に言ってくる。


「優雅はセックスしたから汚い」


 俺は無視してタバコを吸う。


「優雅は田中萌香とセックスした。あんなメンヘラのどこがいいの?」


 尚も無視してタバコを吸う。


「なんで田中萌香とセックスしたの?」


 俺はとうとう無視しきれなくなり、あいりにこう言った。


「さっきからセックスセックスうるせえな」

「だって優雅がセックスしたのがショックだったんだもん」

「ごめん……」

「絶対に許さない」


 俺はどうやったらあいりに許してもらえるのか考えたが、自殺くらいしか思い浮かばなかった。今ここで俺が自殺すればあいりは許してくれるだろうか。

 俺は、床に落ちているナイフを拾い上げて、手首の動脈を切ろうと思った。俺は拾ったナイフを手首に近付ける。

 

「手首切ったくらいじゃ私は許さない」


 あいりはそう言った。

 俺はナイフを離して、床に落とした。ナイフの音が少し響く。


「じゃあどうすれば許してくれる?」

「優雅のママに『働かないクズのくせにセックスしてごめんなさい!』って土下座したら許してあげる」

「そんなことでいいの?」

「いいよ」


 俺はすぐに立ち上がり、一階に向かった。あいりも後ろについてきた。母親はリビングでテレビを見ていた。俺は母親の前に向かい、


「お母さん」と呼んだ。


 すると母親は俺の方を見て「なに」と言った。

 俺はしゃがんで、土下座の体勢を作り、


「働かないクズのくせにセックスしてごめんなさい!」


 と叫んだ。

 あいりが「あはは」と笑う。

 しばらく土下座してから、顔を上げて母親の顔を見ると、母親は無表情だった。母親は虚ろな目をして、俺に何も言わない。

 しばらくすると母親は俺に、


「また精神病院に入院した方がいいかもね」とだけ言った。


 俺は無言で立ち上がり、階段を上がって自分の部屋へと向かう。自分の部屋に戻ってタバコを吸っていると、あいりは満足そうに、


「いいよ。優雅が田中萌香とセックスしたこと許してあげる」と言った。


 俺はスマホを取り出し、萌香にラインを送ることにした。


『萌香とセックスしたこと、あいりに許してもらった』

『どうに許してもらったの?』

『お母さんに土下座して「働かないクズのくせにセックスしてごめんなさい!」って言ったら許してくれた』

『優雅やっぱり頭おかしいよ』

『別に俺は頭おかしくない。あいりが俺に指示しただけ』

『あいりちゃんがいること自体がおかしいんだよ。どうすればいなくなるんだろう』

『一生いなくならないって言ってた』

『そうなんだ……』


 ◆


 翌日、俺と萌香はホームセンターに行って、硫化水素自殺に必要な道具を買い揃えた。石灰硫黄合剤やサンポール、頭用の透明ポリ袋、ガス用のポリ袋、ガムテープ 、ホース 、強力で大きい洗濯バサミ、そしてテントなどを買った。

 萌香の提案で、俺と萌香は公園で硫化水素自殺をすることにしたのだ。

 俺の車に、買ったものを積み込んでいると、萌香が「あいりちゃん今もいるの?」と聞いてきた。俺は「いるよ」と答えた。

 あいりは無言で俺と萌香の後ろをついてきていた。

 すると萌香は「はあ……」と溜息をついた。あいりがついてきていることが気に食わないらしい。


「どうやったらあいりちゃんいなくなるかな」

「わからない」


 俺がそう答えると、萌香は「あいりちゃん、こっち見て」と言ってから、俺にいきなりキスしてきた。俺たちの周りに何人も人がいたので、俺は恥ずかしくなった。


「もう優雅はあいりちゃんのものじゃなくて私のものだから、どこか消えて」


 するとあいりは「やだ」と言った。


「どう? いなくなった?」

「いや、まだいる」

「もう無理。諦める」

「うん」


 買ったものを車に積み終わると、萌香が「ペットショップ行きたい」と言った。このホームセンターには小さいペットショップが併設されている。

 中に入ると、様々な熱帯魚や金魚や亀がいた。

 萌香は小さい亀を見て「かわいいね」と言った。俺は「うん」と答えた。俺はしばらくその亀をじっと見ていた。指で輪っかを作った程度の体長しかなく、とてもかわいかった。

 しばらく亀を見ていると、萌香が突然こう言った。


「私と優雅で同棲しよう」

「え?」

「私の家に住んでよ。昨日私がお母さんに『彼氏と一緒に住んでいい?』って聞いた。そしたら『いいよ』って言ってた。ていうか私のお母さん、男の家に入り浸ってることの方が多くて、家にはほとんどいないから、全然大丈夫だよ」

「そうなんだ。俺も大丈夫だよ。一緒に住もうか」

「うん。お母さんは私に無関心だし、私が高校中退しても何も言わなかった。優雅が私の家に住んでても何も言わないと思う。あと、あいりちゃんが優雅に何か指示して、優雅が危険なことしないように、私がずっと監視したい」


 その後、俺は一旦自分の家に帰って、萌香の家に住むのに必要なものを持っていった。最低限の着替えや、スマホの充電器や、首を吊る用のロープや、髭剃りや、歯ブラシや、タバコくらいしか必要なかったので、それしか持っていかなかった。

 母親には一言だけ「彼女の家に住むことになった」とだけ言った。母親は無言だった。

 車で萌香の家に行くと、昨日は無かった軽自動車が家の車庫に停まっていた。萌香の母親のものだと思った。

 俺は自分の荷物を持って、車から出た。萌香の後ろをついていく。俺の後ろをあいりがついてくる。

 萌香が家のドアを開ける。

 俺は「お邪魔します」と呟いた。

 一階のリビングの方から、女の人の笑い声が聞こえてきた。

 萌香と俺は一階のリビングへと向かった。リビングは相変わらず酒の缶や瓶だらけで、足の踏み場に困る。

 リビングの奥のソファに、萌香の母親が座っている。萌香の母親はウイスキーの瓶をラッパ飲みしていた。そして一人きりで笑っていた。


「お母さん、この人が私の彼氏」


 萌香がそう言うと、萌香の母親は酒を飲む手を止めて、こっちを見てきた。

 俺は「はじめまして。佐藤という者です」とだけ言った。こういう時、なんて言えばいいのかわからなかった。

 萌香の母親はしばらく俺の目を見た後、「萌香と仲良くしてあげて」とだけ言った。そしてまた一人で笑い始めた。萌香の母親は、やつれているが、まだ30代くらいに見えた。

 萌香は俺に「私の部屋行こう」と言ったので、俺は「うん」と言って、ついていった。

 萌香の部屋は殺風景で、何も無い。


「硫化水素自殺、やっぱり公園じゃなくて私の家でやろう」


 と萌香が言った。


「その方がいいかもね。公園だと誰かに見つかって通報される可能性がある」


 俺が部屋の隅に自分の荷物を置くと、萌香はテーブルの上に置いてあった果物ナイフを手に取って、自分の腕を切り始めた。


「いや、萌香の家じゃなくて、俺の車の中の方がいいかもしれない」

「優雅の車、修理に何万かかったの?」

「わからない」


 萌香は自分の腕を切っている。血が腕を伝い、床に落ち始める。


「私の血飲んで」と萌香が言って、俺に近寄ってきた。俺は正座して、血まみれの萌香の腕を舐める。そして血を飲んだ。

 萌香は笑った。

 あいりは「馬鹿みたい」と言った。

 やがて萌香は自分の腕を包帯で巻き始めた。萌香は「お酒取りに行ってくる」と言って、一階に降りていった。

 そしてウイスキーの4リットルボトルとコップ2つを持ってきた。


「ストレートで飲もう」

「うん」


 俺と萌香はウイスキーをストレートで飲み始めた。

 しばらくして酔っ払った萌香が、泣きながら、


「大人になる前に早く死にたい」


 と言った。

 萌香は泣き上戸なのだと思った。

 俺は酔っても泣かないし笑わないし暴力的にもならない。顔も赤くならない。


「俺も大人になる前に死にたいと思ってたけど、速攻で23歳のジジイになったよ」

「23歳はジジイだね」

「23になっちゃったけど、精神年齢は小学生か中学生で止まってると思う」

「私は幼稚園くらいで止まってると思う」


 俺と萌香はずっとウイスキーを飲んでいた。

 萌香はそのうち床にゲロを吐いた。

 俺はティッシュを何枚も取って、萌香のゲロを綺麗に拭いて、ゴミ箱に捨てた。


「ありがとう」

「うん」


 俺はぼーっとしながらウイスキーを飲んだ。俺は吐く気配が全く無かった。萌香が死のうと言い出したら死のうと思った。






 〜次回に続く〜

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