13話 萌香

 俺と田中さんは家を出て、車に乗った。飲酒運転になってしまうが、別に問題ないだろう。田中さんは助手席に乗った。俺は運転席に乗る。

 あいりはどこにもいない。

 俺は●●駅に向かって車を走らせながら、田中さんに訊ねる。

 

「なんで俺のこと好きになったの?」

「私と一緒に自殺してくれるほど優しいからです。あと、さっき私の自殺を止めてくれた。佐藤さんは優しいです」


 やがて●●駅に到着した。するとシートベルトを外しながら田中さんがこう言った。

 

「送ってくれてありがとうございました。あと、付き合い始めたんだから、これからはお互いのこと名字じゃなくて下の名前で呼びませんか?」

「うん」


 そういえば俺は田中さんの下の名前を知らない。


「田中さんの下の名前ってなんて言うの?」

「萌香です。もえか」


 しばらくすると、田中さんが同じ質問をしてきた。


「佐藤さんの下の名前は?」

「優雅だよ。ゆうが」

「わかりました。じゃあこれからは優雅って呼びます。あと、付き合い始めたので、今後は敬語は使わないようにします」

「わかった」


 しばらくすると、田中さんは改まった態度でこう言った。


「じゃあね。優雅。また会おうね」

「あ、うん、じゃあね」

「だめ。ちゃんと私の名前呼んで」

「じゃあね、萌香」

「うん、じゃあね。バイバイ」


 俺は田中さんの下の名前を呼ぶだけで、無駄に緊張してしまった。

 やがて、萌香は車を降り、俺に手を振りながら駅の中へと向かっていった。やがて萌香の姿が見えなくなる。俺は車の中で脱力する。

 俺は周りを見渡したが、どこにもあいりの姿は無い。

 俺は田中さんと、いや、萌香と付き合い始めてしまった。萌香は高校3年だったが最近中退してニートになった。高校3年というと、俺の妹の結衣と同じ学年である。一方俺は23歳ニートだ。俺は妹と同い年の女の子と付き合い始めてしまった。

 だが、もう色んなことがどうでもよかった。どうせ自殺するんだ。好き勝手に生きよう。


 ◆


 自分の部屋に戻ると、やっぱりあいりはどこにもいなかった。あいりがいないことに違和感はあれど、寂しくはなかった。


「あいり」


 と試しに呼んでみる。それでも現れない。


「クズでごめんね、あいり。俺、萌香と付き合うことにした」


 誰もいない部屋の中で独り言を言う。

 俺は飲みかけだった缶チューハイを飲みながら、萌香のことを考える。萌香も俺も、まともな未来なんて求めてない。求めているのは破滅だけだ。そうじゃなかったら、萌香は社会的地位が終わってる俺なんかの事を好きにならない。

 萌香は俺と一緒に自殺したがっている。どうやって死ぬのが1番最適だろうか。やっぱり練炭がいいだろうか。今は暑いから、寒くなったら練炭で死のうか。それとも、高い所から飛び降りるのがいいだろうか。

 そんなことを思っていたら、萌香からラインが来た。


『優雅』

『なに』

『私中学の頃から援助交際してたからセックスはしたことあるけど男の人とちゃんと付き合うのは初めて。だから付き合うっていう事がよくわからない』

『そうなんだ。俺もよくわからない』

『優雅ってセックスしたことある?』

『ないよ』

『よかった』


 俺は缶チューハイを飲み干し、タバコを吸い始めた。

 タバコを吸ってぼーっとしていると、俺は何もかもがどうでもよくなってきた。付き合うって一体なんなんだ。

 ふいに俺はノートパソコンを開いて、なんとなく硫化水素自殺の方法を調べ始めた。すると、10年以上前の個人ブログが見つかった。そのページにはかなり詳細な硫化水素自殺のやり方が懇切丁寧に書いてあった。だが、頭の悪い俺は、文章だけでは仔細な自殺方法が理解できなかったし、実行する気も起きなかった。

 だが、俺は一応そのブログのURLを萌香のラインに送信した。

 すると、


『ありがとう! 2人分の道具準備してみる』


 と返信が来た。

 缶チューハイを飲み干した俺は、萌香が途中まで飲んだ缶チューハイも飲み干した。まだまだ酔いが回ってこないので、俺は一階に降りて、ウイスキーの4リットルボトルを自分の部屋に持っていった。それを直接ストレートで飲んでいると、体の中が燃えるように熱くなり、酔いが回ってきた。俺は酩酊して、気持ちよくなった。俺は酔った勢いで萌香に適当なラインを送る。


『俺は引きこもり歴3年以上の自閉症だから社会復帰できる気がしないよ。社会的地位が終わってるから、俺とは別れた方がいいよ。別れよう萌香。さようなら』


 すると、すぐに返信が来た。


『自閉症とか社会的地位とかどうでもいい。私が優雅と付き合いたいと思ったのは、2人で自殺するまでの間、2人で楽しく過ごしたいと思ったから』


 俺は酔った。尚もウイスキーをストレートで飲み続ける。酒を飲んで、現実を忘れる。自分が引きこもりであること。自分が自閉症であること。全ての物事がどうでもよく感じる。


『自閉症の俺にとって、引きこもって生きてるのはすごく楽だよ。嫌なことをしなくて済むから。でも3年以上引きこもってるうちに気付いた。俺はもう人間じゃないって。俺は人間じゃないから人間が嫌い』


 と送ると、またすぐに返信が来た。


『今度は優雅が私の家に遊びに来てよ。めちゃくちゃ汚い家だけど』

『わかった。遊びに行くよ』

『明日はお母さんが用事で1日いないから、明日来れる?』

『わかった。明日行く』

『じゃあ適当な時間に◆◆駅に来て。迎えに行く』

『うん』


 ◆


 翌朝、俺は●●駅に行って、◆◆駅までの切符を買った。そして電車に乗った。服装は、いつものように黒いスウェットだった。俺は外に出かける時も他人の目を全く気にせずスウェットで外出する。全く同じスウェットを何着も持っている。俺は基本スウェットでしか外出しないという、自閉症特有のこだわりのようなものがあった。

 電車を降り、◆◆駅の改札を通り抜けると、手ぶらの萌香がいた。


「おはよう」

「おはよう」


 萌香はグレーのスウェットを着ていた。

 ◆◆駅は人の往来が多いが、スウェットを着てるのは俺と萌香だけだった。2人だけがニート丸出しの格好だった。傍目から見れば2人はかなり目立つだろう。


「じゃあ行こう。ここから歩いて3分もかからないから」

「うん」


 萌香と俺は、歩いて萌香の家に向かった。3分もしないうちに萌香の家に到着する。萌香の家は、古い二階建ての一軒家だった。

 萌香に続いて、家に入る。


「お邪魔します」と小さい声で言って靴を脱ぐ。萌香は一階のリビングに俺を案内した。リビングを見た俺は驚愕した。部屋を埋め尽くすようにしてウイスキーのボトルや缶チューハイのゴミの山が出来ていたからである。足の踏み場に困るほどだった。


「私のお母さんアル中だから」と言う。「お母さん今日は彼氏と遊びに行くんだって」


 萌香は台所の冷蔵庫の中から缶チューハイを2本取り出した。そして、そのうちの1本を俺に渡してきた。

 

「じゃあ、私の部屋来て」

「うん」


 萌香は階段を上がり、二階へ向かう。二階の1番奥の部屋を萌香が開ける。

 6畳くらいの広さの萌香の部屋には、必要最低限のものしか置かれていなかった。四角いテーブルとベッドとクローゼットくらいしかない。だが、ストロング系の缶チューハイの空き缶が床に十数個も転がっている。萌香もアル中だった。また、ブロンの空き瓶も大量に転がっていた。


「私の部屋何も無いでしょ。しばらく前に身辺整理して、そのままだから」

「そうなんだ」


 萌香はテーブルに缶チューハイを置いて座る。俺は萌香の対面に座って、あぐらをかく。


「じゃあ乾杯」

「乾杯」


 俺と萌香は缶チューハイを飲み始めた。

 俺は缶チューハイを飲みながら、ぼーっとしていた。特に何も喋ることが無かったのだ。萌香も特に喋ることがないのか、俺の目をぼーっと見つめている。俺も萌香の目を見返す。

 

「私、自分の家に人を連れてきたの生まれて初めて」

「そうなの?」

「うん。仲の良い友達とか、ほとんどいたことないし、彼氏が出来たのも生まれて初めてだから」

「俺も女の子の部屋に入ったの生まれて初めて」

「あと私、今少し緊張してて、あんまり喋れないかもしれない」

「萌香が俺なんかに緊張する必要ないのに」

「優雅も緊張してそう」

「うん。少し緊張してる」


 それ以降、俺と萌香は無言になり、ただ酒を飲んでいるだけの時間がしばらく続いた。


「俺、緊張すると頭が空っぽになって、何も喋れなくなる」

「私も」


 言葉が、全く頭の中に浮かばない。俺が自閉症たる所以である。少しでも緊張すると、頭が働かなくなる。俺の脳はポンコツなのだ。

 恋人同士だということを変に意識して、俺は緊張していた。

 萌香は缶チューハイをいつのまにか飲み干していた。そして酔ったのか、少しだけ饒舌になり始めた。


「私、いつも1人ぼっちで、いつも死ぬことしか考えてないけど、死ぬ前に優雅に会えてよかった」

「俺も萌香に会えてよかったよ」

「本当に? 嬉しい」

「俺は、ゴミみたいな人生をゴミみたいに終わらせるだけの命だから、萌香の役に立ててよかった」


 俺の人生は最初から最後までゴミだったが、残りの命は萌香のために役立てようと思う。

 今振り返ると、俺は幼少の頃から対人恐怖症で異常に暗く、「あの子は喋れるの?」とか「あの子は病気なの?」と、よく言われた。そしてそのまま大人になり、社会に出た。そんな俺が社会で上手くやっていけるはずがなかった。かろうじて必要最低限の会話が出来るだけ。俺の居場所はどこにも無かった。俺は今まで生きてきた中で、自分の居場所というのを確立した経験が無い。強いて言えば、自分の部屋の中だけだった。部屋の中にいれば、煩わしい他人との関わりも無いし、傷付くことも無い。


「俺の人生は本当にゴミだったけど、残りの人生は萌香のために使う」

「じゃあセックスして」

「え?」


 俺は固まった。いきなりすぎると思った。


「ゴムがない」

「避妊なんてしなくていいよ。子供が出来たら自殺すればいいから」

 

 俺の返事を待たずに、萌香は立ち上がって、俺の方に近寄ってきた。俺の口にキスすると、萌香は舌を入れてきた。アルコールの味がした。萌香と俺はベッドに向かった。


 ◆


 俺は童貞を捨てた。

 俺は萌香の言葉に従って、避妊をしなかった。子供が出来る可能性がある。だが、子供が出来ていれば、自殺すればいいだけの事だ。

 行為を終えた俺は、放心して、ぼーっとしていた。

 自分の魂や感性や心の全てを萌香に吸収されたような気分だった。俺の中身は空洞になってしまった。

 

「子供が出来たら、優雅と一緒に自殺する」


 と萌香が笑って俺に言う。

 たしかに、萌香が妊娠すれば、俺は自殺する踏ん切りがつく。産ませるのはもちろん嫌だし中絶させるのも嫌だ。

 裸の萌香を見る。

 萌香の全身は自傷の痕だらけだった。一体今まで何回自分の体を切り刻んできたんだろうか。

 外で、救急車が通る音が聞こえる。

 俺は、とんでもないことをしてしまった。底の無い穴の中へどんどん堕ちていく感じがする。

 床には、酒の空き缶やブロンの空き瓶が転がっている。酒やブロンに依存する人間はみんな弱い。

 空き缶や空き瓶を眺めていたら、やがて萌香が呟いた。


「早く自殺しようね」

「うん」


 俺は人間のフリをするので精一杯だ。






 〜次回に続く〜

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