12話 数年ぶりの●●

 退院から1ヶ月が経った。俺はすっかり以前までの腐敗した生活習慣に戻っていた。毎日吐くまで酒を飲み、タバコを吸い、薬を飲み、太陽が昇る頃に眠りにつく。そんな、頭の悪いクズみたいな毎日を送っていた。俺は早く死ななくてはならない。

 或る日の深夜3時、俺は首をナイフで掻っ捌いて死のうと思った。頸動脈を切って死のうと思った。だが、怖くて出来なかった。刃を首に押し付けただけ。俺は脱力して、右手に持っていたナイフを床に落とす。その様子をあいりは黙って見ている。

 

「あいり、俺はもうだめだ」


 俺は、死ねない自分が情けなくなって涙が出てきた。俺は【死】以外の救いを見出すことが出来ずにいる。人は死ぬことによって楽になる。死ぬことによって孤独から解放される。生きることは俺にとって苦痛でしかない。でも一体何が辛いのか、俺には分からなかった。本当は何の悩みも無くて、ただ死にたいフリがしたいだけのクズなんじゃないかと思えてきた。

 俺がアル中なのは、酩酊して頭を麻痺させないと辛くてやっていけないからだ。でも、俺は本当は辛いことなんかなくて、ただ辛いフリがしたいだけなのかもしれない。


『またブロンをODしました。超気持ちいいです』


 いきなり田中さんからラインが来た。

 田中さんはブロンが好きで、よくブロンをODしている。俺もかつてはブロンをよくODしていたが、ある時を境に完全に耐性が付いてしまい、全くキマることが出来なくなったので、ブロンは最近全くODしていなかった。俺はブロンよりもコンタックやメジコンといったDXMの方が好きだった。DXMでトリップするのは気持ちがいい。また、バッドトリップして【あの世】に行った時の筆舌に尽くしがたい恐怖感も好きだった。俺はLSDに興味があるが、手を出したことはない。


『ブロンきまったみたいでよかった』と俺は田中さんに返信した。


 精神病院を退院した田中さんは、すぐに高校を中退して、ニートになった。今は援助交際で稼いでいた時の貯金を切り崩して実家で生活しているらしい。田中さんは毎日自殺のことしか考えておらず、俺とのラインもほとんどが自殺に関する応酬である。


「あいり」

「なに?」

「今からタバコ吸うよ」

「うん」


 俺はタバコに火をつけて、タバコを吸い始めた。

 すると、あいりが俺にいきなりこう言ってきた。


「そういえば、今更だけど、優雅って結構前にネットで連載小説書いてたよね? なんで大川先生に『小説なんて書いたことない』って嘘ついてたの?」

「だって俺の小説なんてくだらないだろ」

「くだらなくないよ」

「俺の小説は空っぽだ」

「空っぽでも、書けるだけすごいと思うよ。1文字も書けない人だって沢山いるんだから」

「うん」


 俺はタバコの煙を吐き出す。そういえば、こんな話を聞いたことがある。タバコには、おしゃぶり効果があるらしい。タバコは咥えているだけで安心感を得られるそうだ。

 タバコを吸っていると、田中さんからラインが来た。


『硫化水素自殺の具体的な方法ってどこに載ってるんでしょうね。今ちょっとネットで探してるんですけど分かりやすい情報が見つかりません。調べるのめんどくさいから電車に轢かれて死のうかな』

『電車は痛いよ』

『ですよね。私も出来れば痛くない方法で死にたいんです。あの時の練炭自殺みたいに』


 思い返すと、あの時の練炭自殺は全てがスムーズに運んだ。発見者の通報さえなければ、完遂していたに違いなかった。

 もう一度練炭自殺をやれば、俺と田中さんは死ねるのかもしれないが、後遺症のリスクを恐れて、俺も田中さんも無意識のうちに練炭自殺を選択肢から除外していた。2人とも片目を失明したのだ。ついでに俺は左指を動かしにくくなった。タバコを吸うのも少し苦労する。仮に次も練炭自殺に失敗して、両目失明ともなれば、もう自殺なんて不可能に近くなる。


「痛くなくて確実な自殺が1番いいよな」


 と俺が呟くと、あいりが、


「首吊りが1番痛くないし確実だって聞くけど、実際にやってみるとめちゃくちゃ痛いし苦しいよね」


 と言った。

 たしかにその通りだ。俺はかつて首吊りを試してみたことがあるが、あまりに苦痛だったので、練習段階の時点で諦めた。

 今、時刻は深夜の3時だ。

 俺は特に深夜になると酒が飲みたくなる。

 俺は部屋を出て、一階に向かい、冷蔵庫からストロング系の缶チューハイを取り出した。これで、ちょっとだけ酔う。自分の部屋に戻って酒を飲んでいると、あいりが俺に甘えてきた。


「ねえ優雅、あいりちゃんかわいいって言って」

「あいりちゃんかわいい」

「あいりちゃん愛してるって言って」

「あいりちゃん愛してる」

「ありがとう」


 あいりは笑っていた。かわいかった。


「あいりってかわいいね」


 と俺が言うと、あいりは、


「かわいいでしょ?」


 と言った。


「かわいいよ」


 と俺は言う。


 ◆


 その日は、朝の8時頃に寝て、14時に起きた。俺は重たい目蓋を擦りながら自分の部屋を出て階段を降り、洗面所へ向かい、顔を洗って、歯を磨いた。

 部屋に戻って枕元にあるスマホを拾い上げると、数時間前に田中さんからラインが来ていた。


『私、今日電車に轢かれて死ぬことにします。一緒に死にませんか?』


 俺の眠気はすぐ覚めた。俺はすぐ田中さんに返信する。


『今どこにいる?』


 もしかしたら既に轢かれて死んでいるかもしれない。そんな思いが去来する。だが幸い、30秒後くらいに返信が来た。


『●●駅のホームです。もう2時間くらいここにいます』

『今から俺が●●駅まで行くから、それまでは絶対死なないで』

『わかりました』


 ●●駅は、俺の最寄り駅だった。

 俺と田中さんは隣同士の市に住んでいる。そういえば以前、俺は田中さんに住んでる場所を教えたことがある。その時に俺の最寄り駅が●●駅だと言った。俺と一緒に轢かれるためにわざわざ隣の市から●●駅まで来たのだろうか。

 俺は黒いスウェットのまま、すぐに家を出て、車に乗った。助手席にはあいりが乗っている。


「田中さんが電車に轢かれて死ぬかもしれない。早く行かないと」


 と俺が言うと、あいりは「うん」と言った。

 ●●駅までは車で5分程度の場所にある。

 ホームが1つしかない小さい駅だ。電車は1時間に数本しか来ない。

 急いで運転してると、すぐに着いた。

 俺は駐車場に車を停めて、あいりと一緒に車を出る。適当な切符を買い、改札を抜けてホームに向かう。

 寂れた駅のホームには、田中さんしかいなかった。田中さんは、中退した高校の制服を着て、ホームの1番右端の椅子に座って、ぼんやりと虚空を眺めていた。

 俺が田中さんの方に歩いていくと、田中さんは俺を見て、小さく笑って、手を振った。

 椅子は5個並んでいた。田中さんは1番右の椅子に座っている。俺は中央の椅子に座った。


「ライン見てびっくりした。もう死んでるかと思った」


 と呟くと、田中さんは、


「佐藤さんと一緒に死ぬって決めてたので、佐藤さんが来るまで待ってました」


 と言った。

 田中さんはどこか遠くの方を見て、ぼんやりしている。その視線の先には何も無かった。あいりは駅のホームを退屈そうにふらふら歩いている。


「もし一緒に死ぬのが嫌だったら、私1人だけで電車に轢かれて死にます。あと10分くらいで電車が来ます」

「なんでいきなり今日死のうと思ったの」

 

 と聞いたら、


「なんとなく」


 と言われた。

 それから、俺と田中さんは一言も言葉を交わさず、ずっと椅子に座ってぼーっとしていた。俺は何も考えずに、ただぼーっとしていた。あいりが俺に近づいてきて、


「止めるの? 止めないの?」と聞いてきた。


 約10分が経つと、やがて右側から勢いよく電車が走ってきた。田中さんはゆっくりと立ち上がり、何かに導かれるようにふらふらと線路側へと歩いていった。電車はどんどん近づいてくる。俺は無意識のうちに椅子から立ち上がり、走って田中さんに近付き、田中さんの腕を強く掴んでいた。

 田中さんは立ち止まり、電車は普通に駅のホームに停まった。停まった電車の中からまばらに人が吐き出される。

 俺は田中さんの腕を離した。


「なんで止めたんですか」


 と田中さんが俺の目を見て聞いてくる。

 なんで止めたのか、俺自身もよくわからなかった。体が勝手に反応していたからだ。


「ごめん」


 と俺は謝った。


「せっかく死ねそうだったのに」


 続けて田中さんは言う。


「もう私たち、生きてたってしょうがないじゃないですか。なんで止めたんですか。こんなゴミみたいな人生、長生きしても良いこと無いじゃないですか」


 よく見ると、田中さんは涙目だった。


「生まれたくなかった。辛い。死にたい」

「……」


 何か言葉を掛けないと。俺はどんな言葉を掛けるか迷った挙句、こんなことを口走っていた。


「俺の部屋に来る?」


 ◆


 俺の車の後部座席に田中さんが乗っている。助手席にあいりが乗っている。俺は車を運転して帰宅した。

 庭には、母の車が停まっている。今日は平日なので、家には母親しかいないはずだ。

 俺と田中さんとあいりは家に入った。

 田中さんが「お邪魔します」と小さい声で言った。

 俺が無言で台所に向かうと、母親がいた。俺は冷蔵庫から缶チューハイを2本取り出した。俺の後ろをついてきていた田中さんは、俺の母親を見ると「あ、はじめまして。お邪魔します」と言った。母親はとても驚いた顔をして、「あ、こんにちは」と言った。母親と田中さんが会うのは初めてだった。俺は「俺と一緒に自殺未遂した人」と雑に母親に説明した。

 俺と田中さんとあいりは、二階に上がって俺の部屋に入った。

 カーテンが閉められた薄暗い俺の部屋に入った田中さんは、


「タバコの臭いがする。あと、お酒の空き缶ばかりですね。アル中なんですか?」


 と言った。俺の部屋は酒の缶や瓶ばかりだ。

 俺は田中さんに冷えた缶チューハイを1本手渡した。


「とりあえず飲もう」

「あ、はい。ありがとうございます」


 俺は椅子に座り、田中さんは俺のベッドに座った。あいりは田中さんの隣に座った。

 俺は田中さんと乾杯して、缶チューハイを飲んだ。その直後、タバコに火をつけて、タバコを吸い始めた。


「床にナイフが落ちてますね」


 と田中さんが缶チューハイを飲みながら言う。

 

「首を切って死のうと思ったけど、怖くて出来なかった」

「そうなんですか」

 

 その場の思いつきで田中さんを俺の部屋に連れてきたが、話すことなんて何も無いことに気付いた。俺はぼーっとタバコを吸っていた。しばらく沈黙が続いてから、田中さんが小さく呟いた。


「生きてるのが、つらいです」


 俺はタバコの灰を灰皿に落としながら、言った。


「生きることがつらいと感じるのは、田中さんのせいじゃなくて、世界のせいだよ。田中さんは悪くない」

「はい」

「地球に生命が誕生して、今生きていることは、とても奇跡。俺達は奇跡的についてない」

「はい」


 俺は田中さんと何を話せばいいのか分からなかった。それを誤魔化すようにタバコを吸ってたら、やがて田中さんが俺に質問をしてきた。


「私は1人で寂しいです。佐藤さんは、1人で寂しくないんですか?」

「俺には、あいりっていう彼女がいるから寂しくない。今もここにいる」

「そんな人はいません。佐藤さんはいつも1人ぼっちです。はっきり言います。佐藤さんは頭がおかしいんです。あいりさんなんて存在しません」


 俺はあいりを見る。あいりと目が合う。あいりは無表情で座っているだけだ。


「佐藤さんって、あいりさん以外の女の人と付き合ったことありますか?」

「ないよ」

「私と付き合ってみますか? 私は佐藤さんのこと好きです」


 俺はあいりの方を見た。すると、あいりは、


「やだ」


 と泣きそうな声で言った。


「あいりが、やだって言ってる」

「佐藤さん自身の気持ちはどうですか。私のこと好きですか?」


 俺は田中さんのことが好きなのか嫌いなのか考えてみた。


「俺は、好きでも嫌いでもない」

「じゃあ付き合いましょう。佐藤さんはこのままだと死ぬまで永遠に1人ぼっちのままです。それでいいんですか?」


 あいりの顔を見ると、あいりは泣きそうな顔をしていた。


「俺は田中さんとは付き合えない。あいりが泣きそうな顔してる」

「だから、そんな人どこにもいません。佐藤さんは頭がおかしいんです。佐藤さんは今まで誰からも愛されたことがないから、架空の彼女なんか作るんです」


 俺はタバコを吸って、煙を吐き出す。あいりはたしかにここにいる。

 煙を吐き出した俺は死んだ目でぼーっとする。無心でぼーっとする。

 すると、突然田中さんが立ち上がって、俺に近寄ってきて、俺の唇にキスしてきた。

 全く想定外のことだったので俺は衝撃を受けて頭が真っ白になり、人差し指と中指に挟んでいたタバコを床に落とした。俺は硬直して動けなくなった。唇に柔らかい感触がある。鼻息が当たる。

 しばらくすると、田中さんは唇を離して、軽く笑った。

 俺は床に落ちているタバコを拾い上げる。

 そして、あいりの方を見る。


 だが、あいりはいなかった。

 部屋全体を見回す。やっぱりあいりはどこにもいなかった。忽然と姿を消していた。


 俺は放心した。


 ◆


「私にも1本タバコください」


 田中さんが言ったので、俺はタバコとライターと灰皿を渡した。田中さんは慣れない手つきでタバコに火をつけ、吸い始める。

 その直後、田中さんは勢いよく咳き込んだ。


「タバコ吸うの初めて?」

「はい」


 それから俺は、田中さんがタバコを吸うのを黙って見ていた。半分くらい吸ったところで、田中さんはタバコを灰皿に押し付けて、火を消した。


「タバコの良さが全然わかりません」


 と田中さんは言った。


「あいりがいなくなった……」


 と俺が言うと、


「やったー! うれしい!」


 と田中さんが嬉しそうに笑って言った。少し嗜虐的な笑みだった。

 その笑顔を見た瞬間、俺は、今までに感じたことのない背徳感を覚えていた。ゾクゾクした。

 俺は今、かなり久しぶりに勃起した。

 俺は、この事実を田中さんに報告しないといけないと思った。


「俺は今、数年ぶりに勃起してる」

「え、そうなんですか? キスだけで?」


 俺の唇には、まださっきの感触が残っている。俺は、少し荒れてざらついてる自分の唇を撫でて、ぼーっとした。

 そうしていると、田中さんはまた俺の近くに来て、俺の唇に再びキスした。

 俺は頭が真っ白になる。


「あいりちゃんから佐藤さん奪っちゃった」


 と田中さんは言った。


「私と付き合ってくれますか」

「あ、うん」


 俺は超簡単に頷いた。そして俺は、田中さんと自殺するんだな、と直感した。






 〜次回に続く〜

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