11話 結婚式

 俺は無事、退院した。

 3ヶ月ぶりにシャバの空気を吸った俺は、開放感と達成感に満ちていた。この3ヶ月間、病院だけが俺の世界の全てだったから。

 日曜日だったからか、父と母が迎えに来た。

 帰りの車内で、運転席から父が「退院できてよかったな」と言う。後部座席に座る俺は車窓を流れる景色を眺めながら「うん」と言う。助手席に座る母が「優雅、何か食べたいものある?」と俺に聞いてくる。俺は「特に無い」と答えた。父が「退院祝いに何か美味いものでも食いに行くか」と言ったので、俺は「別にいいよ」と答えた。俺はさっさと家に帰って酒が飲みたかった。酒で酔いたかった。このどうしようもない現実を早く酒で塗り潰したかった。


「やっと退院できたね。おめでとう優雅!」


 あいりが俺の横から言う。


「うん」


 と俺は言った。

 退院できたのは率直に嬉しい。

 俺は、ポケットからスマホを取り出して、田中さんにラインを送ることにした。


『退院できたよ』


 すると、5分後くらいに返信が来た。


『おめでとうございます。私はあと1週間くらいで退院できそうです。あと、高校は中退することにしました。一緒に自殺しましょうね。私は今度は硫化水素で自殺するのがいいんじゃないかって思ってます』

『高校、中退するの?』

『はい。どっちにしろ自殺するし、もう全部どうでもよくなりました。それに、お金が必要だったら、風俗で働けばいいと思って。中学の頃から援助交際してたので、風俗で働くことには抵抗ないです』


 俺は、俺が田中さんの人生をどんどん壊していってるんじゃないかと思った。風俗という単語を聞いて、俺は飯塚さんの顔を思い出した。あの時、飯塚さんは死んだ目をしていた。


『やっぱり高校は行っておいた方がいいんじゃないかな。高卒と中卒だとだいぶ違うし』

『自殺するから高卒とか中卒とか関係無いです。もう人生どうでもいいんです。私も佐藤さんみたいにしばらくニートになります』


 田中さんは、自殺のことしか考えていない。だからこんなに破滅的な言動を取るのだ。

 俺はあいりにスマホの画面を向けて、俺と田中さんとのやり取りを見せた。するとあいりは、


「あーあ。田中さんがダメ人間になっちゃった。もう人生どうでもいいって、優雅みたいなこと言ってるじゃん。しかもニートになるって言ってるし。完全に優雅に影響されてるよ」


 と言った。

 田中さんがどんどんダメ人間になっていく。俺と関わっているせいだと思う。俺と関わったせいで、どんどんクズルートを進んでいる。俺のせいで田中さんはクズになった。田中さんごめん。


 ◆


 めちゃくちゃ久しぶりに帰宅すると、俺は早速ウイスキーを炭酸水で割って、濃い目のハイボールを作った。

 ハイボール片手に、俺は自分の部屋へと向かった。

 自分の部屋に入った俺は、安心感と懐かしさに包まれた。ここは俺の牙城だ。3年以上に渡る引きこもり生活は常にここで展開されてきた。

 椅子に座り、デスクの上にハイボールを置く。

 そして俺は久しぶりに酒を飲んだ。

 久しぶりの飲酒だからか、割とすぐに酔いが回ってきた。

 しばらく飲んでいるうちに、気分が良くなってきた。


「あいり、大好き。結婚しよう!」

「いいよ。でも自殺しちゃうんでしょ?」

「うん。多分」


 俺は、デスクの上に置いてあったタバコとライターに手を伸ばし、タバコに火をつけた。

 そして、めちゃくちゃ久しぶりに喫煙した。煙を肺へ送り込み、吐き出す。

 すると、俺はヤニクラを起こして、脳が気持ち良くなった。クラクラして気持ちがいい。

 俺はかなり久しぶりに飲酒と喫煙をして、嬉しくなった。だが、それと同時に、「こんなもんだったか?」という小さな失望が湧いてきた。俺はそれを打ち消すようにタバコを吸い、酒を飲んだ。

 ハイボールをすぐに飲み終わってしまったので、俺は一階に降りて、また新しいハイボールを作った。

 俺は再び二階に上がり、自分の部屋で飲酒する。

 徐々に酔いは強くなってくる。

 それと同時に、俺は現実を忘れていった。現実が徐々に輪郭を失い、現実の全てがどうでもよくなる。自分が引きこもりであることも、自分が社会不適合者であることも、田中さんへの罪悪感も、どうでもよくなる。嗚呼。


「あいり、俺は全てがどうでもよくなった。今からこの部屋で結婚式をしよう。でも俺は結婚式に呼ぶ友達が1人もいない」

「私もいない……」

「そうなんだ。でも別に友達なんていなくていいんだよ。友達いなくたって死ぬわけじゃないから。ていうか、俺レベルになると、孤独と友達になれる。孤独が俺の友達なんだ。俺は結婚式に“孤独”を呼ぶ。おい孤独、入ってこい」


 俺が孤独を呼ぶと、部屋の扉がゆっくり開いて、孤独が入ってきた。

 孤独は、俺に酷似した姿をしていた。黒いスウェットを着て、寝癖でぼさぼさの頭。表情の無い虚ろな顔。そして死んだ目。ほとんど俺である。

 俺の部屋に入った孤独は、黙ってその場に突っ立っていた。


「この人が孤独? 優雅にそっくりだね」


 と、あいりが言う。


「あ、孤独です。はじめまして……」


 と、孤独があいりに向かって小さな声で言う。孤独は挙動不審に視線を泳がせてから、俯いた。全身から負のオーラが漂っている。まるで、生まれてから死ぬまで永遠に不幸であり続けることが約束されているかのような、そんな圧倒的な負のオーラが漂っている。


「私あいり。よろしくね。孤独さん」

「あ、はい。よろしくお願いします……」


 孤独は、所在なさげにその場に突っ立っている。孤独は、「楽しい」という感情を生まれてから一度も味わったことのないような暗い顔をしている。人生に希望を感じていない顔。生まれてから死ぬまで永遠に不幸であり続けることが約束されているかのような顔。

 俺は思わず孤独に声を掛けた。


「おい、孤独。お前はなんでそんなに暗い顔をしてるんだ。人生はそんなにつまらないか」


 すると孤独は、俺の顔面を見て、こう言った。


「あんただって、俺と同じ顔をしてるじゃないか」


 すると、あいりは俺と孤独の顔を見比べて、こう言った。


「私には、優雅と孤独さんが、全く同じ顔にしか見えないんだけど」


 俺は孤独の顔をじっと見る。俺は普段、こんなにも絶望的に暗い顔をしているのだろうか。俺は少しショックを受けた。まあ、3年以上も引きこもってれば、人生への希望なんて完全に消えるし、死ぬほど暗い顔になるのは仕方ない事だ。


「そういえば、あんたはなんで俺をここに呼んだ?」

「今から俺とあいりが結婚式を挙げるから、孤独に出席してほしい。俺とあいりは結婚式に呼ぶ友達がいない」

「わかった。出てやるよ」

「ありがとう」


 すると、あいりが「結婚式に呼ぶ友達は呼べたけど、神父の役がいないじゃん。神父はどうするの?」と言った。

 

「あ、神父を忘れてた。孤独に神父の役を頼んでいい?」


 と俺が孤独に聞くと、孤独は、「まあいいけど」と言った。


「じゃあ今から結婚式始めるか。新郎新婦で向かい合って」


 と孤独に言われたので、俺は椅子から立ち上がった。ベッドの端に座っていたあいりも立ち上がり、俺とあいりは向かい合う形になった。そしてお互いの目を見つめる。

 その間を取り持つようにして、孤独が俺とあいりの間に立つ。そして孤独は言う。


「新郎、佐藤優雅。あなたはここにいる新婦あいりを、健やかなるときも病めるときも、富めるときも貧しいときも、妻として愛し、敬い、いつくしむことを誓いますか?」

「誓います」


「新婦あいり。あなたはここにいる新郎、佐藤優雅を、健やかなるときも病めるときも、富めるときも貧しいときも、夫として愛し、敬い、いつくしむことを誓いますか?」

「たぶん誓います」


 俺はあいりの返答に納得いかなかったので、あいりに追及した。


「え、たぶんってどういうこと? 完全には誓えないの?」

「だって優雅すぐ自殺するじゃん! だから永遠の愛は誓えない。あと、どうせ私よりも田中さんの方が好きなんでしょ。だから永遠の愛は誓えない」

「まだそんなこと言ってんのか。俺は田中さんのことが別に好きじゃないし、あいりしか愛してない。なんであいりが永遠の愛を誓ってくれないのか分からない」

「だって優雅ってすぐ自殺するし、田中さんともよくラインしてるじゃん。だから信用できない」

「もうだめだ。結婚式どころじゃない。結婚式は中止だ」

「は? 意味わかんない。なんで中止にするの?」


 俺とあいりが言い争っていると、孤独が呆れたように「結婚式の最中に揉めるなよ」と言った。


「だって優雅が悪いんだもん!」


 と、あいりが言う。


「悪いのはあいりだろ。永遠の愛を誓えばいいだけなのに、なんで誓わないのか、その神経が分からない」

「だって優雅ってすぐ自殺するし田中さんとも仲良いじゃん。だから誓えないって何回言ったら分かるの?」

「分かったよ。じゃあ今後は自殺もあまりしないし、田中さんとラインするときは必ずあいりにその内容を全部見せる。それでいい?」

「だめ。その程度じゃ私は永遠の愛を誓えない!」


 俺は一旦冷静になって、頭を冷やす。そしてあいりに言う。


「俺とあいりはもうお互いに23歳で、いい大人だ。だからもうこんな子供みたいな言い争いはやめよう」

「引きこもりニートに指図されたくない!」

「俺には職歴があるけど、あいりには職歴が無い。その時点で、どっちの方が偉いか一目瞭然だ。もちろん俺の方が偉い」

「優雅がそういうモラハラする人だとは思ってなかった。もういいよ。私たち別れよう。私、もうこの家から出ていくから!」

 

 そう言うと、あいりは早足で歩いて、俺の部屋から出ていった。

 俺は溜息をついて、椅子に座り、タバコに火をつけた。俺は憂鬱と共に紫煙を吐く。


「俺はもう帰っていいのか?」


 と孤独が俺に聞いてきたので、


「うん。帰っていいよ。神父の役してくれてありがとう」と言った。

 すると、孤独はゆっくりと歩いて、俺の部屋から静かに出ていった。

 その2分後くらいに、階段をドタドタ上がってくる音が聞こえて、俺の部屋にあいりが勢いよく入ってきた。


「なんで別れるって言ったのに追ってきてくれないの!?」

「別れるって言ったから追わなかったんだよ」

「普通は彼女に別れるって言われたら追うんだよ! 優雅は私と別れて悲しくないの?」

「悲しいよ」

「じゃあちゃんと追わないとだめでしょ。もう一回別れを告げて部屋から出ていくから、今度はちゃんと私のこと追ってきて」

「うん」


 すると、あいりは再び「もういい。私たち別れよう。私、この家から出ていくから!」と言って俺の部屋から走って出ていったので、俺は走ってあいりを追った。すると、あいりは部屋を出てすぐのところに立っていた。

 俺はあいりの細い腕を掴んで言った。


「待てよ! 俺はあいりと別れたくない!」

「ほんとに?」

「本当だよ。だから部屋に戻ってきて」

「優雅は本当に私がいないとどうしようもないんだね。しょうがないから復縁してあげる」


 こうして俺とあいりは復縁した。


 ◆


 なんとなく俺はノートパソコンを開き、文書作成ソフトを開いた。

 大川先生に「小説を書け」と言われたことが頭の隅に引っかかっていたので、少し書いてみようかと思ったのだ。

 俺は小説を書き始めた。


【俺は頭が悪い。群馬県は退屈で、パチンコか自殺くらいしか娯楽が無い。子供を産んだ理由を説明できる親はとても少ないだろう。性欲を我慢できませんでした、なんて気まずすぎて言えないからだ。でも今の子供は簡単に性に触れられるから、そういうのも察しているはずだ。愛って結局自分に都合の良いものが欲しいってだけだよな。金が欲しいと何も変わらん。俺は金も愛も欲しかったが、両方とも持っていなかった。この世は性格が悪い奴が生きやすいことは中学の時から悟っていた。嬉しかったことや、悲しかったことが、いつのまにか記憶から消えてしまった。安楽死できるボタンが俺の目の前にあったらすぐに押すだろう。暗い、元気が無い、幽霊みたい、というのが俺の印象らしい。俺はもう23歳になってしまった。深夜3時、公衆便所の床は氷のように冷たいだろう。俺は気が狂ってしまいそうで……というか狂っている。俺には彼女や友達がいるが、そいつらは実体としては存在していない。俺の頭の中にしかいないので、周りからは見えない。俺はそんな彼女や友達と話して、生きている。俺は遺伝子的に最悪の個体だったが、小中までは普通に友達がいた。高校生の頃から、自閉症のせいで友達が1人もいなかった。俺は高校生の頃から自殺衝動を待っていた。でも死ねなかった。どうして俺は、


 と書いたところで、俺の指は止まった。俺は特に書きたいことが無かった。無理矢理書いてみたが、書いていて全然楽しくない。


「飽きた。小説を書くのはやめよう。俺には小説は書けない」

「飽きるの早いね」と、あいりが言った。


 ◆


 俺は田中さんが言っていた「硫化水素」での自殺方法を調べ始めた。だが、具体的な情報はどこにも載っていなかった。






 〜次回に続く〜

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