9話 小説

 閉鎖病棟での生活は「退屈」の一言に尽きた。食事と睡眠と排泄以外、本当に何もやることがない。何もやることがないから、俺は「死にたい、死にたい、死にたい、死にたい」と連呼してみたり、暇を持て余して腕立てや腹筋等の筋トレを始めたりした。しかし、すぐ飽きた。

 あいりもとても退屈そうにしていた。あいりは基本的に部屋の隅にぽつんと体育座りしているだけだった。


「何故俺は、精神異常者たちの巣窟にいるんだろう?」


 と、あいりに訊ねてみたら、


「それは、優雅が精神異常者だからでしょ」


 と返された。俺は精神異常者であるという自覚が無い。ちょっとシャイな青年が、練炭自殺を図り、後遺症によって左目を失明し、左手を麻痺し、後頭部が痛くなっただけだ。


「救助されるのがあと少し遅かったら、2人とも確実に死んでいただろうね」というX病院の医師の声がふいに蘇る。俺は何故、死ねなかったんだろう。俺は俺たちを通報したアホを一生恨む。

 

 ◆


 ある日、母が面会に来た。その際に母は俺のスマホを俺に渡してきた。第一病棟でのスマホの利用は許されていないが、面会室でこっそり触る分には全く問題ない。俺は田中さんのことが気になっていたので、真っ先に田中さんのラインを開いた。すると、


『佐藤さん、私、閉鎖病棟に入院することになりました。期間は分かりません。あと、もしかしたら高校を中退するかもしれません。なんか全部がどうでもよくなってしまいました』


 というラインが数日前に来ていた。俺はそのラインに対し、


『俺も今、閉鎖病棟に入院してる。期間は3ヶ月って言われた。高校は辞めてもいいと思うよ。人生どうでもよくなったら、自殺すればいいんだから』


 と返した。

 つい最近自殺に失敗した人間が言うセリフでは無いなと思った。

 俺は返信をした後、罪悪感に駆られた。

 俺は田中さんを練炭自殺に巻き込み、田中さんの右目を失明させ、閉鎖病棟に入院させ、更に高校まで中退させるのだろうか。その全ての責任は俺にあるような気がした。


 ◆


 入院から2週間が経った頃、俺の精神状態に問題は無いと判断され、閉鎖病棟から開放病棟へと部屋が移動になった。

 これで、24時間好きな時間に病棟内を出歩けるようになった。それだけでも気分的にはだいぶ変化がある。常に部屋に鍵がかけられるのと、そうじゃないのとでは、全く心境が違う。

 新しい部屋は【143号室】だった。

 143号室はベッドとテレビがある個室だった。

 

「テレビがある!」


 と、あいりが言う。俺も、部屋にテレビがあることに対して一抹の高揚感を覚えた。

 俺はテレビの電源をつけた。

 すると、つまらないワイドショーが流れ始めた。

 この2週間、何も無い部屋で過ごしてきたから、このクソみたいなワイドショーですら、ありがたかった。「部屋にテレビがある」という、めちゃくちゃ当たり前の状況ですら、今の俺にとっては天国のように感じられた。

 病棟の中を自由に歩けるようになったので、俺は部屋の外を出て、病棟を自由に歩き回ってみた。

 ホールに行くと、女性患者たちが集まって、会話をしていた。

 ホールには大きいテレビがあって、それを眺めている患者も結構いた。

 俺は1番隅っこの椅子に座り、テレビを死んだ目でぼーっと眺め始めた。あいりは、俺の横の椅子に座った。テレビはつまらないワイドショーを流していた。やがて、あいりが退屈そうに言った。


「私、入院生活に完全に飽きたよ」

「俺も飽きた。ていうか初日から既に飽きてる。早く家に帰って酒が飲みたい。あとタバコも吸いたい。あとブロンとかコンタックもやりたいな」

「優雅って、酒とタバコと薬しか興味ないよね」

「そうだな。酒とタバコと薬さえあれば、俺はある程度、幸せ」

「そういえば優雅って一時期パチスロにもハマってたよね。あの頃の優雅が1番クズだったと思う」

「ギャンブルは金が溶けるだけだから辞めたけど、本当は今もまだやりたいと思ってる。退院したら打ちに行こうかな」

「どんだけクズなん」

「俺はとんでもないクズだよ。クズだから自殺未遂した。こんなクズなかなかいない」


 あいりと喋っていたら、俺の前に1人の女性が現れた。ガリガリで黒い長髪で目が細く若い女性だ。その女性は俺の目の前で立ち止まり、俺に笑顔でいきなり話しかけてきた。


「あの、何歳ですか?」

「えっと、23です」


 俺が無表情でそう答えると、しばらく間が空いて、女性は言った。


「私は26です」

「そうなんですか」

「あの、名前は……?」

「えっと、佐藤です」

「私は、飯塚です」

「ああ、飯塚さん……」


 ぎこちない会話である。

 俺はまさか人間に話しかけられるとは思ってなかったので、しどろもどろになってしまった。


「えっと……」


 俺の脳はフリーズしてしまった。こういう時、何を話せばいいのかわからない。今日はいい天気ですね。とでも言えばいいのか。だが、天気の話をして何が面白いんだ。あと、仮に天気の話をしたところで、そこから話を展開させることが俺にはできない。

 と思っていたら、飯塚さんが口を開いた。


「あの、佐藤さんって、最近入院したんですか?」

「2週間前から入院しました。えっと、飯塚さんは?」

「あ、私は1ヶ月くらい前から入院してて」

「あ、そうなんですね」

「はい。あの、佐藤さん、さっき誰と喋ってたんですか? 誰かと喋ってるように見えました」

「彼女です」

「彼女?」

「はい」

「そうなんですね」


 そこで会話は終わった。

 それから、俺と飯塚さんは互いの目を見ながら、ただ黙ってるだけの気まずい時間を過ごした。


「あの、すいませんでした」

 

 そう言って、飯塚さんは俺の前から静かに去っていった。俺は上手く喋ることが全くできなかった。俺はコミュニケーション能力が絶望的に欠けている。

 俺が自分の不甲斐なさを実感しながらぼーっと虚空を眺めていたら、あいりが小さく呟いた。


「私と話す時みたいに話せばいいのに」

「それができてれば俺は引きこもりになってない」

「なんでそんなに緊張するのか分からない」

「俺だって分からないよ」


 ひきこもりは、得てしてコミュニケーション能力が無い。

 その後、俺はぼーっとテレビを眺めていた。

 そうしているうちに、俺の前に、白衣を着た大川先生が現れた。


「佐藤さん、ちょっと向こうでお話ししましょうか」

「あ、はい」


 俺は先生の後ろをついていく。先生は【診察室】と書かれた扉を開いた。俺とあいりは診察室に入った。そして椅子に座った。先生と、俺とあいりで対面する形だ。先生の前にはノートパソコンが置かれている。


「佐藤さんの精神状態が安定していると判断したので、今日から閉鎖から開放に移動になりました。佐藤さん、今の気分や体調の方はどうですか?」

「すごく死にたいです」


 俺が本心でそう言うと、横にいたあいりが「そんなこと言ったら入院期間伸びるんじゃないの?」と呟いた。


「すごく死にたいですか。ずっと死にたい気分が続いてる?」

「はい。ずっと死にたいです」

「佐藤さんが死にたいと強く感じるようになったのは人生のいつ頃?」


 と聞かれたので、俺は自分の人生を回顧した。初めて俺が強く死を願ったのは高校時代のことだった。高校時代、野球部で先輩や同級生にいじめられ、部活をやめ、学校には友達が1人もいなかった。そして不登校になった。あの時期、初めて俺は強く死にたいと思った。自殺の方法をネットで調べた。


「高校生の頃です。その時からずっと死にたいと思ってます」

「そうか。佐藤さんは、20歳の時に仕事を辞めて、そこから3年間以上引きこもってるそうだね。家に引きこもって1人で過ごしている時、その死にたい気分は、ずっと1人で抱えてたのかな?」

「はい」

「そうか。それはとても辛かったでしょう。絶望的な気分を1人で抱えているのはとても辛いことだと思います」

「はい」


 俺が適当に答えていると、あいりが「優雅には私がいたじゃん」と言った。


「佐藤さんが死にたいと思う最大の理由は何だと思う?」


 なんで俺は死にたいのか。そんなの、わかりきっている。孤独だの、絶望だの、そんなもんじゃない。なんかもっとこう、クソでかいもの。そういうものに俺は押し潰されてしまった。そして俺は社会や世界に敗北した。


「孤独とか絶望が積もり積もって、何か大きなものになって、それに俺は潰されて、自殺未遂したんだと思います」


 言うと、大川先生はノートパソコンをカタカタして、何かを打ち込み始めた。

 そして俺にこんな質問をしてきた。


「佐藤さん、あなたの人生を小説にしてみたらどうですか? 佐藤さんは、普通の人がしない体験をしているし、普通の人が考えないことばかり考えている。それを一つの小説にすれば面白いんじゃないかな」

「小説なんて一回も書いたことないです」

「誰だって最初はそうだよ。家に引きこもって生活するにしても、何か趣味があるのと無いのでは全然違う。私は、あなたの人生をそのまま小説にしてみるべきだと思う。きっと面白い小説が出来上がる」

「俺の人生を小説にしたって、そんなの全然面白くないですよ。空っぽの小説ですよ。絶対つまらない」


 そう言うと、先生は首を横に振った。


「いや、きっと面白い小説になる。今、佐藤さんが抱えている死にたさや絶望感や厭世観や無常感を創作に昇華することができたら、もしかしたら佐藤さんは令和の太宰治になれるかもしれません。佐藤さんは、酒やドラッグに依存しているでしょう。そういう破滅的なところも太宰治に似ている」


 大川先生がそう言うと、あいりは「太宰治だって。すごいじゃん。小説書きなよ」と言った。


「でも俺は太宰治と違って女にモテません。なので俺は太宰治にはなれないと思います」

「女にモテない事は問題ないでしょう」


 先生は俺に小説を書けと言うが、俺は小説なんて全く書く気が無かった。書くのがめんどくさい。


「俺に文学的な才能は全く無いと思います」

「もしかしたらあるかもしれませんよ。小説を書くことを考えてみてください。佐藤さんからは、他の患者さんには感じないオーラを感じます。だから、何か創作活動をするべきです。それが生きる目的になるかもしれない」

「……考えてみます」


 俺は大川先生の圧に押されてそう答えたが、小説など全く書く気が無かった。ただの文字の羅列に何の価値があるのだろうか。おそらく何の価値も無い。人間1人1人は、宇宙のチンカスに過ぎない。そもそも俺には創作をするほどのエネルギーがない。


 ◆


 大川先生との話が終わり、部屋に戻って、ベッドに横になって、テレビを眺めていた。相変わらずテレビはワイドショーが流れている。テレビに映る人間たちは笑っていた。俺はそれを死んだ顔で見ている。彼らは俺とは別の世界に住む人間に見えた。


「あいり」


 と、なんとなく呼ぶ。


「なに」


 と、あいりが言う。あいりは部屋の中をふらふら歩いている。

 俺はふいに窓の外を見る。窓の外には、チューリップの花がたくさん咲いていて綺麗だった。俺は今すぐこの窓をブチ破って、脱走したい気分だった。しかし、そんなことをすれば、余計に入院期間が長くなるだけだろう。俺はただ退院の時を待つしかない。そもそも、退院したところで、何もやりたいことなんて無いが。強いて言えば、酒を飲んでタバコを吸いたい。

 俺はここに居たくもないが、行く当ても無い。つくづく、自殺の失敗が悔やまれる。

 なんで俺は死ねなかったんだろう。

 

「あいり」

「なに」

「なんでもない」

「うん」


 俺は宇宙のチンカスに過ぎないが、退院したいと願っている。


「あいり」

「なに」

「退院したらどこか綺麗なところに行こう。なんか、景色が綺麗なところに行こう。それかもう一回、自殺してみよう」

「うん」






 〜次回に続く〜

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