8話 137号室

 退院後、俺と母と父は、田中さんの家まで、謝罪をしに行った。要約すると「うちのバカ息子があなたの娘さんを自殺に巻き込んでしまい申し訳ない」という旨の言葉を父が言った。俺も深く頭を下げた。田中さんのお母さんは、「こちらこそ申し訳ありませんでした」と言った。一見優しそうな人に見えたが、裏では田中さんに対して『お前なんて死ねばよかったのに』なんて言っている。


 ◆


 退院後に初めて訪れたいつもの精神科の診察室には、主治医と俺とあいりと母がいた。

 主治医は俺の目を見ながら言った。

 

「X病院さんの方から、佐藤さんの自殺未遂の経緯やカルテなどは全部こちらの方に来ています。佐藤さんの親御さんがおっしゃっているように、佐藤さんはしばらくここに入院して休息するべきだと思う。佐藤さんの精神状態がとても心配です。安全な状態になったとこちらで判断するまでは、閉鎖病棟に入院してもらう形になるけど、それでもいいかな」

「はい。大丈夫です」


 俺は感情を全く込めずに答えた。

 そうして、俺の閉鎖病棟への入院が決まった。

 その後、俺と母は数人の男性看護師に連れられて、【第一病棟】と書かれている扉の前まで来た。【第一病棟】の鍵を看護師が開けると、俺と母はその中に連れていかれた。実は、ここに入院するのは初めてではない。以前、鬱がひどくなった時にも入院したことがある。だから、閉鎖病棟での入院生活の勝手は分かっている。

 俺と母はそのまま第一病棟の診察室へと連れていかれた。あいりはその後ろをついてきた。

 診察室に入ると、若いメガネの男の先生がいた。


「初めまして。佐藤さんの担当医になりました、大川です。よろしくお願いします」

「お願いします」

「お願いします」

「お願いします」


 俺とあいりと母が同時にお願いしますと言った。今からこの男が俺の主治医になるのだ。

 大川先生は俺の目を見ながら言った。


「今から約1週間くらい前、佐藤さんはインターネットで知り合った女性と一緒に練炭自殺を図って、そのあと、X病院の方に搬送されて、入院してたんですね。後遺症は左目の失明、左手の麻痺、後頭部の痛み」

「はい」

「佐藤さんが自殺をしようと思った理由はなんですか?」

「言葉で表現するのは難しいんですが、自閉症という発達障害を生まれつき持っていて、小さい頃からずっと生きにくさや絶望感を抱えていました。それが大人になるにつれて、どんどん増していった感じです。社会で生きていくことをとても困難に感じました」

「なるほど。じゃあずっと死にたかったわけですね。過去にも自殺未遂の経験はありますか?」

「はい。首を吊ったことがあります。その時も失敗しました」

「今でも、死にたいな、という気持ちはある?」

「あります。でも今は、全てがどうでもよく感じます」

「佐藤さん、あなたにとって【死】はとても身近にあるものかもしれない。【死】に依存することによって救われるのかもしれない。だけど、それは健康じゃないんです。佐藤さん、あなたがね、いつかまた【死】に飲み込まれて、今回のような自殺未遂を繰り返してしまうかもしれない。未遂じゃなくて、ほんとに死んでしまうかもしれない。私はそれがとても怖い。だからあなたはここにしばらく入院して、【死】を自分の身から遠ざける必要があります。佐藤さんは今まで生きてきてとても辛かったと思う。だけども、きっとどこかに楽に生きられる道があると思う。それを私と一緒に探していきましょう。それが今回の入院の目的です」

「はい」


 この大川という男は、なんか無駄に熱心な先生だなというのが第一印象だった。目の力が強い。


「佐藤さん、あなたにとって生きるということはとても辛いことかもしれないし、ここでの入院生活もとても退屈なものになると思う。でも私たちの仕事というのは、あなたのような方を、少しでも、生きようという方向に向かわせることなんです」


 とてもじゃないが、生きたいなんて思えない。死にたいとしか思えない。


「今回の入院期間はおよそ3ヶ月を考えています。もちろん、佐藤さんの状態によっては、期間が伸びることもあります」


 3ヶ月か。とても長いな。でも、あいりがいれば大丈夫だ。なんとかなる。


「私がいるから全然暇じゃないよ」とあいりが笑って言った。頼もしかった。


 その後も、しばらく、大川先生の診察は続いた。時折、母にも質問していた。普段の俺の生活のことや、俺の性格や、小さい頃の俺のことについて、聞いていた。

 やがて診察は終わり、大川先生は診察室から出ていった。すると、入れ替わる形で、女性の職員が入ってきて、具体的な入院の説明を始めた。

 女性職員は俺と母に書類を見せてきた。

 そして入院生活の中で必要になる物、入院生活での決まり、そういったことを説明された。

 それと【入院することに同意します】みたいなサインも書かされた。

 その後、入院費用の話に移行していった。3ヶ月も入院したら、きっと何十万もかかるはずだ。

 その女性職員の話も全て終わると、入れ替わる形で男性看護師が2人入ってきて、俺の体温と血圧と体重を測った。その際、「携帯電話の持ち込みは第一病棟では禁止されていますので……」と言われたので、俺はポケットの中のスマホを母親に預けた。

 母親はやがて片方の看護師に連れていかれ、第一病棟を出ていった。

 そしてこれから入院生活がスタートする俺は、もう片方の看護師に連れていかれ、CTだの何だの、様々な検査を病院内で行った。その後、俺は正式に閉鎖病棟にブチ込まれた。

 俺の部屋は【137号室】であった。


 ◆


 137号室は、ドアが二枚あり、二重にロックされており、患者のいる内側からは必ず開けられないようになっている。看護師が外から鍵を開けない限り、決して外には出られない。

 広さにして6畳程度だろうか。

 137号室の中には、布団と枕と水のボトルしか存在しない。トイレはドアが無く、常に開放されている。

 窓は曇りガラスになっていて、外の景色を窺い知ることはできない。ガラス自体も分厚く、更に二重になっている。絶対に脱走できないようになっている。

 時計はドアの外側から貼り付けられている。電波時計である。ちなみに現在の時刻は10時25分17秒だ。


「退屈な部屋だね。本当に何も無いじゃん」

「閉鎖病棟だからね。刑務所みたいなもんだ」

「私、こんな何も無い部屋にずっといるのやだ!」

「俺もやだよ」

「こんな部屋、人間が住む部屋じゃない!」

「じゃあ俺はもう人間じゃないのかもしれない。ここは頭のおかしい社会不適合者をとりあえずブチ込んどく部屋だから」


 俺は既に『人間らしくあろう』なんて気持ちは全く無い。練炭自殺に失敗し、左目を失明した時点で、俺はもう自分のことを人間だと思えなくなっていた。既に俺は死人も同然なのだ。そんな気分で生きている。


「優雅、私もう退院したいんだけど。こんな独房みたいな部屋やだ」

「今入院生活がスタートしたばかりだよ」


 俺は笑いながら言った。

 3ヶ月に及ぶ地獄は今からスタートするのだ。


「退院するまでずっとこの部屋って事は無いよね?」

「それは無いよ。1週間か2週間おとなしくしてれば開放病棟に移れると思う。開放病棟ならテレビもあるし、この部屋よりは退屈しないと思う」

「開放病棟に行ってもスマホは使えないの?」

「使えないよ。スマホが使える病棟もあるんだけど、スマホが使える病棟に行くには、たぶん最低でも1ヶ月は掛かると思う」

「じゃあ田中さんとしばらくずっと連絡取れないじゃん」

「そうだね。まあ、こればかりは仕方ない」


 それから俺とあいりは、だらだら喋っていた。

 しばらくずっとだらだら喋っていたら、そのうち時刻は11時30分くらいになった。

 その時、俺の部屋の鍵が開けられて、分厚いドアが開かれた。


「佐藤さん、そろそろお昼ご飯になりますので、ホールの方まで来てください」

「あ、はい」


 俺は返事をして、あいりと一緒に137号室を出た。看護師が俺を先導する。

 閉鎖病棟に入院している患者も、お昼だけは食堂のような場所に移動し、患者全員で食べるルールになっている。

 四角いテーブルと椅子が何個もある。

 俺は1番奥にある誰も座ってないテーブルに向かって、椅子に座った。俺の横にあった椅子を引き、あいりを座らせてあげた。

 周りの患者たちに目をやると、俺と同じような負のオーラを纏った患者が結構いた。若い患者もいれば、年寄りもいる。男女比は4対6くらいで男の方が少なかった。俺と同世代くらいの男の姿もちらほらあったが、一様に姿や雰囲気が俺に酷似していた。冴えない風貌をした無気力そうな若い男。俺は彼らの姿を見て勝手に親近感を覚えた。

 過去、初めて精神病院に入院する前は、精神病院は常に奇声を発しているような人しかいないんだろうなという勝手なイメージを持っていたが、実際に入院してみると普通の人ばかりだったのでびっくりした。もちろんたまにぶっ飛んでる患者はいるが、常軌を逸した患者はほとんどいない。

 俺がホールの隅っこの方に座って黙っていると、女性患者達の喋り声と笑い声が聞こえてきて、うるさかった。

 過去、俺が精神病院に入院してみて思ったのは、男の患者よりも女の患者の方が群れるということだ。女の患者同士で集まって喋っている姿は見かけても、その逆は全く見たことがない。男の患者は俺のように他者との交流を好まないタイプが多いのだろうか。

 この日の昼食はカレーだった。

 一人一人名前が呼ばれ、看護師からお盆を受け取って、自分の場所に戻って、食う。

 俺はカレーを食い始めた。

 

「いいな、カレー。私も食べたい」


 と、あいりが言う。


「あいりも入院すれば食えるよ」


 と俺が言うと、


「私は別に頭おかしくないもん」


 と言ったので、


「俺だって別に頭おかしくないよ」


 と言うと、


「いや、優雅は頭おかしいよ。頭おかしくなかったら練炭自殺なんてしないもん」


 と言ったので、


「頭おかしくなくても練炭自殺くらいするよ。この世の中、自殺しない方が人としておかしい。自殺しない奴はどうかしてる」


 と言ったら、俺の近くにいた女性患者がチラッと不審そうに俺の顔を見てきた。もしかしたら俺は頭がおかしいのかもしれないと思った。


 ◆


 食事を終えた俺は、再び137号室に閉じ込められた。

 何もないこの部屋では、何もやることがない。やることが無くなると必然的に考え出してしまうのは、「生きている意味」だの「人生とは何か」だの、そういうくだらない事である。そういったことを、足りない頭で考える。


「あいり、俺は何のために生まれたんだろう」

「そんなの私が知るわけないじゃん」

「そうだよね」


 俺は暗鬱な気分だった。俺は自殺に失敗し、精神病院に入院するために生まれたのだ。

 俺が生まれたことには何の意味も無く、何の理由も無い。ただただ苦しむためだけに生まれてきたのだ。

 今この地点が、俺の人生における総決算だ。

 俺はとんでもない負け犬人生を歩んでいる。


「あいり、俺はもう死にたい」

「私も優雅と死にたい」


 俺は絶望することに飽きていた。







 〜次回に続く〜

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