6話 決行

 或る真夜中、俺は高校時代の夢を見た。

 高校生の頃、俺は1年生の途中まで野球部だった。その時の野球部の先輩に何度も「死ね」と言われる夢だった。それは過去の俺が実際に体験した事だった。夢という形でフラッシュバックしたのだ。

 

「……」


 枕元のスマホを見ると、時刻は真夜中の3時だ。

 嫌な夢を見た。引きこもりになってから、学生時代の嫌な夢を見ることが本当に多くなった。これは引きこもりあるあるだと思う。記憶や思い出が更新されないから、過去の夢ばかりを見るのだ。

 俺が布団から上体を起こしてぼーっとしていると、俺の横で寝ていたあいりが寝ぼけた声で「ん、どうしたの?」と言った。


「高校時代の嫌な夢を見た。俺のことをいじめてくる先輩が、俺に何度も何度も『死ね』って言ってくる夢。なんで23歳にもなって高校1年の頃の記憶に苦しめられるんだろう……」


 俺が言うと、あいりは寝ぼけたまま、「可哀想に。でも私がいるから平気」と言った。

 でも、あいりもたまに悪夢を見て、泣いていることがある。「怖い夢を見た」と言って、泣きながら目覚めるのだ。この前は、「優雅が私の首を絞めて殺そうとしてきた」と言って泣いていた。

 俺は布団の中に再び潜って、眠りにつこうとしたが、完全に目が冴えてしまって、なかなか眠れそうになかった。俺の横からはあいりの寝息が聞こえてくる。

 そんな時だった。俺のスマホが振動した。


『こんな時間にすいません。起きてますか?』


 田中さんからのラインだった。


『起きてるけど、どうしたんですか』

『今から佐藤さんにグロい写真送ってもいいですか?』

『いいですよ』


 数分後、送られてきたのは、血まみれの腕の写真と、血まみれの床の写真だった。


『これって今撮ったやつ?』

『そうです。私、たまにこうやって腕を切りまくる癖があるんです。だからTシャツが着れなくて、体育祭の時もみんなクラスTシャツなのに私1人だけずっとジャージ着てました』


 この血まみれの写真を俺に送ることで、一体田中さんはどういう反応を俺に求めているんだろうか。俺はなんて答えたらいいのかわからなかった。なんて返信しようか迷っていたら、田中さんから連続でラインが来た。


『私、学校っていう概念が嫌いなんです。無理矢理団体行動を押し付けられるし。文化祭とかも嫌いでした。みんなで団結しようっていうノリが気持ち悪くて。あと女子特有の同調圧も苦手です。なんでみんなに合わせなきゃいけないんだろう。学校は本当に嫌いです』

『そうなんですね。俺も高校嫌いだったなあ。高校はサボりまくってた。文化祭もサボったし。卒業はしたけど不登校だった』

『なんか寂しくなってきました。今から私と2人で会えませんか?』


 今から?

 今、深夜の3時だ。とても人と会うような時間じゃない。しかも、今、あいりは寝ている。あいりは俺に「絶対に2人で会わないで」と言った。その約束を破るわけにはいかない。


『ごめん。今からはちょっと無理』

『そうですか……。わかりました。ごめんなさい』


 それからしばらくすると、田中さんから再びラインが来た。


『寂しいのでスト●ングゼロを飲みまくって孤独を誤魔化します』

『田中さんって高校生なのにもう飲酒してるんだ。俺も高校の時から飲み始めたけど』

『私は酒が無いと生きていけません』

『俺も今から酒飲む。一緒に飲もう』

『飲みましょう』


 俺は階段を降りて一階に向かって、冷蔵庫から缶チューハイを2本取り出して、自分の部屋に戻った。

 すると、あいりがベッドから上体を起こして、こっちを見ていた。


「ねえ優雅。田中さんとラインするのはいいけど、そのラインの内容は全部私に見せて。私、優雅がもしかしたら浮気するんじゃないかって心配で眠れない」

「わかった。全部見せるよ」


 俺は田中さんとのラインの内容を全部見せた。すると、あいりは安心したようだった。

 俺は椅子に座り、ノートパソコンを立ち上げ、いつものように酒を飲みながら匿名掲示板の巡回を始めた。気になったものがあったら、それに対してレスした。

 その後、俺は自殺に関する掲示板を開いた。

 その掲示板の中に俺は遺書のような文を書くことにした。


『近いうちに複数人で練炭自殺することになりました。このスレの皆さん今までありがとうございました。23年間生きてきましたが、もう疲れました』


 すると、数分後に、俺に対してレスがあった。


『あなたの自殺が成功することを祈ってます』


 ◆


 あいりと一緒に喋りながら缶チューハイを飲んでいたら、やがて田中さんから再びラインが来た。


『練炭自殺に使う道具とかは、全部佐藤さんが揃えてくれたんですか?』

『うん。睡眠薬は田中さんが用意してくれるって言ったから、それ以外は全部俺が用意した。練炭コンロ、マッチ練炭、酒、頭痛薬、手袋、ターボライター、ゼリー状着火剤、ガムテープ、レンガあたり』

『ほんとにありがとうございます。睡眠薬は多分300錠くらいあります。いつか使う時が来るかなと思って、処方されたやつをずっと使わずに取っておいたんです。あと、日にちはどうしますか? 私はいつでも大丈夫です』

『じゃあ今週の土曜日とかどうだろう?』

『わかりました。時間や場所はどうしますか?』

『この前と同じでいいと思う。Y駅に昼の12時くらいに来てもらったら、俺が田中さんを車で拾うので、X村の適当な山の中で決行しましょう』

『わかりました。じゃあ12時に待ってます』

『あと、腕の傷は大丈夫?』

『痛いけど慣れてるから大丈夫です。心配してくれてありがとうございます』


 今日が水曜日だから、3日後に俺たちは自殺を決行することになる。人生に未練は無い。元々俺は、20歳になるまでに自殺しようと思っていた。十代の頃は、毎日20歳になるまでに死のうと思っていた。人生なんてハナからどうでもよかったのだ。結局23歳になっても生き延びてしまったが、俺は3日後に死ぬのだ。自殺は早ければ早いほどいい。どうせこれから生きてたってつらいことばかりで、生きているより死んでいる方がマシなのだ。大人になればなるほど生きるのは辛くなる。

 今まで生きていて、幸せを感じたことがあっただろうか。俺は、無いような気がする。でも、あいりと過ごしたこの半年間は、幸せだった。だけどそれももう終わりだ。


「優雅、私は死ぬ覚悟ができてるけど、優雅は死ぬ覚悟できてる?」

「できてるよ。ていうか本当にあいりは俺と一緒に死ぬつもりなの?」

「私は優雅が生きるなら生きるし、優雅が死ぬなら死ぬ。私はそういう生き方しか出来ない」

「そっか」


 やがて俺は缶チューハイを一気飲みして、2缶をすぐに空にしてしまった。

 そして、なんとなく、部屋のカーテンを開けて、窓を開けて、ベランダに出た。外に出ると冷たい風が頬を撫でた。誰もが寝静まる深夜。家々の明かりは全て消えているが、遠くには店の光や信号機の光や大型トラックの走る光が見える。俺の頭上には月が浮いている。俺は昼より夜の方が落ち着く。夜を所有しているような感覚になれるからだ。

 寒かったのですぐに部屋に戻った。そして俺は椅子に座って、タバコを吸い始めた。

 頭の中は空っぽだった。

 喜びも楽しさも無い代わりに、痛みや悲しみも無かった。

 深夜3時過ぎという時間帯は、俺を感傷的にはさせなかった。ただただ、全てがどうでもよかった。この世界のことも、俺のことも、どうでもよかった。

 酒が終わってしまったから、俺は一階に降りて、冷蔵庫を開けて、再び2缶、缶チューハイを取り出して、部屋に戻った。

 そしてまた、あいりと一緒に喋りながら、しばらく酒を飲んでいた。そうしているうちに、朝が来てしまった。こんな馬鹿みたいな生活を俺は飽きずに延々と繰り返している。


 ◆


 遂に決行日の土曜が来た。俺は珍しく緊張していた。練炭自殺を確実に成功させるために、俺はこの2日間、全く睡眠を取っていない。だからとても眠い。練炭自殺を成功させるには、絶対に車内で深く眠る必要がある。

 朝の9時頃にシャワーを浴びた。俺はそれからだらだらして、10時半頃に車で家を出た。荷物の忘れ物は無い。昨日、何度も何度も確認した。

 助手席にはあいりが乗っている。あいりもこの2日間睡眠を取っていないから、とても眠そうだ。俺は眠い目を擦りながらハンドルを握る。

 ちょうど12時くらいに、Y駅に到着した。

 俺は車から降りて、駅前に居るであろう田中さんを探した。ちょっと探したらすぐに田中さんは見つかった。


「あ、佐藤さん。こんにちは」


 と言って、田中さんは俺に小さく手を振った。俺も小さく手を振り返した。服装は前と同じ、高校の制服だった。俺も前と同じ黒のスウェットを着ていた。

 助手席にはあいりが乗っているから、田中さんは後部座席に座ってもらった。後部座席から田中さんが俺に声をかけてくる。


「今日、すごい晴れてますね。晴れててよかったです。私、練炭自殺の方法について少し調べたんですけど、最初の2時間くらいは外で練炭コンロを放置して煙を完全に出し切る必要があるんですよね。だから、晴れててよかった」

「そうですね。晴れててよかったです。あとは、ちゃんと成功できるかどうか。一応詳しい手順は調べたけど、俺も田中さんもやるのは初めてだし、正直、成功する自信がありません」

「誰でもそうだと思いますよ。普通なら自殺なんて経験しないんですから。正直私も、今日死ぬんだって実感があまり無いんです」

「俺も無いです。なんか非現実的っていうか、ふわふわしてます」

「ですよね」

「あと、申し訳ないんですけど、俺はX村までの行き方が分からないので、途中から田中さんのスマホでナビしてもらってもいいですか?」

「あ、はい、いいですよ」

「ありがとうございます」


 そこで会話は途切れた。

 俺はぼーっと運転し始めた。

 運転を開始してから30分くらいが経った頃、それまで無言だったあいりが突然こう言った。


「あいり、おしっこ行きたい」


 俺はあいりの発言に若干驚いた。普段は自分のことを私と呼んでいるのに、今は何故かあいりと呼んでいたからだ。


「おしっこ行きたいの?」


 と俺があいりに聞くと、田中さんが「え?」と言った。


「優雅、どこかコンビニ寄って。おしっこ行きたい」

「わかった。じゃあコンビニ寄るよ」

「え、佐藤さん、いきなりどうしたんですか?」


 田中さんは困惑している。田中さんからは俺がいきなり脈絡も無いことを喋り始めたように見えたのだろう。

 やがて、あいりが言った。


「色々めんどくさいから、私のこと田中さんに喋ってもいいよ。あと、ちゃんと彼女だって紹介してね」

「わかった」


 俺は田中さんに全て説明することにした。


「今、助手席に俺の彼女が乗ってる。あいりっていうんだけど、あいりがトイレに行きたいって言ってるから、どこか適当なコンビニに寄ってもいいかな」

「助手席、誰もいないですけど」

「いや、いるんだよ。田中さんには見えないだろうけど、俺の彼女が乗ってる。今日は田中さんとあいりと俺の3人で自殺する」

「あいりちゃん、かわいい名前ですね」


 田中さんは、ぽつんとつぶやいた。

 するとあいりは「ありがとう」と言った。


「でも私の方が田中さんより年上なんだから、あいりちゃんじゃなくてあいりさんって呼んだ方がいいよ。そんなんじゃ社会に出てやっていけないよ。社会は学校ほど甘くないからね。そのままだと死ぬよ」


 あいりは幼く見えるが、俺と同じ23歳である。あいりは職務経験が無い。

 やがて俺は適当なコンビニを見つけたので、コンビニに車を停めた。そしてあいりと一緒に車を降りた。

 俺も便所で用を足した。やがて、あいりのトイレが済んだので、俺とあいりは車に戻った。

 そしてまたX村に向かって車を走らせる。

 これから死ぬということもあり、車内の3人の口数はとても少なかった。ほんの時折、話す程度だ。

 1時間くらい運転すると、俺の知らない道に入ったので、田中さんのスマホでナビしてもらった。

 そこから更に1時間以上すると、X村に辿り着いた。

 以前小林が言っていたように、そこは山や田んぼしかない限界集落だった。人影は無い。コンビニすらどこにも無い。ここなら、誰にも見つからずに練炭自殺できそうだ。X村についた時刻は15時前だった。


「やっと着いたね」と俺は言った。

「はい」と田中さんが言った。

「疲れた」とあいりが言った。


 俺は確実に人に発見されないであろう場所を探す。やがて俺は狭い山道を発見したので、ゆっくりと進んでいった。山の中をどんどん進んでいく。視界はどんどん悪くなり、暗くなっていく。人や人家の気配は全く無い。巨大な熊が出てきそうな気配はする。そのまま20分くらい進んでいくと、やがて少しだけ道が広くなったので、俺は道の端に車を停めた。


「この辺りでいいかな。ここまで来れば誰も来ないと思う」

「そうですね。私もこの辺りで良いと思います」


 ◆


 俺と田中さんとあいりは早速練炭自殺の準備を始めた。まず、車の外に出て、練炭コンロにマッチ練炭をセットし、着火する。着火に少し手間取ったが、無事に着火することができた。すると煙が出始めた。

 それから約2時間放置したら、練炭コンロを車の中に移し、俺と田中さんは車の中の空気を逃さないように目張りし始めた。

 密閉した空間に一酸化炭素が増え始める。俺は少しだけ頭が痛くなってきた。

 いよいよ死ぬ準備は整った。

 あとは睡眠薬や酒を飲んで、眠ってしまうだけだ。

 俺は田中さんから大量の睡眠薬を受け取り、それを缶チューハイで流し込んだ。田中さんも同じように睡眠薬を飲んでいた。

 今、俺の気分は、不気味なほど穏やかだった。恐怖や不安が、何故か全くなかった。感慨や感傷に耽るでもなく、ただ俺は穏やかな心境だった。

 運転席に俺、助手席にあいり、後部座席に田中さんがいる。睡眠薬をたくさん飲んだ俺は静かに目を閉じた。2日間寝ていないから、すぐ眠れそうだ。

 すると、後ろの田中さんが、こう言った。


「私、1人で死ぬのは怖かったから、今回こうやって佐藤さんとあいりちゃんと集団で死ねてよかったです。ありがとうございました。おやすみなさい」

「こちらこそ。俺も過去に首吊りで自殺未遂したことがあるんですけど、それ以降、1人で死ぬのは怖くなってしまったので、田中さんやあいりと死ねてよかった」


 しばらくすると、横からあいりが小さい声でつぶやいた。


「私、優雅の彼女でよかった。生まれ変わってもまた優雅の彼女になりたい」

「うん」


 あいりの声は優しかった。

 俺がいつも隣で聞いてきた声だ。

 その声を聞いたら、俺は大きな安心感に包まれた。

 そして、すぐに眠くなってきて、俺の意識は消えてしまった。






 〜次回に続く〜

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