4話 オフ会

 それから約2週間後、俺は再びあいりと精神病院に向かっていた。今日は診察の日だ。俺はあいりと一緒に診察室に入った。俺は先生に頭を下げて挨拶した。


「こんにちは。お願いします」

「こんにちは。掛けてください」


 そう言われて、俺は椅子に座った。すると主治医はいつものように話し始めた。


「どうですか? 気分の方は」

「そうですね。あまり変わりないです」

「じゃあまだ死にたい気持ちは強いんだ」

「はい」

「どう? お酒はやめられてる?」

「……」


 そこで俺は言い淀んだ。やっぱり正直に言った方がいいんだろうか。俺が黙っていると、横からあいりが小さい声で言った。


「思いきって正直に言った方がいいよ」


 それを受けて、俺は、正直に話すことにした。


「すいません。本当は毎日すごく飲んでます」


 そう言っても、先生は表情を全く変えなかった。まるで俺が酒を飲んでいたことを最初から知っていたかのようだった。


「そうかそうか。やっぱりどうしてもお酒に頼らないと、心が苦しいかい?」

「はい。シラフだとどうしても辛くなってきてしまって、それを誤魔化すためにどんどんお酒を飲んでしまいます」

「うーん、そうか。でもやっぱり鬱の治療をする上では、お酒は良くないからね。どうしてもやめることができないようだったら、アルコール依存症や薬物依存症を専門に診ている病院を紹介することもできるよ。うちの病院と提携してる病院でね。X病院っていうんだけど。どう? その病院に行ってみますか?」

「できれば行きたくないです」

「でもアルコール依存症っていうのは、自分の意思でどうにかなるものじゃなくて、一つの立派な病気だからね。もしこのまま飲酒が続くようであれば、X病院に行くべきかもしれない」


 俺は内心、主治医に舌打ちしていた。そんな病院に行ったところで何になるんだろう。心が辛いから酒を飲んで満たすのに、そのX病院とやらに行ったって何の意味もないだろう。俺の心の中が救われない限り、俺は酒を飲むのを辞められないだろう。


「出来る限り自分でお酒を辞められるように努力しようと思います」

「そうですね。私もそれがいいと思いますよ。どうしても無理そうだったら、X病院を紹介しますよ」


 やがて、話題はあいりのことに移った。


「彼女さんとも変わりないですか?」

「変わりないです。でも、この前母親に『優雅は精神科に入院した方がいいんじゃないか』って言われました。俺が一人で誰かと喋ってるのは病気だから、精神科に入院した方がいいって」

「佐藤さんは入院したいと思いますか?」

「いえ、入院したくないです」

「彼女さんの意見も聞いてもいいですか?」


 するとあいりは言った。


「私も入院してほしくありません。入院する意味が無いと思う」

「入院してほしくないって言ってます」

「そうですか。私も佐藤さんが入院する必要は今のところ無いと思いますよ。アルコール依存と並行して考えていきましょう」


 そこで今日の診察は終わった。


 ◆


 家に帰ると母親に「先生なんか言ってた?」と聞いてきたので「今のところ入院する必要はないって」と言った。そしたら「そう」と言った。

 冷蔵庫から缶チューハイを一本取り出し、俺は自分の部屋に戻った。そしてなんとなくノートパソコンを開いて、メールボックスを開いた。すると、この前の自殺オフ会男から、2日前にメールが来ていた。


『こんにちは。詳細な情報が決まったので、連絡します。参加者は私を含めて3人になりました。私と、あなたと、群馬県の女子高生の3人です。あなたと女子高生が群馬県在住ということもあるので、場所は群馬県にしようと思います。自殺の現場が確実に人に発見されないよう、Xという小さな村の山の中にしようと思います。時期は、今月の下旬を考えていますが、3人全員の都合が合う日にしましょう。当日は、昼の12時頃、Y駅前に来てください。私が2人を車で迎えに行きます。このメールを見ましたら、都合の合う日にちを教えていただけると嬉しいです』


 俺は返信を書いて送信した。


『メールを読むのが遅くなってしまい、申し訳ありません。私は何日でも大丈夫です。あと、当日、私は黒のスウェットを着て行きます』


 すると、横から見ていたあいりがぽつんと呟いた。


「ねえ優雅、ほんとに参加するつもりなの? もう私は無理に止めたりしないし、自殺することが幸せなんだとしたら、それが1番いいんだろうけど、本当にそれでいいの?」

「俺は参加するつもりでいるよ。1人で自殺するのは怖いけど、3人で自殺するなら怖くない」

「そう……」

「今日が5月の16日だっけ。じゃあもうすぐ俺は自殺することになるんだな」

「ほんとにこれでいいのかなあ」


 あいりは釈然としない様子だった。

 それから1時間後くらいに、男からの返信が来た。


『わかりました。じゃあ5月25日にしましょう。25日の12時に、Y駅前で待っていてください。もう1人の参加者の方は、高校の制服を着て待っているそうです。なので、それらしい人がいたら、その人と待っていてください。あなたが黒のスウェットを着て行くことは、私の方からその方に伝えておきます』


 5月25日に俺は死ぬ。今から9日後に俺は死ぬのだ。あまり現実感が湧いてこないから、まだ自分が死ぬんだという気があまりしない。


「もう1人の参加者は女子高生なんだね。男2人と女2人でダブルデートじゃん」

「え、あいりも参加するの!?」

「当たり前じゃん。優雅が参加するなら私も参加するよ」

「あいりは別に参加しなくてもいいのに」

「そういうわけにも行かないでしょ。優雅の彼女なんだから」


 俺は複雑な気持ちになった。あいりも死なせてしまうんだったら、俺は参加しない方がいいのかもしれない。でも、俺は死んでしまいたい。結局、答えは出なかった。


 ◆


 答えが出ないまま、自殺オフ会の当日を迎えてしまった。Y駅までは、俺の家の最寄駅から数駅過ぎた後、乗り換えをして、更に数駅過ぎた場所にある。比較的近い。

 緊張を紛らわす為に俺はウイスキーを大量に飲んで、酔っ払ってから家を出た。ふらふら歩いて駅まで向かう。平日ということもあり、人通りはあまり多くない。

 切符を買い、駅のホームの端っこに向かう。俺は駅のホームの端っこが1番好きだ。その付近にあった椅子に座ると、あいりは俺の真横の椅子に座った。


「今日で私も優雅も死ぬんだね。まあ、もしかしたら失敗するかもしれないけど」

「うん……」

「もしかしてまだ迷ってる? こんな人生は生きてても意味が無いって何回も言ってたのは優雅だよ」

「そうだけど、俺はあいりまで巻き込むつもりは無かった」

「私が勝手にそうしたいだけなんだから、別に優雅が気にすることじゃない」


 しばらくぼーっとしているうちに、電車が来たので、俺とあいりは電車に乗った。幸い、電車の中は比較的空いていた。俺は電車の人混みが苦手なので、事前に酒をたくさん飲んで酔ってきた。

 たまたまボックス席が一つ空いていたので、俺とあいりはそこに2人で座った。

 車窓を流れる景色を眺めていると、俺の頭の中には走馬灯のようなものが流れ始めた。だが、走馬灯は一瞬で終わった。人生の中での思い出があまりにも無さすぎたのだ。

 電車の中では特にあいりは話しかけてこなかったので、俺はずっと黙っていた。

 やがて、電車を乗り換えて、俺はY駅を目指した。Y駅には11時52分に到着する。

 11時52分になり、目的地であるY駅に到着した。酔っているとはいえ、これから知らない人に会うのだから、緊張してきた。だが、みんな自殺志願者で社会のゴミクズだろうから、大して緊張する必要も無いだろう。

 改札を通り抜け、駅を出る。田舎の駅なので、駅前はさほど混雑していない。俺は制服を着た女子高生の姿を探した。平日の昼間だ。普通の高校生だったら間違いなく学校に行っている。だから見つけるのは容易だろう。

 その予想通り、俺はすぐに女子高生らしき人物を発見した。駅のそばの自動販売機のすぐ横で、スマホをいじっている。そして、時折、誰かを探すかのようにキョロキョロと視線を動かしている。外見的特徴は、髪が長い、くらいだ。それ以外は普通に見えた。


「絶対あの人だよ。早く話しかけよう」

「うん」


 俺はその高校生の元へ近付いた。だが、話しかける勇気が出ない。もしこの高校生が自殺オフ会の参加者じゃなかったらどうしよう。その可能性も否めない。そう思うと、声をかける勇気が出なかった。だが、そうやって時間が過ぎていくうちに、向こうから俺に声をかけてくれた。


「あの、もしかして自殺に参加される方ですか?」

「あっ、はい、そうです……」

「服装でわかりました。私は田中っていいます」

「あっ、自分は、佐藤っていいます……」

「佐藤さんって何歳ですか?」

「あっ、えっと、23です……」


 俺は田中さんから目を逸らしながら、ボソボソと返答した。正直、かなり緊張していた。その様子を見たあいりが笑いながらバカにしたような口調で言った。


「私と喋る時と全然違うじゃん。なに年下に緊張してんの? 恥ずかしい」

「私は高校3年なんです。でも、もう色々限界で……」

「そうですか……。自分は恥ずかしいんですけど、引きこもりで、これ以上生きてもしょうがないかなって感じで」

「あ、そうなんですね」

「はい」


 そこで会話は途切れ、お互いの目を見合うだけの気まずい時間が流れた。俺は目を逸らした。

 その時だった。遠くの方から坊主頭の太った男が歩いてきた。全身に負のオーラを纏っている。もしかしてあの人が主催者だろうか。俺とあいりと田中さんは、3人でその男を見ていた。

 その男はやがて目の前で立ち止まり、俺と田中さんを一瞥してから、俯いて、小さな声でこう言った。


「あ、小林という者です。今日は来てくださってありがとうございました。あ、よろしくお願いします……」


 この暗い男が主催者に違いなかった。


「田中です」

「佐藤です」

「あいりです」


 参加者全員が自分の名前を名乗ると、何故か小林さんは田中さんの目をガン見した。


「え、なんですか?」と田中さん。

「あ、いや、別に……」と小林さん。

「なんかこの人きもいね」とあいり。


 それから少し間が空いて、小林さんは俺の目をチラッと見て、こう言った。


「佐藤さん、ちょっと来てもらっていいですか?」

「あ、はい」

「私もついてく」


 俺とあいりは、小林さんについていった。小林さんは公衆便所の中へ入っていった。公衆便所の中には誰もいなかった。

 そして小林さんは、俺に小さく耳打ちした。


「実は前々から考えてた事なんですけど、2人であの女子高生をレイプしませんか?」

「え? 何言ってるんですか」


 俺は小林さんの発言にドン引きした。こいつは何を言ってるんだ。今日この3人が集まったのは、自殺するためだ。俺の横にいるあいりも、ドン引きしたのか黙っている。

 小林さんは下卑た笑いを浮かべてこう言った。


「ふふ、どうせ俺もあなたも人生終わってるでしょう。なら死ぬ前に一発やることやってから死にましょう。田舎の山の中に行ってしまえば、バレる事もない。事が済んで邪魔になったら、最悪、首でも締めて殺せばいい」

「優雅、この人ダメだよ……」


 あいりが小さく呟く。俺もこいつはダメだと思う。

 ここで、俺の中には、一つのある考えが浮かんだ。そんな中、小林さんが俺に再び訊ねてくる。


「どうですか? 2人でレイプしましょうよ。死ぬ前の思い出に」

「いいですね。2人でレイプしましょう」


 俺はレイプの誘いを快諾した。


「え!? 嘘でしょ!」


 あいりが驚愕して叫ぶ。

 小林さんはニヤニヤしながらこう言う。

 

「これから向かうX村は限界集落の山の中です。人目なんて無いに等しい。女をレイプするためにあるような村です」

「なるほど。素晴らしい村だ」


 俺は適当に相槌を打った。

 その直後、猛ダッシュで公衆便所を出て、田中さんのところへ向かった。そして俺は小林にも確実に聞こえるレベルの大声で叫んだ。


「田中さん! 小林さんが田中さんのことレイプしようとしてます!!!」

「えっ?」

「さっき『2人で田中さんをレイプしないか』って誘われたんです。小林さんは集団自殺するつもりなんてありません。最初から田中さんをレイプするのが目的だったんです。小林さんは性欲の塊だ! この自殺オフ会は中止だ! 早く家に帰りましょう!」

 

 俺は小林の誘いに乗るフリをして、速攻で裏切った。


「それって本当ですか!?」

「本当です! 信じてください!」


 そんなやり取りをしていると、やがて小林が公衆便所から現れて、怒鳴り声を上げた。


「おいお前、ふざけんじゃねえぞ! 速攻で裏切りやがって! 人間のクズが!」


 クズはお前だろ。と思ったが、口には出さなかった。気がつくと、田中さんは俺の背後に回っていた。

 俺と小林はしばらく睨み合っていたが、そのうち小林は舌打ちをして、踵を返して去っていった。そして車に乗って、どこかに消えた。


「ありがとうございます。助かりました」

「ああ、いえ。やっぱり集団自殺って信頼できる人同士じゃないと危険ですね」

「そうですね……」

「あ、それと、田中さんの着てる制服から、高校名があいつに特定されるかもしれません。なので、充分気を付けてくださいね。危険を感じたら、警察とか弁護士に相談するのも一つだと思います」

「わかりました。気をつけます」

「それじゃあ俺は帰ります」


 そう言って田中さんに背を向けて歩き出すと、後ろから声をかけられた。


「あの、せっかくなので、ライン交換してもらってもいいですか?」

「え?」


 俺は少し驚いて振り返った。

 まあこれも何かの縁かもしれない。

 俺はポケットから滅多に使わないスマホを取り出して、家族以外に友達がいないラインを開いた。そして田中さんとラインを交換した。家族以外の唯一の友達が誕生した。引きこもりの俺が外に出たことによって、友達が1人生まれた。そして俺と田中さんは別れて、帰路についた。


 ◆


 帰りの電車も空いていた。その電車の中で、あいりが小さくつぶやいた。


「優雅がまともな倫理観を持った人で良かった。やっぱり私の男を見る目は間違ってなかった。優雅はクズだけどちゃんとするところはちゃんとしてる」

「ありがとう」

「あと、結局自殺できなかったけど、私は、これでよかったと思ってるよ。まだ優雅は自殺するべき人間じゃないよ。だってまだ本気出してないじゃん」

「本気か……」


 俺の本気ってどのくらいなんだろう。たしかにまだ俺は自分の人生の中で本気を出した経験がないかもしれない。それは自分の限界を知るのが怖いからなのか。それとも、実は既に俺は本気を出し尽くしていて、もう抜け殻なんじゃないのか。


「どうせ死ぬなら、本気出して、全部絞り切ってから死のうよ。私は、優雅はこんなもんじゃないと思うよ」

「そうかな」


 俺は半信半疑だった。電車の車窓から見える景色の全てが、俺とは無関係の世界に見えてしょうがなかった。






 〜次回に続く〜

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