第6話 そんな悲しいこと言うなよ

 何なの?

 と、言われても……。


 ゼオルトは、混乱をきたす。

 つい数秒前まで、彼の心はマイシァに対する強烈な劣情に支配されていた。


 しかし、彼女の流す涙を前にして、そんなものは霧散した。

 確か前回も、この部屋で同じようなことがあった。


 あのときは『灰髪の魔王グレイアッシュ』と呼ばれたことで抱いた殺意だったか。

 本当に感情が霧散するまでのプロセスが一緒で、半端ではない既視感を覚える。


 だが、前とは明確に違う点がある。

 マイシァの涙の意味を、ゼオルトが何一つとして理解していないことだ。


 ベッドの上、抱きしめる彼女の体が小刻みに震えている。

 怖がっているワケではない。何かに耐えている、ということでもなさそうだ。


 込み上げてくるものをどうしても抑えきれず、震えている。

 そんなような感じだと、ゼオルトは何となく思った。


「……その」


 このままにはしておけない。

 何かを言わなければならないが、何もわからない状況では言葉が出てこない。


 その間も、マイシァは腕の中でこっちを見上げながら、鼻を啜っている。

 率直にいえばその表情がこちらの胸を高鳴らせてくるが、それは表に出せない。


「ごめん、わからない」


 結局、ゼオルトは謝ることにした。それもまた前と同じだ。


「わからないの? わたし達が何なのか……ッ」

「違う、そうじゃない」


 声を乱れさせようとするマイシァへ、しかしゼオルトは首を横に振る。


「おまえが何で泣いてるのかが、わからない。察しの悪い男でごめん」

「ぁ……」


 真摯に頭を下げると、マイシァの唇から漏れる小さな声。

 ゼオルトは顔を上げて、しっかりと彼女の瞳を見据え、改めて尋ねる。


「僕は、おまえに何かしてしまったんだろ。だけど僕は自分が何をしたのかわかってない。だから、教えてくれないか。どうしておまえは泣いてるんだ?」

「魔王……」


 自分を見上げるマイシァの涙を右手で軽く拭ってやり、ゼオルトは息をつく。


「今日はさ、こっちから誘っても断られなかったし、この酒場にも来てくれたし、おまえを泣かさずに済むと思ってたんだよ、僕は。でも泣かしちゃったなぁ……」

「あ、あの……ッ」

「いいよ、何でも言ってくれ。いくらでも謝ってやるさ」


 半分、自己嫌悪に陥りつつゼオルトは若干自虐気味の笑みを浮かべる。

 すると、何故かマイシァが慌てたように声を荒げた。


「ち、違うの! そうじゃないの! あなたは別に何もしてないわ!」

「ぅえ?」


 いきなり慌てだす彼女に、ゼオルトは変な声を出してその目を点にする。

 マイシァはその頬を急に赤らめて、彼から視線を外して何やらモジモジし始める。


「あの、今日ね、あなたに誘われてから、ずっと考えてたの……」

「考えてた? 何を?」

「わたしとあなたの関係って、何なんだろう。って」


 何なんだろう。

 と、問われたら、そりゃあ勇者と魔王だ。殺し合う関係だ。宿敵だ。


「戦場だと、勇者と魔王よ。二年以上も殺し合い続けてきた仲なんだから、そんなことはわかっているの。でも、じゃあ、ここでは? この部屋では、どうなの?」


 再び、マイシァがゼオルトを見上げる。

 涙こそなくなったがその顔はものすごく恥ずかしそうで、頬を赤くして上目遣い。


 オイオイ、やめろよ、そういうの。

 こっちに考えるヒマを与えてくれよ。おまえが可愛すぎて集中できないよ。


「あ~……」


 早まる鼓動を適当に声を出してごまかしつつ、ゼオルトは視線を逸らす。

 戦場ではなく、今この場での自分と彼女との関係。


 そんなものは決まっている。

 そりゃあ、もちろん。そりゃあ――、ええと、それは……、あれ、何だろう?


 言われてみれば、今の自分と彼女の関係は何なんだ。

 夕方ギリギリまで殺し合って、でも今はこれからえっちをする、自分と彼女。


 何だ、その関係性。

 改めて考えると、意味不明すぎる。本当にワケがわからない。


「ね、不思議でしょ?」

「うむぅ……」


 クスリと小さく笑うマイシァ。

 答えに当たるものが見つけられずに、ゼオルトは唸るしかなかった。


「魔王は――」

「うん?」


 呼ばれて、ゼオルトは視線をマイシァへと戻す。

 するとそこにあったのは、自分以上にこっちを真っすぐに見つめる、大きな瞳。

 ゼオルトの心を見つけようとするまなざしで、彼女は言った。


「魔王は、わたしで気持ちよくなりたいの?」


 言われた瞬間、高鳴っていたゼオルトの心臓がピタリと止まる。

 比喩ではなく本当に、心臓が止まるのを感じた。心臓以外の一切も、止まった。


 そうして無言になった彼を見て、マイシァは臆したように唇を震わせる。

 だが、彼女の唇は震えたまま、さらに言葉を紡ぐ。


「だって、そうなんじゃないの? 魔王はわたしを可愛いって言って誘ってくれたけど、それってわたしを使って、気持ちよくなりたいからなんでしょ……?」


 また、マイシァの瞳が潤み出す。


「そうとしか思えないの。……どうしても、そんな風に考えちゃうの。あなたも、わたしをそういう風に扱うんだって、どうやっても考えちゃって、だから」


 だがそこで、問答無用。

 ゼオルトは顔を近づけて、そのまま言いかけているマイシァの唇を奪った。


「むッ!?」


 腕の中、マイシァの体が驚きに激しく強張る。

 そして彼女はゼオルトの胸板をその手でバシバシ叩くが、痛くも何ともない。


「ん、んぅ……」


 ゼオルトは、唇を重ねたまま、ゆっくりと優しく彼女の髪を手で撫でていく。


「ぅ、ん……、ん――」


 唇を押しつけて数秒。徐々にマイシァの抵抗が弱まっていった。


「……ッ、は」


 彼女が大人しくなったところで、ゼオルトは唇を離して間近にマイシァを見る。


「ど、どうして……?」


 マイシァが、驚愕に見開かれた目を彼へと向ける。

 そのまなざしに、ゼオルトはとても沈んだ声をもって、こう返す。


「何でそんなこと言うんだよ、おまえ」


 率直に言って、彼は悲しかった。

 告げられたマイシァの内心に、泣きたくなるほどの悲しさを感じてしまった。


 以前はキレたが、今回は感情の規模ではそれを凌駕する。何てことだ。最悪だ。

 なのにマイシァはキョト~ンとしている。ああ、全然わかってない、こいつ。


「あのなぁ、勇者……」

「な、何……?」

「わたし『で』とか、そんな言い方しないでくれよ」


 今回、ゼオルトが見過ごせなかったポイントは、そこ。

 確かにマイシァとえっちして気持ちよくなりたいと思った。それは事実である。

 だが、だが――、


「僕はおまえ『と』気持ちよくなりたいんだよ。そうじゃなきゃ、意味がないの」

「わ、わたし……、『と』?」

「そう、おまえ『と』だよ。おまえ『で』じゃないよ」


 たった一文字の違い。

 しかし、それは果てしなく大きな違いでもある。少なくともゼオルトにとっては。


 一人で気持ちよくなりたいなら、オナニーでもしてりゃいいのだ。

 だが二人で満たし合う快感を知った以上、もうそれでは満足できなくなったのだ。


「ほら、魔法解け。変装やめろ。僕におまえの素顔を見せろ。今すぐにだ」

「ぅ、あぅ、あぅぅ……」


 マイシァは気圧された様子で縮こまり、変装魔法を解く。

 三つ編みの髪は見慣れた赤へと変化して、その顔にも特徴的な傷跡が現れる。


「フン」


 自分も変装を解いて、ゼオルトが鼻を鳴らしてマイシァの眼鏡を外す。


「ほら見ろ、可愛いじゃないか」

「…………ぅぅ」


 頬をさっきよりもさらに赤くして、マイシァはゼオルトから視線を外した。

 実をいえば、ゼオルトの中には前と同様に怒りもあった。


 マイシァが言ってた『あなたも、わたしをそういう風に扱うんだ』というくだり。

 何それ。何だよそれ。何なんだ、その『あなた『も』』っていうのは。


 いや、考えるまでもない。

 つまるところ、マイシァも自分と同じなんだろう。


 勇者である彼女は、周りから道具扱いしかされてこなかったのだ。

 人類にとって、マイシァの存在価値は『勇者であること』。その一点に尽きる。


 そして、長らくそう扱われて、彼女自身までもがそう思い込んでいる。

 自分には女性としての価値などない。そんなものは最初から求められていない。

 と。


 ――ああ、腹が立つ。ハラワタ煮えくり返るどころか、煮え滾るレベルだ。


「決めた」

「ぇ……?」


 いきなり目が据わったゼオルトに、マイシァがビクリと身を震わせる。

 不安げにしている彼女へ、ゼオルトは呼びかけた。


「おい、マイシァ」

「な、に……、って、え、ぇぇ! な、名前……!?」


 応えようとしたマイシァが、名を呼ばれたことに驚愕する。

 そんな彼女を改めてギュッと抱きしめ、ゼオルトは再びその髪を撫でつけ始める。


「この部屋にいるときは、僕はおまえを勇者として扱わない。そう決めた」

「そ、そんな、どうして……!?」


 驚きの中に問われてしまうが、答えは決まっている。


「おまえがマイシァだからだよ」

「わたしが……」

「そうだよ。おまえはマイシァだ。可愛い女の子の、マイシァだ。誰が何と言おうと、僕の腕の中にいるおまえはそうなんだ。勇者なんかじゃなくて、マイシァだ」


 自分と彼女の関係性。

 それについては、未だゼオルトの中でも答えは出ていない。


 だが、マイシァがマイシァであることだけはたがえようのない絶対の事実である。

 彼女は、自分が共に最高に気持ちよくなりたいと思わされた女性、マイシァだ。


 この女が自分を大事に思えないなら、僕がこの女を大事にしてやるだけだ。

 勇者も魔王も知ったことか。

 自分の価値に何も気づいてないこの女に、それを刻み込み、思い知らせてやる。


「でも、わたしは……」

「うるさい。それ以上言うならまたキスするぞ。今度は舌を入れて、全身フニャフニャになるまでベロチューでクチュクチュして、それから脱がしてやるからな」


 宣言である。宣言であった。断言どころじゃなくて、宣言してやった。


「フニャフニャになるまで、ベロチューでクチュクチュ……」


 想像してしまったのか、マイシァはそれ以上何も言えなくなる。

 そして硬直する彼女に向かい、ゼオルトは改めて告げた。


「それにな、マイシァ」

「ひゃい……」


「僕ね、もう我慢の限界なの」

「ひょえ……?」


 何が『ひょえ……?』だ!

 その仕草がすでにあざといんだよ! 可愛いんだよ! おかげで極限なんだよッ!


「だからね、そろそろえっちしたいの! おまえ『と』! おまえ『で』じゃなくてね? おまえ『と』一緒に気持ちよくなりたいんですよ、僕は! わかる!?」

「…………ぅん」


 ようやくゼオルトの言い分を理解したらしく、マイシァが小声でうなずく。

 そして、みたびその瞳に涙が浮かんでくる。ゼオルトは驚いた。


「何でまた泣いてんだよ、おまえェ~~~~!?」

「ち、違うの、これはその、違うの! さっきとは全然、違うのォ~~~~!」


 両手で必死にグシグシと涙を拭い、濡れた瞳でゼオルトを見つめるマイシァ。

 彼女はそこでやっと、嬉しそうに笑ってみせた。


「えっち、しよ。……ゼオルト」


 はにかみ笑顔で名前を呼ばれて、ゼオルトは身を竦ませる。

 その唇をマイシァが奪った。

 相手を相手と知ってからの、初めての彼女からのキス。


 細い腕がゼオルトの背中に回される。

 お互いに抱きしめ合う形になって、二人は額を触れ合わせて、間近に見つめ合う。


「いっぱい、気持ちよくしてね?」

「我慢させられた分、やめてって言われても聞かないからな」

「うん♪」


 ――このあと本当に、マジで、ばちくそ、どちゃくそ、メチャクチャえっちした。

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