第5話 勇者マイシァは『それ』が知りたい

 新記録達成! 新記録達成です!

 何と、本日の魔王と勇者の殺し合いの勃発回数、半日で七回! 新記録です!

 おかしいなぁ、つい先日、新記録達成したばっかりだったような?


「誰か僕の労働量を越えてみろよぉ……。いつでも越えてくれていいんだぜぇ……」


 乱高下する折れ線グラフのような軌道で飛行しつつ、ゼオルトが呟きを漏らす。

 彼は魔王だ。

 立場的にお飾りに過ぎないとはいえ、魔の覇者たる称号を冠する者だ。


 しかし、彼は一人の魔族である。

 魔族である以上は生きている。生きているってことは体力使えば疲れるんだよ!


「はぁぁぁぁぁ~~~~……」


 吐息と共に漏れる声が、空の上でひたすらに尾を引き続ける。

 空の果てを眺めれば、地平に沈みゆく太陽が見える。夜はすぐそこ、もう間近だ。


 今から魔王城に帰ったところで、どうせもぬけの殻に決まっている。

 これまでがずっとそうだった。

 上級魔族共にとっての魔王城は、規模のデカイサロンでしかないのだ。


 魔族の強国ヴァルデーミュを実質的に支配・統治しているのは、彼ら上級魔族達。

 魔王であるゼオルトが政治に関わることはない。


 別にそれはいい。と、彼は思う。

 自分は元々、髪の色を理由に迫害されてきた孤児で、一般の兵士に過ぎない。


 王として国を統治しろと言われても、できるはずがない。

 だからそれはいい。貴族階級である上級魔族に全部丸投げだ。好きにやってくれ。


 だけど、魔王である自分を利用するならアフターケアくらいはしっかりしろよ。

 こっちは毎日毎日、毎度毎度、勇者とガチで殺し合っているのだ。

 そりゃ実際に戦っているのは『自動殺戮機能』により意識と切り離された肉体だ。


 だが結局は自分の肉体なのだから、疲れる。疲れるんだよ!

 しかし、上級魔族達がその辺を配慮してくれたことなんて、一度もなかった。

 本当に魔王ってのは替えのきく道具でしかないんだなと、飛びながら実感する。


「ヤベ、さらに疲れた……」


 漏れる呟き。

 疲労の深さから思考が変なところに向いて、体の重みがますます増した。


 嗚呼、癒しが、癒しが欲しい。

 何でもいいから、とにかくだらけて休んで癒されたい……。


「……あ~」


 口を開けたまま、フラフラ飛んでいるゼオルトの脳裏に浮かぶのは、彼女の顔。

 もちろんそれは戦場で相対するときの、鬼の形相の『赤き傷口スカーレッド』ではない。


 例えば、酒場で出会って一緒に酒を飲んだ、変装していたときの彼女。

 例えば、酔い潰れる寸前の、自分をベッドに誘ってきたときの妖しい彼女。

 例えば、ベッドで互いに濡れた身を絡ませ、共に快楽を貪っていたときの――、


「…………あ~~~~」


 削れた理性の奥から溢れ出た煩悩がゼオルトの血を熱し、体温を上げる。

 漏れる声は大きさを増し、途切れることなく空に余韻を残し続ける。


 約束はした。同意もとってある。

 落ち合う場所は、最初に飲んだ場所だ。あそこなら周囲にバレもしないだろう。


「――早く抱きてぇ」


 呟いて、魔王ゼオルト・グランはクタクタの身で空を往く。

 街に到着する前に魔法での変装は忘れずに。それだけは破ってはならない約束だ。


 夕陽が沈む。

 夜がやってくる。


「……愚痴、酒、勇者」


 精も根も尽きかけている魔王が求めるものは、尽きる原因となった勇者本人。

 ゼオルトが描く折れ線グラフは、ゆるやかながら右肩上がりになりつつあった。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 変装はあのときと変えない。

 とんがり耳を丸くして、灰髪を黒く染めた。それだけでガラッと印象が変わる。


 だがマイシァは、これだけでも十分自分を判別できるはずだ。

 自分も、変装した彼女を見分けることはできる。それについては自信があった。


「いらっしゃ~い!」


 と、聞き覚えのある女将の声。

 エストバーグ領内にある小さな街の小さな酒場。


 前に来たときと変わらず、さほど広くない店内はしっかり賑わっている。

 足を踏み入れれば、途端に香る焼いた肉の匂いが凶悪だ。腹とのどが同時に鳴る。


「ぇ~と……」


 ゼオルトが店内をザッと見渡すと、いた。

 前と同じ席に、蒼い髪を三つ編みにしたローブの女。後ろ姿だが間違いない。


 店の入り口からさほど離れてはいないものの、店内が騒々しい。

 皆、日々ストレスを吐き出しに来てるのだから仕方がない。


 ここで、魔王に芽生えるちょっとしたいたずら心。

 彼はあえて足音を殺し、ソロリソロリと蒼髪の彼女の背後に近づいていく。


「よ」


 と、一声かけると共に背を丸めている彼女を横から覗き込んだ。


「きゃあッ!?」


 眼鏡をかけた彼女は、いきなり現れたゼオルトに気づいて悲鳴じみた声をあげる。

 その無防備な驚きっぷりは、彼に大成功の快感をもたらした。


「僕だよ、僕。遅れちゃったみたいだな、悪い悪い!」


 言葉だけで謝りながら、ゼオルトは彼女の向かい側に座る。すると気づいた。


「あれ、お酒だけ?」


 テーブルに置かれているのは、エールが注がれたジョッキだけだった。

 てっきり、すでに食事も始めているものと思ったが――。


「べ、別にいいでしょ。おなかがすいてなかったのよ」


 三つ編みを揺らし、彼女はプイッとそっぽを向く。

 頬に差している赤みは、酒による酔いか。それとも別の何かによるものか。


 しかし、ゼオルトは気にすることなく、自分はミード酒をジョッキで注文する。

 極度の疲労に加えて彼女と合流できた嬉しさが、彼の注意力を散漫にさせている。


「ほらほら、僕の分のジョッキが来たら乾杯しようぜ、乾杯!」

「か、かんぱ~い……」


 ゼオルトは勢いよく、彼女は気圧され気味にジョッキを重ねて音を鳴らす。

 そこからは、ゼオルトは前回と同じく酒と食事と愚痴垂れ流し発散タイムに移る。


「ぁ~~~~ったくさぁ~、上の連中は何考えてんだかわかりゃしないよ!」

「うん。うん。そうよね……」


「現場のことなんて何も知りやしないし、知ろうともしない! ケツで椅子磨くばっかりで、現場で働く方の事情なんか知ったコトじゃないとばかりにさぁ~!」

「ええ、そうね。それは辛いわよね……」


「それで高みからふんぞり返って、当たり前のように上から目線でこっち見下してくるんだぜッ! あ~、腹立つ! お酒おかわりお願いしま~~~~す!」

「本当に、大変よね。わかるわ……」


 ひたすら続く飲酒。ひたすら続く食事。ひたすら続く愚痴。

 しかし、前回と違って、一方的にそれを続けているのはゼオルトだけだ。


 彼女は相槌を打って同意こそするものの、彼女からの愚痴は今のところ一切ない。

 最初はそれに気づいていないゼオルトだったが、さすがに疑問を感じ始める。


「……どうかした?」

「え……」

「いや、え、じゃなくてさ。おまえは愚痴とかないの? さっきから何か大人しいじゃん。酒の進みも遅いし、料理だって手をつけてるのはさっきから僕だけだぞ?」


 飲んで食って、気持ちよく酔って、溜まったものを吐き出して。

 それは、これからの本番に向けて気持ちを高めるための前準備に過ぎない。


 けれども、ここで高まるのがゼオルトだけでは意味がない。

 彼女もまた、彼と同じように溜まったものを吐き出して、疲れを癒なければ。


「……食べてるし、飲んでるわよ?」


 彼女はそう言いはするが、やはり声の調子は沈んでいるように聞こえる。

 自分と彼女のとの間にある明確な温度差。その正体が、ゼオルトにはわからない。


「ん~……」


 ミード酒を口に含み、ゼオルトはしばし考える。

 そうして思い至ったのは、彼女が緊張しているのではないか。という推測。


 ああ、それならば納得がいく。

 今日に至るまでの前二回は、どちらも始まりは偶然だった。


 互いに相手の素性に気づかないまま、奇跡的な出会いを経て体を重ねてしまった。

 それが、今回は最初から相手のことがわかっている。


 ゼオルトが見たところ、彼女は精神年齢がそこまで高くなさそうだ。

 そういえば、彼女の純潔は自分がいただいてしまったのだ。


 いや、いい。

 それについては今考えることではない。また今度。またいつか。いずれ考えよう。


 今、自分が見るべきは、向かい側でチビチビとエールを飲んでいる彼女。

 酔ってはいるようだ。が、気持ちよく酔えているかといえば、怪しいところだ。


「あ、すいません、女将さ~ん」


 ゼオルトは近くを通りかかった女将に手をあげて呼びかける。


「はいはい、何だい? お酒のおかわりかい? お料理?」

「んにゃ、今日こっちに泊まっていきたいんですけど、部屋空いてますかね?」

「ぇ……?」


 ゼオルトの言葉に彼女が小さく反応を示す。

 それには応じず「空いてるよ」と教えてくれた女将から、部屋の鍵を受け取った。


「ねぇ、あの……」

「ちょっと悪酔いしたみたいだ。少し気持ち悪い。部屋に行かせてくれないか」


 彼女が何かを言う前に、ゼオルトはそう言っておでこに手を当て両目を覆う。

 すると、彼女はすぐに眉尻を下げて、心配そうな顔をする。


「……大丈夫?」


 すぐに席を立って、彼女はゼオルトに肩を貸そうと駆け寄ってくる。

 手で両目を隠したまま、彼は思った。


 あ~、こいつ、本当にイイヤツ。こんな三文芝居に騙されるなんて。

 良心の呵責を感じるより詐欺師に引っかからないかと、逆に心配になってしまう。


「部屋へ行きましょう。立てる? わたしが支えるから、しっかりしてね」

「うぇ~~~~い……」


 彼女に支えられて、ゼオルトは階段を上がっていく。

 一段一段、歩みが進むたび、彼は自分の気持ちが盛り上がっていくのを感じる。


 部屋は、何と前回と同じ場所。

 これは否応もなしにテンションも上がる。熱が高まる。心臓が高鳴る。


 今日、戦場で垣間見た彼女の可愛さを、自分はこれからじっくりと味わい尽くす。

 それは至上の快楽だ。食事も酒も、所詮は前座に過ぎない。


 僕は気持ちよくなりたい。

 当初は疲れ切った中に抱いた『癒し』を求める気持ちだった。


 だが今は、少し違う。

 今は、自分だけが気持ちよくなっても仕方がないと、ゼオルトは思っている。


 これまでの二回の同衾も自分と彼女の二人で一緒に快に浸った。

 自分だけではない。彼女が隣にいたからこそ、あんなにも気持ちよくなれたのだ。


 部屋についた。

 彼女は、自分を椅子に座らせようとする。


 しかしここまで来たならもういい。

 ゼオルトが曲げていた背を伸ばして、彼女の支えなしに立ち上がる。


「……あれ?」


 と、不思議そうな声を出して、彼女はこっちを見上げる。

 何も言うことなく、ゼオルトは両腕を広げて彼女を抱きしめた。


「え、ぁ、ちょっ……!」


 そのまま、二人は横倒しでベッドに倒れ込む。


「ごめん、嘘ついた。別に気持ち悪くない」


 もがこうとする彼女の耳元に、ゼオルトが小声でそう囁いた。


「な、ま、魔王ッ、あなた……!」


 咎めるような目つきでこっちを見る彼女。


「だっておまえ、緊張して楽しめてないみたいだったしさ、だったら、なぁ……?」


 だが、彼が同意を求めると、ただでさえ赤い彼女の頬はますます紅潮する。

 その唇から漏れた熱い吐息が、ゼオルトの首筋を撫でて少しだけくすぐったい。


「しようぜ、勇者」


 前回は彼女の方から誘われたので、今回はこっちから誘ってみる。

 すると、ズレた眼鏡の奥、濡れた瞳が儚げに揺れる。


「……魔王ォ」


 紡がれた声はかすれていて、だが、そのかすれ具合にえもいわれぬ色気があって。

 たまらないな。本当にこの女はたまらない。


 可愛いだけかと思えばそんなことはなくて、今みたいに自覚なしの艶を見せる。

 上玉なんて言葉で表しきれない。極上という賛辞でも足りるかどうか。


 ああ、抱きたい。

 早くこの女を抱きたい。


 ゼオルトの中の『オス』が、いよいよ猛って荒ぶりだす。

 もはや我慢も限界だ。気持ちよくなりたい。この女と一緒に気持ちよくなりたい。


「キス、するぞ――」


 腕の中に彼女を抱きしめたまま告げて、そっと顔を近づけようとする。

 だがそこでゼオルトの動きが一度止まる。


 彼を動けなくさせたのは、自分を見る彼女の瞳だった。

 その大きな瞳に浮かんだ涙が、部屋の照明を受けてキラリキラリと光っている。


 緊張からの涙ではない。

 それだったら、こんなにも何かを堪えるような顔をするはずがない。


「……どうしてだ?」


 彼女を抱きしめたまま、短く尋ねる。

 同意はしてくれたはずだ。

 今だって、泣きそうになりながらも抱きしめられた状態で拒む気配は一つもない。


 それなのに、どうしてそんな顔をするのか。

 わからないから、知りたいから、ゼオルトは彼女に――、マイシァに問う。


「教えてほしい、何でだ?」


 グスッ、と鼻を一度すすり上げて、マイシァはゼオルトに問い返す。


「……わたし達って、何なの?」

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